31音に思いを込めて

束白心吏

朧月

 私は今、危機に陥っていた。


「んー、このままじゃあ、無理だねぇ」

「そこをなんとか!」

「そういわれてもねぇ」


 放課後の職員室の一角、国語の担当教員である初老の先生の前で、私は土下座もせんとする勢いで頭を下げている。土下座でどうにかなるならする勢いだ。それでどうにかなるなら本気でしますけど!


椎菜しいなさん、顔を上げなさい。私だって悲しいですがね、部員が一人では部活動を認められないんです。せめてもう一人くらいはいないと……」

「ぬぅ……っ」

「失礼しまーす」


 数度のノックの後、男子生徒さんが入って来ました。

 キョロキョロと何かを探すように職員室全体を見渡してからこちらに目を向け、私を一瞥してから、非常に申し訳なさそうに口を開いた。


「……八田やだ先生、若伊わかい先生はいらっしゃいませんか?」

「若伊先生でしたら……部活の方に行ってると思いますよ」

「ありがとうございます。失礼します」


 非常に礼儀正しく職員室を出ていこうとした男子生徒さんに八田先生は「少し待ちなさい」と声をかけました。

 男子生徒さんは私の方をちらりと見ながら申し訳なさそうに少しずつ扉を閉めていく。


「いえ、取り込み中に失礼しました」

「別にそういうのではないからね」


 そういうの……と言われ、私は現在の姿勢を思い出す。

 先生に頭を下げてる生徒……それってどう見ても成績が振るわないとか課題を出してない不良に……

 私は急いで姿勢を正しました。ええ、私は成績優秀! ……には一歩及ばないにせよ、そこそこは優秀な自信がある生徒なので! 断じて不良などでは!


「……」

「ご、ゴホン! たぶんだね、佐能さの君にとっても椎菜さんにとっても、渡りに船のようなことだからね」

「?」

「……」


 私にとっても……? 言葉の意味がわからず先生に目を向ける。

 八田先生はまた一つ咳払いをして続ける。


「まず、彼は佐能さの深琴みこと君だ。君の一つ上の先輩にあたるね」

「は、はぁ……」


 何故自己紹介をされたのでしょう……? 佐能先輩へ視線を向ければ、相手もこちらをむいていたようで、目が合う。それも険しい目で。

 そういえば佐能先輩ってどっかで聞いた事あるような……。


「佐能君は学校でも知らない者はいない『帰宅尊キタクノミコト』と呼ばれる帰宅部のエースだ」

「ええ!?」

「……」


 その存在は知っていました。曰く、ほぼ毎日、誰よりも早く校門を出る帰宅部のエース。一年の頃から誰もその速さを追い越せないため、もはや神格化さえされてしまったという、あの!

 そして私がここ一週間で唯一スカウトできなくて都市伝説と疑い始めてたあの!

「ちなみに命名者は私だ」と胸を張る八田先生をよそに、私は帰宅尊……もとい佐能先輩に向き直りました。そして――


「先輩! 短歌部に入ってください!」


 私は今日イチ声を張って頭を下げます。

 もうこれに掛けるしかない現状、土下座も辞さない覚悟……と言いたいところですが、流石に固い床に勢いよく土下座する勇気はありませんでした。


「……あの、顔上げて?」

「はい!」

「入るのはいいけど、部員って何名いるの?」

「(先輩を入れて)二人です!」

「……」


 佐能先輩は無言で八田先生に視線を向けた。


「佐能君の心配はもっともだ。だが、短歌部は今年から囲碁将棋部に吸収合併されることになっててね」

「……たしかそこって」

「部員一人だね」

「……」


 こう、なんでしょう。先輩から「いや、もういっそ合併せずに両方廃部にしろよ」というオーラが見えるというかもう目がそう言ってるといいますか。ごもっともだと思います。まあ私も言われる側ですが。


「確か部活って5人以上って設けありましたよね」

「ギクッ」

「!?」


 私口でギクッと言う人初めて見ました。あと、お前もか。みたいな視線はやめてください先輩! 動揺したのは認めますが私は声出してませんから! え、そこじゃない?


「い、いやそこはどうにかできる。現に少数で活動している部活もあるからね」

「まあそうですけど……あと俺、短歌は授業でやった以上のこと知らないんですけど」

「そこは大丈夫です!」

「うわあ!」


 ぐいっと近寄ったら驚きながら二歩引かれました。


「不肖椎菜しいな眞媛まひめ、全霊を賭して短歌の沼に引きずり込む所存です!」

「……あ、ハイ」


 こう……話せば話すほど心の距離が段々離れていってる気がしますね。まあ諦めませんけど! これからが正念場よ椎菜眞媛!


