勇者鑑定士、病気ありませんよね〜勇者の健康チェックしていましたが、国外追放と言われたので、他の国でのんびり医者やろうと思います〜
雨傘と日傘
勇者鑑定士 終わりの始まりの話
俺の住むこの世界「アンドグランド大陸」には、多くの魔王やら魔獣が出現する。
それらを討伐する為に、ライトサン国の王は、勇者を異世界から召喚をする。だが、何体も魔王並みの魔獣が出てくる為、次から次へと勇者召喚をやってしまうから俺達は大変なのだ。
勇者は良い人たちが多く「俺がやってやるぜ!!」と言ってくれる人が殆どだ。そして、勇者達は魔王や魔獣を片付けて異世界へと帰っていく。まあ、永住する人も偶にいる。
そこで、勇者召喚で外せないことがある。それは、勇者鑑定である。
鑑定といえば、宝石とかを思い浮かべる事が殆どだろう。だが、ここでの鑑定というのは、勇者の持つ技術、能力等という力の他に感染症等を持っていないかなどのチェックだ。異世界から来ると言うことは、未知の病原体を宿している可能性があるという事だ。その為、鑑定し分析、治療法を編み出すそれが俺、クルト・グーバルの仕事だ。
この世界の人達は、一つだけスキル持って生まれてくる。火を操ったり、空を飛べたり、水湧き出させたりと様々だ。そんな中で俺のスキルは、病原体が見えるというものだった。このスキル、目を凝らし見たいと願えば、テーブルの上や皮膚の上、人の腹の中まで病原体が見えるのだ。初めてこの力を発現した時、それはそれはおぞましい光景を目にしたものだ。うじゃうじゃ蠢く病原体が手のひらにびっしり……思い出すのはやめよう。
そんな事で俺は医師になる事を子どもの頃から決めていた。
十八歳の頃、最年少で医師免許を取った。首席で医術学校を卒業できた事もあって、王直々の数ある医師団の一つに入団できたのである。その医師団は勇者のスキルチェックから体力測定等をこなしていた。その中で、俺が担当していた物は未知の病原体がいないかの確認である。
大体の勇者は、健康体だ。しかし、時折、未知のウイルスや細菌等を持ってくる事もあった。それを事前に俺のスキルパワー「白き手」で排除していた為、大流行しないで済んだのだ。
スキルパワーとはスキルに応じて手に入る力である。白き手は、意識すれば触れた病原菌を掴み、殺す事ができるのだ。勇者を診断する。この診療を俺は「ブレイブチェック」と名付けた。
診療や薬の開発等をして日々をのんびりと楽しく過ごしていた。そんなある日のことだった。突然、国王から呼び出され、俺は全てを失う事となった。
「お前は医師団で何をしているんだ」
「はい。私は勇者様の体の中に巣食う未知の病原体を排除しております」
俺の言葉を聞いた王が溜息をついた。
「勇者様達から苦情がでた。よく分からん白い手で触れて欲しくないとな」
「白き手」の弱点は病原体のいる相手のその部分の素肌に触れないといけない事だ。そして、力を発揮する時白く光る為、それが不愉快と苦情が入ってしまった様だ。
「しかし、身体に触れなければ病原体を殺す事はできません。何もしなければ病が蔓延します」
「それならば、薬を作れば済む話だろ」
王の呆れ顔に唖然となった。薬を作るには、時間がかかる。致死率の低い病であれば問題ないが、高い病であればある程、その時間に病は人々を死へと追いやるだろう。王は死体の山を作る気なのだろうか。
視界を埋め尽くす死体の山の光景に、吐き気が込み上げてきそうだ。
「薬を作るには多大なる時間がかかります! その間、多くの人が大変なことになります!」
「今まで、未知の病気なぞ勇者から流行った事はない。そうだろ……リスト」
右手にいる医師団のリスト・リーク団長が頷いたのを見た。立って居られなくなりそうなほどの衝撃を受けた。リーク団長は、身寄りのない俺を入団から面倒を見てくれた恩人だった。それなのに……リーク団長は俺の仕事を理解してくれていなかったのか。俺が担当する前は、未知の病気が大流行し大変だったのを皆んな覚えていないか! この五年の間、大きな流行が無かった所為で、みんな平和ボケしてしまった様だった。
「そう言う訳だ。お前には医師団を出て行ってもらう」
「王よ! 考え直して下さい! たかがか風邪、たかが小さな菌と侮ってはいけないのです! 疫病で人は殲滅してもおかしくないのです!」
「やかましい!! 我に逆らう此奴を国外追放とする!」
「国外追放……」
そう、俺は五年勤めてきた医師団を追い出され、さらに国も追放される事になった。与えられた猶予は五日間。その間に国から出ていけと言う事だ。俺が何をした。ただ、細菌やウイルスの恐ろしさを分かって欲しかっただけなのに。
俺を訴えた勇者は誰だろう。沢山の勇者をチェックしてきたから誰だかよく分からない。訴えられる前にチェックした勇者は三人だった。黒髪黒目の男の子か、細身の金髪男だろうか。それとも、茶髪で猫目の女の子だろうか。
項垂れたまま王の間を出て、赤い絨毯が敷かれた廊下を歩いた。周りの兵士やメイドが俺を見てこそこそと話をしている。
「勇者様の体に触れていたんだって……」
「可哀想に、今までの勇者様達は我慢していたのね」
「菌を排除してたって言うけど、本当は違うんじゃない」
純粋に仕事をしていただけなのに、こうも言われてしまうのか。もう、どうでもいい……。白衣を翻し、医師団の寮まで向かった。
