第5話 告白


 ロハンの胸を借りて泣いていたエーデリュナはしばらくするとようやく落ち着いた。


「ありがとうロハン。おかげですっきりしましたわ」


 長年溜めに溜めこんでいた鬱憤うっぷんを全て出し切ったようにすっきりとした顔である。


「それはなにより。これ、使えな」


 ロハンに差し出された冷たいハンカチを受け取り目を冷やす。

 結構泣いたので充血して腫れてしまったのだ。


「いつも迷惑をかけるわね」


「いいさ。その役目はオレのものだろ?」


「ふふ、そうね」


 ロハンは優しく微笑みかける。

 それがエーデリュナにとってはありがたい。



 ハンカチを目の上に乗せるとひんやりとして気持ちがよい。

 熱を持った目元がじんわりと落ち着いていく。


「しっかし、お前のあの啖呵たんかには正直オレもスカッとしたよ」


 目元を覆っているので顔をみることはできないが、ロハンの声は楽しそうに弾んでいた。

 やはり彼も日頃の鬱憤がたまっていたのだろう。


「流石エーデリュナ。泣き寝入りなんて心配いらなかったな」


「あら、それは当たり前よ。だってやられっぱなしなんてわたくし、気が済みませんもの。泣き寝入りしてあげる程おしとやかでもございませんわ」


「ははっ! 違いない!」


「あなたね。そこは『そんなことないよ』くらいのフォローはするべきでしょう?」


 二人は軽口を叩き合うとお互い笑い声を上げた。

 ざあっと穏やかな風が吹く。




「なあ……オレじゃダメか?」

「え?」


 唐突に告げられた言葉の意味が分からない。

 何のことかとハンカチを外すと真剣に見つめてくるロハンの姿が映った。


「今までは支えるべき相手がお前の婚約者だったから気持ちを打ち明けるつもりはなかったが、婚約破棄をした今もう気持ちを抑えなくていいと思うんだ」


「ちょ、ちょっとなんの話ですの?」



 あまりに真剣な瞳に射すくめられたエーデリュナはわたわたと慌てる。

 理解が追いついていないのだ。


「オレは昔からお前……エーデリュナのことが好きだった」


「ちょっと待ってくださいませ!? い、今ですの!?」


 エーデリュナはさらに慌てる。

 顔は泣きはらした後で酷いものだし、目の充血だってまだ引いていない。


 こんな状態で愛の告白を受けると思っていなかったのだ。



(……って愛の告白!!?)


 彼から告げられた言葉の意味を理解すると途端に顔が熱くなる。


「わたくし今しがた婚約破棄を言い渡されたばかりですのよ!?」


「だからこそだ。ずっと好きだった相手に婚約者がいなくなったんだ。チャンスを逃すべきじゃないだろ?」


 ロハンはにやりといたずらに笑う。

 エーデリュナはその顔に思わずときめきを覚えた。

 心臓が痛いほど音を立てる。


 エーデリュナとしてもロハンのことが嫌いなわけではない。

 むしろ気ごころが知れた相手として一緒に居ると楽しいし、こちらのことも気にかけてくれていたのも知っている。


「で、でもだからって婚約破棄をされたばかりのわたくしにそんなことをいうなんてずるいじゃありませんの!」


「じゃあ嫌か?」


 ロハンは笑みを消してじっとエーデリュナの顔を見つめる。

 その瞳に嘘が混じっていないことは明らかで、エーデリュナは言葉に詰まった。


「い、嫌とはいってないじゃない!」



 口からは強気な言葉しか出てこないが、心臓が爆発してしまいそうなほど大きな音を立てていた。


 カイゼンとの婚約が決まってから自分の気持ちに蓋をしていたが、エーデリュナにとってもロハンは初恋の相手だったのだ。

 同じ年、同じ家格に生まれた二人は意識をせざるを得ない相手だった。


 けれども婚約後は戦友として、同じ目標を持つ仲間としてやっていこうと思っていた。

 それにロハンも自分が仕える相手となり得る王子の婚約者なんか興味がないだろうとも思っていた。


 だからこそ淡い思い出として胸に秘めているつもりだったのに……。



(それなのにいきなりこの男は!!)



