命の水―後編

 オレたちは宿で静養しているバルドルの元へと急いだ。

 毒で朦朧とするバルドルに命の水を一口飲ませると、たちどころに体調は回復した。

 驚くバルドルに、オレは洞窟での出来事をすっかり話して聞かせた。


「なるほどなぁ。それなら、おれはその少女に礼を言わないといけないな。なんせ命を助けてもらったんだから」


 バルドルの言葉に、オレは嬉しくなった。もう一度、彼女に会いに行ける!


「だよね! オレも、お礼を言いたいって思ってた!」


 エルマーの賛同を得て、オレたちは再び洞窟に向かうことにした。

 意外なことに、アデーレもまた一緒に来てくれるらしい。

 一度行った場所だし、もう案内はしなくても大丈夫だと伝えたのだけれど。


「あなた方がどのような答えを出すのか、興味があります。最後まで付き合いますよ」


 すごくきれいに微笑んでそう言った。特に困ることもないので、オレは了承した。

 そして四人で洞窟に入ったのだが。


「ぎゃああああ!!」

「ヒロキ、こっちだ!」


 背後から迫りくる大きな岩に全力で走って逃げていると、バルドルがオレを引っ掴んで脇道へと連れ込む。

 岩はそのまま誰もいない通路を転がり続けて、どこかでぶつかったのか大きな破壊音が聞こえた。

 あれに潰されていたら、と想像して、オレはぞっとした。


「なんだなんだ、罠ばっかだな。本当にこんな洞窟を最奥まで行ったのか?」

「前回はなかったんだよ、こんなの!」


 半泣きで訴えかけるオレに、反対側の横道に隠れていたエルマーとアデーレが出てくる。


「同じ道を進んだはずなのに、仕掛けが違うとは驚いた。この洞窟は、毎回姿を変えるのかもしれないな」

「そうみたいですね」


 言いながら、アデーレが周囲を照らしてくれる。

 アデーレは精霊使いで、精霊の力を借りて魔法が使えるのだ。罠を避ける過程で松明を落としてしまったので、明かりの役を買って出てくれた。

 本当はこういう風に、光を灯し続ける、みたいな継続する力の使い方は大変らしい。だから前回は松明だけで進んだんだけど。申し訳ないが、頼もしい。

 アデーレが一緒に来てくれて良かった、と思っていると、急にアデーレが険しい顔をした。


「精霊たちが、獣の気配が近いと」

「ええっ!?」

「しかたないな。構えろ、ヒロキ」

「ううっ」


 慌てて背中の弓を取り、矢をつがえる。

 バルドルはみんなを庇うように先頭に立ち、大剣を構えた。

 ぐるる、と獣の唸り声がする。闇の中から、狼のような鋭い牙を持った獣たちが現れた。


「一応聞くが、こいつら例のお嬢さんのお友達ってことはないよな?」

「ないよぉ! 多分!」

「多分かよ。斬っちまうからな?」


 踊りかかってきた獣を、バルドルが一刀両断する。

 一匹やられたのにも構わず次々とかかってくる獣に、バルドルは全く怯む様子がない。

 重量のある大剣を軽々と振り回し、獣たちを薙ぎ倒していく。

 あまりにも簡単に扱うものだから、見ていると軽いのかと勘違いしそうになるが、風を切る音が剣の重量と速度を表していた。


「バルドル!」


 バルドルの背後から、一匹の獣が飛びかかった。

 オレはそいつに狙いを定め、何度も練習したように矢を放つ。

 それが獣の首元を貫き、ぎゃん、と悲鳴を上げて獣は転がった。


「ナイスだ、ヒロキ!」


 バルドルの言葉に、オレは誇らしい気持ちになった。

 バルドルから教わった弓は、ちゃんとものになっている。辛い練習は、無駄なんかじゃなかった。

 しかし浮かれてもいられない。まだ獣は残っている。

 これは試合じゃない、的に当てたら終わりじゃない。油断が一番の敵だと、バルドルが教えてくれた。

 オレは集中して、次の矢をつがえた。



 獣を倒し、いくつもの罠を潜り抜けて。オレたちは疲労困憊で、前回と同じ謎かけの間に辿り着いた。

 ここまで来たらあと少しだ、と肩の力が抜ける。

 ところが、石版を覗き込んだエルマーが、目を見開いた。


「謎かけが、前回と違う」

「えっ!?」


 慌ててエルマーに石版の内容を読んでもらうと。


「勇者よ。汝らに問う。汝らは命の巫女を救う者か。崇める者か。選べ。救う者なら右へ。崇める者なら左へ。砂時計が落ちきる前に、決断せよ」

「はあ? なんだそれ。どっちが正解なんだ?」

「わ、わかんないよ! 前は答えられない問題だったんだ。だから、この部屋から動かなかった。それで泉まで行けたんだ。でも、これは――」


 この問いかけは、違う気がする。

 考えろ、考えろ。

 命の巫女、というのは多分あの氷の中にいた少女のことだ。

 勇者よ。前回は、命の水を求める者よ、だった。

 この石版、誰かが入れ替えているとは思えない。だというのに、まさか入ってくる者に合わせて、問いかけを変えているのだろうか?

 だとしたら、今回は何を求めているのだろう。勇者よ。勇者。

 ――だから、罠を?


「バルドル」

「おう」

「オレには、あの子が、助けてって言ってるように聞こえる」


 勇者というのが、命の水を飲んだバルドルを指しているのか、彼女にもう一度会いに来たオレを指しているのか、わからない。

 でも、多分あの罠を潜り抜けて、彼女の元まで辿り着ける力を持った者を求めているのだと思う。

 それだけの力を持つ者なら、きっと、と。


「あの子、寂しそうに見えたんだ。何百年、何千年――あの子は、あの場所にいるんだろう。望んでそうなったのか、無理やりそうさせられたのか、オレには何もわからない。でも、この問いかけが、あの子からなんだとしたら。オレは、救いに来たんだって、言ってあげたい」


 オレの言葉にバルドルは笑って、髪をくしゃりと撫でてくれた。


「おう。おれも、命の恩人を救うことに異論なんかねえさ。ヒロキが思うようにするといい」

「……ありがとう」


 エルマーとアデーレの賛同も得て、オレたちは右の道を進む。

 すると、すぐに後ろの入口が塞がれた。もう、後戻りはできない。

 どきどきしながら通路を行くと、道の先に光が見えた。ほっとして、オレは駆け出す。


「出られた……!」


 前回と同じ、一面水晶に囲まれた神秘の空間。

 辿り着いた。正しかった!


「バルドル、あっち!」


 弾む声で、オレはバルドルを泉の場所へと案内する。

 枯れ果てた窪地の上に、変わらず氷に閉じ込められたままの少女がいた。

 バルドルは氷に手を当てると、暫く黙ったまま彼女を見上げていた。

 やがて何か決意したようにくっと顎を引くと、その場に膝をついた。


「あなたのおかげで、おれの命は救われた。なんと礼を言えばいいか、言葉もない。だからおれは、行動でそれを示したいと思う」


 バルドルが、大剣を構えた。

 それ見たエルマーが、すっと手を上げる。


「ヒロキ。私たちは、彼女を救う。それで、いいんだな?」

「え?」

「彼女を救うということは、もう今後一切、命の水には頼れないということだ。それは我々だけじゃない。命の水の伝承を知る者たち全てが、だ。場合によっては、余所者が余計なことをしでかした、と誹りを受けるかもしれない。その覚悟があって、それでも彼女を選ぶんだな?」

「――うん」


 エルマーの言葉に、気持ちが揺れることはなかった。

 彼女を、この寂しい場所から出してあげたい。

 それがオレのエゴだとしても。

 大勢の誰かを助けるために、女の子がずっと犠牲になり続けるなんて、そんなのはダメだ。

 彼女は、本当なら、友達と遊んだり、美味しいものを食べたり、おしゃれをしたり。

 そういう生き方が、あったはずなんだ。

 たとえ彼女が望んでこうなったのだとしても、もうずっと長い時が経ったのなら。

 そろそろ、自分のために生きてもいいだろう。

 オレが来たのは、きっとそのためなんだ。そう思うことにする。

 だって本当に相手の望んだことかどうかなんて、全部終わって直接聞くまでわかんないんだから。

 おせっかいでも、余計なお世話でも、偽善でもいいんだ。

 オレはオレの正義に嘘を吐くことはしない。

 

