ドン・ネーロの哀愁

るいすきぃ

第1話



広場には真上からぎらぎらと太陽が照りつけ、二つの濃く短い影を地面に落としている。

二つの影の真ん中を、枯草の塊が風に吹かれて転がっていった。

影を落としているのは、にらみ合うドン・ネーロとマルーチオ。

マルーチオの鼻から頬にかけては、三日月形の白い傷が走っている。

ドン・ネーロが二か月前の戦いでつけた傷だ。

「今回は、前とはわけがちがうぜ、ドン・ネーロ」

マルーチオが白い傷跡を醜くゆがませながら、にやりと笑った。

次の瞬間、二つの毛玉が牙と爪をむきだして、激しくぶつかり合った。


🔶


ドン・ネーロは猫マフィアの親分(ドン)だ。

黒い毛皮にエメラルドの目で皆を震え上がらせる。 

彼の仕事は町を平穏に保つこと。つまりみんなに自分のいうことをきかせることだ。


今日も朝から町の様子を見て回る。


肉屋のおやじと目があうと、おやじが慌ててソーセージを皿に盛って出してきた。

「お勤めご苦労様です、ドン・ネーロ」

ドン・ネーロは鷹揚にうなずきながら、ソーセージの匂いをクンクン嗅いで、

「ピンドンを持ってこい」

と後ろに控えるロッソに命じた。

「ピンドンなんてありませんよ」

とロッソは冷たくあしらう。

「猫にアルコールは毒ですから。それいうなら、マタタビでしょう」


ロッソはドン・ネーロの側近で、シルバーの毛並みと青い目が高貴な血筋をうかがわせる。それがどうしてドン・ネーロの手下として働いているのかは誰も知らない。



さて、そろそろ日も暮れて、猫会議の時間が近づいてきた。

ジャッロ、シャッツァ、ティーグレ、ポコ、いつものメンバーがそろっている。

「では、恒例のわしの歌で会議をはじめようか」

みんな、歌で会議を始める、というところに疑問を感じているのだが、恐ろしくて口に出せない。


「―――覚えているかい、君がわしに言った言葉

あの涼しい木陰で愛を誓った

わしはネーロ、君はローザ

ローザ、別れの言葉を言わないで…

わしはいつまでもローザ、君を見つめてる―――」


なぜラブソングなのか......ローザって誰?

言いたいことがさっき食べたアジの骨と一緒に喉元に引っかかってる気がして、みんな一斉に咳払いをした。

「しっ、静かに…これからがいいところだぜ…」


しかし、ドン・ネーロの歌をさえぎって、一番ちびのポコが喋り始めた。

「ドン・ネーロ、僕、今朝、マルーチオを見かけました」


「なに!?マルーチオ?あのやくざ猫か…」


マルーチオは、最近隣町で勢力をのばしている猫軍団のリーダーだ。

しかし、ドン・ネーロのファミリーとは格が違う。ドン・ネーロのファミリーは3代続く、由緒正しい黒猫マフィアのファミリーなのだ。


「どこで見たのか、一応聞いておこう。まぁ、マルーチオなど気にするわしではないが…」

「あいつ、堂々と町をぶらついてました。肉屋のおやじのことをしきりとチラ見してましたよ」

「あのおやじ、まさか裏切ったりしないだろうな…」


ロッソが、「後で確認しておきます」と神妙に言った。


「ついでに、おやじにこう言え。マルーチオを見かけたらわしに知らせろ、追っ払ってやるから、とな」

「はい」とロッソが頭をさげた。



「おい、ポコ、ちょっと来い」

あわててそばによるポコに、ひそひそ声でロッソが言った。

「おい、お前、また魚屋でアジを盗んだらしいな…」

「すみません」

ロッソは少し同情したように言った「ドン・ネーロはお前に小魚しかやらないものな。あれでは足りないだろう。だが、盗みは良くないぞ」


そういうロッソの身体は大きくしなやかで、毛並みは銀色に美しく輝いている。

一方のポコは、がりがりに痩せていて毛並みに艶もない。白地に黒と茶のどろ団子をぶつけてできたような訳の分からない模様の三毛猫だ。鼻のよこについた茶色の模様のおかげで、顔を洗ってないのだろうとみんなに思われている。


