HIRAETHヒライス

海野 ハナ

第1話

1 雨音 

島根県 勾玉神社 

パチパチパチパチパチパチ……。

まるで火花のようだ。

明け方から激しく降り出した雨が庭石を強く叩きつけている。

大吉は一晩中眠れなかった。

「断れば……し、し、死ぬ?ってことかな……」

昨晩、父と母から大吉はその話を聞いた。

「大吉、中学卒業おめでとう。……実はお前には東京に行ってもらうことになった」

「東京?」

「大吉よ、お前はこれからは本家の当主であるあまね様にお仕えするように」

「えっ、僕が? どうして? 」

「それは父さんにもよくわからん。なぁ、母さん」

「ええ、でも本家の偉い方の申し出だから断れないですよねぇ。お父さん」

「ああ、そのとおりだなぁ、母さん」

「…………」

僕の両親は今でもとてもラブラブだ。

あまね様といえば天宮一族で、一番お力のあるお人である。ちなみにうちは分家の分家。一族でも末端の末端。そんな雲の上のお人のおそばで仕えることになるなんて。

「僕のような、田舎の、それに今にも潰れそうな神社の息子でいいのですか?」

「大吉、言い過ぎだぞ。先週、賽銭箱は作りかえたじゃないか。」

「そうよ、もっと自分の神社に誇りを持ちなさい」

と母が口を挟んだ。

「大吉よ、たぶん……この申し出を断れば、し、し、……」

父は言葉を濁した。

そういえば、あまね様のお力はまるで稲妻のようだったと、死んだ爺ちゃんが言ってたな。

「あまね様の真っ白い髪の毛が天にのぼるように伸びていってな、人とは思えない神通力じゃった」

あまね様のことは爺ちゃんから耳にタコが出きるほど聞いていた。

「とても気難しい方のようだからくれぐれも失礼のないようにね」

母がウィンクをした。どんな時でもテンションが少し高め……、それが母の性格だ。

僕は今までのんびりと普通に生きてきた。成績も至って普通。運動も普通。なのにいきなりそんなすごい人のそばに仕えろなんてこと言われても……。

「でも行くしかないんだろうな」

大吉はため息をついた。

もともと、凄まじい霊力を持っている天宮一族は昔からシャーマンやイタコとなり神の言霊を下ろしてきたらしい。しかし父も僕もそんな霊力などかけらもない、いたって普通の人間だ。