「ハハハ。それじゃあ、若伊先生には話をしておこう。佐能君、入部届の紙は持ってるかな?」

「ああ、はい。書くものは持ってないんで教室戻りますけど……」

「いやいや、ボールペンくらい貸すとも。私は顧問だしね。ここで提出した方が早いだろう」

「……それじゃあ、お言葉に甘えて」


 先輩はおずおずと手に持っていた入部届にペンを走らせる。あ、案外字が綺麗。

 十秒とかけずに名前を書いて八田先生に提出した先輩は、私の方に振り向く。


「それで、本格的な活動は明日からでいいんですか、部長」

「え? いや部長は先輩が……」


 そうなると思っていましたが、先輩は首を横に振ります。


「短歌初心者が短歌部部長じゃ立つ瀬ないでしょ」

「でも……」

「椎名さん。こうなった帰宅尊は梃子でも動かないぞ」

「八田先生その呼び方はやめてください」


 快活に笑って注意を受け流す八田先生に、先輩は大きくため息を一つ吐いて言葉を続けます。


「……ただでさえ教える奴が年上なのに、それでかつ部長なんて……あー、合併するなら副部長か? まあどうであれ、役職まで持ってると変にプレッシャーになるだろ?」

「う、確かに……」


 気づかなければ……と思いましたが、何てことない時に気づいてそれからダメになるタイプなんで従います。ええ、私は自己分析出来る系女子なので! というか指摘されて確かにとなったので!


「それで、明日から活動でいいんですか?」

「え、は、はい! で、いいですかね?」

「うん。私はそれでいいと思うよ。場所は……まあ囲碁将棋部でいいだろうね」


 八田先生がそう言うのと、下校時刻直前を知らせるチャイムが鳴るのは同時だった。


「それじゃあ自分は帰ります」

「ああ、気をつけてね」


 先輩は「失礼しました」と言い職員室を出ていった。

 きっちり扉が閉められたのと同時に、八田先生が口を開いた。


「これで短歌部の存続の危機は一応免れたね」

「これからも活動可能ですか!」

「そうだね」

「夢じゃないですよね! あの帰宅尊って実在したんですね!」

「君は先輩をなんだと思ってるんだい? それに彼がいる間は、だからね」

「あ」


 そうですね……先輩がいなくなればまた一人になりますし、これからも部員募集は続けていかないとですよね。まだまだはしゃぐには早かった。

 改めてそう決心を固めていると、八田先生は「まあ彼が卒業するまでは安泰だろうね」と笑って言う。


「彼が退部することはないさ」

「そうなんですか?」

「断言できるね。理由は……私から言っていいものじゃあないな」


 椎名さんもそろそろ帰りなさい。と言われ、下校時刻をギリギリであることを思い出した私は、鞄を持って急いで職員室を出る。

 春になり日が伸びたとはいえ、六時ともなれば日も落ち、辺りは暗くなっていました。とはいえ辺りが見えない程ではありません。


「あ」

「……ども」


 下駄箱に着くと、ちょうど靴を履き替えた帰宅尊……もとい佐能先輩がいました。

 確か帰宅尊……もとい先輩のクラスって確か二階の一番奥でしたよね。先輩が職員室を出てそんな経ってないですけど、息切れしてる様子はありませんし、走ったわけじゃない? のでしょうか。それともスタミナお化け?


「なんか変なこと考えた?」

「い、いえ!? 何も考えてませんでした! ええ! そそ、それより! 奇遇ですね先輩!」

「……そうだね」


 ちょっと目を合わせづらくて明後日の方向に顔を向けます……ええ、怪訝そうにこちらを見られてますからね。先輩鋭い!


「ま、早く帰ろ」

「は、はい!」


 私も急いで靴を履き替えて玄関を出る。

 外は冬程ではないとはいえ、冷たいと感じる風が制服の防風性を突き破って襲ってきます。日は暮れてますけど、満月なのか思いのほか明るいです。


「そういえば、先輩はどうして部活に入ろうとしたんですか?」


 わざわざ外で待っていてくれた先輩と並んで校門へ向かう最中に、ふと湧いた疑問を口にすると、先輩は気まずそうに言います。


「……あー、怒らないでもらいたいんだけど、内申点の為」

「内申点?」

「進学希望なんだ。俺」


 校門を出ると同時に先輩から出た言葉に、驚き半分、納得した。

 私とて数か月前までは公立高校の、とはいえ受験生だった身。元々成績のよかった私自身は問題ありませんでしたが、クラスメイトにはここより偏差値の高い高校を目指す人などもいたので、内申点が~という話題は時折聞いてました。それに先生も言っていましたので、それで覚えているという部分もあります。

 それが大学進学でも関わるとは初耳ですが。


「俺の成績は平凡だし、入りたい大学はちょっと自分の学力よか上だから……なんて聞いてて楽しいはなしじゃないよな。不純な理由だろ?」

「全然そう思わないです」


 自虐的な笑みを浮かべてそう発言した先輩に、私は間髪いれずに返す。

 驚いた様子の先輩に対し、更に言葉を重ねる。


「私は正直、将来の夢とかないですから。高校だって家から近かったから選んだのは大きいですし、短歌部だって偶然見つけて復活させたいと思っただけなんです。だから、先輩のように、なにか目標があって頑張れる人は凄いと思うんです」


 私は短歌が好きだ。だけど、それを将来に活かせるか、と言われれば否と答える。多分、確実に、進学の有無に関わらず、私は短歌と関係のない仕事につく――どこかそうなるだろうと確信している。


「そう」

「はい。それに、不純な理由にはさせません。だって私が先輩に短歌の良さをきっちり叩き込みますから!」

「――」


 あ、また引かれましたね(確信)。

 というかこれ短歌云々関係なく、私への好感度で退部されるのでは――と考えたところで、先輩が小さく笑った。

 ……笑った?


