第3話 約束
帰りのHRが終わり、放課後となる。
「じゃ、お疲れさん」
「お疲れ様」
「いっしょに帰る?」
「……遠慮しとく」
と、毎度懲りずに日比野さんに誘いかけるも、けんもほろろって感じではないけど、落ちそうで落ちないゲーセンの景品みたいなあしらわれ方をするのがいつものお約束である。
日比野さんの陥落が先か。俺のメンタルがぽっきり逝くのが先か。
この調子でいけば、前者の方が優勢だろう。
「そっか。じゃあ、また明日」
「えぇ、さようなら」
日比野さんが、俺に気があることは間違いない。
ただそれがどのような想いに起因するものなのかは、いまひとつ計り知れない。
「……」
普通、このクラス、いやこの学園に、俺と積極的に関わろうとする人間はいない。
まぁ、俺は忌避して正解のアウトサイダーだからな。
「……」
けど、男友だちのひとりやふたり欲しいなって思うときはある。
異性の友人は何人かいるんだが……
いるよな? 彼女らは友だちとカウントしていいんだよな?
とまぁ、自分が一方的に友だちと思っているだけなんじゃないかと疑念に駆られてしまうほどに、俺の交友関係は狭く、浅く、小さく完結している。
「……」
けど、そういうひとってのは思いのほかいるみたいで。
「どうしたんですか?」
また、そういう変わり者は、得てして変わり者を索敵する能力に長けている。
「……」
俺と日比野さんも、その奇縁に恵まれて今の関係に至ったようなものだ。
「なにか用ですか?」
その視線には、かなり前から気づいていた。
教室を出て、階段に差し掛かって。
その辺りから、その視線は付き纏っていた。
下駄箱で上履きから下靴に履き替えている間もその視線が突き刺さっているものだから、さすがにツッコまずにはいられなくて振り返ってしまった。
「なんでもない」
だって彼女はひとつ年上の先輩で、下駄箱はひとつ隣の列にあるから。
「
やや肩下まで伸びた濡羽色の髪に、感情息してんのかなってくらいに芒洋とした瞳に、きゅっと結ばれた薄桃色の唇。
小栗こみず。
それが彼女の名前で。
「じゃあ」
それが俺の知る彼女のすべて。
ずっと俺をつけていた要件をついに口にすることなく、先輩はなにもなかったかのように、一列隣の下足箱に足を運ぶ。
「一歩間違えれば、日比野さんとキャラ被りしてるんだよなぁ」
俺以外の誰かと話すときの日比野さんは、まさしくあんな感じだ。
……ってことは、先輩も友だちいなくて孤立してんのかな。
なんて、俺が気にすることじゃないか。
「っし、帰りますか!」
「そんな気合入れて帰るひとはじめて見た」
「わっ!? ちょ、脅かさないでよ先輩!」
靴履き替えるの速すぎません?
というか、靴箱開ける音しなかったんですがなにかのマジックですか?
「さようなら」
動顛する俺を尻目に、先輩はすたすた歩き去っていく。
陽の光を吸い込み、ますます艶やかさを増した黒髪は幻想めいて美しい。
「……うぅむ。わからん」
そんな寡黙かつ容姿端麗な先輩との接点はまるで思い至らない。
となれば先輩の一目惚れ……なんて驕れるほど、俺の容姿は優れてないんだ。
まぁ、一部の界隈ではそれなりに需要があるんだろうけどそれはさておき。
「帰るか」
なにしろ今日は、約束があるからな。
というより、毎日放課後には約束があるんだ。
………。
……。
…。
自転車をきこきこ漕ぐこと二十分ほど。
ありふれた一軒家が軒を連ねる住宅街で、ひときわ目を惹く荘重な屋敷の前で自転車を停める。
この地区に一件だけ存在する古色蒼然とした日本家屋。
ここが俺の家だ。
駐輪スペースに自転車を停めると、既にぴかぴかの自転車が一台停められていた。
「……」
俺はこの自転車が動いた場面を一度として見たことがない。
いつかこの自転車が稼働する場面が見れたら、なんて思いつつ玄関の扉を開ける。
「ただい――」
「おかえりおにいちゃんっ!」
「うわっと。なんだ、出待ちしてたのか?」
返事より早く胸ダイブが来るとは思っていなかったので危うく転げそうになったが、体重差のおかげで事なきを得る。
すりすり胸に頬擦りして愛情表現してくる少女のサイズは全体的に小で、亜麻色のショートカットはぼさぼさで、服は寝巻きのままで。
「しゅきー」
「とりあえず家に上がらせてくれないかな」
「じゃあだっこ」
「だっこってお前……」
「だめ?」
「……よし、まかせろ。じゃあいくぞ」
今日は殊更にリュックが重い日なんだよなぁ、という不満を飲み下し、俺は甘えん坊な方の妹をお姫様だっこする。
「わわっ、ははっ、たかいたかーい!」
「階段登るときは危ないから暴れるなよ」
「うんっ! ずっと首ぎゅーってしてるっ!」
「あぁ、そうしてくれると助かる」
とまぁ、こちらが甘えん坊で、流行にあまり明るくない方の妹の莉乃。
香乃の双子の姉で、身長は香乃より10センチほど低くて。
まもなく、引き籠もり生活二周年アニバーサリーに差し掛かっている俺の妹。
「おにいちゃんは、香乃ちゃんと違って毎日約束守ってくれるね」
香乃が最後に約束を守ったのはいつだったか。
……記憶にないな。それくらい前のことだ。
「香乃は人気者で忙しいんだ。ぼっちの俺は暇なんだよ」
「またまた~。ホントはモテモテなの見え透いてるよ~」
「……まぁ、モテモテではあるのかな」
同期不明の注目を浴びる日々だし。
「やっぱり。だっておにいちゃん、カッコいいもん」
「贔屓目がすぎるんじゃないか」
「ううん、間違いないよ。おにいちゃんほど優しいひと、わたしは知らないよ」
背中に頬を押し当て、莉乃はしみじみとつぶやく。
「……さ、部屋に着いたぞ。今日はなにして欲しいんだ?」
「ん~……ポッキーゲーム!」
「それは兄妹でやると色々問題ありそうだから却下な?」
「兄妹だからいいんだよ。ちゅっちゅしてもノーカンだよ。お買い得だよ」
「お買い得って……そもそもポッキーゲームはちゅっちゅするゲームじゃないんだよなぁ……」
「じゃあ、お風呂でわたしの髪洗いでもおっけー」
「一昨日も洗った気がするんだが」
「いいの。わたしがそれで満足なんだから」
背中に抱きつく力を強めてくる。
……あの、いつになったら下りてくれるんです?