なのになぜ僕が? なんの役にも立ちそうのない僕が果たしてあまね様のお力になることができるんだろうか。

「不安しかない……」

大吉はまたひとつため息をついた。


2 蜥蜴 

東京 ツバキ公園駅前

「ママぁ、とかげがいるよー」

小さな子供が草むらを指さした。

よく見ると公園の入り口の草むらに一匹のとかげがいる。じっとしてまったく動かない。そのとかげの尻尾は虹色に輝いていた。

とかげは真っ直ぐ改札口を見つめているように見えた。

「まったくどこにいるのかしら……」

しばらくして大吉が改札から出てきた。

「やっとあらわれたわ」

大吉は生まれてはじめて東京に来た。

「東京には子供がおらんとじっちゃんが言ってたけど、子供も大人もたくさんいるなぁ」

大吉は思わす呟いた。

「当たり前でしょ。これだから田舎者はイヤ」

駅前は人混みで道が遮られていた。

大吉は目を丸くしてあたりを見回した。

「田舎の夏祭りの時より人が多いなぁ」

「のん気な子ねっ! これだと約束の時間に遅れてしまう。急がなきゃ!」

えっと、ここからどう行けばよかったかな、と大吉は紙に書いてもらった地図をリュックから取り出した。

「何やってんのよ。こっちよ」

地図を見ても道がわからん、と大吉が困っていると、右の方の道端からキラリと何かが虹色に光った。

大吉はその光りに誘われるように歩いていく。

「そうよ、こっちこっち」

とかげの尻尾が虹色にキラキラ光っている。

大吉は少し歩くと、すぐに立ち止まりメガネを外してまた掛け直した。

なんかキラキラしているな、これが東京か。

「キラキラしてるのは私の尻尾よ! 本当に鈍い子ね」

大吉はなぜかとかげの尻尾を追いかけるように歩いていた。


公園を抜けると1軒の洋館が見えてきた。

と、同時にその洋館の玄関の扉がカチャリと少し開いた。

その隙間に虹色に光るものがするりと入っていく。

大吉がその洋館の扉の前に立つと、扉が大きく開き家の中から40代ぐらいの女性が顔を出した。

「大吉様ですね。あまね様がお待ちです。私は家政婦の田中と申します」

「はじめまして。天宮大吉と言います。よろしくお願いします」

家の中は玄関の隣にはサンルームがあり、太陽の光が降りそそいでいた。

長い廊下はピカピカに掃除されていて、大きな花瓶にはたくさんの薔薇の花が飾られていた。

「こちらのお部屋であまね様がお待ちですよ」

大吉は一番奥の部屋に通された。

だが、大吉が部屋に入ると誰もいなかった。

洋風のソファと机。出窓から庭が見える。高価そうなシャンデリア。おとぎ話のような部屋だ。

すると、どこからか話し声が聞こえてきた。

「遅れて申し訳ありません。あまね様。こいつがなかなか歩かなくて」

大吉は部屋の中を見回したが窓辺にとかげが一匹いるだけだった。

誰の話し声だろう。誰もいないんだけどな……。

大吉は急に怖くなった。

「ちょっとそこのあなた、ボーとしてないで早くあまね様にご挨拶しなさいな。全く失礼な子ね」

どこからかそんな声が聞こえてきた。

大吉は誰に話しかけられているのか、あまね様がどこにいるのかわからないまま、とりあえず、

「えっと、天宮大吉です。今日からあまね様にお仕えするために東京から来ました。よろしくお願いします」

そう言って頭を下げた。

すると大吉の頭を下げた視線の先に、小さな女の子がいた。

大吉は突然視界に入ってきた少女にとても驚いた。

「わらわがあまねじゃ」

その少女は落ち着いた声で大吉にそういった。

「えっ?」

あまね様がこんな小さな女の子だなんて……。小学3、4年生くらいか?

あまねはおかっぱ頭で紫色のワンピースを着ていた。

顔は窓から差す光が逆光となってよく見えない。

「ふむ、なるほど」

あまねはいつの間にか大吉のそばから離れてソファに座っていた。

あまねの瞬間移動するかのような動きに大吉は慣れない。

「まあよい。そなたもそこに座るがよい」

「はい」

大吉はソファに座ると、おそるおそるあまねの顔を見た。

色白で大きな瞳に鼻筋がスッと通っている。口元はまだ小さな子供のようだ。

おかっぱの髪色は白髪ではなく、どちらかというと艶のある銀髪であった。

「大吉は……普通じゃの」

あまねは静かにそう言った。

「えっ、あっ、はい。僕は生まれた時から霊感みたいなものは全くありません」

大吉は頭をかいた。

「あまね様の前でヘラヘラして……ほんと見ててイライラする子ね」

と、とかげがフンと大吉を見て言った。

「あの、あまね様は……」

「なんじゃ、わらわの歳が気になるか」

「え、まあ」

喋り方も気になるけど、と大吉は心の中で思った。

「昨日で10歳になった」

「じゃあ僕より6つ年下……」

「肉体の年齢など関係なかろう」

「はっ?」

「まあよい。今日はもう休め」

「あっ、はい。ありがとうございます」

大吉はそう言って頭を下げた。そして顔を上げた時にはあまねの姿はもうそこにはなかった。


3 ヤモリ

「大吉様、おはようございます。朝食の準備ができております」

朝、大吉が目を覚ますと、鼻のてっぺんに何かがペタリと……いた。

「わぁぁぁ……」

「これはこれは……驚かせてしまい申し訳ありません。私はこの家をお守りしておりますヤモリでございます。さらに、大吉様の身の回りのお世話をするようにとあまね様から仰せつかりました」

「ヤモリが……しゃべった?」

大吉は混乱していた。

「しゃべってはおりません。直接大吉さまの心に働きかけております。なので私の声はまるで大吉様の心から聞こえてくるような感覚かと」

「たしかに、そう言われればそんな感じがするような……」

もしかして昨日のとかげもそんな感じで僕に話しかけてきてたのかな。

「そうでございます!」

「いや、まだ少しも理解できてないけど……」

昨日から僕の前では不可解な事ばかり起きている。でも天宮一族は昔から不思議な力を持っているのだから、人と言葉を交わすことのできるとかげやヤモリがいてもおかしくないのかな。