王の宮殿を出て、貴族街にある寮へと歩き着いた。五階建ての寮には誰もいなかった。それもそうだ、皆まだ仕事中だ。三階にある自室へと駆け込み、ベッドの上に座った。どうすれば良いのだ。荷物はあまりないから、荷造りは簡単だが……俺はこれからどこに行けばいいのだろう。
医師団が俺の家だったし、打ち込めるものも仕事しかなかった。小さい頃、両親も兄弟も親戚も友もみな流行り病で亡くなった。行く当てがない。一つだけの身寄りであった師匠も昨年寿命で亡くなった。
国を出てどこに行こう。行くとすれば、隣国のリトルナイトか。少し遠いが山越えした先のクリアガーデンもある。それとも、海越えした先にある楽園トールか。リトルナイトは火山地帯で多く魔獣が
取り敢えず、さっさと荷物を纏める為にベットから立ち上がった。余裕をもって国境を出る為にも、明日にはここを出ないといけない。今日中に纏めて、明日朝に出るとしよう。いや、医師団の皆んなに冷めた目で見られるなんて耐えられない。さっきの兵士やメイド達のように悪意や悪口に晒されたくない。今日中、それも皆んなが帰ってくる前に寮を出よう。
同期のリリアやセオには申し訳ないが、黙って出ていこう。リリア・リングは家族がいない俺にとても優しくしてれた赤髪の女の子だ。セオ・アルバストは兄弟の様に俺に接してくれた金髪の男で親友だった。
それも、何もかも諦めないといけない。知る人のいない国に行くのは、少し怖い。それでも、行かなければ首を刎ねられてしまうだろう。仕事ばかりしていたものだから、金銭面は何とかなる。まずは荷物を纏めて、街で宿に泊まろう。それから、明朝にこの街を出よう。行き先は気の向くままに行くことにした。
部屋の中の荷物を纏めると鞄一つに纏まった。いらない物はゴミ袋に纏めて、部屋の真ん中に置いていくとしよう。セオが何とかしてくれるだろう。部屋の中を見渡す。がらんとした部屋にあるのは机と椅子、空の箪笥に書棚。あと、ベッドくらいだ。ここはもう俺の家じゃなくなったんだと思うと少し切なくなった。
鞄を持ち、部屋から出て扉をゆっくりと閉めた。廊下を通って階段を降り、入口から出ようとしたその時、後ろから靴音が聞こえてきた。
「おや、グーバルくん。今日は早いんだね」
そう声を掛けてきたのは、寮を管理してくれているセイド爺だった。白髪でたっぷりとした白い髭が、童話に出てくるお爺さんみたいでついつい和んでしまい世間話をよくしていたのを思い出した。管理室で共にお茶をし、菓子を食べながら話す内容は猫が餌を食べに来たとか、今日は洗濯がよく乾きそうだとか、日常的に起きた小さな話ばかりだったが、そのやり取りを楽しみにしていた。だがその優しいやり取りも、思い出のひとつになってしまうのだ。
「いえ、俺これから……旅行に行くんです」
医師団を追い出され国外追放になったなんて言いたく無かった。セイド爺は俺を孫の様に可愛がってくれている。それに短気な所がある為、もし俺が追い出されたなんて言ったら、激昂して王に直訴してくるとか言い出しそうで、話すことはできなかった。
「おや、珍しい。グーバルくんは、仕事ばかりだったからなぁ。息抜きしておいで。そうだ! それなら、良いものをあげるよう」
そう言って革製のエプロンのポケットから何かを取り出し、俺の目の前に差し出してきた。セイド爺の右手の平に乗っていたのは、キラキラと輝く金色のブレスレットだった。
「これは?」
「お守りだ。怪我をしない様にと願いを込めてある」
「そんな! こんな高価な物貰えません!」
金は、ライトサン国では大変高価な物だ。スキルの効果を上げる術式を編んだりする時等に使われる為、需要がある。だが、取れる数が少ないのだ。
「受け取っておくれ。グーバルくんが居なかったら、わしは死んでおった」
俺は、以前高熱に苦しんでいたセイド爺を治療した事がある。その時、セイド爺は死の淵を彷徨うほどの高熱を出した。俺は、寝ずの看病し、セイド爺の腹に巣食っていた黒い病原菌を一つずつ排除したのだ。朝方になり、細菌を全て取り除いた時にはセイド爺は熱が下がり穏やかに眠っていた。
「良いんです。俺は目の前で誰か苦しんでいるのを放って置けないだけだから」
「それでもだ!」
セイド爺が俺の左手を強引に掴み、ブレスレットを嵌めてきた。キラキラと輝くブレスレットが俺の左手首にピッタリと嵌った。
「ほら、こいつも一緒に行きたいと言っておる」
にっこりと微笑むセイド爺を見ると断れない。あまりごねると怒ってくる為、仕方がなく受け取る事にした。
「ありがとう。それじゃ、行ってきます」
「気を付けて、いってらっしゃい」
セイド爺に見送られ、俺は寮を後にした。温かな思いと罪悪感が俺の心を満たした。セイド爺、嘘を吐いてごめんなさい。素直じゃない俺をどうか許して。
寮を背に、中層階級のエリアへと向かった。貴族街は知り合いが多すぎる。宿に泊まれば、噂が噂を呼びそれこそ、一気に追放された事が知れ渡るだろう。中層街ならば知り合いも少ないし、貧民街よりは治安も悪くない。
貴族街と中層街を繋ぐ門を通り抜けて、街の中へと入った。中層階級の街並みは、レンガで家を建てられており、石畳で道が舗装されている。正直言うと、俺は貴族街のキラキラとした道よりこの石畳の道の方が好きだ。貴族街は何でもかんでも、宝石や大理石で道や建物が出来ていて目が痛くなる。
石畳を歩くと革靴がコツコツと音を立てた。この音を聞くと、わくわくするのは何でだろうか。
街の中で様々な店が軒を連ねる場所に入ってみた。服や靴、装飾品や食べ物屋など沢山の店があり、店主の客の呼び声が響き、賑やかだ。
