第2話

東京を出発して4時間半。

スキーリゾートがあるこの地の空は、東京の空と全然違っていた。

太陽が沈む時間帯だが…見事な夕焼け色が空を覆いつくし、そこには雲一つ見当たらない。

気温は山の上だけあって都心より寒いが…余計な風も吹いておらず、穏やかな天候だった。


「流石にこうなるかぁ」


目的地の駐車場に車を停め、車を降りて車体の様子を見回した男の表情が引きつる。

白い車体の下半分はどす黒い汚れと薄い氷で覆われていて、赤いマッドガードの表面には、茶白い氷が張り付いていた。


「帰ったら、私が洗車しますよ」

「いや、大丈夫だよ。久しぶりにこうなってるのを見たものだからさ」


男は女の申し出をやんわりと断ると、ハッチを開けて荷物を取り出す。

女はその間に、ルーフキャリアから、2人分のスキー板を外した。


「-23度。少しなら大丈夫そうだね」

「はい、今の所は大丈夫です」

「早い所チェックインしちゃおう。それから、部屋に着いたらちょっと休ませて」

「分かりました」


車を降りて少し歩き…スキーを預けて、ホテルのロビーに入っていく。

途中、応対した従業員や他の客は、女の"目の異常"に気づいて驚きの表情を浮かべていた。

アンドロイドをスキーリゾートに連れてくるだなんて有り得ない…彼らの顔がそれを物語っている。


「すいません。到着が遅れると連絡していたミヤジマですが」


男はそれらを意に介さず、それは女も同様だった。

チェックインカウンターで応対した女も、若い男とアンドロイドの女を見て一瞬唖然とした表情を浮かべたが、すぐに表情を消してマニュアル通りの対応を始める。


「…説明は以上でございます。お連れ様は…アンドロイドでいらっしゃいますよね?」

「はい、そうです」

「…でしたら、こちらに識別番号と緊急呼び出し番号の記載をお願いいたします」

「はい」


マニュアル通りの対応…

男は用紙に求められた内容を記載して女に渡すと、女はそれを機械的に処理し、やがてカウンターの上に部屋の鍵を置いた。


「お部屋は7階の707号室でございます。最寄りのエレベーターはあちらの通路を真っ直ぐ進み、突き当りを右に曲がった先にございます」

「ありがとう」


カウンターの女の案内に、男は軽く会釈をして、古風な棒の付いた鍵を手にして歩き出す。

男に寄り添うように、女も足を踏み出した。


「少し寝かせてよ。1時間位。それから準備して出ても1時間半は滑れるからさ」

「分かりました。マスター」

「いよいよ…だけど、ミカ、スキー、出来そう?」

「恐らく。知識はありますから…ただ、何本か滑ってみないと分かりませんね」


周囲の奇異な視線も気にせず、男と女は部屋に向かって行く。

アンドロイドを、こんな極寒の山奥に連れてきた…

それも、胡散臭い小金持ちではなく20代後半の優男が…だ。

その日2人の姿を見た全ての人間が、目の前で起きている光景に目を疑った事だろう。


若くして、アンドロイドを持てるだけの稼ぎを得る者はほんの一握り。

活動可能な気温の関係や、AI自体の性能誤差、その他諸々の問題も相まって、アンドロイドは"一般化"しつつあるものの未だに"珍しい"存在だ。

特に、こんな極寒の地では、まず見かけることなど有り得ない。


男も女も、そんな事は百も承知。

今更、アンドロイドを持っている…アンドロイドであると言う事で向けられる奇異な視線には慣れっこだった。


「で、良かったの?お下がりのスキーウェアなんかで」


エレベーターの中で2人きりになった時、男は女に問いかける。

女は、手にした鞄に目を向けてから、ゆっくりと頷いた。


「はい、マスター。私はこの格好が良かったんですよ」


そう言って笑みを見せる女、鞄の中にある"お下がり"のスキーウェアは、15年以上前の流行り物…男の従姉が着ていたものだった。


「サイズもピッタリですし、防寒性能も高くて"改造"しやすい…オマケに可愛い。良いじゃないですか」

「そう言ってくれると、引っ張り出した甲斐があったよ」


女の反応に、男は曖昧な苦笑いを浮かべて答える。

女には言っていないが…ウェアの元の持ち主…男の従姉は、既にこの世にいなかった。

年の程は男より一回り上…1人っ子だった男にとって"理想の姉"と言えた存在。

そんな彼女はもう10年以上も前、当時出始めだったアンドロイドが運転する車に跳ねられこの世を去っている。


「マスターが用意してくれる服は、いつでもピッタリですし、私の好みなんです」


女はそう言って、着ているコートの裾を摘まんで見せる。

そのコートもまた、男の従姉が着ていた"お洒落着"のコートだ。

10年前…通っていた大学で、破棄されるはずだった部品をかき集めて"創り上げた"アンドロイドは…"瞳以外、従姉と瓜二つな容姿を持つ"アンドロイドは、男に優しい笑みを向ける。


「気に入ってくれたなら、嬉しいよ」


記憶にある通りの、美しく優しかった従姉の容姿を持つアンドロイド。

今では、男にとって"妹"みたいな存在だと言えるアンドロイドの笑みを見て、男は小さな笑みを返す。

毎日一緒に過ごしているはずなのに、"いるはずがない場所にいる"という非現実的な状況が、男の気持ちを惑わせていた。


「…部屋に入って、暫く暇だろうけど。食べる物とか好きに頼んで良いからね」

「はい、マスター。ありがとうございます」


エレベーターを降りて、分厚いカーペットが敷かれた廊下を歩く2人。

707号室の鍵を開けて中に入ると、そこは近年ではすっかり珍しくなった和室だった。


「あー…一気に来たぁ…畳の匂いのせいだ。んー……!」


靴を脱いで部屋に上り、荷物を隅に避けて畳の上に寝転ぶ男。

女は部屋を物珍し気に見回すと、男の頭の辺りに座布団を敷いて、ちょこんと正座した。


「和室ってこうなってるんですか」

「厳密に言えば違うだろうけど…初めてだっけ。畳とか」

「はい。畳ってこんな匂いなんですね」


初々しい反応を見せるアンドロイド。

何でも調べられるAIと言えど、"実体験"しなければ知れない事もあるものだ。


「きっと、ゲレンデに出たらもっと驚くんだろうね」


眠たそうな声で男が言う。

女は男の顔を覗き込みながら、フッと微笑んだ。


「はい、とっても楽しみです」


そう言うと、女は手を男の頬にそっと当てる。

冷たい手…人の温もりを感じない、無機質な手の冷たさが、男の眠気を増幅させた。


「…じゃ、1時間後に起こしてよ」


最後に一言、男はそう言うと、目を閉じて意識を一時的に手放す。

目を閉じてすぐ、規則正しい寝息が女にも聞こえてくるようになった。


「マスター、いや、"ミノル"。私は、ちゃんと知ってるんですよ?」


女は眠りに落ちた男を見下ろして、小声で呟く。

男が隠した秘密…情報の海から攫い上げた、男が話したがらない過去の出来事を、女はちゃんと知っていた。


「私は、今でも、あの人の…代わりでしょうか?それとも……」

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