大吉はそうでも思わないと頭がおかしくなりそうだっだ。



大吉が東京に来て1週間たった。

大吉の部屋は2階にある。10畳ぐらいの洋室で大きなベッドと机とソファが置いてあった。机の上には父と母、あと半年前に亡くなった犬のポチの写真が飾られていた。大吉は机に座りその写真を毎日ボーと見ている。

この家に来てから大吉は何もすることがなかった。

近所の高校には通ってはいるが、学校から帰ってからは何もすることがない。田舎では家族の食事の支度や大好きな畑仕事や賽銭箱の掃除や、あれこれ忙しくしていたので大吉にとってここでの生活は退屈だった。

あれ以来あまね様にも会っていない。同じ家に住んでいるのは全く会わないな。

大吉はなんとなく寂しい気がした。

「あの、僕はあまね様にお仕えするようにって田舎から来たけど、一体何をすればいいですか?」

と、思いきって大吉はヤモリに聞いてみた。

「大吉様は何もしなくて良いのです」

ヤモリはかしこまってそう答えるだけだった。

「そうだ、僕は料理をすることが好きなのでこれからは自分とあまね様の朝食を作ってもいいでしょうか」

大吉はもう一度ヤモリに聞いてみた。

ヤモリはしばらく考え込むと、というより突然全く動かなくなった……が、1分ぐらいたった頃、

「……あの、あまね様はあまり食事は致しません。なので朝食は今まで一度もおとりになったことがございませんし、お食べにはなりません。食べることに関心がないお方です。それでもこの世界で生きていけるのですから、本当にすごいお方です」

「……そ、そうですか」

大吉はヤモリの言っている意味はあまりわからなかったが、あまねの朝食を作ることをやんわりと断られたことはわかった。しかしせめて庭の隅にでも畑を作らせてもらえないか、あまねに直接聞いてみることにした。

あまね様がとれたての美味しい野菜を食べたら、少しは食べることに興味が出てくるかもしれないぞ。ヤモリさんがあまね様は少食だと言ってたけど、味噌汁なんてどうだろう。作ったら飲んでくれるかな?

大吉は少しでもあまねの力になりたいと思った。


翌日、大吉はあまねの部屋の扉をノックした。

「あの、あまね様、大吉です」

「なんじゃ」

「あの、お話したいことが……」

「入れ」

部屋の中に入ると、あまねは机に座り何やら忙しそうにしていた。

大吉はあまねを前にしてとても緊張した。

僕がこの方を守ってあげなければ……、そんな気持ちがこみ上げてきた。いやいや、あまね様にはすごいお力があるのだから、僕ができることなんて何もない……。

なぜかそんな気持ちが大吉の心の中でいったりきたりしていた。

「あまね様、僕は小さい頃から料理を作るのが好きで、それでえっと、……田舎では家族の食事の支度や畑で野菜を作ったりしていまして……」

「用件を手短に申せ」

「はい、あの、そこの庭の隅にでも小さな畑を作って野菜を育ててもいいでしょうか?」

大吉がそういうやいなや、

「あなた、今なんていった? 畑ですって? なんでこの素敵な(わたくしが丹精込めて手入れをしている)イングリッシュガーデンにあんたの野菜畑を作らなきゃいけないのよぉ。薔薇のアーチのそばに大根や人参なんて絶対に変でしょう! ありえない!」

