うそつきコンポート

峰岸

うそつきコンポート

「おとなになったら、けっこんしようね」

 シロツメクサの花冠をかぶって、指切りで約束したあの日。私たちはまだ幼稚園生で世の中のことなんて何も知らなかった。ただ、あの時の私たちは、この約束が絶対に叶うものなんだと信じてやまなかったのだ。


 あれから二十年以上の月日が経過し、白馬の王子様なんてものは現れることなく過ごしていた。そして私が今いるのはハローワーク。理由はいたってシンプル。会社の上司を殴ってクビになったのだ。正確に言うと自主退職にはなるのだけど、クビとそう変わりはしない。でもあんなセクハラクソじじい、殴って正解だった。周りの事務員にあれだけ迷惑かけておいて、のうのうと生きていると思うと、今でもイライラしてくる。元々あの会社の雰囲気に合わなかったし、辞めるつもりだったからもういいのだけど。

「長浜美波さん。ご希望は事務職とのことなのですが、資格がないのが少し……」

 ハロワの職員さんはハンカチで汗を拭いながらそう言った。資格がなくてわるかったわねと思う半面、やっぱり簿記ぐらいは取っておくべきだったのかなとも思う。

「ご提案なんですけど、MOS試験を受けてみるのはどうでしょう? あれがあるだけで雇用してくれる会社が増えるんですね」

 あくまで提案なので、と汗をぬぐう職員さん。悪い人ではないのはわかる。

「でも、なるべく早く職を見つけたくて」

「焦るのもわかります。失業給付金もでるでしょうし、今は落ち着いていい条件の職場を探すことが最優先です。焦りは禁物です」

 職員さんはそう話した。


 別に職探しを焦っているわけではいのだが、お金が必要なのは事実であった。私が今住んでいる家も、更新が近い。会社から近いからという理由で選んだ場所だからこそ、他の便が悪いのだ。駅に向かうには徒歩四十分はかかる。こんなところ、さっさと引っ越しをしてしまいたい。それに買い物しようとして、あのクソセクハラ上司にエンカウントするのだけはごめんだ。ただ、一つだけこの家で気に入っている点があった。 

「そんなことがあってね。ほんと、大変だったんだよ。京香は大丈夫? 大学院卒業したばっかでしょう?」

「みいちゃん、これでもわたしもう社会人五年目だからね。やばい人は人事部に告げ口してぽいっ、とね」

「京香は頭いいなあ。私は思いついたのが殴ることだったから、後始末が大変だったよ」

「あはは、みいちゃんらしいの。思い立ったらすぐ行動しちゃうとこ、みいちゃんらしくて私は好きだよ」

 彼女は私の幼馴染の園田京香。私の家から徒歩三十分もかからない場所に住んでいるため、こうして会いに行きやすいのだ。そして、京香は私の思い人。初恋の相手である。実らない恋だとはわかっているが、友達であることを利用して隣にいる。私はズルい人間なのだ。

「ねえ京香、覚えてる? 幼稚園のとき約束したこと」

 こんなこと聞いても自分が傷つくだけなのに。京香はきょとんとした顔をする。嗚呼、やっぱり忘れられないのは私だけだったんだ。

「大人になって結婚してなかったら一緒に住もうって言ったじゃん。忘れちゃったの?」

 そうして嘘をつく。彼女は私に甘い。こういえば「じゃあ一緒に住もうか」と言ってくれる。

「ええ? そんなこと言ったっけ?」

「ひどーい、けなげに覚えていたのは私だけだったのね」

「みっちゃん泣かないで……今私の家汚いから、うーん……」

「お掃除手伝おうか?」

「そうしてくれると助かります……」

 こうして、私はまんまと京香の家にもぐりこんだのである。


 京香の家に住むために荷物の整理をしてから早五日、本当に最低限のものだけを残して京香の家に引っ越した。京香の家は2LDKで荷物置き場になっていた部屋を使わせてもらうことになっている。

「みいちゃん、荷物少なくない?」

「えー、洋服とか食器とか本とか持ってきているよ。あっそれはこの部屋に運んでくださーい」

 京香とお揃いで買ったカップやらお皿はこれからも使える。家電製品は全部捨てた。古いのもあるけど、京香の家に居させてもらうのにこれらは必要はない。他のどうしても捨てられないものだけを持ってきたのである。お揃いの服。お揃いのぬいぐるみ。お揃いの文具。どうしてもこれだけは手元に置いておきたかったのだ。

