協奏行進曲 第二番
峰岸
協奏行進曲 第二番
楽器と言うものは、努力と才能が掛け合わされて出来ているものだと私は思う。生活に必要なものかと言われると娯楽の部類に入ってきてしまうし、不必要かと言われると人によりけりだろう。ただ、音楽は生活を豊かにする。それは聞き手側も、演奏者側もだ。ヒーリングやらリラックス効果やら何やら言われることが多いが、心を動かされるのは確実にそうだと言える。だって私がそうだったのだもの。高校の部活動紹介で、突如演奏されたジャズ。花形と言ったらトランペットだと言うのに、見慣れないカタツムリのような楽器のソロが逞しく響き体育館を盛り上げる。何かを伝えたくて叫んでいるような音。たったそれだけで楽器がやりたいと思ってしまうのは単純なのだろうか。名前も知らない楽器にたった一瞬で心を掴まれてしまうだなんて。それでも、私にとっては大きな衝撃だったのである。
私の名前は大杉彩子。高校一年生である。勉強ぐらいしか取り柄がなく、特待がもらえるからと選んだのがこの高校。そして入学早々に先輩の演奏に聞き惚れてしまい、入部を決意した。
放課後になり、部活動の見学をしようと思い音楽室へ向かっている最中のことであった。
「あれ? 大杉ちゃん?」
見慣れない女学生に声をかけられ振りかえる。
「こっちって音楽室しかないけど、もしかして入部希望? よかった、クラスの人で同じ部活の人いないの寂しかったんだよね」
「えっと」
「クラスメイトの橋本香奈恵だよ。ほら、クラスの真ん中らへんに座ってたじゃん! えー、大杉ちゃん、名前と顔ぐらいは覚えていてよー」
そして瞬時に理解した。この人は私の苦手なタイプの人間であると。
「あたし、クラリネットやってんだ。なんかガッコーの推薦? ってやつで入学できたんだよね。でもこんなテストばっかりなのはちょっと萎えるわ。知ってたら違うとこにしたのに」
制服はかわいいのはいいんだけどね、と橋本さんは言葉を続ける。
「大杉ちゃんはなんでここにしたの?」
「えっ、だってここが一番近い学校だったし……それに進学率が高いのもいいなと思って」
「うっそ、もう大学のこと考えてるの? あたしら今週入学したばっかりだよ? 大杉ちゃんって真面目だねえ」
そんなんことない、そう答えようとした時に橋本さんは見透かしたように人差し指を唇に当ててきた。
「別に無理して答えなくていいよ。……あっ、ヤバ、今日演奏会あるんだった! 16時から音楽室でやるから大杉ちゃん来てねー!」
橋本さんは嵐のようにやって来て、そして去っていってしまった。
部活動に入部してからと言うもの、時間はあっと言う間に過ぎていった。いかに効率よく練習できるか、時間を有意義に使えるかを日々考える毎日である。そういうしているうちに夏のコンクールがやって来て、初心者ながらに参加することもでき、先輩達と一緒にコンクールに出れたことが誇り思う。しかし、最近少しマンネリ気味なのだ。楽器が難しいのはこの際いい。自分の希望した楽器が通ったのだもの。ホルンの演奏に惚れたというのに、肝心の楽器がそうじゃないとやる気が出ない。それじゃあ、なんで燃え尽きてしまっているんだろう。基礎練習が嫌なわけじゃない。やった分だけ自分に返ってくるんだもの。成長するのが楽しくてしょうがない。譜面が嫌なわけじゃない。最初は戸惑ったけれど、最近少しずつ慣れてきている。ドゥアーがどうのとか、記号がどうのとか、そういうのはまだまだ勉強が必要だけど。
「基礎練、もう少しやってから曲の練習にしようかな」
アンサンブルコンテストが嫌なわけじゃない。顧問の先生から「大杉さんは木管五重奏に入ってもらえる? きっといい経験になるよ」と言われたのが嫌だったわけじゃない。でも不満がないわけではない。せっかくホルンが三人もいるのだ。ホルン三重奏で出たかった。先輩達は高校最後のアンサンブルコンテストなのに。せっかく指定校推薦を取れて、早くに部活に復帰してきたのにそんなのってないと思う。
昼休み。私は音楽室で過ごしている。顧問の先生に自主練がしたいとお願いしたら昼休みも開けたままにしてくれるようになったのだ。昼ご飯を早々に食べ、その後に自主練をする。と言っても、基礎練習ばかりやっているが、こういうのは日々の積み重ねが大切なのだ。