と、とかげが尻尾をパシパシ窓のガラスに叩きつけながら怒りを爆発させた。

「あまね様、そんなこと絶対お許しにならないでください」

と、とかげがあまねに訴えた。

しかしあまねは素知らぬ顔で、

「大吉の好きにするがよい。台所も好きに使うがよい」

と言った。

ボトッ。

とかげが窓から落ちてひっくり返った。

「ヤダヤダ絶対やだぁ」

「……あまね様、本当にいいのですか?」 

大吉は床で手足をバタバタしているとかげをチラリと見た。

「好きにせい」

「ありがとうございます。とかげさんと相談しながら畑を作りますね」

大吉はとかげとあまねに向かって頭を下げた。

「あまね様はこいつに甘すぎます。なんの力もないのにいつまでここに置いとく気ですか」

「蜥蜴、それ以上いうと声を滅するぞ」

「ヒィィ、申し訳ございません」

あまねはそういうと、部屋から出ていった。


4 小春

大吉が学校から帰ると、家政婦の田中さんがお茶の準備をしていた。

「お客様ですか?」

と大吉が声をかけると、

「ええ、あまね様にご相談したいことがあるお客様のようですよ。あまね様はご自分のお力を使って困っている人を助けていらっしゃいますから、いつもお忙しいのですよ」

と、教えてくれた。

あまね様のお力ってどのようなものなんだろう。

大吉は自分があまねのことを全く知らないのだと気づいた、と同時にあまねに初めて「大吉」と名前を呼ばれた時、なぜか懐かしいような嬉しいような、そんな気持ちになったことを思い出した。



「3ヶ月前、飼い犬の琥珀が亡くなってから奇妙なことが起こり始めました」

相談者は小春の母親だった。

「琥珀が亡くなって1ヶ月ほどした頃、真夜中に亡くなったはずの琥珀の遠吠えが聞こえ始めたのです。そしてちょうどその頃、17歳の誕生日に娘の小春が突然倒れて、意識が戻らなくなりました。娘は原因不明のまま、今も眠ったままなのです。そして最近は琥珀の幽霊が毎晩のように家の中を彷徨うようになったのです」

「幽霊とな?」

「はい。恐ろしい顔をして吠えていました。あれは琥珀に間違いありません。琥珀は小春をあの世に連れていくつもりなんでしょうか?」

あまねは小春の母親の話をひと通り聞くと、軽く目を閉じた。そして右手の人差し指をぐるぐると右に回したり左に回したりしながら言った。

「……小春の魂はここにはおらんな。はて……小春の魂は一体今どこにおるのか……」

そして人差し指を大きくゆっくりと回しながら右上の方を見た。

「見つけたぞ」

あまねはそう呟いた。

次の瞬間、あまねの指の先から黄金に光り輝く渦のような空間が現れた。

あまねはその渦に吸い込まれていった。



あまねは広い草原にいた。真っ青な空の下、花が咲き乱れ小川のほとりでは天使やユニコーン、虫や動物たちが楽しそうに遊んでいる。

しばらく歩いていくと、森の入り口にたどり着いた。あまねが右手の人差し指を八の字に動かすと、一匹のトンボがあらわれた。あまねはそのトンボの後について森に入っていく。森の奥には小さな泉があって、その泉のほとりに小春と思われる女の子と琥珀が一緒にいた。

「探したぞ、小春」

「あなたは誰?」

「お主の母から連れ戻すように頼まれた者じゃ。お主の生きる世界はここじゃない。帰るのじゃ」

「私は帰らない。もとの世界では琥珀が死んでしまったもの。ここでは琥珀が生きている」

よく見ると、小春の体のには黒い悪霊のようなものが取り巻いていた。

「そこにおるのは本当の琥珀ではない。そなたの妄想が作り上げた紛いものじゃ。本物の琥珀は未だ成仏できずお主を探し続けておる」

「琥珀が?」 

「小春よ、わらわと一緒に帰るのじゃ」

「でも、琥珀はいないのでしょう?」 

小春が悲しそうにそう言うと、あたり一面がドロドロと崩れ去り、小春は黒い渦の中に吸い込まれていった。



翌日、あまねは両手を後ろで組み窓から庭を眺めていた。

「あまね様、お呼びでございますか」

ヤモリがあまねのそばにやってきた。

薔薇やラベンダー、ローズマリー、色とりどりの美しい花々の中で、大吉は庭の隅でひたすら畑作りに精を出していた。とかげと話し合い庭の隅のここならとやっと許可をもらうことができたのだ。