 私は運送業のお兄さんに段ボール十箱を部屋に移動してもらった。そのあとお金を払い、お礼を言う。

「みいちゃんベッドは? 小さい机はあるみたいだけど……」

「ああ、私敷布団派だから大丈夫。それも段ボールに詰めてきたのよ」

「うそでしょ? あんなかさばるもの、いったいどうやって詰め込んだの」

「圧縮袋は最高ね。分厚い布団がペラペラになるんだもの」

 私は食器の入った段ボールを開けて、キッチンに向かう。京香の家には何度も来たことがあるので、どのようなものが家に置いてあるかもわかる。京香はアンティークなものが好きなのだ。紅茶も好きでよく飲んでいる。この前、京香がティーポットを割ってしまったと言ってたので、住まわせてもらうお礼に真っ白でアンティーク調のティーポットを買ってきた。これを二人で使いたい。私はすっかり舞い上がっていた。

 食器を洗おうとキッチンにたどり着くと、ラックには見新しい食器が置かれていた。私とお揃いで買った柄とは異なる食器が二人分。京香に彼氏はいなかったはず。それにこの食器は見たことがない。

「あっ、それね、新しく買ったの。かわいいでしょ?」

「……うん、そうだね。北欧柄でかわいい」

「でしょ? 買ったことのないタイプだったからちょっとドキドキしちゃった」

 京香は笑いながら言う。なんでこのタイミングでなのだろう。私は自分の心に蓋をして、己が持ってきた食器を洗いだした。

 結局、ティーポットは段ボールから出せないまま。そのまま段ボールの蓋を閉じた。


 あれから数日が経過した。京香はいつも残業して帰ってくる。帰宅時間は二十時前後。これじゃあ、料理したりお風呂に入ったりしたらあっという間に眠る時間になってしまう。そのうえ、ろくなものを食べていないのか、髪も肌もパサついていた。あんなにきれいな髪だったのに。

 私が京香の家にきてからは夕飯は私が作っているため、京香の顔色も少し良くなったように見える。しかし、それでもバランスよく食べれていないのか少しやつれているように見えてしまう。それが心配でしょうがなかった。

「ねえ、京香。ここ数日気になってるのだけど質問してもいい?」

「なあに、みいちゃん」

「あなた、朝ご飯と昼ご飯、ろくに食べてないでしょう?」

「えーなんでわかったの?」

 京香は笑いながらそう言った。笑っている場合ではない。

「もう、いつも何を食べてるの?」

「メロンパンでしょー、あとスティックパン! 甘くて好きなの」

 絶句した。さすがにこれはいけないと私でもわかる。何とかしなければならない。

「……京香、これは提案なのだけど、あなたの朝ご飯と昼ご飯、私に作らせてくれない?」

 私がそう言うと、京香は子供のように目を輝かせて言葉を紡ぐ。

「いいの? でもみいちゃんの負担にならない?」

「自分用に一人分作るのも、二人分作るのも一緒よ。それにしても野菜嫌いなの、治してなかったのね」

「だって美味しくないんだもん……」

「おいしくないから食べないのはダメでしょう? 刻まないとニンジン食べないの治ってないし。ピーマンもそう。今日のオムライスにいっぱい入れてあるからちゃんと食べてね」

「はぁい……」

 京香はしおしおになりながらオムライスを食べる。食が細いがゆえに、体型をキープしているのだろうけど、年を取ったらそうはいかなくなる。きちんとバランスよく食べるのが健康への第一歩なのだ。

「みいちゃん、心配してくれてありがとうね」

 京香はいつものようにふにゃりと笑う。そんな彼女が、私は好きなのだ。


 ハローワークでの職探しは難航している。その代わりなのか、京香の体調はよくなり、髪のかさつきも治ってきていた。こっちは順調なのに、なぜ就活はうまくいかないのだろうか。

 そろそろ見つからないと貯金も厳しくなってくる。事務職が無理なら家政婦とかでも職を探した方がいいのではないかとさえ考えそうになってしまう。

「やっぱり資格を取っておけばよかったのかなあ」

「そんなことないよ。私も資格なしで働いてるし」

「京香は技術職だから、将来的には資格を取らなきゃいけないんでしょうが」

 私はため息をつく。資格は自分の能力を可視化できるし、転職には有効だと聞いていた。しかしここまで重要だとは思ってもいなかったのである。

「まあ、急がなくても大丈夫だよ。ゆっくり探していこうね」

 京香はのほほんと笑う。


「くっそー、就活うまくいかない」

「みいちゃんだからきっとすぐ見つかるよ」

「そんなもんなのかねえ……」

 そんな言葉をかけてくれるのは京香ぐらいだ。もう少しだけ、頑張ってみよう。そう思った時に良い条件の企業と巡り会え、まるで京香がかけた魔法のように思えた。すぐに京香に知らせたいのだが、こういうことは内定が正式に出てからゆっくり話をしよう。そう思いニコニコと食器を洗う。