「大杉ちゃーん! もう、探したよ!」
「先生が呼んでるの?」
「違うけど……って、人が話してる最中に自主練に戻ろうとしないでよ」
「チューニング終わってたら基礎練するのが常識でしょう?」
「そうだけど、大杉ちゃんは練習の鬼すぎるよ」
ありがたいことに、あれから橋本さんは私によく話しかけてくれるようになった。こうしてちょこちょこ話しかけてくれるのである。嬉しくはあるのだが、もうしわけないことにどうも苦手意識は拭えず、会話もそっけない態度をとってしまい家に帰ってから後悔をしてしまうこともあった。なんだかんだ、橋本さんとのこの距離感が居心地いいのかもしれない。
「それよりも、大杉ちゃん! 作戦会議!」
「作戦云々の前に橋本さん譜面の練習したの?」
「それのお誘いにきたの、大杉ちゃんもしかしてエスパー?」
橋本さんは驚いたように言う。少し大げさだなあと思ってしまった。
「そう、大杉ちゃん、放課後パート練しようよ」
「でも橋本さんと私違うパートじゃん」
「もう、あたし達はチーム木管五重奏でしょ! あたし達でぱぱっとできるようになって先輩達を驚かそうよ」
「でも、私のできないところって、橋本さんもつまずいていたところだし、二人揃って先輩から注意されてたところじゃない。まずは一人で個人練習してから合わせた方がいいと思うんだけど……」
「えー、一人でやるとテンション上がらないじゃん。それなら二人でやった方が上達するのも早くなると思うんだけなあ」
まあ、一理ある。一人で淡々と練習するもの好きではあるが、誰かと練習したくなる時もさすがにある。
「……今回だけね」
「やったー、言ってみるもんだなあ。大杉ちゃん大好き! それじゃあ、あたし先に教室戻るからね」
そう言葉を残すと、橋本さんは去っていっていく。
私はふうと息を吐き、ひとまずは自身のルーティンをこなすのであった。
あっと言う間に時間は過ぎてしまい、放課後。橋本さんと練習をしようと空き教室を探してさまよっている。普段は音楽室でやればいいのだが、さすがに合わせ練習になるとそうはいかない。この学校の作りは面倒くさく、回の字型に作られている。本館である教室は回の字の外側に作られており、別館である音楽室や美術室などはその内側、そして音楽室は二階にある。渡り廊下は存在するものの、全方位に渡り廊下が存在するわけではなく、一カ所にしかない。おかげで空き教室を探すのが一苦労なのである。右脇に楽器、空いている右手にメトロノーム、左手には譜面台。フルセット持って彷徨うのはさすがに体力が持っていかれる。
「なんで今日に限って空き教室見つからないんだ……明日土曜日なんだからみんなさっさと帰ればいいのに」
「カフェ寄ろーとか、ファミレスで勉強しよーとか相談してんじゃない? あたしはそういうだべってる時間好きだよ」
橋本さんは笑いながらそう言った、彼女のそういう楽観的なところは見習った方がいいのかもしれない。そう考えているうちについに校舎を一周歩いてきてしまった。ここが最後の教室。空いていなかったら、もう一周して教室を探さなければならない。空いていてくれと願うようにドアの窓から教室を覗くと、誰もいない。
「よかった……空いてる」
ようやく空き教室を確保できた喜びでつい声が漏れてしまった。橋本さんはそんな私の声を聞いていなかったのか、教室に入って行ってしまった。私もそれに続くように中に入る。
「橋本さん、少しだけアップやってから合わせてもいい? 五分だけでもいいから」
楽器を置き、合わせ練習をするために教室の机を移動させながら私はそう言った。橋本さんはすぐに「別にいいよーん」と緩い返しをしてくる。
「てか大杉ちゃんって本当真面目だよね。毎日必ず基礎練やってるし、練習曲もやってんじゃん。練習量エグいなあって思うもん」
「そうかな、私にとっては普通の量なんだけどな」
「いーや、大杉ちゃんの練習量が多いんだって。こんなにストイックに練習する人、初めて見たもん」
橋本さんは珍しく真面目な顔でそういった。そんな顔コンクールとか発表会の時ぐらいにしか見たことない。本当にそう思って言っているようだ。