「俺からすれば、好きなことにそこまで情熱をかけれる方が凄いと思うけどね」

「――え?」

「なんでも。それじゃあ、明日からよろしく。椎菜部長」

「……あ、はい!」

「ところで帰り道こっちで大丈夫?」

「はい! 私の家、駅に近いんです!」

「……そういう踏み込んだこと、易々と他人に言わないように」


 ジト目でそう返され、ぐっと出かけた反論は呑み込みます。いやだって先輩を信頼してると言っても胡散臭げに返されるか更に注意されるかの未来が見えますからね。

 それから無言で、私と先輩は肩を並べて歩く。

 き、気まずい。さすがにこれ以上信頼度が落ちるとそれこそ将棋囲碁部に取られそうですし、普段のテンションはアウトですよね。というかそれで引かれたので少し抑えめで……すると話題がもうないのでは?


「ねえ」

「は、はい!」


 そんなことを考えている時に、不意打ちで先輩から話しかけられてしまい、自分でも驚くような裏返った声が出た。

 先輩はそんな私を微笑ましげに目を細めながら言葉を続ける。


「そんな緊張しないでいいよ……少し、短歌について教えてもらいたいだけだから」

「え!?」

「そんな驚く?」

「い、いやぁ……」


 先輩がそこまで乗り気であることに驚きを禁じ得ないのですが……でも少し話してみた感じ、真面目な人っていうのは分かる気がします。


「明日から短歌部として活動するんでしょ。なら、いち早く活動内容とか、短歌自体についても理解を深めておいて損はないでしょ」

「確かにそうですね……」


 盲点……というか考えもしませんでした。もう明日する気満々だったのもありますけど、先輩がそこまで意欲的なことに驚きを禁じ得ません。

 ですが折角の先輩からの言葉なので、僭越ながら……


「短歌部は短歌を詠む部活です」

「……えーっと、ネットで一時期流行った構文?」

「……」


 困った様子でそう返されました。確かに言ってること、殆どそうかもしれませんけど! 私も指摘されて初めて気づきましたよ。ええ。


「……実は私もそこまで活動内容については教えてもらってないんですよね」

「あー、ゴメン。話題ミスったわ」

「い、いえ……私ももう少し知っておけばよかったです」

「気にしてないから、俺も配慮してなかったし……ってか、敬語は使わなくていいよ」

「え、でも先輩ですし」

「俺は気にしないし、教わる側の俺もため口きくだろうし気にすんな」

「……じゃあ、お言葉に甘えます」


 小さく「まあ敬語でもいいんだけど」と聞こえ、葛藤もほどほどにそう言うと、先輩は笑って「素でいいからな?」と念押ししてきます。逆に素を出しづらくなりますね。


「じゃ、じゃあ! 私の事も部活中以外は部長とつけないでもらいたいです!」

「オーケー。じゃあ椎菜でいいか?」

「はい!」

「にしても何か話題ないと気まずいな」

「あ、先輩もそう考えてたんですね」

「そりゃあね。っつーことで話戻すけど、椎菜の家って駅前?」

「はい……え、なんでわかったんですか!?」


 もしかしてストーカー……と思いましたけど先輩が「何考えてるか予想つくからあらかじめ言っておくが、違うぞ」と先に言われてしまいました。やはり先輩エスパーでは。


「さっき学校から近いって言ってたろ? 俺の家、駅より少し先行ったとこだから」

「あー、ちょうど学区の端ですもんね。ここら辺」


 小学校中学校、両方とも道のり長くて大変だったのは良い思い出ですよ。まあ中学では自転車使いましたけど。


「あ、私ここ曲がります」


 話しているといつの間にか家の近くまで来ていました。

 先輩は心配そうに見送ってくれます。


「そっか……じゃあ暗いから気をつけろよ」

「はい! また明日です。先輩!」


 先輩と別れて一人で歩きなれた道を進む。

 意外にも道は明るい。見上げれば、お月様が薄雲の上から照っていた。

 思いのほか、今日は忙しかったなぁと放課後のことを回想する。先週まで姿形もつかめなかった帰宅尊……こと先輩との遭遇から、どうにか部員として確保までできました。初対面こそ最悪だったけれど、さっきまでで少しは挽回できた筈……ちょっと自信ないけど。

 だけどこれで、囲碁将棋部との合併で短歌部が潰れる事態は回避でき、囲碁将棋短歌部にすることは出来たのはとても大きいことです。

 それがいつまで続くかはわかりませんが――


「ふふっ」


 少し景色と自分を重ねていたのだなと、重なるのだなと思い夜空を見上げる。

 空に浮かぶ月は薄雲に覆われながらも夜を照らしている。しかし月の形はぼんやりとしており、実際の形は不明瞭……その様はどこか、自分の心情に当てはまっているように思えて仕方なかった。

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