第4話 温室にて
エーデリュナは学園の敷地内にある温室にいた。
もちろんこの時間に温室にいる生徒などいるはずもなく、彼女は一人ぼうっとした表情でたたずんでいる。
「……」
温室には寒い時期でもいろいろな花が咲き誇り、甘い香りで満たされている。
エーデリュナはふと目についた花に近寄り触れようとした。
「それには素手では触らない方がいいぜ」
聞き馴染みのある男の声がした。
「……知っているわ。というかそう教えたのはわたくしじゃないの、ロハン」
花から離れ振り返れば、やはりそこにいたのはロハンだった。
エーデリュナが触ろうとしていた花は魔法植物で、触れた者の感情により様々な効果が現れるものであった。
喜びならば花吹雪が吹き荒れ、悲しみであれば土砂降りの雨雲を作り出すとされ、よく占いなどにも用いられる花。
普段であれば触れてもさほど問題にならないのだが、激情を宿した人間が触れると嵐を呼ぶとされている。
「ちょっとした出来心よ。今のわたくしが触れたらどうなるのか知りたくなってね」
会場ではあれだけ
あの場で感情のままに叫ばなかったのはひとえに公爵家の令嬢としての誇りがそれを許さなかったからに他ならない。
そのことを感じ取っている様で、ロハンはどこかこちらを気遣うような目線を送ってくる。
「よかったのかあれで」
やはり彼も先ほどの事件を気にしているようだ。
「よくはないわよ。でもあの場でできることなんてたかが知れているでしょう? それに家にはもう連絡しておいたし後はお父様と国王様の話し合いに任せるしかないじゃない。全く、わたくしたちの苦労も知らないで……。あのお馬鹿さんには困ったものね」
エーデリュナはクスリと笑いながらもどこか落胆したように肩を落とした。
幼いころから婚約者となり近くにいたにも関わらずカイゼンの言動を改めさせられなかった
それらがない交ぜになりエーデリュナの胸を
「まあでも少しせいせいしたわ。もうこれで彼に指摘し続ける必要もないでしょう」
「強情は相変わらずみたいだな」
そうつぶやくとロハンはつかつかとエーデリュナに歩み寄りその腕を引いた。
「っ!?」
とっさのことに反応できずロハンの胸にすっぽりと包まれるエーデリュナ。
慌てて体を離そうとするも腕が頭に周り身動きが取れない。
「ちょ、ちょっとなんですの!? 離しなさいよ!」
ぽかぽかと胸を叩くががっしりとしたロハンが堪える様子はない。
ロハンはしばらく抱きすくめた後、エーデリュナの頭を優しく撫でる。
「今は誰も見ていない。どーせ人前でも公爵家でも泣きたくないんだろ。だったら今のうちに泣いとけよ」
「っ……!」
ぶっきらぼうではあったがその一言がエーデリュナの凝り固まった心を優しく解いていく。
気が付けばエーデリュナの目には涙がにじんできていた。
二人は公爵家同士幼いころから親交があった、いわゆる
そうして王からカイゼンの面倒を見る様に言われた仲間でもある。
お互いにカイゼンには手を焼き、戦友とも呼べる仲であった。
だからこそ
「……悪はこの程度じゃ泣かないわ。これは……汗よ。走ったんだもの、汗くらいかくわ」
「へいへい。分かってますよ。いくらでもどーぞ。オレはいつも通りなんも見てねーんで」
懲りずにおちゃらけた様子でしゃべるロハンに返事をしようとしても、次々と溢れる涙で言葉にならない。
幼いころからロハンはこうしてエーデリュナが泣きたいときに必ず現れて誰にも見られないように隠してくれる。
妃教育の厳しさに打ちひしがれた時も、カイゼンに嫌味を言われたときも、敵対貴族の策で
エーデリュナもロハンにだけは弱いところをさらけ出せる。
彼女がこの年までくじけずに王子の婚約者でいられたのはロハンのこうしたサポートがあってのことだった。
「わ、わたくし……頑張ったのよ? 王族の期待に応えなきゃって……8年も」
「知ってる」
「どんな嫌がらせを受けても負けないように妃教育も全てこなしたし……」
「ああ」
「第一王子の婚約者」という席を狙う輩や敵対している貴族たちから心無い言葉をかけられたり、恨みを買っておとしいられられそうになったりしたことだってある。
それらを全く気にしていないわけではない。
それこそ初めのうちは何度眠れぬ夜を過ごしたことか。
「それでも支え続けたのに……その結果がこれなの?」
「……」
ぎゅうっとロハンの服を掴むエーデリュナは悔しくて悔しくてぽろぽろと涙を落とした。
「うう……ひっく……」
「……今までよく頑張ったな。オレは知ってる。お前がどれだけ努力してきたのか」
ロハンはただ静かに頭を撫で続ける。
エーデリュナを抱きしめる腕に力が籠った。
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