取り敢えず、服を何着か見て買おう。今着ているのは上質な白い長シャツとスラックスだけだ。常に白衣を着ていた為、私服が殆どないのだ。それとあまり貴族街から来た事がバレると、邪な考えを持つものに襲われる事も少なくない。そう考え、服を扱っている店に寄った。
「いらっしゃい」
カウンター越しに、にこにこと笑うおばさんに近づいた。
「すみません。地味な色のシャツと上着、ズボンを三着づつ。あと外套も下さい」
「畏まりました。少し、お持ち下さい」
おばさんが、店の奥へと消えていった。待っている間に店の中を見渡すと、壁に立て掛けられている鏡に自分が映っていた。短く整えた銀髪に蒼い瞳。最近、研究ばっかりしていたせいか少し痩せ気味な身体は、貧相に見える。腹は減ってないが、後で何か力の付きそうなものでも食べようか。
「はい! お待ちどうさん!」
そう言っておばさんが持ってきたものは、寒色系と黒系のシャツと上着、ズボン、外套だった。
「ありがとう。いくらですか?」
「三千シクルと五百ベクだよ」
俺は財布から、シクルとベクを取り出した。シクルは紙幣で一枚で千シクルとなる。ベクは銅製で一、十五、三十、五十、百、五百と六種類の硬貨がある。一ベクを千枚で一シクルになる。
「はい」
おばさんに代金を手渡し、服を受け取る。
「はい、ありがとうございました。ねぇ、お兄さん」
「はい?」
「聞きたいことがあってね。お兄さんは良い所からきたのかい?」
良い所と言えば、貴族街の事を言っているのだろうか。
「いえ……」
申し訳ないが、俺の事を噂される訳にはいかない。痛む胸をそっと撫でる。
「そうかい……」
「どうしたんです?」
「いや、良いんだ。すまないね、呼び止めてしまって」
「いえ」
そう言って、俺は服を鞄にしまい店を後にした。何かあったのだろうか。だが、赤の他人である俺が深く聞くのあまり良くない。後ろ髪を引かれるが、諦めて宿を探す為に歩き出した。
店を見ながら歩いていると、前方で赤髪を頭の後で一本に結いている女の子が、通りを歩いている人に声を掛けていた。十歳位だろうか。真っ赤な果実をおじさんに差し出すが、跳ね除けられていた。ぼろぼろのワンピースを纏った女の子はめげずに違う人に話し掛け始めた。あの子は貧民街の子だろう。
関わるべきではない。貧民街は治安が悪く、碌でもない人達の溜まり場と相場が決まっている。だが、必死になって何かを訴えている女の子と話をしてみたくなった。話してみたいと思ったきっかけは、彼女の中に巣食う黒い闇だ。ドス黒い靄に引き寄せられる俺は、甘い飴に惹かれる蟻の様だと思い密かに笑った。
相手にされなかった女の子が俯いた時、話しかけた。
「ねぇ、何をしてるの?」
「きゃ!」
急に話しかけたせいか、女の子が驚き跳ねた。
「あ、あ、あの……」
赤い果実を両手に持って、もじもじとしている。とても言いづらそうだ。
「どうしたの?」
「お医者さんに行くお金と交換して下さい!」
そうやって、急に差し出された真っ赤な果実に驚いた。ベレンと呼ばれるこの果物は、美味しそうな見た目と違って強烈な苦味がある事で有名だ。
「どうして? 病気なの?」
そう聞くと、女の子は俯いてしまった。視線が下がったその隙に、スキルパワーを発動させた。女の子の頭にそっと白き手で触れる。頭の中に渦巻く黒い霧を鷲掴みし、握りつぶした。ハッとした女の子が顔を上げた。青ざめていた顔や頬に赤みが戻っていた。
「頭、痛くない……」
どうやら、頭痛は治ったようだ。腫れてもいない様なので薬はいらないかな。他には、これといった病原体はみえない。もう大丈夫そうだ。
「良かったね。それじゃね」
そう言って、女の子の横をすり抜けて行こうとした。その瞬間、女の子が俺の行く手を塞いできた。
「待って! お兄ちゃんは、お医者さんなの?」
「ち、違うよ」
本当はそうだよと言ってあげたかったが、周りの視線が気になり嘘を吐いた。
「それでもいいの! お願い! おじいちゃんを助けて!」
「おじいちゃん?」
「こっちにきて!」
強引に女の子に手を掴まれ、俺は引き摺られる様に連れて行かれてしまった。
荒れ果て異臭が漂う貧民街を通り抜けた俺達は、街の外れに一軒だけある荒屋に辿り着いた。石を積み上げ、板を打ちつけただけの家に近づく。入り口は布がただぶら下げてあるだけだ。
その入り口の布を押し上げて女の子が入っていった。続くように布を押し上げ中を見渡す。外観とは違い片付けられている部屋の中は意外と小綺麗だった。彼女がしているのだろう。
女の子が部屋の奥で座った。目の前にぼろぼろの布団が敷いてあり、掛け布が盛り上がっているのが見える。
「おじいちゃん、お医者さん連れてきたよ!」
「ルナ! あれ程、中央に行くなって言っていたのに!」
言葉の合間にごほごほと苦しそうに咳をしている。肺に何かありそうだ。
「おじいちゃんでもね! 今度はちゃんとした人だよ!」
「馬鹿を言うな! 医者なんて金持ちか権力者しか相手にしない!」
その言葉が胸に刺さる。確かに、そういう医師は多い。まともな医師の大体が貴族街で開業している。中層階の医師はそこまで登れなかった半端者が多く、治ると言いながらその辺に生えている雑草を煎じ薬として渡し、多額の代金をせしめるあくどい奴も居るくらいだ。
「でも……」
女の子が怒声に怯え俯いてしまった。仕方がない。
「おじいちゃんって、その人?」
「え?」
女の子の側に座り、腕まくりをする。
「お前! 出てけ!! ここには金はない!」
