No.3 遠吠えは月夜に空しく響く

風白狼

遠吠えは月夜に空しく響く

 レンガ造りの街並みを眺めながら、雑踏の中を歩く。鼻先を空に向ければ、人と煙とゴミ溜めの臭いが混じり合っていた。悪酔いしそうな、下賤な空気。その居心地の悪さに思わず笑みを零す。全て壊したくなる衝動に駆られながら、私は人並みな顔を貼り付けた。

「すみません、このあたりでいい酒場ってありますか?」

 手近な店でそんな他愛もない話を振る。商品の会計をしながら、店員の女性は不思議そうにこちらを見た。

「え……お一人で、かい?」

「そのつもりでしたが」

「やめといた方がいいよ。近頃何かと物騒だからさ。夜に女一人で出歩くなんて、危ないったらありゃしない」

 店員は心配そうな視線を向けてきた。当然の反応かと思いながらも、表情で大げさだなあと語る。すると、店員は辺りを窺ってから、声のトーンを落とした。

「あんた、余所から来たみたいだから教えるけどね、この街、人狼が出るんだよ」

「人狼、ですか」

 私は女性をまじまじと見つめる。その声も、表情も、冗談や茶化しで言っているようには見えなかった。

「そう、夜になるとね、どこからともなく狼の遠吠えが聞こえてくるのさ。その声が聞こえた夜は、獣に食い殺されたような死体が見つかるって話だよ」

「それはまた、物騒な話ですね。でも、それならただの狼なんじゃないですか?」

「いやいや、山や森が近いならともかく、こんな街中だよ? ここ何十年と狼どころかキツネの類いだって見かけないのに」

 だからね、と女店員は身を乗り出した。

「昼間は人間に化けた人狼が、夜に正体を現して、人を襲ってるんじゃないかってもっぱらの噂だよ」

 とても真剣な声色で、店員は井戸端で話しそうなな与太話を語った。私はそうですか、とあまり本気にしていない風を装った。内心、今回はかもしれないとほくそ笑む。ようやくだ。ようやく私の悲願が成されるかもしれない。

 私は期待を押し隠しながら店を出た。薄汚い街の気配が、なんだか妙に騒がしい。バタバタとした足音が聞こえて、思わずそちらを振り向いた。

「っどけ、そこのアマ!」

「止まれ!」

 小汚い身なりの中年くらいの男が走ってきて、出会い頭にぶつかりそうになる。私は咄嗟に横に避けた。ついでに足を軽く引っかけておいた。

「ぐっ!?」

 案の定、中年は見事に転んだ。その弾みで手にしていた何かがガシャンと割れる。見ればガラスの小瓶が割れて、レンガに黒ずんだ液体をまき散らしていた。異質な液体が発するわずかな臭いに、私は思わず眉をひそめた。

「大人しくしろ!」

 中年の男を追いかけて、青年が走ってくる。青年は男に乗り上げると、腕を掴んで拘束した。形式張った服装を見るに、青年の方は警備団か何かのようだ。彼が男を連れて行こうとする前に、私は手袋をつけた手で割れた小瓶の欠片を拾った。

「ねえ、この薬、何か知ってる?」

 私が問いかけると、中年の男は弾かれたように顔を上げた。なんでお前にとでも言いたげな表情だ。

「答えないっていうなら、この破片を飲んでもらおうかなあ」

 私は先程拾ったガラスの破片を見せびらかす。それを見る男の顔が引きつった。

「イカれてんのか、てめえ」

「まさか、本気だよ。……ああ、目に入れたほうが効果があるかな?」

「ひっ!? 待て、冗談だろ!?」

 にっこりと笑みを浮かべてみせれば、男は明らかに狼狽した。命乞いのように、話すからと泣き声になる。が、意外にも男を捕まえていた青年が静止をかけた。

「ちょっとちょっと、詳しい話はここじゃなくて、事務所で聞かせてもらいますから!」




 ハーマンと名乗る青年に連れられて、私は警備団の事務所に来ていた。中年男の口から薬のことや指示した相手などの情報を聞き出したあと、私はハーマンに問い詰められていた。

