IceBreak ~凍てついていた天国のドア~
朝倉春彦
第1話
その日の午後、東京は小雪がチラつき始めていた。
外気温は-12度…1月半ばの土曜日にしては、ちょっと寒い気温。
昼前までは晴れ間が見えていたのに、12時を過ぎた辺りから曇りはじめ…
気が付けば、徐々に白いものがチラつくようになっていた。
この雪もまた、根雪となって道脇に積もり固まっている雪達の仲間入りを果たすだろうか?
街を行く人々は、降り出した雪の様子を一瞬眺め、そんな考えを僅かに巡らせ…
結果、気にも留めずそれぞれの日常に戻っていく。
すっかり当たり前になった"東京の雪"…"極寒の冬"…
ほんの2〜30年前なら、大ニュースとしていいだけ騒がれていただろうに…それが当たり前となった今、この程度の"粉雪"のことなどを気にする者は少数派だった。
そんな東京の都心…246号線沿いから1本入った所に建つビルの前に、1台の車が停まった。
白いハッチバックの車体は汚れを纏い…ルーフキャリアに2人分のスキーが積まれている。
華やかな都会には"似合わない"…この時代には"珍しい"ガソリンエンジン車。
時折、その車の価値が分かる者が物珍し気に眺めては、運転席に座る女の姿を見止めて驚愕の表情を浮かべ、目を背けて過ぎ去っていった。
2ドアの車体、部品メーカーやスキー用具メーカーのステッカーが貼られた車体。
ホイールやタイヤは普通のスタッドレスタイヤには見えず、車高もそれなりに高い。
そんな車の車内には、白いパイプがジャングルジムの様に張り巡らされており…
黒い"競技用"のシートの片方に女が1人。
その女は黒く艶やかな髪を持ち、10人中10人が振り返るほどの美貌を持っていた。
世の男性全てが見惚れる程の女…唯一彼女を"人ではない"と判断出来るのは、大昔のSF映画に出てきそうな、黄色い瞳だけ…
その瞳が、彼女を"誰かに仕える"アンドロイドだと周囲に伝えていた。
「マスター、まだ終わらないのかしら?」
アンドロイドは、周囲の奇異な視線を気にもかけず、主の登場を待っている。
個人利用のAI…1個人に対して"最適化"されたAIが登場して早30年。
そのAIに実体を持たせる為のアンドロイド技術が確立して早20年…
アンドロイドの女は、彼女を成立させる技術が出来る以前の車を駆って、男を職場まで迎えに来ていた。
「このまま、雪が強くならなければ良いのだけど…」
人の様な独り言。
黄色い瞳が向けられた先は、車のメーターの一部…外気温計。
今の段階で-12度…冬の東京では"良くある"気温だが、女にとっては気がかりだった。
「あ、出てきた」
女がメーターから目を外して数秒後。
ビルの玄関から、私服姿の男が出てきて、車の元まで駆け寄ってきた。
スラリとした長身の優男風な男…女が見繕ったトレンチコート姿が様になっている。
「マスター!」
ドアを開けて車外に出るなり、女が一言。
男は申し訳なさげな苦笑いを浮かべて、小さく会釈した。
「ごめんごめん。客が中々離してくれなくて」
「良いんです。お仕事も大切ですから。それで…大丈夫なんですか?お出かけしても」
「あんまりにウダウダ言ってデザインが決まらないから、期限を来週末まで延長させたよ」
歩道の上で2,3言葉を交わした後、女は助手席…男は運転席のドアを開け車内に収まる。
ここまでの道のりと待っている数刻の間で、車内はすっかり暖まっていた。
「-12度か。ミカ、調子はどう?」
「問題ありません」
「そうか。なにかあれば言ってよ?」
「はい、マスター」
「直すと言っても、温める位しか手立ては無いけれど…」
男はそう言いながら、一度閉めたドアを開けて身体を屈め、右手の指先を路面に当てる。
冬道を走る時の男の癖…この車と共に"現役"だった当時から変わらない癖だった。
「凍ってる」
「はい」
毎冬やっているやり取り、男は手先に着いた雪の汚れをコートの裾で雑に拭うと、ドアを閉めてギアを1速に入れ、ウィンカーを右に出した。
「ナビは頼んだ。混んでなければ何処を通っても良いから」
そう言いながら、都心の車の流れに愛機を合流させる男。
女は黄色い目を光らせながら、コクリと頷いた。
「了解しました」
小雪のチラつく土曜日の午後。
2人が向かうのは、由緒正しいスキーリゾート。
1980年代に営業を始め、その歴史はもうじき80年を迎えようかという、歴史あるリゾート地だった。
「高速道路は事故渋滞で全滅。下道でも、国道は単純に混んでいて渋滞…空いてる道を求めるならば…幾つかの峠越えになりそうですが、それでもいいですか?」
「峠の状況は?」
「除雪は問題なく出来ており、車の流れも殆どありません」
「路面は?」
「圧雪とブラックアイスバーンの混在です。融雪剤も撒かれていますが、無意味ですね」
「OK。峠越えで行こう」
「分かりました。2つ先の信号を左にお願いします…そこから暫く真っ直ぐです」
男は、女が言う通りの進路を取った。
車の外気温計が-14度になり、窓の外の様子は徐々に怪しさを増していく。
「何か暖かい物とか要らない?」
「いえ、ありがとうございます」
女が示した道の通りに、車を走らせる男。
彼もまた、女と同じように"気温"が気がかりだった。
「マスター、楽しみですね。スキー」
「あぁ、そうだね」
今回の小旅行は、アンドロイドが提案してきた小旅行。
当初、その案には男も渋っていたのだが…押し切られ、こうして2人で向かっている。
幾つかの取り決めをして、1月前から"対策"をして…迎えた当日、それが今日。
「マスター、今、外は何度になりましたか?」
「-15度」
「ありがとうございます。室内は23度です」
「外に出なければ安心だ。これからは、そうもいかなくなるけど」
当たり前のように、人の世に混じるアンドロイド…彼らには、大きな弱点があった。
「"寒さ"対策が、上手く行ってる事を願うしかない…か。結局、古典的な対策しか出来なかったけど」
弱点の1つ、それは気温…
どんなアンドロイドでも-20度以下、40度以上の世界で活動出来る様にはなっていない。
徐々に動作に支障をきたし、最後は頭脳といえるAIの思考そのものに悪影響を与える…
そうなる理由は、ヤワな部品を使っているからではなかった。
人のエゴ…人を模す為だけに作った人工皮膚や血液の限界がそこにあるからだ。
それらが限界を迎えて"壊死"や"凍結"を引き起こして動作不良を起こし、そこから発生するエラーをAIが処理しきれず、思考を犯す事に繋がる…
この時代になっても何故か解消できない不具合…だがそのせいで、冬に、外でアンドロイドの姿を見る事は殆ど有り得ない事だった。
「"メーカー正規品"なら、これ位から怖がる事も無いんだけどね。ごめん」
男は車を流れに乗せつつ、隣に座る"思い出の"女と瓜二つのアンドロイドに言った。
「いえ、嬉しいです。幸せですよ?マスター…私は…」
男の大学時代に、"研究室にあった廃材"を使って組み上げられた"ワンオフ"のアンドロイドは、男の言葉を否定してはにかむ。
「スキーに連れてって貰えるアンドロイドなんて、"私の世界に潜って調べてみても"、この世に数える程しか居ませんもの。それだけ私を想ってくれているんですよね?」
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