「構いません。大丈夫ですよ。痛みは心を尖らせてしまう」
「何を!」
「落ち着いて下さい。ルナちゃんだよね? 桶に水を入れて持ってきてくれる? 後、体を拭く布も一緒にね」
「あ……はい!」
鞄を隣に置いて、中を探る。小刀と、すり鉢と棒、小さな受け皿を三皿、後何個かの薬剤や薬草入りの小瓶を取り出した。
「俺を殺す気か!」
小刀を見てお爺さんが体を無理やり起こそうとしている様だが、衰弱している体はピクリとも動かない。
「違います。ぱっと診た感じですが、貴方は継続的に診察しないといけない位の重症です。だが、俺にはそんな時間はないですし、貴方も嫌でしょ? その為に、何種類かの薬を多めに置いていきます」
「あの……」
その声に振り向くと、ルナちゃんがぼろぼろ布と桶に水を持ってきてくれていた。
「あぁ、そこに置いて」
お爺さんの有無を聞かずに、掛け布を剥ぎ、前掛けのボタンを全て外し全身を見た。頭と胸、腹に黒い霧と小さな緑色の粒が浮かんでいた。
俺が担当する前に流行った異世界の勇者が持ち込んだ病。
病名、暗鬼ときな。
特徴は発熱、頭痛、呼吸器疾患などを引き起こす病原体だ。重症化すれば命を落とすこともある。抵抗力があれば重症化する事もないし、治癒可能の病だがお爺さんは高齢だ。抵抗力が落ちてしまったのだろう。ここまで重症化すると体の調子が良くなるのは時間がかかる。
俺に出来るのは病原体を排除するだけで、腫れて傷んだ患部を治せる訳じゃない。そこは本人の体に任せるしかないのだ。痛みや症状を穏やかにする薬を処方するしかできない。それが一番もどかしい所だ。
スキルパワー発動 “白き手”
白く輝く右手でお爺さんの腹に触れる。
「何を!!」
怒声浴びせられるが抵抗してこない為、無視する事にした。本当なら相手を宥めたりするのだが、今はそんな事をしている暇はない。これ程の重症なら相当痛む筈だ。少しでも痛みを取り除いてあげたい。そんな思いに駆られていた。
指先で一つ一つ小さな緑の粒を潰していく。全て潰し終わってから、黒い霧を鷲掴みし潰す。病原体はものによって排除の順番がある。暗鬼ときなは小さな緑色の粒が核の役割を果たしている為、黒い霧から潰すと違う臓器や場所に転移するのだ。
腹の排除は終わった。次は、胸だ。腹から移動し、胸元に触れる。
「おじいちゃんは、治る?」
その声にルナちゃんを見ると、お爺さんの左手を両手で大事そうに握り締めて心配そうに俺を見ていた。
「大丈夫だよ。なんとかしてみせるから」
安心させたくて、にっこりと笑った。お爺さんが相当大事な人である事がその姿で分かった。お爺さんが亡くなったら、彼女は一人になってしまうのだろうか。両親はいないのだろうか。事情は知らないが、大切な人を失う辛い思いをこの子にさせたくない。何も出来なかった自分を重ねる様に見てしまう。ベットに眠る家族が脳裏に浮かぶ。
絶対、治してみせる。
胸の治療も腹の時と同じ様に病原体を排除した。次は、頭。
右手で頭に触れようとしたその時、お爺さんの左手が俺の右手首を掴んできた。急な動きに驚きかわせなかった。
「すまない、本当に金は無いんだ。孫は死んだ娘夫婦の置き土産だからやれない……だ、だから、もう良いだ」
お爺さんの言葉を聞いたルナちゃんは俯き、震えていた。
その言葉が俺にとってどれだけ心に響いたかなんて、お爺さんは分からないだろう。
治療をせずにこのままにしておけば、転移を繰り返し広がる暗鬼ときなは、この人を殺すだろう。そうなれば、この女の子は一人だ。救えなかったあの時とは違う。今の俺はこの人を救える。
「尚更、引けません。代金はもう貰ってますから、大丈夫ですよ」
そう言ってお爺さんの左手を外し、そっと頭に触れた。
「貴方のお孫さんは、とても良い子です。お金の為に、そんな子を置いていってはいけないんですよ」
その言葉を聞いたルナちゃんは顔をあげて目を丸くし、お爺さんの瞳からは涙が溢れ目尻から枕まで伝っていった。
頭の病原体の排除が終わった時、お爺さんは目を閉じ穏やかに眠っていた。毒素が少しでも抜けたようで、熱も下がっている。布を桶の水で濡らし身体拭いて綺麗にしてから、寝巻きのボタンを閉め、掛け布を掛けた。
「終わったよ」
「あ、ありがとうございます。あの……」
何か言いづらそうに俯いている。
「何?」
「お、お金、その私……」
さっき、お爺さんに言った事だろうか。
「代金はさっき貰ったよ」
「え?」
「あれ、くれるんでしょ?」
そう言って、テーブルの上に乱雑に置かれた赤い果実ベレンを指差した。
「でも、あれは……苦いし、美味しくない……」
ルナちゃんは分かっていたのに、あれを対価に医師にいくお金と交換しようとしていたのか。
「そうだね。でもね、良薬は苦いんだよ」
俺の答えに首を傾げたルナちゃん。知らないのだ。答えを見せてあげるしかない様だ。そう思って、立ち上がりテーブルの上にあったベレンを手に取った。お爺さんの元に戻って、小刀で赤い皮を剥いていく。中身はとても美味しそうなクリーム色だが、これは苦味たっぷりの果肉だ。果肉を細かく刻み、すり鉢に入れていく。そこに、俺特製の薬液を数滴と薬草をひとつまみ入れ、棒ですり潰しながら混ぜていく。
「ベレンはね。痛いを抑えてくれる薬になるんだよ。こうやってすり潰して空気に触れると、効果が上がるんだ。飲み薬としても優秀だし、肌に塗っても効果がある」
ベレンは一般的な人にとっては価値の無いものだが、医療関係者にとっては重要なもので、鎮痛剤として使われる事が多い。