「で、あなたは何者ですか? 事件に首をつっこんだりして」

 胡乱な目がこちらを見ている。野次馬でも拷問まがいのことをしてまで危険な事件に関わらないだろうから、当然の疑問だ。私はビジネススマイルで青年に応対した。

「申し遅れました。私、フリーでジャーナリストをしているウェンディと申します」

「ジャーナリスト?」

「ええ、各地を回って記事を書いていまして。最近の関心は『TWD』という違法薬物に関してです」

 『TWD』の名を出すと、ハーマンはあからさまに眉を潜めた。それもそのはず、先ほどの中年男が、持っていた薬は『TWD』であると白状したからだ。

「一介のジャーナリストが、なぜ『TWD』のことを? 我々警備団どころか、取引している裏組織さえ、下っ端は詳細も知らない薬だというのに」

 ハーマンは変わらず疑いの目を向けてくる。先ほどの男は単なる運び屋で、『TWD』の名前と、それが違法な薬であるということ以外は知らなかった。警備団も独自に調査していたようだが、成分も製剤法も未知ということしかわからなかったのだという。話を聞きながら、私は小さく笑った。

「簡単なことですよ。かつて訪れた街で『TWD』が蔓延はびこり、そして解決に至った――私はそれを取材していたまでのこと」

 私はカバンからノートを取り出した。該当のページを開いて、ハーマンに見せる。彼は怪訝そうな顔をしていたが、すぐに目を見開いた。ノートには雑誌の切り抜きが貼り付けられている。私が寄稿した、『TWD』に関する記事だ。

「通称『TWD』――正式名称は『狼化薬』といったところですかね。身体能力及び戦闘能力の向上薬として、各地で裏取引されていた記録があります」

「狼化薬……?」

 私の説明に、ハーマンは虚言を聞かされたような表情をした。信じられない、何を言っているかわからない、そう言いたげなのが見て取れる。実に人間らしい反応だと嗤いながら、私は続けた。

「そう。聞いたことない? 『人狼に噛まれた人間もまた、人狼になる』って話。人狼の牙の毒を抽出すれば、人間を狼に――人狼に変化させる薬が作れる」

「ちょっと待ってくれ。人狼も、人狼の感染も、おとぎ話だろう!? そんなもの、実在するはずがない!」

 彼がうろたえて目を白黒させる様が面白くて、私はつい意地の悪い笑みを浮かべた。

「本当にそう思ってる?」

 私が低い声で言うと、ハーマンはぎょっとして固まる。何か反論しようとして、けれど口をぱくぱく動かすだけで終わった。

「この街、人狼が出るって噂が流れているんだってね。夜な夜な狼の遠吠えが聞こえるだとか、翌朝無残な死体が見つかるだとか。まるで獣にでも食い荒らされたみたいだって」

「そ、んなのは、噂だ」

「でも、火のないところに煙は立たない――犠牲者が出ていることと、その猟奇的ながまだ見つかってないのは事実なんじゃないの?」

 私の指摘に、ハーマンは押し黙った。奥歯を噛み、拳を握りしめ、悔しさを滲ませる。警備団に入る程度に正義感があるならば、このところの事件に心を痛めるのだろう。他人事のように冷ややかに見つめ、私は小さく息を吐いた。

「疑う前にさあ、そもそも『TWD』が出回り出したのと、人狼の噂って、同時期くらいだったりしないの?」

 どっちが先かわからないけど、と呆れ声で言ってやれば、ハーマンはバッと顔を上げた。その反応が何よりの肯定で、私はますます笑みを強くした。

「『TWD』によって人狼化し、凶暴になった人が夜な夜な通行人を襲っている――そう考えることもできない?」

「二つの事件は繋がっていると?」

「そういうこと」

 同意したものの、ハーマンはまだ信じ切れていないようだった。まあ仕方のないことだ。経験上、この話を最初から一切疑わずに受け止めた人間はまずいない。見てもないのに勝手に噂をする割に、いざ現実にされると信じようとしない。身勝手で愚かな振る舞いはいつ見ても滑稽だ。諦観と憐憫を内に秘めて、私は人らしく笑みを貼り付ける。

「ねえ、よかったら協力しない? 『TWD』を追いたいという目的は一致しているわけだし、君は『TWD』の情報が欲しい、私はこの街の土地勘がないから案内が欲しい。いい話だと思うけれど」

