後編

 昨晩の悪天が夢幻だったかのように、別荘は静寂に包まれていた。無言の同調圧力による準閉鎖環境という点では俺が過去に居た場所と変わりないが、こちらの方まだ居心地が良く感じる。忍び足で俺は静間と食堂へと向かう。立ち入り禁止のギャラリー室付近を除いて、誰かと密会をするとしたら何処で会うか――俺と呼び出した相手の思考は妙な所で重なっていたのか、少なくとも食堂を一番の選択肢にする点では一致していた。


 しかし食堂に入った俺はその場に予想よりも多くの人間が集まっていた事に驚く。


「なんで皆が……?」

「それはこっちの台詞だ、颯太郎」


 全員の視線がこちらに集中する。その場には千里叔父さんと部下の刑事さん二人を始め、佐々木さん、猪俣さん、森さん――つまり全員が集まっていたのだ。

 しかも警察関係者以外の三人は三者三様、それぞれ異様な様子だ。青白い顔と人を食い殺しそうな鋭い瞳が印象的な佐々木さん、同じく青白い顔だが怯え震える表情が対照的な猪俣さんと、恐怖と戸惑いを隠さない森さん。三人の距離は昼間よりもずっと遠く、それぞれが孤立しているように見えた。


「お、待たせしました」

 気まずい雰囲気を何故か俺が和ます流れになり、静間はちゃっかりそれにのって頭を下げる。暫しの沈黙の後、口火を切ったのは佐々木さんだった。


「貴方が呼び出したの? 早戸君」

「いえ、俺ではありませんが。皆さんにお話ししたい事があったのでもし良ければ」


 俺は少しだけとの常套句と場の不自然な状態を利用して全員の了承を得ると、一同を見渡し、部下の女性刑事さんがそっと退出するのを見計らってから話を始めた。


「まずは今から話す事は昨晩の悲しい出来事について、俺の個人的な問題解決の為の単なる感想だとご理解頂きたいです。不躾な言い方になるかもしれませんが、あくまで語彙力がないだけで他意はありません。いけ好かない子供の我儘と戯言だと、お願いします」


 頭を下げる俺に「なんだか次々と、ドラマみたいだね」と苦笑する森さん、「なんなのよ」と不満げな佐々木さんが続く。千里叔父さんと猪俣さんは押し黙ったままだった。


「ありがとうございます。さて今朝、俺と静間は小松さんが亡くなっている事に気付きました。その後、皆さんに伝えて警察を呼んで今に至ります。つまり直接現場をしっかりと見る可能性があるのは俺と静間、警察関係者のみだったはずです。現場の状況はお話しましたが俺達も慌てていましたし、詳しい状況を知る人は少なかったと思います。ですからここにいる全員とも彼女が亡くなった事に対しての認識や感情は少しずつ異なっていたように見えました。例えば俺はただただ現場の様子に驚くばかりで、静間はショックを受けつつも小松さんを自死か事故死だと信じて疑わなかった、森さんは悲しむ間もなく今後のスケジュールへの対応に困っていた、などというように。それらの違いはもちろん彼女との関係性や立場、情報の差にあると思います。例えば」


 俺はわざと神妙な面持ちで一息つくと、誰かが沈黙を破る前に続きを口にした。


「廊下に落ちていた小松さんが記したと思われるメモ――これには何かに思い悩む様子と死を決意する言葉が残されていたのですが――この存在を皆さんはご存知でしたか?」


 俺は皆の顔を見渡し「静間」とまずは相方に振る。静間が「ああ。たまたま刑事さん達のを聞いて」と頷き、俺は次に森さんへ目配せ。森さんが「僕もです」と頷くのを確認し今度は佐々木さんへ、と続ける。佐々木さんが「遺書だとは聞いてないわ」と答え、猪俣さんが首を横に振ったのを確かめ、俺は話を続けた。


「俺は静間や森さんから『スマホに遺書らしきものが残されている』と聞いてました。この情報だけでも個人差がある。今はまず、その点を留めておいて下さい。ところで、実際の現場ですが窓際には踏み台が置かれ、彼女はその踏み台へ足を向けるように倒れていました。手には兎の尻尾を模したキーホルダーを握ってです」

「おい、お前」

「何れ、公表するんでしょう? 叔父さん」


 慌てる千里叔父さんへ内心申し訳ない気持ちになりながらも、俺は悪戯っぽく笑んで誤魔化す。


「キーホルダーの毛は東側の窓のカーテンレールにも引っかかってました。これらから、彼女はキーホルダーを取ろうとし、誤って踏み台から落ちたとの一つの推測が濃厚となります。つまり遺書は彼女がどのような意図で書いたかはともかく、実際は遺書ではなく、誤って転倒した事により彼女は亡くなってしまった、事故死だという推測です。因みに必要な条件は小松さんがたとえ一人であってもすぐにキーホルダーを手に入れたいと思う強い理由があった事。また諸々の状況からみて、彼女以外の誰かがキーホルダーを故意に隠した可能性が高く、紛失に気付いたのも亡くなる直前であった可能性が高いとも予測できます。そして、この事故死という可能性についてはお話を伺うに静間と森さん、佐々木さんが予想していたと思います」