「だけど、ベレンだけだと効果が弱いから、こうやって他の薬草とか薬液を足して使うんだ」
固形だったベレンが薬液と混ざり段々と粘着性のあるものに変わってきた。もう、そろそろ良いだろう。鞄から手袋を取り出しはめた。すり鉢からひとつまみとって、飲み込みやすい様に丸め受け皿に乗せていく。
「こうして、小さく丸めて乾かせば、痛み止めの出来上がり!」
受け皿一杯の痛み止めを見てルナが目を丸くしていた。
「これで痛いのがなくなるの?」
「そうだよ。痛み止めと腫れを抑える薬と後ね。咳止めをお爺さんの為に置いていくよ」
空になったすり鉢一度綺麗に拭いてから中に、小瓶に入った薬液と薬草をあけて混ぜ合わせていく。俺の作業を熱心に見つめる彼女は良い医師になれそうだ。
「でも、ベレンだけじゃ……」
確かに、これだけの薬と治療を施せば、シクル金貨三十枚以上は掛かるだろう。だが、この家にそれだけの金銭はない。お爺さんが言っていた言葉が頭に浮かんだ。
“すまない、本当に金は無いんだ。孫は死んだ娘夫婦の置き土産だからやれない……だ、だから、もう良いだ”
あぁ……そうか。だから、お爺さんはあれ程医者を嫌っていたのか。震えていたルナちゃんの意味も分かってしまった。
ルナちゃんを一人にしたくない。辛い思いをさせたく無いと思っていた為、お爺さんの言葉の意味をはき違えていた。どこぞの馬鹿医者が代金の代わりに孫娘を寄越せとか言ったんだろう。それもルナちゃんが居る前で……。くそ、吐き気がする。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。ベレンだけじゃ嫌だと言うのなら、今日ここに泊めてくれる? お爺さんの容態も気になるから」
「良いの?」
「うん。このまま熱が出ないと良いんだけど」
「お兄ちゃん、ありがとう! 美味しい夕食作るね!」
「うん、期待してるよ」
お爺さんの隣に座って黙々と調剤をしていた時、視界にパンが入ってきて驚いた。
「お兄ちゃん、晩御飯できたよ」
そう言ったルナちゃんがパンを持って隣に座っていた。もう、そんな時間なのか。
「お兄ちゃん、声かけても反応してくれなかったんだよ」
俺の短所の一つだ。
「ごめんね。集中しちゃうと周りが見えなくなっちゃうんだ」
そう謝って、ルナちゃんと食卓についた。パンとスープだけの簡素なものだった。後、俺の所だけにハルと呼ばれる白くて丸く甘い果実が置かれていた。
「ごめんね。こんなのしか出来なくて……でも今日は頑張ったんだよ!」
そう言った彼女はスープだけだ。それも具材も全て俺の方に入れた様で、何も入って無い。俺は問答無用で、彼女のスープの器と自分の器を入れかえ、ハルを彼女に渡した。
「え!?」
「だめだ。若い子は沢山食べないと。それにハルは、肌に良いものが沢山入っているから女の子は食べた方がいいよ」
「でも……」
「お兄さんは、これでも少食だから心配いらないよ」
研究に没頭しすぎて二日食べなかったこともある。その間栄養剤と水だけでいたのが、親友のセオとリリアにバレて、叱られたっけ。
「私、何もできなくて。その……」
「美味しいよ」
彼女のスープは不味くはない。だが、寮で出てきていた料理に遠く及ばない。それでも、俺の為に精一杯作ってくれたんだと思うと単純な野菜のスープでもご馳走になった。
「本当?」
「うん。本当だよ」
「良かった!」
にっこりと笑ったルナちゃんの表情を見ると、今は亡き妹を思い出した。あの子も優しく笑うと笑窪ができて可愛かった。
「さぁ、温かい内に食べてしまおう」
「うん!」
夕食後、お爺さんの為に調剤していると、片付けを終えたルナちゃんが俺の前に座ってきた。
「それは何を作ってるの?」
「お兄さん特製の咳止めだよ」
仕事が休みの時は薬草探しで山や森に入っているか、又は部屋で薬の研究をしていることが多かった。今手持ちの薬液や薬草はその結果、出来たものだ。
赤い薬草が入った小瓶を手に取り蓋を開けた。
「これは、近くのグレース森林地帯でよく採れるシギリという薬草の一つで……って、こんな話つまらないよね」
相手は十歳位の女の子だ。薬草に興味あるとは思えない。
「ううん。面白いよ。ねぇ、これは何?」
ルナちゃんが指差した先にあった小瓶には、黄色の薬液が入っていた。
「これは、ピピと呼ばれる黄色の花を茹でてすり潰して、お酒に漬けたものだよ。いろんなものを殺菌消毒できる効果があるんだよ」
「そうなんだね。お医者さんになるって大変なの?」
「そうだね。沢山勉強しないといけないかな」
「私にもなれるかな?」
「ルナちゃん次第だよ。お医者さんになりたいの?」
「うん。お母さんがお医者さんだったの」
「そうなんだ」
「だけど、お父さんを助ける為に死んじゃった。それにお父さんも死んじゃって……」
ルナちゃんの悲しむ顔を見て、自身を重ねてしまう。ベッドで重なるように亡くなった父と母。
「良いんだよ! そこまで話さなくて……ごめんね」
「うんん。良いの! おじいちゃんが居るから! だからね、おじいちゃんを助けれる様にお医者さんになって病気を治してあげたいんだ!」
だからルナちゃんは熱心に俺の作業を見ていたのか。
「そうか、大丈夫だよ! ルナちゃんなら良いお医者さんになれるよ」
「本当!」
「うん。俺の難しいお話聞けるんだから、ちゃんと勉強すればなれるさ」
「うん! 頑張る!」
そう言ったルナちゃんは俺に質問責めをして来た。それに俺は、丁寧に答えながら調剤を進めた。いつの間にか静かになった事に気付き見ると、ルナちゃんが薬の小瓶に囲まれて寝ていた。
