第2話 お裾分け

 昼休みになった。


 2年C組のチラ見魔こと日比野さんと雖も、四六時中俺を監視しているわけではないので、残りの時間は学生本来の性分を果たすべく、勉学に精を出している。


 となれば、当然その間、脳は活発に運動しているわけで。


 人間誰しも全力疾走すれば喉の渇きを覚えるように、脳もまた「メシクレー」「トウブンクレー」とちょっとしたレジスタンスを起こす。


 まぁ要するに、俺は今、猛烈に腹が減ってるってことだ。


「……」


「……」


 ところで、小学生までは近くの席の子と机をがっしゃんこするのが義務づけられているが、中高からは、仲のいいヤツらと勝手に机をくっつけて食べることになる。


 一見すれば素晴らしい制度に思えるが、そんなたぁない。


 これはぼっちを炙り出し、処刑する儀式である。


 小学生までは誰とでも仲良くしましょうの風潮があり、しかしその風潮は中学生へのステップアップと共に弱まり、高校生になったときには、本州を横断した台風の如く霧散している。


 まぁ、自主性って大事だもんな。


 今の時代、個々の個性が大事とかなんとか言ってるし。


「……」


「……日比野さん」


「なに。また一緒に食べたいの?」


 いや、4限終了からずっと背筋をピンと伸ばして硬直してる方を慮って掛けた第一声に対する返答がそれってどうなんですかね?


 日比野さんはぼっちである。


 お昼は決まっておひとり様。


 ……であったのは新学期開始1週間くらいで、それからは基本的に俺が相席の役目を担っている。


 あ、ちなみに今は4月3週目だよ。


 ……か、勘違いしないでよねっ!


 べ、別に俺もぼっちで寂しいとかそんな裏事情は少しもないんだからねっ!


 と、誰得なツンデレをしたところで、俺は机を左に90度回転させる。


 すると日比野さんも、黙って机を右に90度回転させる。


 阿吽の呼吸でがっちゃんこ。


 かくして、ふたりぼっちの食卓の完成だ。


「纐纈くんって、身長高くて強面なのに、メンタルはナメクジよね」


 机上に弁当包みを置きながら、唐突にも程がある罵声を浴びせてくる。


「恩人に対してその罵声はどうかと思うのですが……」


「いいえ。誉め言葉よ。ナメクジって可愛いじゃない。塩如きでビビるあたりが」


「鬼ですかあなたは……っていうか、俺相手だとどうしてそんなに饒舌になるんだよ。普段からもっとガツガツいけばいいじゃん。今のSっ気たっぷりな感じで」


「……無理だよ。纐纈くん相手じゃないと私……」


「俺相手じゃないとなんだって?」


「っ! ……そ、そういうのよくないと思うなぁ!」


 肩を怒らせながら、日比野さんはぱかっと弁当箱を開く。


 いや、ぶつぶつ言ってても聞こえちゃうもんは聞こえちゃうからしょうがないじゃん。


 かくして、日の丸弁当が出現する。


「……」


 日・の・丸・弁・当っ!


