最終日・転生なんて嫌ですが?

 転生する。

 確かに彼女はそう言った。


 しかし素直に安心してもいられない。

 何故ならクロには一度契約を反故はごにされている。


 1日経った今、もう一度クロの口から同じ言葉を聞くまでは平静でいることなど到底出来なかった。


「おはようございます、タンサさん!」

「お、おはようございます。一段と元気ですね」

「はい! 今日はアタシが文字通り生まれ変わる日ですから」


 どうやらタンサの懸念は考えすぎだったらしい。

 今日のクロの目には未来への希望で溢れていた。


「そうですか。昨日の要望をまとめましたので、ご一緒に確認をお願いします」

「はい!」


 彼女と会った時とは考えられない陽気さがこぼれた。


「転生する世界は何よりも眠りを評価する世界で大丈夫ですね?」

「はい、問題ありません」

「転生後のクロさんの記憶は引き継がない。基礎能力は一般的ですが、就寝能力だけは引き継ぐことで問題ありませんね?」

「それも大丈夫です」


 今までの泥沼に足を突っ込み続けていた問答が嘘のように進んでいく。


 勿論これは彼女の変化によるもの。

 処理を続けるタンサの頬はゆるみ続けていた。


「それではこれが最後の確認になります。貴女は異世界転生することを望みますか?」


 タンサの質問に、彼女は一度大きく深呼吸をした。

 そして真っ直ぐな視線を向けながら口を開いた。


「はい、望みます」


 最後の処理を行い、彼女にコンソール画面を向ける。


「ありがとうございました。あとはクロさん自らがこのボタンをタッチすれば手続きは終わりです」


 彼女がコンソールに手を伸ばす。

 だが、ボタンを押す前にその手の動きは止まった。


「そっか。タンサさんと話すのもこれで最後なんですね」

「ええ。短い期間でしたがありがとうございました」

「そんな。お礼を言わないといけないのはこちらの方で」


 クロの顎が僅かに下がる。


「卑屈で馬鹿で無能なアタシを最後まで面倒見てくれたのは、タンサさんが初めてでした」

「ボクの方こそ。勝手な都合で転生を無理に勧めてしまったのに、お付き合いしていただいてありがとうございました」


 立ち上がり丁寧にお辞儀をするタンサ。


「こちらこそ本当にありがとうございました」


 続いてクロもまた頭を下げる。

 2人してお礼をする時間が流れ、再び彼女と顔を合わせた時には妙に照れ臭かった。


「名残惜しいですがそろそろ」

「はい、良き転生ライフを」

「次は無能なんて呼ばれないよう精一杯過ごしますから! さようなら!」


 言って、彼女は姿を消した。


 タンサはしばらくの間、彼女が居た空間を見つめ続けた。

 自分の気が晴れるまでずっと。


 初めて完遂した仕事は、達成感よりも寂しさの方が強く――、

 タンサが再度椅子に腰を下ろした時には、彼女が消えてから2分以上経過していた。


「いや、まだ終わってないか」


 転生者を送り出したでもまだ終わりではない。

 彼女がちゃんと世界に順応出来ているか、世界が正常に働いているのかの確認は今後必要になるのだ。


 それでもタンサが彼女に出来ることと言えばそれぐらいのものになってしまうのだが。


「うん、頑張ろう。クロさんには負けてられない」


 タンサは一人呟くと、正面のコンソールへと意識を移した。


 充実感に満ちた脳はあっという間に時間を奪っていき、


「もうこんな時間か」


 彼がひとしきり仕事を片付けた時には、既に定時付近になっていた。


「お疲れ様」

「お、お疲れ様です!」


 気が弛み、肩を回していたところに背後から声を掛けられた。


 振り向いた先にはタンサの上司である神様がいた。


「聞いたよ。初めて転生させたそうじゃないか。おめでとう」

「い、いえ、そんな。滅相もないです」

「そう謙遜しなくて良いよ。この仕事が難しいことは皆理解している」

「それでもボクは結果を出すのが遅かったですし、誇れるものではありません」

「何を言う」


 神が柔和な笑みを浮かべる。


「君は一人の人生を送り出したんだ。それもどうなれば良くなるか必死に考えて。これを立派と言わずに何という」

「そうでしょうか」


 自分ではイマイチピンと来ない。

 頑張った自負はあるが、それを誇れるかどうかはまた別問題だった。


「ま、これからも頑張りたまえ」

「は、はぁ」

「煮え切らない態度はよしたまえ。それとも何だ」


 にやりとする神。


「そんなにも男子トイレの精霊になりたかったかな?」


 神が意地の悪いことを言う。

 これにはタンサも反論せざるを得なかった。


「いやそんなこと無いですから!」

「分かってる分かってる。そんな全力で否定しなくともこちらは把握しているさ」

「……すみません」

「いや、良いんだ。私も意地の悪いことを言ってしまったな」


 と、上司が立ち去ろうとしたところで再度クロの方を向いた。


「おっと本題を伝え忘れるところだった」

「まだ何か?」


 労いにきたのか、からかいにきたのか分からない上司に向かって返す。


「君も人間に転生する気はないか?」


 突然過ぎる問いに一瞬絶句するタンサ。

 だが、すぐに我を取り戻すと自信満々に答えた。


「転生なんてしませんが?」

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