「ポコ、お前、餌集めがうまく行ってないみたいじゃないか。今度、広場の裏手の店に行ってみたらいい。あそこは売れ残りの食材をたくさんわけてくれる」


ロッソは自分だけが知ってる店のつもりらしいが、実は、ポコはもうすでに何度もその店に行っているのだった。だが、ポコはロッソを立てて、「ロッソさん、ありがとうございます。」と頭をさげた。


ひとりになったポコは

「ロッソさんは、僕が半端猫だから、面倒見てくれてるんだろうな…」と考えた。


――――でも、僕はお腹がすいていても、ガリガリでも全く気にならない!自分の力でやっていける。誰かの言うことを聞いてばかりはゴメンだ!――――


跳ねっ返りのポコはそう思うのだった。


🔶


ある日の朝、ポコは屋根の上を散歩していた。バカと猫は高い所が好きというが、ポコも高い所が好きだ。

だが、見回りの時間に屋根の上にいると、「すぐに降りてこい!」とロッソに叱られてしまう。

「どうして屋根の上を歩いて見回りしたらいけないんですか?上からの方がよく見えますよ」と言ってもロッソは、

「俺も先輩たちに怒られたんだ。ダメなものはダメなんだよ」

と言うばかりだった。


――――それにしても、ロッソさんはなぜかシャッツァが屋根の上を歩いていても何も言わないよな…僕とシャッツァの何が違うっていうんだろう?――――


そう考えながら、屋根の上からふと下を見ると、ドン・ネーロとティーグレが建物と建物の間の細い路地に入っていくのが見えた。


「あれ?ネーロさんが持ってるもの、なんだろう?なんだかやけに大きいな…」

ポコがじっと見ていると、ネーロがその大きなものをティーグレに渡した。どうやらティーグレだけにこっそりマグロの頭をあげているようだった。


「えー、ティーグレだけ特別?」



その日の午後、みんなお昼寝をする時間に、ポコは狭い溝に潜り込んでウトウトしていた。すると、二匹の猫が何かを引きずってきて、すぐそばの建物の影で座った。


ポコは耳をピクピクさせたが、まだ眠ったままだ。


二匹の猫はロッソとティーグレだった。引きずっているのは、朝、ネーロがティーグレにあげたマグロの頭だ。どうやら二匹はポコがいるのに気付いてないようだ。


マグロの頭をかじりながら、二匹は喋っている。


ロッソが背筋を伸ばして頭をそびやかしながら、

「Nの歌、あれはひどいね…」と言い始めた。

「うんうん」ティーグレは地面に置いたマグロの頭をかじりながら、時々ロッソを見上げてうなずく。

「あれを聞くと、食欲が失せるよな…」

「本当にそうだよね」

「会議の時も自分、自分で人の話を全然聞かない。だから、みんなに尊敬されないんだ」

「僕もそう思うよ」

ポコは片目を開けて一瞬耳を澄ませたが、またすぐ目をつぶった。


🔶


今日もドン・ネーロ・ファミリーの町は平和だ。太陽のきらめく広場で、ジャッロ、シャッツァ、ティーグレが歌と踊りの練習をしている。


ポコが興奮したように叫んだ。「みんな、すごいよ!!ダンスも歌もかっこいい!!きっとアイドルのスカウトがくるよ!!」


シャッツァが振り付けを考えて指示を出す。すると、ジャッロとティーグレは動きをぴったり合わせて見事に踊るのだ。

腕や顔の角度まできれいに揃っているので、ポコは「ほぉ~」とため息を漏らした。


急に日が陰って、風が吹き始めた。みんながぶるっと震えた。そこへ、禍々しい雰囲気を漂わせたドン・ネーロが現れた。


「お前たち、見回りもしないでいったい何をしている!!」


「ドン・ネーロ、みんなを見てよ!!すごくかっこいいでしょ?アイドルみたいでしょ?」

ポコはマネージャーにでもなったつもりで自慢げに言った。


「おまえたちみたいなへたくそが、アイドルなんてなれるものか。わしの歌の方が断然うまい。レコード会社の社員を呼んでこい!!」