 私が提案すると、ハーマンは逡巡するように目を瞬かせた。

「それは……確かに情報は欲しいが、警備団でもない者を捜査に加えるわけには」

「ただの情報提供する一般人と何が違うの?」

 私が軽く返すと、ハーマンはバン、と勢いよく立ち上がった。

「危険だろう! あんたの口ぶりからして、取材のためについてくるつもりだろうが、相手は違法薬物を扱う裏組織だ! ましてや猟奇的殺人とも関係があるとなったら、野次馬では済まなくなる!」

 彼の語気の強さに、私は思わず面食らった。同時にしまったなと思い直す。はごく普通の若い女性だ。正義感の強い彼にとって、守るべきか弱い存在に見えている、ということを失念していた。

「……心配ありがとう。これでも似たような修羅場を通ってきた身なんだけどね」

 本心が漏れぬよう苦笑しながら、それっぽく振る舞う。ハーマンは納得しなかったようだが、危なくなったら逃げるからと言って協力を取り付けた。

「……わかった、約束だ」

「ありがとう、よろしくね」

 ハーマンはしぶしぶといった感じで私の手を取った。茶番だとは思うが、協力を得られないのはこっちも困る。ともかくこうして、私は調査のバディを得たのだった。




 その夜。私とハーマンの二人は高い建物の上で待機していた。薄暗い街並みを見下ろして、注意深く人の動きを見る。人狼の噂に怯えているからか、人通りは多くない。その静けさがよけいに恐怖を駆り立てるのだろう、誰も彼もが足早に歩いている。

「アオォォーーーン!!」

 突如、静寂を破る咆哮が上がった。声に乗るのは興奮か、歓喜か、それとも愉悦か。独り善がりな遠吠えに応える声はない。

「声の方向は――あの広場より東あたりじゃない?」

「ああ、シシチー通りだ! 急ごう!」

 私が指差すと、ハーマンはすぐに駆け出した。私も急いで後を追う。先ほどの遠吠えで、人々はすっかり建物内に避難したようだった。石畳に二人の足音だけが反響する。

 通りに近付いて、ハーマンは走る速度を緩めた。呼吸を整えながら壁際に寄る。私もそれに倣って息を潜めた。物陰から通りの様子を伺う。刹那、色濃くなった血の匂いに眉をひそめる。

「グルルル……」

 薄明かりに人影が照らされる。そこにいるのは人のようで人でないモノ。全身は毛皮に覆われ、四肢には鋭い爪が光り、大きく開いた口からは牙が覗く。頭に尖った耳、鼻先が伸びた顔、背部に生えた尻尾――人のかたちをした狼と形容するのがふさわしいだろうか。爛々と瞳を光らせるソレの足元には、無惨な肉塊が横たわっていた。

「っ……!」

 隣でハーマンが息を呑んだのが聞こえた。ぐっと拳を握り、体が小刻みに震えている。今にも飛び出していきそうな形相で、私は慌てて止めに入った。

「待った、今飛び出しても殺されるだけだよ」

「けど、あいつが……!」

「あんなの放っておいても変わんないよ。それより――」

 私は通りの反対側を顎で示した。そこにはうっすらと数人ほどの人影が見える。薄闇で顔などの判別はできない。ただ逃げるでもなく戦うでもなく、じっと通りを観察しているような動きだ。

「なんだ? 警備団ではなさそうだが」

 ハーマンも眉をひそめる。警備団なら戦うか仲間に連絡するし、市民ならば化け物を見た時点で逃げるはずだ。そのどちらでもない動きをする彼らを、調べてみる価値はある。

「あっちに回る道ってある?」

「ああ、こっちだ」

 小声で話して、すぐに回り道をする。化け物に見つからぬよう注意して、通りの反対側、謎の人影がいた辺りで張り込む。彼らが動き出したら、尾行を開始した。暗いからなのか、それともけられているとは思いもしないのか、こちらに気付く様子はなかった。


 やがて、彼らはとある建物へ入っていった。そこは大きなレンガ造りの建物が建ち並ぶ区画。その内のいくらか年季が入った建物だった。

「こんな倉庫街で、いったい何を?」

 ハーマンの声に困惑が混じる。確かにこの区画はかすかに油や金属、あるいは得体のしれぬ薬品の臭いがそこかしこからする。建物の外観も、人の居住区というよりは、作業するための場所という趣があった。

