第一話 その五

 私は逃げていた。

 ただ暗い道の中で、誰にも会わないことを願って、ひたすらに走っている。

 どこまでも続いてくような、暗い夜道だった。


 何か可笑しい気がした。

 先ほどの空気や、アーロンさんの目や、その他にも色々と。

 反射的に不穏な気配を感じて、本能や警告に従うまま、私は彼らの隙を見て飛び出していた。


 あまり頭を使えていない気がする。

 でも、さすがに話を聞いた後では、森へ戻る気もなかった。

 だから反対方向へ、まっすぐ、まっすぐ足を動かす。


 そうして走っていると、いつの間にか開けた場所へ出た。

 建物がある。

 壁は、綺麗な模様が描かれていた。


 私は顔を上げる。空へ延びる塔だ。

 それは今日、何度か話に出てきた魔塔の姿だった。

 けれど不思議と、恐怖はない。


 私はキョロキョロと、誰もいないことを確認してから、魔塔に凭れ掛かり座り込んだ。

 本格的に、どうすればいいのか分からなくなる。

 最初は、ここの住人に付いていけば何とかなるんじゃないかと、少し楽観的なことを考えていた。

 しかし結果は、この通り。

 もう消えることを覚悟のうえで、森に戻るべきだろう。


 小さく、ため息を吐く。

 ガリっと音が鳴り、私はハッと身構えた。


 音は近くから聞こえた。

 だが辺りを見渡しても、誰の姿も見えない。


 身体を強張らせて警戒を続けていると、またガリガリと音が鳴る。

 今度は音の方角がハッキリと分かり、私は視線を向けた。

 音は魔塔から聞こえていた。

 ガリガリと、引っ搔くような物音が鳴る。


 余計に身体が固まった。

 神父さんからの話を聞く前に、ここへ来ていたならば、もう少し怖くなかったはずだ。

 まさか罪人として投獄された猫が、事件から二十年も経った今、生きているとは考えにくい。

 しかし、この世界は私がよく知る世界ではない。

 私は、ただ黙って状況を見守っていた。


「…………」






「そこにいるのは誰だ? 人間ではないな?」


 幼い男の子のような声が聞こえ、私は耳を疑った。

 呆然としていると、声は続けた。


「何故ここへ来た? 迷ったか? ここの噂は知っているだろう。僕が誰かも分かるよな?」

「…………黒猫?」


 反射的に答えてしまう。

 すると塔の中の相手が、小さく笑ったような気がした。


「この塔へ来て、そのように呼ばれたのは初めてだ」


 中の生物の言葉に、どこか心臓がざわつくのを感じる。

 しかし先ほど、神父さんから聞いた犯人には当てはまりそうにないほど、その声からは落ち着いた様子が想起させられた。

 とても女王を陥れた犯人には思えない。

 けれど気になったのは、もっと他のことだ。


「人間じゃないって、どういうこと? 私は人間だよ」

「おいおい、そりゃなんの冗談だ」


 相手の発言に、私は眉を顰める。

 言っている意味が分からない。


「まさか自分が死んだことも分からない、幽霊だなんて言わないよな? さすがに、お迎えが来るのは早すぎる」

「私は人間だよ。幽霊でもない」

「そんな作り話で、ボクは騙せないぜ? なんたって以前は腐っても使い魔だったんだ。どんな微力な魔力でも、残らず感じ取れる」


 使い魔という言葉に、私はやはり彼が、女王を陥れた張本人であることを知る。

 けれど、そのせいで彼自身がどういった生物なのか、私は未だ把握できないでいた。


 黒猫さんは続けた。


「それより話をしよう。退屈していたんだ。長い間ボクは君のような物好きが来るのを、ずっと待っていた」

「ものずき……」

「あ、今のは失言だったかな? すまないね。しばらく誰とも話していなかったから、礼儀や作法を忘れてしまっていたよ」


 悪びれる様子もなく、猫さんは謝る。

 少し考えて、私は先ほどと同じように、塔を背凭れにして座った。

 特に行くところもないので、話し合いに応じることにする。


「さっき魔力がどうって言ってたけど、私からは何も感じないの?」

「……なんだ。やっぱり死んだことに気づいていない、幽霊だったのかい?」

「そういうわけじゃないけど、どうなの? 私からは何も感じない?」


 そう問いかけると、猫さんは少し黙ってから答えた。


「ぜんぜん。正直ボクは、君のことを死体だと思ってるよ」

「死体と話すの、怖くないの?」

「空想の友達と話すよりは良いかな。生きてたらサイアクだけど」

「……どうして?」

「決まってるだろ。ボクは人間が大嫌いなんだ」


 苛立たしげな声から、彼の恨みを感じ取る。

 私は黙って、彼の言葉に耳を傾けた。


「アイツらは心底ムカつくよ。自分たちが、どれほど愚かなヤツなのか知りもしない。傲慢で強欲で、無知で、飾りの脳みそを付けた人形だ。ゴーレムの方が、よっぽど利口に行動する。あんな生き物が地上を支配しているなんて、世も末だよね」

「……いったい人間に何をされたの?」

「何をされたかって? ……全てだよ。アイツらは、ボクの全てを奪ったんだ。時間も、名誉も、尊厳も、大好きなレイナだって。アイツらさえいなきゃ、今もレイナはいなくならなかったのに」

