第16話
毛皮のローブは、着せてみれば今のアンクの姿には少し大きく、小さな体を包んですっかり覆い隠してしまった。僕の膝の上に、再び出来上がる毛毱。袖から腕を伸ばして、自分の手をまじまじと見ている。
「思ったよりちいちゃくなってしまったよ」
ひと仕事終えたフウワはローブを着ていても細いアンクの肩に、身を預けている。空の精霊に助けを借りずとも流暢に喋れるのは、きちんと中まで変身ができている証拠だ。
「その方が今は都合が良い。体の調子はどう?」
「それが、さっきよりも大分楽になったんだ。相変わらず、お腹と背中はくっつきそうだけどね。……ヨダカの、もっと欲しい、な」
耳を伏せた控えめなおねだりに、う。と、思わず声を漏らしてしまった。本人はまだ自覚が無さそうだけれど、その容姿でこんなふうにお願いをされて、否と言える者が何処に居ようか。
口元に左の手首を差し出すと、アンクは僕の手を取った。
向かい合う形では舐めづらかったのか、僕に背を預けて座り直し、流れ出た血を辿って傷口に唇を寄せる。
「ヨダカ、大丈夫? 痛くない?」
「…少し痛かったよ。けど、今は大丈夫」
アンクが舐めていると、不思議と傷の痛みは和らいだ。少しずつ温かみを増していく小さな身体に安堵すら覚えて、発する声に少し笑みが混じった。
フードを取って、頭を撫でる。真っ直ぐで、サラサラとした臙脂の髪の毛。耳の付け根を指で擦るように撫でると、アンクの口の動きが止まった。僕の手に頭を擦り寄せてしまうほど、心地がいいらしい。
ほんの少しの戯れのつもりだったのに、あっという間に全身の力が抜けていく。僕の腕を持っていた小さな両手も、くたりと胸に下ろされた。
「うー……きもちいい。 ……よだか、おれ……にゃむ…」
小さく唸り、舌足らずな言葉を紡いだアンクはやがて規則正しい寝息を立て始める。僕の胸にぐりぐりと頭を擦り付けて。
小さく細い腕が巻き付いた僕の左腕では、青い巻貝が待ちかねた様子で傷口を塞いでいた。
懐かしい、この気持ち。
「ねぇ、聞いているかい、世界樹。
僕は恐ろしい生き物を作り出してしまったみたい」
幼い生き物が持つ、どんな魔法よりも強い力。
その愛くるしい姿で、仕草で、見た者の庇護欲を、暴力的に刺激する。
もうずっと抱くことのなかった感情。僕の中で枯れて、訪れることのない春を、待つこともせずただ過ごしていた冬を、終わらせる雷の一閃ように。
「また、芽吹く時が来るなんてね」
僕の声に呼応して緑の光を脈打たせる巨樹が、まだ株分けされて間もない細木だったあの頃、同じ木の下で似たような気持ちを抱いたことがあった。きっと偶然ではないだろう。
咲き誇る花々は繁栄の証。
元を辿れば一輪の蕾。
彼は蕾。
今は幼芽。
「また育てていこう」
この森を“ヨスガの森”と名付けた人がいた。
昔は小さな林だったのに、今ではたくさんの命が息づく大森林だ。
僕と彼の人もここで出会った。
僕は蕾。彼の人に育てられ、たった一輪で咲いた。
けれど僕は他の生命を引き寄せ、育み、結び、実らせる花になれた。
「おまえも、そうなれるように」
たったひとりで、幸福を探して彷徨っていた子猫。
誰かと一緒に居たいと、それだけで良かったと彼は言った。
見つけられて、良かった。気まぐれに唄った妖精呼びの歌と、獣除けのまじないと。全てとはいかないけれど、良い方向に働いたな。
はあ、お腹が温かい。木の根に頭を預けて空を仰ぎ見ると、薄明の空に
すやすやと眠るアンクを抱きしめて、僕もその波に身を委ねた。
唄う夜鷹の幸福論 彷徨(さまよ) @hokoto77
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。唄う夜鷹の幸福論の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます