空の樹

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

命の水―前編

「ここが、『命の水』の洞窟……」


 オレはごくりと唾を呑んだ。

 洞窟に吹き込む風の音がオバケの声みたいで、オレの耳には『帰れ』と聞こえた。

 そんな弱気を、ぶんぶんと首を振って吹き飛ばす。

 ここで帰るわけにはいかない。バルドルが、待ってるんだから。


 この島につく直前の戦闘で、バルドルは獣から毒を受けてしまった。

 あれはオレのせいだ。オレを庇ったから。

 後悔から、ぎゅっと拳を握る。

 でも、俯いてばかりはいられない。後悔なんかしたって、状況は何も変わらない。

 毒は命にかかわるもので、この島には解毒薬がない。

 助ける方法は一つ。どんな傷や病も治すという、命の水を持って帰ること。

 オレが今、バルドルのためにできること。


「行こう!」


 顔を上げたオレに、エルマーとアデーレが頷いた。



 暗い洞窟を、松明で照らしながら慎重に進む。洞窟内は静かで、生き物の気配が全然しない。


「洞窟に住みついてる獣がいるんじゃなかったっけ?」


 振り返って、案内人のアデーレに尋ねる。

 アデーレはこの島の島民で、よそから来たオレとエルマーよりも洞窟に詳しい。命の水のことを教えてくれたのも、アデーレだった。


「ええ、そのはずです。ですが、内部のことは私も伝え聞いただけで、実際に入るのは初めてですから。昔とは変わっているのかもしれません」

「ふうん」


 前より大変になっているなら困ったものだけど、前より楽になっているのならいいことだろう。

 バルドルのためにも、早く命の水を持って帰りたい。

 駆け出してしまいそうな足で、意識して地面を踏みしめる。こんな足場の不安定な場所で、無暗に走り回るわけにはいかない。

 ここでオレが怪我をしたら、バルドルに合わせる顔がない。



「なんか、すごいすんなり来たね……?」


 拍子抜けした気持ちで、オレはあたりを見回した。

 奥へ奥へと進んだ結果、小部屋のようなところへ辿り着いた。

 どう見ても人工的に作られた場所だ。先へと繋がっていそうな空洞が左右に一つずつあり、部屋の中央には石版が置いてある。

 ここに辿り着くまで、獣も出なければ罠の一つもなかった。

 何もない、ということが、逆にオレを不安にさせた。

 何もないということは、守るべきものが何もない、ということなのではないか。

 そんな思いが過ぎった途端、大きな音がして地面が揺れた。


「えっ地震!?」

「いや、どうやら、我々は正しい道を来たようだ」


 エルマーが指し示す方を見ると、オレたちが通ってきた入口が、岩で塞がれていくのが見えた。


「ええっ!?」

「帰してはくれぬ、ということか」


 エルマーが楽しそうに唇を吊り上げた。

 笑っている場合じゃないだろうに。エルマーは賢者だから、不可思議な状況になるのが楽しいみたいだ。

 揺れが収まると、エルマーが石版の前に立ち、刻まれた文字を目で追った。


「なるほど。ここは、謎かけの間なのだな。これを解かねば進めない、と」

「なんて書いてある?」

「読み上げるぞ。――命の水を求める者よ。汝らに問う。汝らの前に、瀕死の人間が二人居る。一人は、汝らの同胞ともである。同じ故郷くにに生まれ、苦楽を共にしたかけがえのない同胞である。一人は、汝らのかたきである。汝らから大切なものを奪い、虐げた、憎むべき敵である。そのどちらに、命の水を与えるか。選べ。同胞を助けるなら右へ。敵を助けるなら左へ。砂時計が落ちきる前に、決断せよ」

「砂時計……」


 見れば、石版の後方、台の上に砂時計が設置されている。

 落ちる速度は速い。あんまり時間はなさそうだ。


「普通に考えれば同胞、だと思うけど」

「そんな単純な話でもないだろうな。そもそも、こんな設問に正解などあるのかどうか」


 ふむ、と考えるように顎に手を当てて、エルマーはオレに微笑みかけた。


「ヒロキ。ここは、君が決めろ」

「お、オレぇ?」


 動揺して、声が上ずってしまった。なんで、オレ?

 謎かけなんだったら、エルマーの得意分野だろうに。


「これはおそらく、知恵を問うための謎かけではない。であれば、ヒロキの意思が我らの意思。どのような結果になろうとも、我々はそれを共にする」

「うぅ……っ」


 意地悪いエルマーの笑みに、オレは思わずたじろいだ。

 エルマーはたまにこういうことをする。これはオレの冒険だから、って。

 子どものオレの話をちゃんと聞いてくれるのは嬉しいんだけど、どうしてもって時には絶対にオレの意見を聞かない。

 つまり、これは本当にどっちを選んでも結果が変わらないか、エルマーにもわからないのだ。

 ちらりとアデーレを窺うと、彼女も軽く頷いた。オレが決めることに異論はないようだ。


「えぇっと」


 オレは考えた。

 普通に考えれば、同胞を助けるのが筋だろう。でも、それはエルマーの言う通り単純すぎる。

 じゃあ、敵を助けるべきなのか? 命の水を手に入れる者が、敵を助けるような度量を持っているかどうか試しているのだろうか?

 でもそれじゃ同胞を見捨てることになる。それが正しいとは思えない。

 この問いかけの主は、そんなことを聞いているのではない気がする。

 何が知りたい? 何が聞きたい?