 迷いのないオレの答えに、エルマーとバルドルは力強く頷いた。


「壊すぞ」

「彼女は傷つけるなよ」

「誰に言ってる」


 エルマーの軽口にバルドルは不敵に答えると、大剣を振りかぶって、宙に浮く氷に叩きつけた。

 打った場所からビキビキとひびが入っていき、パキン、と耳に痛いほどの音が響くと、氷は粉々に砕け散った。

 支えを失った彼女の体が落ちてくるのを、オレが辛うじて受け止める。

 受け止めたつもりだったが、そのままよろよろと倒れ込みそうになったオレを、彼女ごとバルドルが支えた。

 力が足りていなかったことがちょっと恥ずかしくて、オレはふくれた。

 オレが抱えている彼女を見たバルドルが怪訝な顔をしたかと思うと、ぎょっとしたように声を上げた。


「ちょっと待て。そいつ、生きてるのか?」

「え? そりゃ、生きてるでしょ」


 オレの言葉に、エルマーとアデーレも驚いていた。

 何をそんなに驚いているのか、とオレは首を傾げた。みんな彼女を助けることに納得していたんじゃなかったのか。

 慌てて側にきたエルマーが、彼女の体に触れる。


「弱弱しいが、脈も呼吸もあるな。ただ体温が低い。早く温めないと」

「よし、急ごう」


 バルドルが彼女を担いで、急いで洞窟を出ることになった。

 帰り道、罠は一切なかった。



*~*~*



「えっ!? みんな、この子が死んでると思ってたの!?」

「そりゃそうだろう。氷漬けだぞ。普通の人間なら死ぬ」

「だって、この子を助けるって」

「それは、彼女の遺体をあそこから出して土に還してあげたいという意味かと」

「あの石版、この子の言葉だって」

「私が精霊の声を聞けるように、ヒロキは彼女の遺した意思を感じ取れるのだと思っていたのですよ」


 滞在している宿屋の部屋で、オレはあんぐりと口を開けた。彼女が生きている、と思っていたのはどうやらオレだけだったようだ。

 しかしそうだとすると、既に亡くなっている人物のために、みんなは島の人たちから怒られるかもしれないことを一緒に覚悟してくれたんだ。

 じわりと、感謝と気恥ずかしさで、頬が熱くなった。


「ん……」


 小さな声を耳にして、全員が一斉にベッドへと視線を向ける。

 たくさん毛布をかけた彼女が、うっすらと目を開けていた。

 その瞳を見て、やっぱり金色だった、とオレは思わず見とれた。

 戸惑ったように視線を彷徨わせる彼女に、アデーレが優しく声をかける。


「大丈夫ですよ。ここは安全です。気にせず、まだ休んでいてください」

「あ……」


 何かを言葉にしようと口を開き、掠れた声だけを出して、彼女は口を閉ざした。

 長い間喋っていなかったから、すぐには声が出ないのかもしれない。


「水を飲みますか?」


 アデーレの問いに彼女は小さく頷いた。

 彼女の体を支えながら、アデーレが水差しからそっと水を飲ませる。


「ねえ! きみ、名前なんていうの?」


 まだ喋れないかも、と思いながらも、堪えきれなくてオレは彼女に尋ねた。

 ずっとあの子、と言っていたから。早く名前が知りたかった。


「…………ミ、ラ」


 小さく、彼女が答えた。

 ミラ。ミラ!

 名前がわかっただけなのに、なんだかオレは無性に嬉しかった。


「ミラ、な! オレ、ヒロキ。元気になったらさ、いっぱい話そうな!」


 彼女はやはり戸惑ったようにしていたが、小さく頷いたのを見ただけで、オレは満足だった。



 それからミラは丸二日ほど寝込んで。ようやっと、まともに話せるようになった。

 エルマーがミラを助け出した経緯をかいつまんで説明すると、最初は目を白黒させていたミラだったが、やがて考え込むように俯いた。


「あの……多分、お礼を、言うべきだと思うの。助けてくれて、ありがとうって」


 緊張した声に、オレは不安になってきた。もしかして、ミラは助けてほしくなかったのだろうか。


「でも、わたし、ずうっと昔から命の巫女だったから。もう覚えてないくらい、前のことだから。知ってる人も、誰もいないし……この先どうしたらいいのか、なにも……わからなくて……」

「それなら、オレたちと一緒においでよ!」


 落ち込んだように俯いていたミラが、ぱっと顔を上げた。


「オレもさ、この世界の人間じゃないんだ。だから、知り合いとか誰もいなかったけどさ。今はバルドルとエルマーが仲間になってくれて、アデーレもいっぱい助けてくれて。全然寂しくないよ。だからミラも一緒にくれば、寂しくないよ。この先なにがしたいのか、一緒に考えようよ!」

「……いい、の?」

「もちろん! ていうか、最初からそのつもりだったし!」


 満面の笑みで言い切ったオレに、エルマーとバルドルが苦笑した。

 だってミラは、何千年も昔から氷漬けだったのだ。この島の人たちは、それを許容していた人たちだ。この島に置いていくことはできないだろうって、思ってた。


「ね、一緒に行こう?」


 手を差し出したオレに、ミラはオレの顔と手を見比べて、ややあって手を重ねた。


「……うん」


 少しだけ微笑んだミラに、オレは彼女を助けて良かった、と心から思えた。


「なら、私も同行させてもらってもいいですか?」

「え? アデーレも?」


 驚くオレに、アデーレは頷いた。

 アデーレはあくまで洞窟への案内人だったので、旅の仲間というわけではない。

 今後も一緒に来てくれるならとても心強いが、いいのだろうか。


「ミラが仲間に加わるのなら、同性である私がいた方が都合が良いでしょう。それに、精霊たちがヒロキと共に行くのが良いと告げています。ヒロキには、何かがあるのでしょう。私はあなたの旅の結末を見届けたい」

「アデーレが一緒に来てくれるなら、すごく嬉しい! いいよね?」


 エルマーとバルドルを見やると、二人とも予想していたと言わんばかりに頷いた。


「やった! 二人とも、これからよろしくな!」


 仲間が二人も増えたことに、オレはわくわくを抑えきれなかった。

 この先の旅は、きっともっとずっと楽しくなるぞ!

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