「よっし、机も動かしたしゆるーく練習していこ!」
次に見た橋本さんの顔はいつものニコニコした顔に戻っていた。
物事は日々の積み重ねでできている。音楽も、勉強も、美術も、全てがそうだと私は思う。何事も繰り返し行い、それを積み重ねていくことが大切なのだ。繰り返すことで覚えたり、技術を身につけたりすることができる。確かに、初めからすっとばしてある程度の技量を持っている人もいる。しかし、それを磨いて自身の強みにできるかはその人次第なのだ。だからこそ、私は積み重ねを大切にしたいと思うし、限られた時間を大切にしたい。そう思ってしまうのだ。
「あたしね、人は二種類に分けられると思うのよ」
練習の休憩中、橋本さんは急にそう言い出した。
「継続して努力できる人と、そうじゃない人。あたしは後者なんだけどね。でも継続力ってすごいんだよ。それがエネルギーになって人を動かすんだもん。あたしには無理。よくて三日が限界。だから、あたしは大杉ちゃんがすごいと思うのよ」
「……でも、それって普通のことじゃない?」
「そう思っているのが凄いんだって。努力できる人はみんなそう言うんだもの」
橋本さんは少し悲しそうな顔で言う。
「まあ、こういうのは性格の問題でもないのよ。やれるかやれないかの話だからねえ」
「そういうものなのかなあ」
「大杉ちゃんは難しく考えすぎなんだと思うよ」
橋本さんはメトロノームを手に取って、ねじを巻く。そして元の位置に戻してメトロノームを鳴らし始めた。
「話の途中なんだけど、ごめん。もう少しで何か掴めそうな気がするの。大杉ちゃん、付き合ってくれる?」
私は二つ返事で答えた。
そもそも楽器と言うものは、その人を映す鏡である。その人の性格が音に出てしまう。音は隠すことができないものだからこそなのだろう。私は演奏を聴くのがすきなのだ。橋本さんと一緒に演奏するのは、わくわくする。おそらく、楽しいのだと思う。言語化するのは難しいのだが、何と言うか、音が透き通っていて綺麗なのだ。それに合わせて吹くのがとても楽しい。まだまだ橋本さんの隣に並べるようなレベルではないのだけど、この一瞬だけは一緒にいても許されるだろう。もっと練習をして追いつきたい。もっと一緒に吹いていたい。そんな欲が出てしまう。
「やっとコツつかめたかも。大杉ちゃんありがとうねえ」
「私は何もしてないよ。必死についていくのでいっぱいいっぱいだったし」
何回目かわからない通し練習を行い、ようやく二人とも実りがあったようだ。窓の外を見るとすっかり日が暮れていた。やっぱり、橋本さんは天才の部類に入る人間らしい。こんな短期間で習得してしまうだなんて、純粋に凄いと感じる。
「橋本さんはすごいや。私は連符のところがやっぱり指回りにくいし、もっと練習しなきゃ」
「あはは、こういうのはねえ、頭の音があっていればいいんだよ」
橋本さんはニヤリと笑う。
「久しぶりにちゃんと練習したから疲れたー」
「毎回ちゃんと練習すればいいじゃん」
「わかってないなあ、大杉ちゃん。それが難しいんだよ」
ぐぐぐと背伸びをしながら橋本さんはそう言った。
「……いい音で演奏するのにもったいないの」
独り言のつもりで言った言葉は、思ったよりも大きな声になっていたらしい。橋本さんの目がぱちくりと大きく見開かれている。
「ふうん、そう、大杉ちゃんってあたしの音が好きなんだ」
しまった、そう思った時にはもう遅かった。
「そう言うってもらえたの初めてかも……へへっ、なんか、テンション上がってきたかも」
「今のはオフレコ。聞かなかったことにして。全て忘れてちょうだい」
「いーや、あたしはずっと忘れないから。大杉ちゃんがあたしの音、大好きだってこと!」
橋本さんは真っすぐに言葉を伝えてくる。だからこのタイプは苦手なのだ。私は真っ赤になってしまった顔を隠すようにそっぽを向く。
「でも、やっぱりみんなで演奏するのは楽しいね」
「それねえ、あたしもだよ」
橋本さんは笑いながらそう言った。
私の中のモヤモヤした気持ちも、どこかに行ってしまったらしい。今はただ、演奏を楽しみたい。そう思った。
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