「というか莉乃、お前、高2の兄に全裸見られることに抵抗ないの?」
香乃なんて、一緒の洗濯機で下着洗うだけで激昂するんだが。
「あるわけないよ。わたし、おにいちゃんと結婚するもん」
「はは、そっかそっかー」
「ほんきだよ?」
「……」
香乃は冗談めかした感じだけど、こっちはガチでマジで本気なんだよな。
もし兄妹じゃなかったら……なんて妄想で終わればいいんだけど、俺たち纐纈兄妹に関しては、絶対にないとは言い切れないんだ。
だって、俺たち、母親と会ったことないし。
親父は隠しごとばっかしてるし。
「じゃあ、服取ってくるから少し待ってて」
「うんっ」
と、威勢のいい返事をして、莉乃はようやく俺の背中から下りる。
そもそも莉乃が引き籠もり生活を送るようになった原因だって親父にあるんだ。
俺が肩身狭い思いしてるのも。莉乃の将来が曇ったのも。
全部全部、この家系の……
「……と、危ない。危うく闇墜ちするところだった」
人生は常に明るく楽観的に謳歌していかないとな。
世の中、悪いことなんてそこらに蔓延ってるもんだからさ。
………。
……。
…。
「ねぇおにいちゃん」
「ん?」
少し早い入浴を莉乃と済ませ、濡れ髪をドライヤーで乾かしていると、莉乃がいやに緊張した声音で問いかけてきた。
「あの、さ……」
「なんだ。なにか壊したのか?」
「いや、そういうんじゃないけどさ」
「安心しろ。莉乃がどんな失態を起こそうが、俺だけは莉乃の味方だ。俺だけは莉乃の味方でいてやる。だからなんでも話しなよ。力になるからさ」
「おにいちゃん……」
くるっと身を翻し、もふっと身体に抱きついてくる。
「ちゅき!」
「そりゃどうも。そのちゅきが好きとか愛してるになったら、いよいよヤバイラインなんだろうな」
「ちゅき好き愛してる!」
「3連コンボだと!?」
「結婚してっ!」
「追い討ちの4連!?」
「子どもは何人がいいかな?」
「待て莉乃。話が飛躍しすぎだ」
「なるほど。おにーちゃんは、ラグビーチームができるくらいがいいんだぁ」
「一言も言ってないが? けどそうやって話を一方通行されると、やっぱり香乃と双子なんだなぁって実感が湧くよ」
「香乃ちゃんと双子……」
と、俺は幸せなムードをぶち壊す地雷を踏んだことに遅れながら気づいた。
「そ、そういえばっ! 今日のお弁当すごい美味しかったぞ!」
「あ、……ほんと?」
「ほんとほんとっ! 毎日ありがとなっ! 莉乃のおかげで、毎日弁当が待ち遠しいよっ」
いやに情感を込めてるせいで反って白々しいが、言葉に嘘はない。
「そっか。……そうなんだぁ」
と、一瞬、翳った顔に、無垢な笑みを湛える莉乃。
「ふう」
危ない。香乃と双子ってワードは、莉乃の前で厳禁なんだ。
「明日もがんばるねっ!」
「おう。楽しみにしてる」
「だから明日も、わたしと遊んでねっ!」
「もちろんだ。弁当を用意してもらった日には莉乃と遊ぶって約束だもんな」
もっとも、弁当があろうがなかろうが俺は莉乃の相手をするが。
だってそうでもしないと、莉乃は完全に閉じこもってしまう。
ひとりの世界で凍え切ってしまう。
それだけはなんとか避けなくてはならない。
……そう考えれば、俺がぼっちであるのはラッキーだよな。
「この後、なにかしたいことあるか? 今日は課題が少ないから、だいぶ夜遅くまで遊べるぞ」
「え、ほんと!? じゃあねじゃあね……わからない問題の解き方教えてっ!」
「莉乃は偉いな」
学力面では、学校に行っている香乃より秀でているのだから不思議だ。
問題は出席単位。
なんとかしたいところだが……
「へへ。そうかなそうかな?」
この天使みたいな微笑みは、俺にしか向けられない。
香乃にも、親父にも、この微笑みは向けられない。
今現在、莉乃の世界にいる人間は俺と……もうひとりしかしない。
「あぁ。立派だよ」
「えへへ~」
まぁ、もうひとりはあまり当てにならないから、結果として俺が孤軍奮闘するしかないんだが……
けどまぁ、なんとかするしかないよな。
だって俺は、莉乃のおにいちゃんなんだから。
前髪が長い彼女は視線が遮られているから気づかれていないと思っているが、俺は常にその視線に気づいている。その視線の意味には気づけない。 風戸輝斗 @kazato0531
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