第4話
「逆紅が真理夫を」
「そう、犯人が被害者をコントロールして、自分にとって都合のよい状況を作るのは、さほど珍しくない」
「ですが、コントロールったって、催眠術じゃあるまいし、川縁まで歩いて自分で自分の頭を殴って死ね、なんて命令を真理夫が聞く訳ない」
「そんな意味ではないよ、花畑刑事。コントロールした目的は、これまでの議論で出て来ている。手近にターゲットを置き、ちょっとした短い時間で殺害できるようにするためだ。あとは、同じく短い時間で、どうやって遺体を川の近くに横たえるかの問題さ」
「何だ、結局そこに行き着くんですか」
気抜けしたように花畑刑事は肩を落とした。
「それが分からんから、頭を悩ませているのであって……。歩きも車もだめとなると、あとは何があります? ヘリですかラジコンですか?」
「一つ、想像していることはある。仮に当たっていたとしても、証拠が残っているかどうか」
細い顎を撫でる地天馬。花畑刑事は貧乏揺すりをした。
「勿体ぶらず、さっさと披露してくれませんかね。証拠なんざ、当たっていればあとからでも見つかる」
「――花畑刑事。遺体が発見された朝、逆紅家の池で、誰かがスケートをしなかっただろうか」
「ん?」
問われた内容が意外のさらに外だったのか、花畑刑事は強面を形成する眼を大きく見開いた。デフォルメしたゴリラと表現したら、当人は怒るに違いない。
「分からなかったら、今からでも聞いてみて欲しいんだが」
「いや、それが分かっておるんですよ。警察が駆けつけたとき、男の子がズボンを盛大に濡らして、乾かしていたのを何人かの捜査員が目撃して、その理由を子供の親に尋ねたところ、池でスケートをしようとしたら、氷が割れてしまったと」
「ほう、それは素晴らしい証言かもしれないぞ。映像があれば、もっとよかったんだが」
「実は映像もあります。見ちゃいませんが」
「何!」
地天馬はその表情に、驚きと喜びを同時に浮かべた。花畑刑事は心配げに相手を覗き込む。
「ねえ、地天馬さん。ほんとにこんなことが、事件と関係あるんで?」
「あるとも。さっきは可能性だけだったのが、氷が割れたという事実が確認できたことにより、俄然、本命視すべき仮説になった。花畑刑事、その映像は父親か母親かが、子供を撮ろうとしたものですか」
「確か、父親が撮ってたんだったかな。面白い動画が撮れると投稿する趣味があるらしくて」
「結構。何ら裏のない撮影だ、証拠として申し分ない。ああ、再確認しておきたい。冬の間、逆紅家の池は分厚い氷を張るの常であり、割れるようなことはまず起こらない。間違いないね?」
「実際に確かめちゃないが、皆、そんなことを言ってましたよ」
「よろしい。では、どうして事件の翌日、遺体の発見された朝に限って氷が割れたのか。一晩でその男の子が劇的に太った訳ではあるまい。氷が薄かったと考えるべきだ」
「でも、氷が自然に薄くなるなんて、あるか? 溶けてもないのに」
私が合いの手代わりに疑問を挟むと、地天馬はさらに調子づいた。
「自然に、ではないよ。犯人、恐らくは逆紅の手によって、元々できていた分厚い氷は剥がされたのさ」
「剥がされた?」
花畑刑事とデュエットしてしまった。我々が互いに視線を交わす間にも、地天馬の説明は続く。
「バールでも何でもいい。適切な工具がきっとあると思う。池の縁に先を突っ込み、氷を起こし、最終的に池から剥ぎ取るんだ。それを二つの池でやると、どうなるか。同じ大きさの巨大な円盤型の氷が二つ、揃う」
「そんな物……何に使うんだ」
花畑刑事が呻くように言った。きっと、頭の中で想像しているに違いない。
「遺体を挟むんだよ」
「何だって?」
「下準備として、遺体には適量の水を掛けておく。そうしておいてから二枚の分厚い氷に挟み、しばらく夜の寒気にさらすとどうなるか。当然、凍る。凍らせた物を立てると、一つの巨大な車輪のようになるだろう」
「え? てことは……まさか」
「察しが付きましたか、花畑刑事」
「その、信じられんのだが……家の門から出て行くように、ぐいと押してやって、丘の下まで転がしたと?」
花畑刑事の言った光景を、私も脳裏に描いてみた。遺体をサンドした巨大な氷の車輪が、冬の星空の下、坂を転がっていく……。滑稽だが、一面、ある種の美しさも感じられる。奇妙、いや、奇想の風景としか言いようがない。
「ええ。漫画家らしい発想だと思うのは、色眼鏡かな。逆紅三太郎の作品を読んだことがない僕には、何とも言えない」
「もし仰る方法が実行されたとして、氷はどこへ消えたんです?」
「途中で多少砕けたでしょうが、大部分は川に落ちて流されるなり溶けるなりした。痕跡が見つからなくても無理ない」
「なあ、地天馬。氷を剥がしたり遺体を挟んだりの準備を、三分間でできるかな?」
私が別の疑問を呈すると、彼は「さっき君が言ったじゃないか。困難は分割せよ、さ」と答えた。さらに付け足す。
「もう一つ考慮すべきは、逆紅が真理夫をコントロールしていたという点だ。逆紅は自分が北田らと話している間、真理夫には氷を剥がす作業をさせていたかもしれない。これなら、逆紅本人のアリバイは関係ない。言いくるめるのに苦心したと思うが、氷の巨大な車輪を作ってみんなを驚かせたいから手伝ってくれとでも言ったかな。恐らくは相当な大金を餌にしたんだろうがね」
自信ありげに語った地天馬を前に、我々もそんな気がしてきた。
後日、下田警部と花畑刑事によりもたらされた報告によると、地天馬の推理――今回は直感の占める割合が高かったが――は、見事に的を射ていた。逆紅はこの奇想天外な絡繰りによほど自信を持っていたのであろう、事情聴取に出向いた刑事が池の氷を使ったんじゃないかと仄めかすと、あっさり犯行を認めたという。唯一、地天馬が気付かなかったのは、より頑丈に固まるよう、池の水に大量の塩を投じていたことぐらいだった。
「つまり、計画的な犯行だった訳か」
「そのようだね。まあ、池の水を調べて、高い濃度の塩分が検出されたというから、これも一つの傍証になる。裁判は大丈夫だろう。氷が割れて池に落ちた子のズボンも、塩水をたっぷりと含んでいただろうから、乾かせば塩が粉っぽく浮き出た可能性があるな。まあ、洗濯せずに取っておいたとは考えづらいが」
そう述べる地天馬の手には、一冊のコミックがあった。タイトルは『青の判定』。逆紅三太郎の代表作の一つだ。大方読み終わったようなので、私は感想を聞いてみた。
「どうだった?」
「面白い面白くないの前に、未読でよかったと思ったよ」
「ん? 意味が分からん」
地天馬はコミックのページをぱらぱらとめくり、少し読み返す仕種をした。
「君はこの作品を読んでるのかい?」
「ああ。逆紅の漫画は結構読んだよ」
「じゃあ分かると思うが、彼の作風はどちらかというと現実世界に立脚した、非常に手堅いサスペンスだ。今度の事件に関わる前に、もし僕がこれを読んでいて、逆紅三太郎とは現実的な考えの持ち主なんだなと思い込んでいたとしたら、解決までもっと時間を要したかもしれない」
本気とも冗談ともつかぬ調子でそう漏らすと、地天馬はコミックをぱたりと閉じた。
了
冷めた和 小石原淳 @koIshiara-Jun
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