第3話

ナイター照明が、大昔から変わらぬゲレンデを照らしていた。

滑走可能なコースは昼間よりも縮小されているが、人も疎らで、コースは空いている。


「大丈夫そうだね」

「はい!もうバッチリです!」


初心者用コースで、女は綺麗な姿勢で滑って見せてそう叫ぶ。

初めて見るゲレンデ、初めてのスキー…幾ら女がAIで、アンドロイドで、”方法を知っている”と言えど、行き成りリフトに乗って上に行くというのは現実的では無い。

男は、順調に上達していく女の様子に一安心しつつ、女の動作が何時おかしくなるのかとヒヤヒヤしつつも、久しぶりのスキーに楽しさを感じてきて、小さな笑みを浮かべていた。


「なら、もうリフトに乗ろうか。時間的に10本滑れるかどうかって所だろうし」

「はい!」


初心者用コースを滑り切った2人は、すぐにリフトへと移動し始める。

リフトまではそんなに遠くない、難なくリフト待ちの列に並び、すぐに順番が巡ってきた。

ナイター専用のリフト券を係員に見せて先に進み、リフトを待つ2人…

その間、係員の視線はずっと女の方に向けられていた。


青いスキーウェアに身を包み、ヘルメットとゴーグルを付け、ブランド物のスキー用具を身に着ける…如何にも"ゲレンデマジック"に囚われそうな見た目をした男に対し…

女の格好は、肌の露出が一切無い、"ナイター"にしては異様な見た目だったからだ。


黄色い女物のウェアや体躯から、性別は女と分かるだろうが…

その顔は厳重に覆い隠され、目元は漆黒のミラーゴーグルで覆われている。

-25度を優に超えるゲレンデで、女は…アンドロイドは、凍ってしまうかもしれない…

その危険に対する、男の"対策"がこの格好だった。


「見られていましたね」

「そりゃね。どう?暖かい?」

「はい、今の所。暖かいです」


首から下は、防寒する手立ては幾らでもある。

だから、首から下は人間と何ら変わらない防寒対策を施せばOK…問題は首から上…顔。

どこか肌が外気に晒され、凍り付くと、そこから一気に"全身が凍り付く"のだ。

一部が凍り付き、そこから何かが"機能不全"に陥って、後はドミノ倒しの様に"山の様なエラー"がAIの思考を破壊する。


バラクラバにゴーグル…男はそれらの防寒具で女の顔を覆いつくし、今度はその防寒具類が原因で"機能不全"を起こさぬ様に口元や鼻、耳を何んとか"普通に機能する"様に"対策"を施し、今に至る…その対策は、今の所は成功しているようで、女の動作は普段通りと言えた。


「そろそろだ」


リフトの終着点が目の前に迫る。

2人は何の問題も無くリフトを降りて山の頂上にやって来ると、顔を見合わせた。


「じゃ、一気に降りようか。後からついていくよ」

「わかりました!」


短いやり取りの後、女はゆっくりと斜面の方へ滑り始める。

足を動かし、器用にエッジを使って滑走し…遂に斜面に差し掛かった。

ちょっとボーゲン気味…そこまで急ではない斜面の上を、ゆっくりと滑り始める。


トンッと右手に持ったストックを刺して、緩やかに右ターン…

軽やかな滑走を見せる女の後ろを、器用な滑走でついていく男は、ほんの少しだけ頬を綻ばせていた。


数百メートル程度の直線コース、滑り始めれば、あっという間に終わりを迎える。

コースが終わりを迎える頃、女の滑走は足を綺麗に揃えた"上級者"のものに変わっていた。


無事に山から降りてこられた…色々な不安が吹き飛ぶ瞬間。

男は達成感のある溜息をついて女の横に並ぶ。


「一気に上手くなるんだね。流石」


はにかんだ笑み、それを向けられた女は、暫く男の顔を凝視していた。

普段も"イケメン"の類に入るであろう男の顔…だが、今夜、ナイターのゲレンデで見るその顔は、普段以上に、女として思考するAIの中の"何か"を掻き立てる。


「は、はい!マスターのお蔭です!」


女はそう叫ぶと、男に抱きついた。

カシャン!とスキーが絡み合い、2人は抱き合ったままフカフカの雪の上に転ぶ。

男と女の笑い声が、周囲の客の目を引いた。


・・・・


そこから1時間近く。

2人は何度もリフトで山頂に登っては、下まで降りてきた。

前後を入れ替えたり、周囲に他の客が居ないと見るや、2人で並んで下まで"競争"したり…


「やはり負けてしまイますか」

「高校まではそれなりに鳴らしてたからね。意地があるのさ。でも、そろそろ負けそうだ」

「ハイ!次も勝負デス!負けまセんヨ!」


麓で合流し、再び2人揃ってリフトに並び…山頂を目指す。


「あと1本いけるかって感じだから、次で最後にしようか」

「ハイ!」


山頂に上り、2人は女の合図で斜面に飛び込む。

相変わらず"プロ級の"腕前を魅せて駆け下りていく男に、ついさっきまで"スキーを履いたこともない"女がついていく…


男が麓に辿り着いた時、近くに女の姿は見当たらなかった。

さっきので、ちょっと男の負けん気が刺激されたせいか、大分引き離してしまったらしい。

男はふーっと、長い息を白い煙に変えて山の方へ振り返る。


ちょっと待てど、女は降りてこなかった。

もう降りて来ても良い頃だというのに、女は姿を見せない。


徐々に男の中を不安が支配していく。

見えない女の姿、照明に照らされたコースの方を眺めても、女は降りてこない。

そこへ、リフトの営業終了を告げるアナウンスが鳴り響いた。

男はハッとして、血相を変えてリフト乗り場まで滑っていく。


「ツレが降りてこない!あと1回だけ乗せてくれ!ギリギリ行けるだろ?」


唖然とする係員、男はウェアに仕込んでいた"ナイター券"を見せつけた。


「彼女は…ア……俺の、恋人なんだ!頼む!」


男の叫ぶような声…勢いに押されて、係員は男をリフトに通す。

すぐにリフトに乗り込み、ゆっくりと山頂を目指す間も、男は女の姿を探し求めていた。

ただ、無事に滑っていてくれるなら、ただの行き違いであれば、笑い話で済む。

だが、女は中腹付近になっても見えず、男の脳裏に最悪の結末が形作られていく。


「いた!!ミカ!!」


やっと見つけたのは、山頂の近く。

斜面の真ん中で倒れたミカ…周囲には彼女のスキー用品が散乱していた。

男はリフトが着くなり飛び出して、女の下に滑り下りていく。


「ミカ!大丈夫!?」


倒れたまま動かない彼女を抱きかかえた男。

付けていたゴーグルやバラクラバは、脱げて何処かへ消えていた。

冷たい"レンジ外"の外気に晒された女の顔は、目元の一部が青白く変色しかけている。


「マスター、大丈夫でスよ。少シ位…ありがトウござイマす、転んじゃイましタ」


目を閉じて反応を見せなかった女は、目を開けて男を見つめ、そして男の胸に顔を埋める。


「温メテくだサい。凍っちゃいます…アぁ、そうだ。マスター。1ツ、質問したいです」


女は男の胸に顔を埋めたまま、"男しか知らない声色で"男に尋ねた。


「ミカは、ミノル君にとって、どんな存在ですか?」


男はその質問を聞いて、女を更に強く抱きしめる。


「ここで聞くのは反則…暫くこうさせて?答えは、さっき係員に叫んできた所だから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

IceBreak ~凍てついていた天国のドア~ 朝倉春彦 @HaruhikoAsakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