「小春はエンパスじゃの」

エンパスとは共感、感情移入能力が高い人のことを言う。そのようなサイキック能力があるゆえに敏感に人の感情が読めてしまい、大変生きづらい。

「今までは琥珀がその負の感情を和らげる役目をしていたのだろうな」

今の小春の魂は不安と恐怖のエネルギーに支配されていた。

あまねはどうしたら小春の魂がこちらに戻るのか考えていた。

「小春がこちらの世界に戻ると言う強い意思が必要じゃの」


庭では大吉が一生懸命に畑を耕していた。

あまねはそんな大吉を見て、

「本当に。うらやましいほどの普通の人じゃ。……だからこそ唯一無二の心の強さと美しさを持っておる」

とポツリとつぶやいた。

あまねは大吉から目を離すとヤモリに話しかけた。

「大吉の様子はどうじゃ」

「はい。あまね様に味噌汁を作って差し上げようと懸命でござりまする」

「味噌汁とな? わらわにはそのようなものは必要ない」

「あまね様、そのように物事をすぐに切り捨ててはなりません。大吉様は誠実でとても愛情深いお人ですぞ」

「……それはわらわもわかっておる」

「大吉様をこのままほっておくおつもりですか? 何やら不便に思えますが……」

「しかたなかろう。下手にわらわの仕事に巻き込めば大吉の命が危うい」

「大吉様はあまね様の使用人だと思われています。あまね様の許嫁様であられるのに」

「そのことは大吉には言わぬがよかろう。口うるさい長老どもの手前、そばに呼んではみたが、わらわのような化け物の婿にしてはかわいそうだ」

「あまね様は化け物ではございません。人でございます」

「……実はわらわも大吉をどうしてやってよいのかわからんのじゃ。だから今しばし様子を見て、いすれ田舎に返してやるつもりじゃ」

「……あまね様、どうかこの世界でご自分の幸せを見つけてくださいませ」

ヤモリは願いを込めるかのようにあまねに言った。

「……そなたの真心にはいつも感謝しておる」

「そのようなお言葉もったいのうございます」

ヤモリはあまねに頭を下げた。

「それと……、小春の件だが、くくりの力が必要だな。くくりを呼んでくれ。わらわには黄泉の世界に通じる道だけは開くことができぬからな」

「かしこまりました」

ヤモリはあまねに一礼すると素早く部屋を出ていった。


5 菊理姫

天宮くくりは都内の大学に通う一年生だ。あまねの従姉妹にあたる。

切れ長の細い目に腰まである美しい黒髪が印象的である。

珍しくあまねの部屋に来るように言われた大吉は、あまねに自分の作った味噌汁を飲んでもらおうと張り切っていた。

「この子があまねちゃんの……いいな」

くくりがそう言いかけると、

「わーわー、くくり様、やめてください。そのことは内緒なんですよ。それに私は認めてませんからね。こんな田舎者はあまね様にふさわしくないですよ。もっと他にいるでしょう、霊力を持っている優秀な子が。とにかく私は認めませんからね」