 ――こんな設問に正解などあるのかどうか。


 エルマーの言葉が蘇る。そうだ。こんな問いかけに、正解などない。

 これとよく似た話を、オレは知っているじゃないか。

 トロッコ問題だ。マンガとかによく出てくるから、小学生でも結構知ってる。

 であれば。


「よっし、決めた!」


 オレはエルマーとアデーレを、それぞれ見据えた。


「オレはここを、動かない!」

「――ほぉ。それは何故だ?」

「エルマーが言っただろ。正解なんかないって。オレもそう思う。どっちかを選ぶのが正しいことじゃないんだ、きっと」


 トロッコ問題と同じだ。

 大勢を犠牲にするか、一人を犠牲にするか。

 その問題を出された時、オレはこう答えた。


『全員必ず助ける!』


 そういう話じゃないんだよ、って笑われたけど。 

 自分で行動を選べるのなら、オレはオレのしたいようにする。

 誰も見捨てたりなんかしない。結果的に誰も助けられなくったって、やってみるまではわからない。最初から諦めたりなんかしない。

 それが正しいってわけじゃないんだ。

 ただオレが、そうしたいだけ。


「オレだったら、なんとかして両方助けるよ。命の水が一人分しかないなら、他の方法を考える。どっちかだけ助けるなんてことはしない。だから、どっちにも行かない」

「――ヒロキが、そう決めたのなら」

「ええ」


 さらさらと砂時計が落ち続けて――その中身が、落ちきった。


「道が……!」


 再び地面が揺れて、左右の空洞がどちらも岩に塞がれ閉じていく。

 まさか閉じ込められたのだろうか、と不安に思っていると。


「な、なんだぁ!?」

「これは――地面が動いている!?」


 先ほどまでの揺れとは違う。岩が動くことによる振動ではなく、立っている地面そのものがはっきりと動いていた。

 揺れが収まると、後ろにあった、元来た入口の岩が持ち上がり、道が開けていた。


「え? 来た道を戻れ、ってこと?」

「……行ってみよう」


 入口に戻る形で、オレたちは小部屋を出た。

 進んだ先の道は、明らかに来た道とは違っていた。

 警戒しながら歩を進めると、道の先に光が見えた。期待に足が速くなる。


「うわあ……!」


 思わず眩しさに目を細める。

 開けた場所に出たかと思えば、壁や天井が一面水晶で覆われていた。どこかから光が入っているのか、それとも水晶自体が発光しているのか。そこは松明がいらないほどに明るかった。

 清涼な空気が流れ、それまであった洞窟の閉塞感は一切なく、神秘的な空間に溜息が漏れる。


「ここが洞窟の最奥、か……?」

「あ! あそこ!」


 オレは泉を見つけて、声を上げた。

 いや――正確には、泉があったと思われる窪地を、だ。

 その窪地に水はなく。中央には、大きな氷に閉じ込められた少女がいた。

 その氷は、どういう原理なのか、宙に浮いているのだった。


「これって……」


 窪地に降りて、氷を見上げながらオレは知らず息を呑んだ。

 少女は、オレと同い年くらいに見えた。

 真っ白な衣装。つややかな金の髪。閉じられた瞳も、なぜだろう、同じように金色だと思った。手は祈るように組まれている。

 彼女を閉じ込めているものは、遠目から見れば水晶と見まごうが、近づけばその冷気と透明度から氷だと見て取れた。

 そして何より、その氷は、僅かながら

 ぴちゃん、と落ちた雫が、氷の下に置かれた杯の中に落ちた。


「これが……命の水の、正体……?」


 呟いた声が震えているのが、自分でもわかった。

 なるほど、ダンジョンのクリア報酬としては、十分な光景だ。

 徒人には足を踏み入れることのできない水晶の洞窟。何に支えられているわけでもなく、宙に静止している氷の塊。その中に身を捧げ、朽ちることもなく祈る少女。

 この神秘的な光景を目にすれば、命の水の奇跡も信じられるというものだ。

 でも、ここはゲームじゃない。この少女が人間であるということに、胸がしめつけられるような痛みを覚えた。

 呆然とするオレの側に、エルマーとアデーレが立った。


「元々は、この窪地の分だけ水があったのだろう。それこそ、泉と呼べるほどに。だが、命の水ともなれば人々が求めるのは必然。そのほとんどが持っていかれ、今やあの僅かな雫を集めるのみなのだろう」

「少なくとも数十年は人が近づいていない、と聞いておりましたが」

「あの溶け出す速度では、数十年経ったところで杯に満たないだろう。元はもっと速く溶けていたのか、何百年、何千年とかけて泉になったものを誰かが根こそぎ持っていったのか、その真相は分からないが――。ともかく、バルドルに一口飲ませる程度はあるようだ。幸いだったな、ヒロキ」

「う、うん」


 そうだ。目的は果たした。これは、バルドルのための水なのだから、その分だけあればいい。

 そのはず、なんだけど。

 もやもやした気持ちを抱えながらも、オレは杯から僅かな水を汲み、空になった杯を少女の足元へ戻した。

 氷越しの姿をじっと見つめる。


「ヒロキ、早いところ戻ろう。バルドルが待ちかねている」

「うん、そうだね」


 少女の姿を振り返りながらも、オレたちはその場を後にした。

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