 深く深く押しとどめていた気持ちに、ふいに燃料を投下された気分だ。


「嫌じゃないんだな……。ならこれからは遠慮しなくていいってことだな?」


「!!」


 ロハンが近寄ってくる。

 グイグイと迫ってこられるとどうしてよいか分からなくなる。


「まままま待って!! わた、わたくし心の準備というものがっ!!」


「待たない。もう十分待った」


「うっ……」



 ロハンがエーデリュナの腕を掴む。


「オレの気持ちを疑うというのなら自分で確かめてみろ」


 そう言ってエーデリュナの手を自分の胸の上に置く。


 ドクドクと響く振動はエーデリュナのものと同じくらい早く大きい。


「っ!!」


 それを知ってしまうともう言い逃れができない。



(好き、なの? ……ロハンはわたくしのことが……わたくしも……)



 しっかりと閉めたはずの心の蓋はいつの間にか開いていた。

 彼に、開けられてしまった。


 恥ずかしくて見られなかった彼の顔を見上げれば、自分と同じくらい赤い顔の彼が目に入る。


(ああ、もう逃げられない)



「オレはお前がずっと好きだった。だからこのチャンスを逃したくない」


 ロハンはエーデリュナの腕を掴んでいた手とは逆の手を頬に添える。

 もう一度真摯な言葉を受けエーデリュナはふるふると震えてしまう。


 今すぐとはいかないだろう。

 家同士のごたごたもある。

 貴族の政治的狙いも。


 それは分かっている。

 だが諦めたくない、そう雄弁ゆうべんに物語るロハンの眼差しから逃れられない。


 気が付けばエーデリュナは口を開いていた。


「……王様やお妃様に許可を取らなくては」


「それはもう済んでいる」


 公爵家同士が結びつくと王族すらも手が出せないほど強力な勢力となる。

 それを王家が黙って見ている訳がない。


 ロハンは既にそのための許可を取ってきていた。

 そのためにカイゼンのサポートをしていたぐらいなのだから。



「ロハンのご両親は何と?」


「お前なら喜んで迎え入れるそうだ」


「……わたくしの両親はきっと手強いですわよ?」


「ああ。覚悟の上だ」


 王家との問題だけではない。


 ウィチアース公爵家とマグリファス公爵の現当主は仲が悪く、常にいがみ合っている。

 そんな当主の子供がくっつくことに対して、当然反対が起こるだろう。


 乗り越えるべきこともたくさんある。



 だが、それでもというのなら。



「そうですか。……それならわたくしが拒む理由はありませんわ」


 柔らかく、昔のように微笑むエーデリュナ。

 その笑みはロハンが惚れた時の笑みそのもの。


「っ!! それなら」


「……ええ。わたくしも昔からお慕いしていました」


 エーデリュナの目から熱い雫が一つ落ちた。

 けれどもそれは悲しみではない。


 確かな喜びからくるものだった。



「っ! エーデリュナ!!」


「きゃあ!」



 ロハンは嬉しくなってエーデリュナをぎゅうっと抱きしめる。


「ずっと……ずっとこうしたかった。ようやくお前に触れられる」


「……ええわたくしも」


 ロハンの胸におずおずと頬を寄せるエーデリュナに愛おしさがこみ上げて、さらに強くけれども優しく抱きしめる。



 仄明るく照らされた温室は二人を温かく包み込んだのだった。



 ◇



 卒業パーティーから半年後、両公爵家主催のパーティーが開かれた。


 ナキイラ王国で一番大規模なパーティーと言われたその会場では、ロハンに恭しくエスコートされつつも幸せそうに微笑むエーデリュナの姿が目撃された。

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公爵令嬢の悪役事情~婚約破棄を突き付けられたけど、残念ながら【監視役】ですので逆断罪して初恋を実らせます~ 香散見 羽弥 @724kazami

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