「みいちゃんなんかいいことあったんだねえ」

「うん、今度ちゃんと話すね。あとお風呂沸いてるから入っちゃいな」

「はーい、先に入ってるね」

 京香を風呂に入れ、皿洗いも済ませ、やることが無くなってしまった。リビングに行くと、京香のパソコンと書類が乱雑に放置されてる。しょうがない子だな、と思いながら紙を拾い上げると、全てファミリータイプの物件書類。パソコンの画面にも賃貸検索のホームページが映し出されていた。

 そうか、私がいると邪魔なんだ。彼女も自分の人生を歩んでいる。私が知らなかっただけで、きっと結婚する相手がいるんだ。拾い上げた紙をまとめ、ローテーブルの上に置く。

「お風呂あがったよ。みいちゃんも入っちゃいな」

「わたしはいいの。もう入っているから」

「みいちゃん何かあったの? 私何かやっちゃった?」

「違うよ。大丈夫だから」

「そういう時、みいちゃん大丈夫じゃない時だもん」

「いいの、私来月ここから出ていくから。物件探すからもう少しだけここにいさせてほしいの」

「なんで? みいちゃんは私と一緒にいるの嫌なの?」

「だって京香、彼氏いるんでしょう? いつまでもここにいると、その人に悪いよ」

「そんな人いないよ」

 ここで、流石に私も何かおかしいと気が付く。京香も不思議そうな顔をしている。まさか、と思い恐る恐る口を開く。

「だって、北欧柄の食器……」

「みいちゃんああいうシンプルなの好きでしょう?」

「ファミリータイプの物件……」

「みいちゃんのお料理美味しくて好きだし、みいちゃんもお料理するの好きでしょう? だから三ツ口コンロを置けるとこ探していたの。それにここだと二人で住むには手狭だしね」

「……じゃあなんでいつも帰り遅いの?」

「だって、お金が必要だったんだもん。みっちゃん婚約指輪は百カラットのエメラルドがいいって小さいころ言ってたから」

「じゃあ私が嘘ついて転がり込んできたのを受け入れたのは?」

「大人になったら結婚しようねって言ってたけど、みいちゃん間違えて覚えちゃったっていたのかなあって」

 嗚呼、なんてことだ。私たち、お互いを理解し合ってると思っていたのに、本当は何も伝えられていなかったんだ。

「あっ! 流石に百カラットは無理だけど、みいちゃんに似合うエメラルドの指輪探したから今度一緒に見に行こうね。お金はちゃんと貯めているから任せて」

 京香はふにゃりと笑う。私はそれを見てつい抱きしめてしまった。

「ごめんね。みいちゃん、就活で大変そうだから後で言おうとしていたの」

「私もごめん。京香と一緒にいたかったのに、京香の気持ち聞くのが怖くてずっと逃げてた」

「私はいつでもみいちゃん一途だよ。みいちゃんだってそうだったじゃない」

 私は、声を上げて泣く。それを京香は私が泣くやむまで抱きしめてくれていたのであった。


 私たちはいつでも一緒だった。いつもお互いのことを考えていて、お互いを思い合っていた。しかし、それ故に言葉で気持ちを伝えあっていなかったのだ。お互いのことは理解し合っている。そう思い込んでいた。でも、そうじゃない。だからこそ言葉が生まれ、使用されてきたのである。

「ねえみいちゃん。ここならペット可だって。みいちゃんわんちゃん好きだからここいいんじゃない?」

 私の横には京香。その左手には真新しいお揃いのペアリング。まるで夢みたいだ。

「ここならベランダも広いから、わんちゃん放してあげれるね」

「でもペットは在宅ワークじゃないと厳しくない?」

「大丈夫だよ。私、部署移動して残業無いとこに行ったし。それにみいちゃんもそうじゃない」

「でもお家で一人だと寂しくないのかな。心配になっちゃう」

「もー! まだいないわんちゃんよりも、私のことを心配しててよ」

 私たちは思っていることをきちんと言うようになってから、関係がより良好になった。コミュニケーションもスムーズになったし、何より楽しそうに笑う京香が見れるのはうれしい。

 願わくば彼女との時間が命尽きるその時まで、ずっと続きますように。

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