山でのこと

大根入道

そうそう

 男と女は逃げていた。


 馬で逃げて、山道を逃げて。

 森の中へと入って、まだ逃げ続けた。


 若葉芽吹く枝葉の間が、惜しみなく雨粒をこぼした。

 だから女は悪態をきながら男の手を引いて、打ち捨てられた坑道の中へと逃げ込んだ。


「ねえ」

「何?」


 女は男が振り向いた瞬間を狙って、両手に握った匕首を彼の心臓へ突き出した。


「え、っと」


 男は不思議そうにそれを見て、倒れ、息を絶やした。


 血が地面を濡らす。


 誰も来ない森の奥。

 誰も来られない森の奥。


「悪いな。でも良い夢は見れたでしょ?」


 女は男の服で血を拭った剣を鞘に戻して、男の身に着けていた宝飾品をぎ取っていく。


「ほんと、金持ちの息子だけあって良いもん持ってるわね」


 女の表情は見えない。

 薄暗い顔の影からは楽しそうな声が響く。

 男を漁る女の手は次第に震えて、止まった。

 財布が落ちて、硬貨が地面に散らばった。


「弱い奴が悪い。馬鹿な奴が悪い。いつも貴族はそう言っていたわ。ねえ、そうでしょ、そうよね」


 女は問い掛ける。

 貧しさの中で死んでいった家族へ。

 兵士達に連れ去られそうになり、逃げ込んだ町で小さく生きて来た日々に。


「答えなさいよ。答えてよ。ねえ、ねえ」


 女は顔を袖で拭った。

 死体が消えた。


 女が消えた。

 

 廃坑が消えた。


 みんなみんな消えてしまった。


 その場所がここだと先輩から聞いた。

 だから何だと言う話で、すぐに競馬の話になった。

 弁当の唐揚げが美味かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山でのこと 大根入道 @gakuha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