と、とかげがくくりの言葉を遮るかのように捲し立てた。

その時、大吉は味噌汁の具は何にしようかと頭がいっぱいで、とかげとくくりの話を全く聞いていなかった。

「あら、内緒なの?」

くくりはあまねを見てニヤリと笑った。そして大吉を見ながら、

「16歳かぁ、若いわね」

と、ニコニコしながら大吉に微笑んだ。

くくりからは梅の花のような香りが漂っていた。

都会のお洒落な大学生だ、大吉はくくりを見てそう思った。

「くくり、もうよかろう。お主が大吉を紹介しろとうるさいからわざわざ時間を作ったのだ。わらわは忙しい」

「ほんとにあまねちゃんは真面目なんだから。もっと人生を楽しまなきゃだめだよ」

「大吉、ご苦労であった。もう下がってよいぞ」

あまねのその言葉に、今日はあまね様に僕の作ったお味噌汁を飲んでいただきたくて……、と言う言葉を大吉はのみこんだ。

大吉は部屋を出ると、やっぱり諦めきれなかった。

今日はくくりさんもいらっしゃっていることだし、あまね様のお仕事はないだろう。今から味噌汁を作って持ってこよう。

大吉は急いで台所に向かった。


部屋にはくくりとあまねだけになった。

「では、くくり頼む」

くくりには、この世とあの世の橋渡しをすることができる力があった。

「はーい。ではそろそろいきますかっ!」

くくりは一度、深く呼吸をした。そして両手を前に差し出した。するとくくりの10本の指に色とりどりの龍神が何十匹と集まってきた。

「この世とあの世、私が結んで見せましょう」

くくりはそう言いうと、両手の人差し指を交差させた。

するとそこに紫色の渦のような空間が現れた。

「あまねちゃん、1時間ぐらいが限界だからね」

「わかった。くくり、礼を申す」

あまねがその紫色の渦に覆われていく。

その時、

「あの、何度もノックしたのですが……」

と、大吉が味噌汁をお盆に乗せて部屋に入ってきた。

あまねが渦の中に消えていくのを見た大吉は、

「あまね様!」

とっさにあまねの腕を掴んだ。

そして大吉はあまねと一緒に紫色の渦に吸い込まれていった。

「えっえっー! 大吉くん? やばい、やばいよ! どうしよう! 普通の人はあそこに入ってはダメなんだよう……」

くくりは激しく狼狽した。

床には意識を失っている大吉の体と大吉の作った味噌汁とその具のジャガイモがお椀とともに転がっていた。


6 琥珀

黄泉の国は薄暗く、あたり一面真っ赤な彼岸花が咲いていた。

「ここはいつ来てもジメジメしとるのう……はて、大吉をどうしたものか」

あまねはしばらく考え込んだ。

「仕方ない、こうするしかない。これで大丈夫ならよいのだが……」

そして両手で抱きかかえていた大吉の魂を自分の体の中に押し込んだ。


ボワーンボワーンボワーンボワーン

何の音だろう。

大吉の頭の中はその音が何度も繰り返された。しばらくすると、あまねと誰かの話し声がした。

「やはりここにおったか、琥珀よ」

「……」

「お前はなぜ天にあがって神獣とならんのじゃ。ペットとして人とともに生きた動物は天に迎えられるのじゃぞ。そのことを知っておろうが」

「……あまね様、私はどうなっても構いません。どうか小春様を救ってください」

「お前は小春を元の世界に戻そうと毎晩幽霊となって小春の魂を探していたのだな?」

「その通りでごさいます」

「ではわらわとともに参れ。小春を元の世界に連れ戻す。急がねば小春は戻れなくなってしまうぞ」

琥珀はあまねに深く頭を下げた。


薄暗い道を歩いていくと、池があった。

喉が渇いた琥珀がその水を飲んだ。

「琥珀、それを飲んではいかん」

あまねは叫んだが遅かった。

「おやおや、黄泉の国の水を飲んだものはここから出ることが出来ない約束をお忘れか」

一羽のカラスがあらわれた。

「しもうた。イザナミの命の使いのものか……」

黄泉の国は昔からイザナミの命という神が治めていた。この神との約束を破るともう2度とこの世界から出ることはできない。

あまねは琥珀を抱きかかえて宙を飛んだ。しかし、

「約束は守ってもらうぞ。その獣をおいていけ」

いつの間にかたくさんのカラスたちがあまねと琥珀を取り巻いていた。

琥珀を抱え、カラスたちからの追手をかわしながらあまねは逃げた。

しかし、そのせいであまねの力がだんだんと弱まり、くくりが開けた黄泉の国の出口がわからなくなってしまった。

「このままだと皆ここに閉じ込められてしまう」

その時、

「……なんじゃ、この不思議な匂いは。……黄泉の国のものではないな。この匂いを辿っていけば、ここを出られるかもしれん……」

あまねは琥珀を抱きかかえながら匂いを辿った。


5 瀬織津姫

不思議な匂いを辿って、あまねと琥珀とあまねの体に入っている大吉の魂は、無事に黄泉の国から脱出することができた。

そしてそのまま小春が作り出した幻想の世界にやってきた。

「琥珀よ、急いで主人を見つけるのじゃ」

琥珀はあまねを乗せて、風のように走り出した。

しばらくすると、琥珀が小春を見つけた。

小春は自分の幻想の琥珀と一緒にいた。

「小春」

あまねが小春に呼びかけた。

「……あなたは」

「お主の傍にいるのはそれは本物の琥珀ではないぞ。本物の琥珀はここじゃ」

ワンワンワンワン……。

琥珀が小春に向かって走っていった。

すると小春が創り出した偽物の琥珀は真っ黒になってドロドロと溶けていった。

「琥珀!」

小春は本物の琥珀を抱きしめた。

「琥珀はお主をずっと探しておったのじゃぞ」

「うぅ、琥珀……会いたかった」

小春は泣き崩れた。

「琥珀はお主を心配して、天にあがることができぬのじゃ。本来ならば、人を愛し愛されたペットたちは神獣として扱われ、龍神たちと共に大空をのびのびとかけることができるものを……。お主がこのまま、異世界に止まっているといずれ琥珀と楽しく過ごした世界を失うことになるのじゃぞ」