「ねえ、あそこから中の様子見えないかな」

 私は倉庫の高窓を指さす。そこはちょうど、積まれた資材が足場になって、顔が届きそうな位置にあった。二人で資材にそっとよじ登り、窓から中を窺う。建物の中で、十数人がなにやら作業していた。樽に黒ずんだ液体を入れ、それを透明な液体と混ぜてせっせと小瓶に詰め直している。ほのかに感じる独特の臭気は、例の『TWD』と同じものだ。

「まさか、ここが『TWD』の工場なのか?」

 ハーマンも同じ事に気が付いたらしい。監視にいっそう緊張感が走る。しばらく見ていると、先ほど化け物を監視していた人がリーダーらしき男に話しかけた。

「06はもうダメっすね。完全にイっちまいました」

「ハッ、馬鹿な奴だ。最後にいい捨て駒になってもらおう」

「でも、そろそろ目ぇ付けられてるんじゃ……」

「あのポンコツ警備団にか?」

 リーダーの男は報告を笑い飛ばした。楽しげに見えるほど余裕の顔で、傍らの小箱を手に取る。

「警備団も人狼1匹で壊滅すんだろ。仮に目つけられてたとしても、こいつさえありゃまたいくらでも稼げる。暴力が欲しい馬鹿なんていくらでもいるからな」

 小箱には白っぽい円錐形のものが入っていた。手で握れるほどのサイズの、わずかに湾曲したそれに、私は思わず目を見張る。男はそれを手頃な肉塊に突き刺した。と、先端からじわりじわりと黒ずんだ液体があふれ出す。液体を回収して、『TWD』の材料にしている。大当たりだ、と無意識に私の口角が上がった。

「そういうことか……! 早速本部に連絡して――って、おい、ウェンディ!?」

 ハーマンを差し置いて、私は窓をこじ開けた。そのまま身を乗り出して、建物内に飛び入る。ダン、という着地音で、工場の人間の視線が一斉にこちらに向いた。

「だ、誰だ!?」

「あんたが持ってるそれ、返してもらうよ」

 驚く三下を無視して、リーダーの男に歩み寄る。男は驚きこそすれ、特段慌てた様子はない。むしろにやにやと下卑た笑みをこちらに向ける。

「おいおい、女一人で乗りこんで、命知らずな嬢ちゃんだなあ?」

 男は威嚇するように指をポキポキと鳴らした。手下達も手近にあったパイプやら木の棒やらを構えてこちらを見ている。仕方がないか、と私はため息をついた。緊張が走り、応戦の構えを取ろうとした、刹那。

「ウェンディ!」

 ドスッと後ろから鈍い音がした。見れば手下の一人がのされて倒れている。ハーマンは続けざまに別の手下の腕をひねり上げた。武器を落とさせ、体全体で掴み投げる。

「約束が違うぞ!」

「破ってなんかないよ、だって――」

 抗議するハーマンをよそに、私は振り下ろされたパイプを軽く躱した。同時に片足を振り上げ、相手の首元に回し蹴りをくらわせる。派手な音を立てて暴漢が吹っ飛んだ。

「危なくなんてなかったからね」

 ハーマンに軽く笑みを向ける。この程度の人間相手なら、どうということはない。私の答えに、屁理屈かよとツッコミが入った。背中合わせに構えて、向かってくる男達を蹴散らす。奪い取った棒で応戦し、殴りつけて昏倒させる。人数は負けているが、実力は明らかにこちらの方が上だった。

「くそ、奴らを呼べ!」

 焦ったリーダーが声を張る。その声で、残っていた手下達がさっと後退していく。代わりにみすぼらしい服の男がふらふらと進み出た。虚ろな目をした彼は、突如として咆哮を上げた。

「ウォオオオーーー!!」

 獣の声と同時にその全身が毛皮に覆われ始めた。口は大きく裂けて牙が覗き、四肢の先には鋭い爪が伸びる。完全に異形へと変貌したソレは、私たちをギロリと捉えた。

「くそ、人狼か!」

 ハーマンは短く舌打ちし、ジャケットに手を入れた。隠していたホルダーから拳銃を取りだし、化け物に向ける。ダァン、と銃声が轟いた。化け物の胸元に赤い飛沫が上がる。正確なまでの銃撃は、しかし致命傷にはならなかった。それどころか見る間に傷口が塞がり、あっという間に痕すら消えてしまう。