「れいな……?」

「ボクの唯一の家族だよ。小さい時から、ずっと一緒だった、お母さんみたいな人。凄く厳しいけど、優しいんだ」


 悲しげな声で告げられた内容に、なにか引っかかりを覚える。

 頭の中で、別のピースを当てはめているような、そんな違和感。


「だから、もし本当に君が人間なら、ボクはすぐに君を殺してしまうかもしれないね」

「…………冗談だよ。ジョーダン」

「だよね! こんなに魔力のない人間いるわけないし!」

「魔力がないと、人間はどうなるの?」

「死ぬよ」


 あっけらかんと返答される。

 もう、ただ笑うことしか出来ない。


「ところで君は、結局どういう存在なの? 幽霊じゃないって頑なに言ってるけど、なら本当はなに?」

「……んと……地球人、かな」

「チキュージン? 変な名前の種族。どこから来たの?」

「水たまりの中」

「すっごく変だ。変人種族だ」


 塔の中から少し明るくなった笑い声が聞こえて来た。

 その声に、なんだかホッとする。


「実は、もっと遠いところから来たの」

「遠いところ?」

「そう。魔法とかがない世界。すっごく楽しいの」

「そんなところあるかな?」

「あるよ。私の大切なものは全部、そこにあるの」


 そう言って私は、元の世界を思い出して、口をつぐんだ。

 こっちに来て数時間が経っている。

 そのせいか、なんだか向こうの世界の出来事が、既に遠い思い出のようになっていた。

 それが少し悲しい。


「……置いてきちゃったの?」

「うん。だって急だったから」

「無理やり、離れ離れにされちゃった感じ?」

「そんな感じ」

「心にポッカリ、穴が開いちゃうよね」

「…………黒猫さんも、一緒なんだね」


 壁の向こうで、頷いた気がした。


「私ね、帰る方法を探したいんだ」

「そっか。ボクは大切な人を探したい」

「塔から出られないのに、どうやって探すの?」

「それをこれから考えるんだよ。もう二十年は、そうしてきた。君はどうするの?」

「私も……まだ考え中」

「お互い前途多難なようだね」


 そう言ったきり、私と猫さんは暫く無言になる。

 自然の音だけが聞こえ、私はぼんやりと、これからどうしようか考えた。

 当然、何も思い浮かばない。


「……あーあ、ここにイセカイ人ってヤツがいてくれれば、こんな塔なんて簡単におさらば出来るのに」

「…………今なんて言ったの?」

「君、知らないの? 魔法が利かない、摩訶不思議な種族のこと。そんなヤツが現れれば、ほとんど無敵みたいなものでしょ? だから昔からエライ人たちは、イセカイ人を探し回っては、見つけ次第に殺してるんだって。いわゆる御伽噺なんだけどさ」


 私は呆然と、その話を耳にする。

 何故なら、それがどんな人物のことを指しているのか、たった一つの単語で分かってしまったのだから。


 私は更に尋ねる。


「他には? どんな見た目とか、わかる?」

「ん-、なんか色んな姿のヤツがいるんだって。虫だったり、動物だったり、人だったり」

「……どうして、そんな情報が?」

「昔からの言い伝えだよ。でも見た目の情報はバラバラだから、紛れ込んで住んでいるって噂もあるけど」


「それがどうかしたの?」と尋ねられるが、私は答えられなかった。

 少なくとも、そのイセカイ人には私も含まれるはず。

 そして彼の言うように魔法が利かないのだとすれば、これはかなり有用に使えるだろう。


 ……ふと私は疑問に思ったことを口にする。


「この塔を簡単におさらばって、どうやるつもりだったの?」

「そんなの決まってるさ。ここは魔塔だぜ? この塔に働く魔法の力を、全て無効にしてもらうのさ」

「どうやって?」

「どうって……」


 猫さんは少し口ごもり、口を開く。


「この塔の魔法は、主に塔に描かれた魔法陣によって組まれている。だから魔法陣を僅かでも切ってしまえば、魔法はあっという間に、解ける……けど」


「なにをする気?」って声は、聞こえないフリをした。

 私は爪で描かれた魔法陣の端を、ガリガリと削っていく。


 猫さんの戸惑う様子が、壁越しでも伝わって来た。


「え……え、本当に何してるの?」

「…………削ってる」

「やめなよ! 下手に触るとケガするよ!?」

「……大丈夫」

「めちゃくちゃガリガリ聞こえるんだけど!」


 そう猫さんから忠告されるが、私は止める気はない。

 内側から、ガリガリ音が聞こえる。


「ねぇ、聞こえてるよね?」

「…………」

「本当に止めた方が良いよ。ボクら会ったばっかじゃん。しかもボク超有名な犯罪者だよ? 知ってるよね?」

「…………ぜんぜん削れない」

「鋭い爪を持っても削ることは難しいよ。なにせ超硬い魔法の石だから」


 それでも私は止めない。

 爪の削れる音だけが聞こえる。


「…………なんで、そんなこと」

「……慰めてくれたから」

「ハッ、同情かよ」

「そうかもね」

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異世界マーヤの学園生活 明空 希歩 @anonymousWriters

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