相当疲れていた筈なのに、よく頑張った方だ。
そっと立ち上がり、お爺さんの隣に敷いてあった布団の上にルナちゃんを運んだ。掛け布を掛け調剤の作業に戻ろうとした時、背中を叩かれた。
「お前の話に嘘はないか」
その言葉に振り向くと、お爺さんが目を覚ましていた。
「目を覚ましたんですね」
お爺さんの額に右手で触れた。熱はない。安心して大丈夫だろう。右手を離し薬を飲んで貰おうとしたが、お爺さんの左手に右手首を掴まれてしまった。
「私の質問に答えろ。ルナに話した事に嘘偽りはないか!」
真剣な表情に気圧されそうになった。これは本当の事を話した方が良さそうだ。
「ありません。あの子はそれ相応の勉強をすれば、良い医師になれるでしょう」
「そうか……」
「どうしたんです?」
「お前は、どうして貴族街から降りてきた」
そう聞かれて、驚きを必死に隠した。どうして俺が貴族街から来たと分かったんだ。ハッタリだろうか……。全てを見通されているような錯覚を受ける。
「俺は……国外追放を受けた身です。その為、近い内にこの国を出なければなりません」
「悪い事をしたのか」
「違う! 俺は……ただ国を案じて」
「それ以上は言わんで良い。お前が悪い奴じゃないのは分かった」
どうしてそんな事わかるんだ。
「どうしてですか……」
「私のスキルは触っている相手の口にした事が、真実か嘘かがわかる」
その言葉に掴まれている右手首を見下ろした。そう言うことか、だから全てを見通されているように感じたのか。
「お前は嘘を吐いておらん。それを見込んで頼みがあるんだ」
「頼み?」
「ルナを外の世界へ連れていってやってくれないか」
「どうしてです! ルナちゃんは貴方のために」
「分かってる。だが、私も歳だ。そう遠くない未来であの子を置いて逝かなければならない」
「まだ、大丈夫ですよ! 病気だって治った! あとは薬を飲んで数日寝れば起き上がれます!」
「お前は医者だろ。私も分かってるんだ」
「……」
分かっている。お爺さんは八十歳近くに見える。それに栄養や衛生状況、どう頑張っても後十年あるかないかだ。生き物は寿命には敵わない。
「ルナは良い子だ。ここに居れば教育にも良くない。それに、私に何かあればあの子がどうなってしまうか不安なんだ」
「あの子の母親は立派な軍医だった。兵士の父親が戦場で怪我をして、治療している時に二人とも魔獣に殺されてしまった」
この国は貴族や王族を守る騎士団と別に、自衛軍団がある。ルナの両親はそこで働いていたのだろう。
「お前なら、ルナを任せれる」
「俺は、悪人かも知れないんですよ」
「だから、さっきの質問をしたんだ。お前は悪人になりきれない男だ」
「だからって、貴方を一人置いていく訳には」
「この老ぼれは一人でやっていける。ルナを立派な医者にしてやってくれないか」
「それをルナちゃんは望まないと思います。俺が良い師を紹介します。その人なら彼女を立派な医師にしてくれると思います」
「明後日……」
「え?」
「ルナは明後日、ヤブ医者に連れていかれてしまう」
「どうして……」
「三日前、お前と同じ様にルナがある医師を連れてきた。そいつは嘘ばかり吐きおった。ロクな診察もせず、薬も出さずに奴は多額治療費を請求してきた。払えんといえば、怒りだしルナを連れていくと脅してきた。その日は追い返したが、次の日騎士やらを連れてきて、正式な書状を持ってきた。逆らえば死刑だそうだ」
「そんな……理不尽な事」
「お前の優しさにつけ込む私を許してくれ。あの子に医師としての心を、技術を、自由をやってはくれないか。この老ぼれの宝をどうか」
「ルナちゃんが居なくなれば貴方はどうなるんですか」
「……」
「殺される為に、俺は貴方を治療したんじゃない」
「お願いだ。孫娘をあの馬鹿医者の奴隷になる運命から救いあげてくれ」
「……すみません。少し考えさせて下さい。明日までには答えを出します」
「……分かった」
お爺さんに薬を飲ませ、入り口から外へ出た。月明かりに照らされた家の周りを見る。小さな畑にはクレナちゃんとお爺さんが育てているであろう野菜が実をつけていた。食卓に乗っていたスープの野菜はここから採れたのもだろう。
明後日にはルナちゃんはどっちにしても此処から居なくなる。
俺が断れば、ルナちゃんは奴隷にされてしまう。
中流階級の人達は奴隷を使う人が多い。使用人を雇うより遥かに金銭が掛からないからだ。奴隷制度が無くならないのは、こう言った理由と国王自体が認めているせいでもある。また、貧民街の人々に権利がほとんど無いことも理由になっている。金の無い働きもしない奴らをどうしたって構わない。そう考える中流階級の人々、それを見て見ぬする貴族。それをあたかも正義だと振りかざす王族。この腐りきった大人のせいで、泣くのはいつも自分達では何もできない子供たちばかりだ。
しかし、俺がルナちゃんを連れて行けば確実にお爺さんは……。
俺の旅だって始まってすらいない。女の子を連れていくのはどうなのだろうか。盗賊や魔獣だっているなかで、野営をしないといけない事だってある。定住先だって決まっていない。
俺は、どうすれば良いんだ……。心細くなり、星々が輝く空を仰ぎ見た。
「俺が師となれるでしょうか」
そう問いたい相手はもう居ない。家族を失い、奴隷に堕ちるだけだった俺を救ってくれた師匠は、きっとこう言うだろう。
“馬鹿は何も考えず、真っ直ぐ突っ切って行け!”