「うそ、だろ……?」

 常識的な理解を超えた現象に、ハーマンは銃を構えたまま固まってしまった。化け物は傷を気にしたそぶりもなく、ただこちらを見据えている。かと思えば、突如駆けだした。私は倒れている手下の腕を掴み、乱暴に引きずり投げる。ちょうど盾になるように動線に突き出す。と、化け物は手下の方に食らいついた。飢えた獣のごとく人間を貪っている。

「仲間じゃ、ない、のか?」

 これにはハーマンも、それどころか工場に居た人間達も怯えているようだった。そこにいる化け物にとって、人間に敵も味方もなく、ただ等しく餌でしかないらしい。哀れで嘆かわしい、なり損ないの末路だ。

「呆れた。まだ獣の方が理性も知恵も働くよ」

 これでは狼らしく連携を取って獲物を捕ることも、狡猾に獲物を追い詰めることもできないだろう。そんなもの、生かしておく理由がない。私はソレに引導を渡そうとして、しかし背後の気配に戦慄した。もう一体、建物の外から化け物が来ていたのだ。血の臭いを嗅ぎつけたのか、こちらへ向かってくる。咄嗟に拳で応戦する。獣臭が間近に迫る。ボキ、と嫌な音がした。それが何かを理解するより前に、右腕に激痛が走る。

「うあっ!?」

「ウェンディ!」

 数秒遅れて銃声が響いた。ハーマンの弾丸は、しかし、化け物の足止めにもなりそうにない。私は痛む右腕を押さえた。抉れたような傷から生暖かい液体が止まらない。骨が折られたのか、肩も肘も、指先すら動かせなかった。たった一撃、たった一撃入れられただけでこれだ。腕一本で済んだのはむしろ幸運だったのだろう。

「これだから人間は……」

 の貧弱さに心底嫌気が差した。人狼のなり損ないにさえ遅れを取る。その一撃で命を落としかねない。ああ、本当に腹立たしい。人間が勝手にを侵犯するのも、結果生まれたのが理性もない化け物に成り下がっていることも、そんななり損ないに負けそうになったことも、全てが不愉快だ。ぷつり、と私の中で何かが切れた。もう何もかもが面倒くさい。全てを壊したくなる衝動に任せて、私は人の皮を脱いだ。

「グルルアァァ!!」

 化け物が動くよりも速く、私は相手に飛びかかった。鋭い爪で肉を切り裂き、怯んだ隙を逃さず掴みかかる。常識外れの怪力で頭を掴み、力任せにねじ切る。頭部を失った化け物は、あっけなく息絶えた。流石に事態の異常さに気付いたのか、肉を貪っていた個体も毛を逆立ててこちらに牙を剥いた。その突進を難なくいなし、逆に組み伏せて喉笛に噛みつく。顎に力を入れ、首をひねってあり得ない方向に曲げる。ゴキゴキと嫌な音を立てながら、ソレはそのまま絶命した。

「こんなものが人狼だと? 強さも賢さも、何より気高さが足りない。この程度で調子に乗るな、人間風情が」

 しんと静まりかえった工場内で、低く唸る。私は腰を抜かすリーダーの男を見据えた。

「ば、化け物め!」

 男は銃をこちらに向けた。銃声が空しく響くが、私の体にはかすり傷一つ付かない。ひしゃげた鉛玉が私の足元にぱらぱらと落ちた。男の顔が絶望に強張る。それを無視して、私は男に歩み寄る。

「お前には過ぎた物だ。返してもらう」

 返事を待たずに私は小箱を掴んだ。小箱を持つ腕ごと強引に奪い取り、余計なおまけはぞんざいに捨てる。男は痛みに耐えかねて気を失ったようだった。私は小箱から白い牙を取り出す。本体から抜かれて久しいはずのそれは、まだ生きているかのごとく綺麗なままだった。