「なに」


「あ、いや」


 と、初見さんにも優しくオーバーなリアクションを取ってみたが、日比野さんのお弁当がおかず一切なしの白米梅干し弁当って日は結構ある。


 俺の感覚だと、週に二回くらいかな。他の日は菓子パンとか、カロリー○メイトとか、ウェダーゼリーを持参してる。……大丈夫なのかなそれって? 栄養素的に。


「……」


 と、日比野さんの視線の先にあるのは、俺のおかず一式だ。


 出し巻き卵に、ウインナーに、昨日の夕飯の残りの角煮と、今日は豪勢なラインナップ。


 ……ほんと、ありがたいな。


 けど、弁当が用意されてるってことは、別側面の問題が解決されてないってことでもある。少し複雑な気分だ。


「角煮、あげよっか?」


「っ!」


 何故わかった!? みたいに顔をこちらに向ける日比野さんだが、ほかでもない、そのリアクションが仮説を真実に昇華させているということに、本人は無自覚なのだろう。


 日比野さんは優秀な割にポンコツな面が多いんだ。


 とまぁ、俺のおかずを日比野さんに寄付するのは、割とありふれた日課だ。


「いいよ。白米だけじゃ味気ないだろ?」


 ここで、未だに箸を一切口につけていない俺の粋な計らいが光る。


 ほら、日比野さんは間接キスがどうたらこうたら言って、言い逃れようとするだろうからさ。


「……いやでもほら、纐纈くんに悪いし……」


「じゃあその釘付けの視線はなんです?」


 前髪で隠したって、俺の前では無駄だぞ。


 なにしろ俺は、視線に超敏感だからな。


「……なら」


「うん。わかった」


 日比野さん、攻めは強いけど、受身は弱いんだ。将来が不安になるね。


 弁当の端にあるアルミカップの中に入った角煮を箸で引っ張り出し――


「お兄っ! いっしょに食堂いくよっ!」


「……」


 戸車を壊す勢いで扉をスライドさせて現れた、やや身長高めの亜麻色ショートボブの女生徒は、上級生の注目を掻っ攫いながらも、まるで委縮した素振りを見せない。


 この図々しさというか、したたかさというか、無頓着さは、兄として見習いたいところではあるな。


「っていうか、朝から約束してたじゃん。なに弁当食べようとしてんの?」


 と、あろうことか上級生の教室にずかずか勝手知ったる足取りで入ってくる。


 まぁコイツの来訪はありふれてるから、クラスメイトも誰も驚かなくなっちゃったよな。


 誰だあの美少女は!? ってクラスの男子が目をひん剝いてるときは、兄として鼻高々だったんだけどなぁ。


 ……まぁ、俺の妹と知った途端、アイツら露骨に態度変えやがったが。


莉乃りのに用意してもらったんだよ。っていうか、お前も用意してもらってたじゃん。なにしに食堂行くんだよ?」


「春季限定いちごタルト買いに行くの」


 なんだか事件の匂いがするスイーツだな。


「みんな美味しいって言っててね、けど、まだあたし食べてないんだ。これは、インフルエンサーにあるまじき失態でしょ」


「知らんがな。ひとりで買ってこい」


「いやそれがさ、行列がすんごいだわこれが。だからにぃに、蹴散らして?」


 上目遣いに、甘ったるいボイスでおねだりしてくる。


「俺の青春をいけにえにしろと? たかがタルト如きのために?」


「たかがとは失敬なっ! タルトはすんごいんだよっ! えっと、その……すんごいんたらすんごいんだからっ!」


「語彙が死んでるんだよなぁ……」


 と、トレンドとか、流行とか、バズりとか……って全部同じ意味合いか。


 それはさておき。


 やけに垢ぬけた髪色に、気さくな口調でリア充オーラを爆発されている彼女は、インフルエンスに敏感な方の妹、香乃かのだ。


「日本語とか勢いだから。首肯と首振りで、大抵どんな場面も潜り抜けられるから」


「お前、人生何周目だよ……」


「あ、そうこうしてる内に販売はじまっちゃう! いくよお兄っ!」


「ちょ、俺、行くとは一言も……っ」


 腕を掴んで立たされて廊下に引っ張りだされる直前、俺はじっとこちらを見つめるワカメちゃんに捨て台詞を残した。


「好きなおかず食べていいからなっ!」


「ねぇ、前から思ってたんだけど、お兄って、あの貞○に浮気してんの?」


「そもそも彼女いないんだが? っていうか手離せや。勘違いされんだろ」


「いいじゃんべつに。あたしはいいけど」


「……今の、後に回収される伏線とか言わないよな? 俺たち兄妹なんだよな?」


