SNSで呟こうとしましたが、全然関係ない方面から叩かれそうな予感がしたので、創作者が多いノートでぼそり。
老害みたいなことを言いますが、やっぱり今の若い子は想像力がなくなったと感じることが多々あります。
全ての主語が自分で、
「貴方は困るかもしれないけど」←ここが想像すらできず、よぎることもなく
「私は困らない」←こっちが全て。
よくそんな失礼なことできるな?みたいなことが一人ではなく複数人複数回あり、指摘なんてしたところで想像できないことは理解できないので、無駄にこちらが疲弊するから諦めるしかありません。疲れる。
自己肯定感が上がっていると言いますが、本来の意味の自己肯定だけでなく、自分中心が増えたようにも思います。
ある意味では、自分を守る術に特化しているので、メンタル強者で生き抜くことに長けている人類の進化とも言えますが。
最近精神科のエッセイを読んでいるのですが、病む人はだいたい自責が強いので、自分が病むくらいなら他人を踏みつけた方が生きやすいのかもしれない……。
そこそこ前から言われてますが、タイパがあまりにも重視される時代、ゆとりと想像が必要な小説は厳しいのだろうと思います。
今の小説の立ち位置って、小説そのもので楽しんでもらうより、実写やコミカライズ前提で元ネタって思われているような。
原作、じゃなくて元ネタ。展開先の方が大事。
創作を始めた初期にぶち当たった問題ですが、「そんな細かいところまで書いたら雰囲気が台無し」「読者は行間から汲み取ってくれる」はだいたい通用しなくて、他の人の意見を聞いても「1から10まで説明しないと今は通用しませんよ」でしたね。
大衆にウケるには必要な技術で、拘ると独りよがりになる。
特にラノベは大衆小説なので、「何が書きたいか」よりも「何が読まれるか」の方が戦略としては大事。
私が正月に純文学にチャレンジしたいと言ったのは、決して自分の文章に芸術性があるとかそういう「向いている」みたいなポジティブさで視野に入れたというより、この「独りよがり」こそ真髄みたいな面が純文学にはあるなと思ったからです。
ウケを完全に排除して、他人の愚痴を延々聞かせられるような鬱陶しさ。
まぁ純文学は純文学で文章の美しさや構成力はかなり重視されるので、駄目だったら駄目だったらで。
こんなノートを書いておきながら、カクヨムコンはラブコメ参加です。
読まなくていいと言いましたが、そろそろ終盤に差し掛かったので読んで欲しいと言ってもいいかな。
完結したら大々的に叫びます。