「オオウォーーーーン!!」

 私は感極まって天に吠えた。遠吠えに応える声はない。ただ静寂が返るのみだ。動く者が他に居なくなったこの場に、ジャリッと地面を踏みしめる音が妙に響く。

「あんた、人狼だったのか? なんで――」

 見れば、ハーマンがこちらに銃を構えていた。その銃口は震え、声はうわずっている。体の震えは恐怖というよりむしろ、ためらいや困惑に思える。私は彼に向き直り、“ウェンディ”に化けなおした。歩み寄ろうとすると、素早く銃を構えて威嚇される。仕方なく私は立ち止まった。

「その通り、私は人狼。生まれた頃からね」

「なんで人狼が『TWD』を! その原料を欲しがったんだ!」

 ハーマンが声を荒げた。銃口を向けながら、怒りと正義感に燃える目で睨まれる。剥き出しの敵意に、私は大きくため息をついた。

「別に『TWD』の原料なんていらないよ。そんなものなくたって、本物の人狼なんだから自分で仲間を作れる」

「それなら、何故!」

 吠えるように問う彼に、私は静かに牙を見せた。

「これが同族の、友人の牙だったから取り返しただけ。人間的に言うなら、形見ってやつかな」

 私の答えに、ハーマンは目を見開いた。複雑そうな表情で、私が握る牙を見つめる。私も牙を見つめて、まあいいかと小さく息を吐いた。

「あいつは同族を増やすことに情熱をかけた、なかなかに悪趣味な奴でね。まあ私も、暇つぶしに実験に付き合ってみたりしたんだけど」

 話すこともなかった昔語りを、独り言のように聞かせる。もう遠い昔のことの気がしていたが、その時の光景は鮮明に脳裏に蘇った。

「あるとき、あいつは自分の毒牙を抜いて、人狼化させる毒を生産する方法を思いついた。それを子分たちに渡して、ただ噛むより効率的な薬を開発しようとした」

「それが、『TWD』――?」

 ハーマンが怪訝な顔で相槌を打つ。そういうこと、と私は話を続けた。

「仲間も増えて、研究も拡大してさ、軌道に乗ったってときに、あいつぽっくり死んじゃったんだよね。それも人間に殺される大ポカやらかして」

 本来、人狼が人間とまともにやりあっても負けることはない。が、人狼は人間に化けている間は人間並みに弱くなってしまうのだ。人間の姿で油断していると、あっさり死ぬこともある。

「頭が不在になった群れはあっという間に壊滅。『TWD』に使っていた毒牙もいつの間にか紛失して、何もかもが夢の跡」

 もとより悪趣味な夢だと思っていた。だから、終わりが来るのは仕方がないと思っていた。だが。

「そう思っていたら、各地で人狼の報告例が挙がった。そこで『TWD』が取引されているのを知った。調べてみたら『TWD』も生まれた人狼も、全てが杜撰だった」

 先ほど倒した人狼のなり損ないを顎で示す。おそらく研究途中だったものを中途半端に盗んだせいで、まともに再現できなかったのだろう。おまけに中途半端なままお金儲けの種にさえされていた。

「あの人狼ひとの熱意を踏みにじられている気がして、許せなかった」

「だから、『TWD』を追って、牙を回収していた?」

 相槌は打ったが、ハーマンは理解できないとばかりに顔をしかめていた。そんな彼を見て、私はふっと破顔する。

「この話を信じるかは任せるよ。人間はいつも、私達を見ないふりして歴史の裏に追いやってきた」

 自嘲気味に呟けば、ハーマンは静かにこちらを見つめる。凪いだような声色でぽつりと問いかけた。

「……一つ、聞かせてほしい。あなたはその牙を回収して、これからどうする?」

「さあ、どうもしないよ。これはあいつの趣味に付き合った、けじめってやつだから」

 まっすぐな問いかけに、私は正直に答える。ハーマンはじっと受け止めていた。そこにどんな葛藤があるのか、私には知り得ない。やがて無言で銃を下ろした。それが彼の答えなのだろう。

「ありがとう」

 私はそれだけ言って、建物を後にした。夜空にはほんのり欠けた月が浮かんでいる。どこか私の心を見透かしているような形だ。

「オオウォーーーーン!!」

 私は月に向かって吠えた。もちろん遠吠えに応える声はない。それでもあの人狼ひとに届いていればいいと願ってしまうのは、人間に染まりすぎているだろうか。

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No.3 遠吠えは月夜に空しく響く 風白狼 @soshuan

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