「はぁ。兄妹とか、雄とか雌とか、お兄は相変わらず知見が狭いなぁ……」


「お前がユニバーサルすぎんだよ」


 まぁこんな感じでどこか頭のネジが飛んだ子なんだ、香乃って妹は。


 ………。


 ……。


 …。


「で、愛する妹のために行列を蹴散らし、無事春季限定いちごタルト○件を起こしたってわけね」


「無事とは? あとちゃんと並んだから。あと春季限定いちごタルト〇件って単語、既に存在してるから。直木賞作家先生の作品だから。著作権引っかかっちゃうから」


「ん~っ! おいし~っ!」


「で、香乃はなんでここにいんだよ? とっとと教室に帰れ」


「あ、やっぱり彼女なん?」


「違うわ。ね、日比野さん?」


「…………あ、うん。そうだね」


「いやなに今の間? 誤解のエッセンスになりそうなのですが?」


 五分後、香乃の欲しがっていた春季限定いちごタルトを無事手に入れて、教室に戻ってきた。


 日比野さんは、結局俺の角煮に手をつけることなく、黙々と白米を頬張っている。


 ……はぁ。頑固なんだよなぁこのひと。


 俺はちらと香乃に目配せする。


 香乃はまかせろとばかりにうなずく。


「そういえば日比野さん。いちごタルト買ったら海老フライもらえたんだ。よかったら食べてくれないかな?」


「は?」


 まぁ当然の反応だ。


 自分で言っててちょっと意味がわからない。


「いや〇子先輩、これが存外マジな話でね」


 しかし、香乃という第三者の助力があれば話は変わってくる。


「……あなた、先輩に対する敬意の払い方を覚えておかないと、後々社会に出てから地獄を見るわよ?」


 日比野さんの声がやけに低いのは……たぶん気のせいじゃないな。


「いちごタルトってデザートじゃん? だからおかずなり主食なり買わなきゃ、買う権利を得られなかったってわけよ。そこでお兄が海老フライを買ったんだ」


「私の話聞いてる? ねぇ聞こえてる?」


「ところがお兄はお弁当で手一杯。このままでは海老フライは廃棄されてしまいます。わー、たいへん。食糧自給率が40%ちょいの日本にあるまじき愚行です」


「お前、よく食糧自給率なんて難しい単語知ってたな」


「小学生でも知ってるわよそれくらい」


 日比野さんはげんなり息を吐き出すが、俺は割とマジで感心している。


 だって香乃は、小学生の頃に47都道府県の場所を当てるテストで僅か10問しか正答できないくらいに、社会を苦手としていたからな。


 北海道と沖縄を逆に書くヤツとか、あのときはじめて見たよ。


「で、美織パイセンはそれでいいんですか?」


「い、いきなり距離詰めてくるわねこの子……纐纈くんもこれくらいアグレッシブならいいのに」


「なぜこの流れで俺が非難されるんだ?」


 とまぁ、香乃が言ったことは一から百まで嘘っぱちだし、なんなら俺の言ったことと齟齬が生じてて、キメ顔でムズアップするような大業を成し遂げてねぇよお前……とツッコみたいところだが、ため息をつく日比野さんを見るに結果はさほど悪くないかもしれない。


「……ま、ならしょうがないわね。もらおうかな。海老フライ」


「あぁ、お裾分けだ」


 海老フライの入ったトレイを手渡すと、日比野さんは拒絶するとこなく、ぱきぱきっと音を立ててトレイを握り締めてくれた。


 輪ゴムを外して蓋をオープン。揚げたてを狙ったこともあって、きつね色の衣からは香ばしい香りが漂っている。


 箸で衣を掴み、日比野さんはおもむろにエビフライを頬張る。


 シャクっと、小気味いいと音が奏でられた。


「……うん。おいしい」


「そっか。ならよかったよ」


 白米を食べる日比野さんはいつも暗い顔をしてるからな。


 そうやって笑顔で食べる方が、ご飯は美味しいもんだよ。


「ありがとう纐纈くん。このお礼はいつか必ず返すわね」


「いいよ。もう充分もらってるからさ」


「?」


 ま、わからないだろうな。


 ……いいんだそれで。


 俺はいつも、日比野さんに助けられてるからさ。


「……ねぇお兄。妙に気まずいこの空気どうしてくれんの?」


「お前が帰れば解決だろ」


 こいつが週2で押し寄せる習慣は、なんとかして叩き潰したいとところだ。


 お前、友だちいっぱいいるのに、なんで俺のトコに来るんだよ。


 お兄ちゃん大好きっ子かよ。


 


 




 



 

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