師匠は沢山の言葉を俺に遺してくれた。
“失敗から学び、成功したからといって止まるな! 俺達に完璧はない。その上を目指せ!”
その上を目指せ……か。
ルナちゃんの笑顔とお爺さんの涙が思い出された。
やってみる価値はあるかも知れない。人の命を弄ぶ馬鹿には鉄槌を……。
ボロボロの布しかかかっていないドア枠に背を預けよりかかる。空を仰ぎ見ると雲一つ無い青が広がっていた。
「お前は誰だ」
その声に視線を向けると、例の男が立っていた。綺麗な服を着た小太りの男。金髪の合間合間に見える白髪が若くないと言っている様に見えた。もう一人、鎧と顔を半分位覆う兜を被った男。例の騎士とやらだろうか。
「あぁ、貴方でしたか。違法な治療費を請求しているという方は。俺は、クルト・バーグルと申します。大分前にお会いしましたが、覚えておりませんか?」
見覚えがある。師匠が生きていた時に、国中の医師を集めた会に来ていた男。師匠の怒りを買い、貴族街の医師会から追放された男。ジキ・ストリーム。
「ふん! お前なんぞ知らん。そこを退け! さっさと報酬を徴収してこんな臭い所、さっさと離れるんだ!」
ジキが近づいてくる。一歩一歩と距離がなくなっていく。もう少し、あと数歩で間合いに入ってくる。
「もう少し殺気を抑えなければ、奇襲にはなりませんよ」
その言葉と共に、左腕から痛みが襲ってきた。痛みにひるんだ俺は、尻餅をついた。
何が起こったのだ。痛みを訴える左腕を見ると、服は切り裂かれ、血が溢れていた。斬られたのだ。騎士の右手に長剣が握られている。早い身のこなしに、近づかれた事も、斬られた事も分からなかった。右手で左上腕を掴み、瞬時に白き手を発動させる。細菌が体内に入るのを防ぐ為だ。早く止血しなければならない。白き手では、傷を治す事や出血を抑える事はできないのだ。
「どうやら、何かを注射しようとしていた様ですね。毒でしょうか?」
足元に落ちていたものを騎士が拾い上げている。バレた。
騎士の手で、粉々にされた注射器と中身が地面へと落ちていくのを見ている事しかできなかった。
「お前! こうしてくれる!!」
ジキの右手が俺へと向けられた瞬間、身体から力が抜けうつ伏せに倒れた。斬りつけられた左上腕の傷の痛みを感じない。これは、麻酔か。ジキのスキルが麻酔だなんて知らなかった。それも、意識が落ちない麻酔だなんて、外道なスキルだ。まずい。これでは、何も出来ずにルナちゃんが連れていかれてしまう。
「ふん! そこで大人しくしていろ! さぁ、ルナしゃん〜行きますよ〜」
ジキの甘ったるい声に虫唾が走る。ジキが小屋の中へと入っていった。ルナちゃんの悲鳴とおじいさんの怒声が外まで響きわたる。それを何も出来ずに、聞かなければいけないなんて……苦しくても辛くても身体は言うことを聞いてくれない。
「クルトくんでしたか?」
俺の側に騎士が座り込んで耳打ちをしてくる。
「私は、これから何も見なかった事にします。貴方の力、見せて下さい」
動けない俺に何をしろと言うのだ。睨む事も出来ないのに……。
騎士が俺から離れていくと同時に、ジキが家の中にいたルナちゃんを強引に引っ張って出てきた。
「いや! 離し……!! お兄ちゃん!!」
ジキに掴まれていた腕を振り払い、ルナちゃんが俺の側に駆け寄ってきた。
「なんで、お兄ちゃん。ごめんなさい」
ルナちゃんの両手が俺の背中に当てられる。温かい何かが、俺の中に入ってくる様に感じたのは何故だろう。
「そんな奴、ほっといて行くよ〜」
ジキの右手がルナちゃんへと伸びてくるのが見える。こいつが居なければ、俺に力があれば、こんなに悲しそうに泣くルナちゃんを見ないで済んだのに。溢れる怒りのままに俺は、右ポケットに隠し持っていた注射器をジキの左足に突き刺し、中身を注入した。
「おわまーーー!!」
変わった悲鳴と共に、ジキはその体型に似合わない俊敏さで、俺達から離れていった。刺さったままだった注射器を乱暴に引き抜いている。乱暴に抜いてよく針が折れなかったなと感心した。
「何をしぃたのだーー!! 貴様!!」
ふらふらする身体をゆっくりと起こしていく、ゆっくりとだが体の力が入るようになって来ている。ルナちゃんのスキルなのだろうか。まだ俺はやれる。これからだ。
「それは、毒じゃない。俺が偶然作った薬だ」
「薬だと! どう言うことだ」
「俺には見えるんですよ。貴方の中に巣食う病魔がね」
「なんの事だ! 俺は病気なんかじゃないぞ!!」
「えぇ、今はまだ。あと貴方が家に着いた辺りでしょうか」
「それが、な、なんだと言うのだ!!」
「貴方は、疫病まりにかかっています」
「疫病まりだと…‥」
首を傾げつつ、考えている男なんて気持ち悪いしか思えない。それよりも、この男本当に、知らないのだろうか。何年も前に治療法が見つかって大騒ぎになったと言うのに。
「分からないのですか。医者であると言うのに」
「わ、わかっておるわ!!」
服の袖を引っ張られる感覚に視線を向けると、ジキ同様に首を傾げているルナちゃんがいた。うん、断然女の子がするべき仕草である。
「まりって?」
「疫病まりは、致死率90%の生物を淘汰する恐ろしい病だよ。粘膜接触により、他者へと感染する。特徴としては潜伏期間が長く何十年という月日症状なく、感染者を増やし続け、ある日突然発症し、全身の皮膚が腐り落ちる病」
致死力の高い病だったが、感染手段が粘膜接触である為、大流行にはならなかった。だが、当時は、人口が著しく減少したと師匠が話していた。