どうやらネーロは本気らしく、ロッソに命じてレコード会社に連絡をいれさせた。


音楽スタッフがやって来て、

「ドン・ネーロ、いつもお世話になっております。この度はご連絡ありがとうございます。早速ですが、お歌を聞かせていただけますでしょうか」

というと、ネーロは得意げに例の歌を歌い始めた。


ところが、スタッフは途中から顔をしかめて耳をペタンと下げてしまった。

「すみません。うちの音楽性と会わないのでこの度はご縁がなかったということで…。それよりも、そちらの3匹のイケ猫さんたち、歌と踊りを見せてくれませんか?」


「冗談じゃない!!わしの歌を聞かずにこいつらの歌と踊りだと?ふざけるな!!さっさと帰れ!!」

ドン・ネーロは、怒り狂ってレコード会社の社員を追い払ってしまった。



その日の猫会議は最悪だった。ドン・ネーロがまだ怒り狂っているのだ。

「今日のザマはなんだ!?アイドルだと!?いい気になるんじゃないぞ!!」


とうとう我慢できなくなったロッソが、ネーロに言い返した。

「こいつらは歌も踊りも上手い。他の猫たちを楽しませることができるのに、なぜ邪魔するんですか?アンタ、嫉妬してるだけだろう?」

「何?失礼なことをいうな!わしがなんで嫉妬しなきゃならんのだ?」


ジャッロは

「まぁまぁ、ドン・ネーロの歌、そう悪くもないですよ…」

と言って、ネーロをなだめた。

「そうそう!ドン・ネーロの歌でみんな寝ーろ、なんてね!」

シャッツァがみんなを和ませようとダジャレを絞りだした。


「ドン・ネーロ、偉そうにしてばかりでは、誰もアンタについていかないぞ」

ロッソの言葉に、ティーグレがうんうんとうなずいている。


ポコはネーロの機嫌をなおそうとして、あわてて駆け出した。そして、まえに見つけて隠しておいた骨を取ってきて、ネーロに渡そうとした。

ところが、その骨は、例のどら猫マルーチオの隠し餌だったのだ。


🔶


次の日、マルーチオが怒ってネーロの町に乗り込んで来た。マルーチオは驚いたことに、一匹も部下を連れてきていなかった。散歩さながらにゆったりと歩いてくる。


ドン・ネーロがマルーチオの前に立ちはだかった。

「わしの縄張りで何をしている」

「何をしようが俺の勝手だろう。あんたのシマだって?それにしちゃ、管理がなってないんじゃないか?」

「どこがいけない?わしは完璧にこの町を把握してるぞ」


「まず、このチビ」とマルーチオはポコを顎で示した。

「こいつは、俺の骨を盗んだんだが、それだけじゃない、魚屋からも小アジを一尾盗んでいったんだぞ」

「なに?ポコ、それは本当か?」

「ドン・ネーロ、すみません…お腹がすいていて...」ポコは痩せたからだをさらに縮めながらうなだれた。

「みっともないことをするな!わしに言えば、マグロの頭でもやったのに…」

ポコは内心、「あんたはティーグレにしか興味ないだろ..」と思っていたが、黙って頭を下げていた。


「この落とし前は、あんたがつけてくれるんだろうな、ドン・ネーロ」

とマルーチオが吐き捨てるように言うと、

「お前ごとき、わしの相手ではないが…どうしてもやりたいなら、かかって来い…」とドン・ネーロはいつになく凄みのある低い声で答えた。


マルーチオは、いつでも飛び出せるように全身を緊張させながら、「シャーッ!!」と威嚇の声をあげた。

ドン・ネーロも、低い姿勢で全身のばねに力をためている。

しばらく睨み合ったかと思うと、マルーチオがバッと飛び出した。

ドン・ネーロは右前足を素早く振り下ろして、顎下を狙ってきたマルーチオを軽々跳ね飛ばした。

マルーチオは何が起こったのかと一瞬戸惑いながらもしなやかに地面に着地した。

そして、また頭を低くしてドン・ネーロに向かう。今度は左後ろ足を狙って飛びかかるが、ドン・ネーロはサッと後ろ足を蹴り上げ、マルーチオはまた空中を舞った。