「あまね様、……でも私の体が……動かないのです」

よく見ると小春の体は黒い鎖のようなもので縛られていた。

「ふむ。小春しばし、そこを動くな」

あまねは両手を上に上げると、

「ハライタマエ キヨメタマエ カムナガラ クシミタマ サキワエタマエ」

と唱えた。

すると風とともに雨の匂いが運ばれて、すぐさま大きな雨粒がパラパラと降ってきた。そして一面に激しく降り注いだ。パチパチパチ……しばらくすると雨粒は一つとなってまるで滝のように小春の体を通り抜けていく。

あまねは小春の心を浄化した。圧倒的なパワーで。

「これからは神獣である琥珀が天からお主を守って浄化してくれよう。しかし小春よ、そのためにはそなたが勇気を出して自分の意思を持たなくてはならない。周りに左右されず、これからは自分の幸せを意図するのじゃ」

「はい、ありがとうございます。あまね様」

小春はしっかりとあまねを見つめた。覚悟を決めたかのような顔だった。

すると小春の体に巻きついて離れなかった黒い鎖のようなものが消えていった。


「肉体が無くなったからといってそのものがいなくなるわけではない。肉体が死んでからなおいっそう深まる愛や絆もある」

あまねの声が大吉にもしっかりと聞こえていた。


しばらくして小春の意識が戻ったと小春の母親から連絡があった。


8 天宮大吉

大吉が目を覚ますとベットの中にいた。

「大吉様、意識が戻られてよかったです、本当によかったです」 

ヤモリはしばらく大吉の頬に張り付いて離れなかった。

大吉は目が覚めてから、まるで夢のようなあまねの力を思い出していた。

「やはりあまね様はすごいお人だなぁ」


夕方、あまねは大吉の畑の前にいた。

黄泉の国であまねと琥珀を救ったのは、大吉が部屋にこぼした味噌汁の匂いだった。


大吉の畑からは緑色の小さな芽が出ている。

「なんとまあ、美しいの。これが野菜の命のエネルギーか」

あまねは小さな芽からまるで太陽のように輝く金色の光が放たれているのをみた。

それがあまねの世界だ。

すると、「あまね様」

後ろから大吉の声がした。

「あの、あまね様、今回のこと申し訳ありませんでした」

「お主、体は大丈夫か?」 

「はい。あまね様のおかげです」

二人はしばらく夕日を見ていた。

するとあまねがぽそりといった。

「明日は、お主の作る味噌汁とやらを飲んでみようと思う」

「えっ?」

「ほんの少しだけな」

「本当に?」

「また部屋にこぼされてはたまらんからな」

「うっ、すいません」

大吉はあまねとの距離が少し近くなった気がして嬉しかった。

「あの、あまね様、実はお伺いしたいことがあって……」

「なんじゃ」

「僕も犬を飼っていたんです。ポチは半年前に亡くなっています。あの、もしかしたらポチも神獣となってこの大空を駆け回っているのでしょうか?」

「お主、黄泉の出来事を覚えておるのか?」

「はい。なんとなくですが。小春さんを浄化された時のことも覚えています。突然、滝のような雨が降ってきて……その後、なんだか気分が良くなって……、ずっとあまね様の声は聞こえていました」

「そうか……」

「それでですね、ポチのことなんですが……」

「うむ、大吉のポチじゃな」

あまねは軽く目を閉じた。

「ふむ、神獣ポチ、神獣ポチ。……神獣というか珍獣のようなのが一匹おるな。それがポチではあるまいか。龍神たちに囲まれて、なにやらちんちくりんなのがおる」

「えっ、ちんちくりん……ですか」

大吉はポチがかわいそうになった。

「あの、何とかあまね様のお力でポチを神獣にしてやってくださることは……」

「無理」

あまねはそう言うと、さっさと部屋に戻っていく。

「あまね様ぁ、そこを何とか……」

大吉はあまねを追いかけた。

「無理なものは無理じゃ」

あまねは早口でそう言うと、楽しそうに笑った。



追記

翌朝、日の当たるサンルームで大吉の作りたての味噌汁を飲むあまね。

空の上ではポチが龍神や鳳凰たちに囲まれて楽しそうに遊んでいる。

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