「あぁ!! それなら聞いたことがあるぞ! 最近、治療薬が出てきた病だ! わしの家に治療薬があるぞ!! 何も恐れることないではないか!!」
ガハハと大笑いするジキ。勉強する気のないこいつはとことんヤブ医者の様だ。
「お兄ちゃん」
震えるルナちゃんの声。安心させたくて、柔らかく笑いながら声をかける。
「大丈夫だよ」
もう怖がることなんてない。ヤブ医者に鉄槌を下す。
「だから、言ったじゃないですか。貴方の家に着いた辺りだと」
「はぁ!? だからなんだ!」
「発症がですよ。先程貴方に打った薬は発症を早める薬です。貴方の中にいる菌の数からして後、三十分もしない内に発症するでしょう」
「ち、治療すればいいだけだ!」
人を小馬鹿にするように大声を出すジキ。勉強不足なんだ貴方は。
「お忘れですか。治療薬といっても、発症前に有効なものなんです。発症してしまってからでは延命治療できても完治はできないんですよ。だから、国王は、国民全てに治療薬を打つ様にと言っていたのです。まあ、国外から貰ってきたら意味は無いんですが」
「な、何をーー!!!!」
動揺している。たたみ掛けるには今しかない。
「さぁ、貴方に残された選択肢は二つ」
ジキに指を指す。
「一つ、俺を信じないでルナちゃんを連れ帰って死ぬか。二つ、俺を信じて要求を飲み、長生きするか」
ギリギリと歯軋りをしながら、真っ赤になっていくジキ。怒らせただろうか。要求を呑むと言ってくれ!
「クッソ!!!!!」
ジキが俺たちの元へ走ってくる。両手を振り上げ、拳をつくっている。殴るつもりか! 身体がまだ震えている為、避けられない。ルナちゃんだけでも守らなければ! 身体鞭を打ち、ルナちゃんを背中に庇う。
「お兄ちゃん!!」
飛んでくるであろう拳を防ごうと両手を突き出した。だが、飛んできたものはジキの身体だった。砂煙が立ち上がり、目を閉じた。
「お願いします! なんでもしますから、お助け下さい!!!」
その声にゆっくりを目を開けると、ジキが俺の足元で土下座していた。俺は、無事勝った様だ。
その後、俺は、要求をジキに出し呑ませる事に成功した。要求は三つ。一つ、ルナちゃんとお爺さんには、金輪際関わらない事。二つ、誰にもこの事を口外しない・訴えるなどしない事。三つ、俺の事を誰にも口外しない事である。きちんと書面に残し、サインさせた。又、この要求を破った場合、全力で俺が薬を投与しに行くとも伝えると全力で頷いてくれたので、発症を抑える薬を打ってあげてひと段落だ。
「きちんと、守って下さい」
「わかりました!! それでは、私は帰ります!」
「はい。気をつけて帰って下さい。後、ちゃんと疫病まりの治療薬は打って下さい」
「はい!! それでは、バーグル先生。お元気で」
ジキは敬礼して去っていった。命の危機が、あの人の何かを変えた様だ。これに懲りて、良い医師になってくれればいいのだが。去っていくジキをぼーっと見ていると、視界の片隅に騎士が近づいてくるのがわかった。
「あの変態馬鹿医者をよく改心させて下さいました」
「あの、そんな事言って大丈夫なんですか?」
ジキはあれでもそれなりの階級持ちだ。クビとか飛ばされたりとかないのだろうか。
「心配要りません。私はあの馬鹿の部下ではありませんので」
「そ、そうですか」
「そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね」
そう言った騎士は突如として、被っていた兜を取った。
「ユキ・ブレードと申します」
「え? お、女の人でしたか」
騎士は男ではなく女の人だった。長く綺麗な金髪に緋色の瞳が印象的な人だ。パッチリ二重で、小さな鼻とふっくらした唇。健康的で綺麗な人だ。
「えぇ、才能があれば女でも子供でも老人でも騎士になれますよ」
「そうなんですか」
正直、早くここを離れたい。騎士でなければ彼女とは話しする分は良いが、彼女は騎士だ。あまり話すと国王の耳に届く恐れがある。それに、早く国を出なければならない身。時間は大切なのだ。
「クルトくん。我が、騎士団の専属医師になりませんか?」
「は!? む、無理です!!」
「先程の薬学と病の知識と行動。あなた程の腕があればとても助かるのですが」
どうやら、彼女は俺が追放された医者である事を知らないようだ。
「申し訳ないですが、この国を離れる用事があるんです」
「そうですか。それは残念です。それでは、機会があれば宜しくお願いします」
ユキさんは、そういうと去っていった。なんだか疲れた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
ルナちゃんの笑顔が新しい朝日に照らされて、輝いている。この笑顔を俺が守ったんだと思うと、疲れなんて吹っ飛んでいく様に感じた。
「良いんだよ。さぁ、お爺さんの様子を診ないとね。手伝ってくれる?」
「うん!!」
ルナちゃんと一緒に俺は、お爺さんの所へ向かった。どこまでも青く清々しい空の下で。
勇者鑑定士の始まりの話は、これでおしまい。続きは、また機会があれば語ろう。それでは、また。
勇者鑑定士、病気ありませんよね〜勇者の健康チェックしていましたが、国外追放と言われたので、他の国でのんびり医者やろうと思います〜 雨傘と日傘 @amagasatohigasa16
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