あわてて体勢を立て直そうとするより早く、ドン・ネーロはマルーチオを仰向けに倒してのしかかった。前足で首を抑えつけ、またあの素早い右前足を振り下ろした。


「ギャーッ!!」

恐ろしい声をあげてマルーチオがのたうちまわった。いつ加勢に入ろうかと様子を窺っていたドン・ネーロ・ファミリーのみんなはギョッとした。


マルーチオの鼻から頬にかけて、ザックリと皮膚が割れ、夥しい血が流れ出ていた。マルーチオはもう声も出せなくなった様子で、血を流しながら、足を引きずって去って行った。


「やはり、わしの相手ではなかったな…」


ドン・ネーロは涼しい顔でつぶやきながら、毛づくろいを始めた。ファミリーのみんなは、ドン・ネーロが敵じゃなくてよかった、と心の底から思った。


🔶


二ヶ月後、またマルーチオが現れた。これ見よがしにドン・ネーロの縄張りにはいってきて、ジロジロと辺りを見回す。


マルーチオを見つけたロッソが、声をかけた。

「おい、マルーチオ。勝手に町にはいってくるな。出ていけ!」

マルーチオは、嘲笑うような口調で言った。

「お前なんかに用はないんだよ。ドン・ネーロを呼んで来いよ」


「何だと?」

すぐに頭を低くし飛びかかっていったロッソを、マルーチオは軽々と弾き飛ばした。

受け身を取れずに地面に叩きつけられたロッソを見たティーグレが、あわててドン・ネーロのところに助けを呼びに行った。


ドン・ネーロが現れた。ゆっくりと歩いて、うずくまっているロッソの前に立ち、マルーチオを睨みつける。


「今回は前とはわけがちがうぜ、ドン・ネーロ」

マルーチオが前回受けた傷跡を歪めるように、ニヤリと笑った。


マルーチオは構えを見せずに、いきなり飛びかかった。しかし、ネーロも同時に飛び出し、二匹はものすごい勢いでぶつかり合った。そして2つの毛玉はもつれ合いながら、かみついたり引っ掻いたりしてゴロゴロと転がった。


しかし互角だったのは、そこまでだった。建物の陰に隠れていたマルーチオの仲間たちが飛び出してきて、ドン・ネーロを囲んだ。

ネーロは瀕死の傷を負いながらも、マルーチオとその仲間達たちにそれ以上の傷を負わせ、追い払った。


黒いボロ雑巾のように地面に横たわるドン・ネーロに、みんながゆっくり近づいて行く。

途中でポコが泣き叫びながら駆け出した。

「ドン・ネーロ、死んじゃった...」

「ドン・ネーロ、まさか死んじゃうなんて…」

みんなは口々に悲しみの声をあげた。


ロッソもネーロを悼むかのように、静かに呟いた。

「あんたは自己中で、歌は下手くそだし話もつまらなかったが、この戦いでのあんたは勇敢だったよ…惜しい猫を亡くした…」


そのとき、ドン・ネーロのヒゲがピクリと動いた。そして薄目を開けて、やっとの思いで囁くように言った。


「わしは死んどらん。起き上がれんだけだ」


「はぁ!?死んでない!?」

ロッソが目を剥いた。


「バカバカしい!死んでないんなら、前言撤回だ!」

と怒って去って行った。

しかたなく、残りのみんなでドン・ネーロを担いで病院に運んだ。


🔶


病室ではシャッツァ、ジャッロ、ティーグレの3匹が、毎日交代でドン・ネーロの歌を聞かされている。

ロッソはまだ怒っていて、病院には来ない。いや、もしかしたらファミリーを抜けたのかもしれない。ここ2、3日ロッソを見たものはいない。


ポコも病院へは行かずに、屋根の上を歩いている。

「ドン・ネーロの歌を聞かされるなんて、うんざりだからね。僕は好きなように生きたいよ」

そう呟くと、気持ちいい風が吹いてきた。












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