 ここで俺は言葉を切った。すかさず佐々木さんから怒りの声が飛び出る。


「そうよ。だって女神像の傍で倒れていて、傍に踏み台がって話だったのよ?」

 続いて森さんも同意を示す頷きを返したが、静間と猪俣さんは青ざめた顔を崩さずに押し黙っていた。


「その辺り森さんは当初は事故死だと断定的な言い方をしていますが、これは猪俣さんを励ます為にあえて一つの可能性を強調したように感じました。実際後に、事故か事件だろうけれども、とも俺に言っています。また静間は現場を見ているので事故死がまず一つの疑惑として浮かんだのは当然でしょう。しかし佐々木さんは俺や静間の昨日の様子を聞いたり自身にアリバイがない事を話しつつも、最終的には”事故である”との見方を俺に宣言しているように感じました。ちょっと不思議な印象を受けたんです」

「別にそれがなんなの。誰だって殺人だなんて考えないでしょう?」


 当然、佐々木さんの言葉には一理あるだろうとは俺も思う。人の死に対して真っ先に殺人を思いつく人間など、余程特殊な性格や環境かドラマの見過ぎか本の読み過ぎか、トラウマ的な経験があるかのどれかくらいしか凡人の俺には思いつかない。


「でも俺は『ギャラリー室の女神像近くで小松さんが頭から血を流して倒れてる』とか『救急車と警察へ連絡をした』とかしかお伝えしてなかったように覚えてます。もし記憶違いで、仮に現場は事故死のように見えたとの俺の感想が話に加わっていたとしても、あんな時間に、高価な品が沢山あるギャラリー室で小松さんは倒れていたんです。また佐々木さん達も夜間の防犯の話は森さんから聞いていたはずです。俺の知る限りではありますが、キーホルダーの一件も当時は誰も知りませんでしたし、事件の可能性を捨て去ってしまったのには訳がある気がしました。そこで俺は考えたんです。佐々木さんが頑なに事故死だと信じる、或いは信じていると示したい根拠は何なのか。性格なのか、知り得る情報或いは知り得ない情報によるものなのか」


 青くなる佐々木さん含めて誰もが話を遮らない事に内心安堵しながら、俺は一呼吸置き硬い表情の静間へと振り返った。


「ここで一つ、情報として俺と静間が得ている事を追加したいと思います。実は昨晩、俺のミスで急遽延長コードが必要になりまして、午後十時過ぎに静間がギャラリー室の隣の物置部屋まで行って探しているんです」

 静間と叔父さんを覗いて、一同の顔色が変わる。


「時間は十分か十五分、静間は探しましたが昼に見たような気がしたそれはありませんでした。午後十時二十分過ぎには俺の所へ戻ってきて。しかし翌朝、小松さんを発見する前に見つかったんです。あんなに探した物置部屋の真ん中で、各所傷だらけになってました」


 俺はポケットから紙を取り出し、ペンで静間と確認し合ったコードの様子を描く。その図を見てポツリと森さんが呟いた。

「なんか遺書の話と合わせると、首つりの紐のように見えるね」


「そうなんです。これ、タップ口付近で小さな輪を作って固結びにして、その輪にもう片方の端を通してから、どこか梁のような物に結びつけると自動的に首が絞まるような形になるんです。もしこれが誰かが――小松さんが自殺をしようとした痕跡だとして、それを今朝より前に佐々木さんが発見してしまっていたとしたら、俺が不思議に思っていた色んなものに納得がいくんです。佐々木さんは初対面や食堂での様子からも気の利く、頭の良いしっかりした方に見えます。小松さんが自殺となれば原因についてある事ない事が週刊誌に書かれる事は容易に予想出来たでしょう。ルナという名前には負のイメージがつきまとい、残ったメンバーだけでなく事務所の同僚、なぜか現場にいた俺や個人的に親しかった静間、関係仕事先までも影響を受けます。小松さんが亡くなった以上、事故死が一番自然で個人での細工もしやすく影響を最小限に抑えられる。もちろんこれは猪俣さんにも当てはまりますが彼女の場合、ルナという名前を守る必要性については非情に薄くなってしまうので可能性は低いと判断しました」


 俺の言葉を受けて、皆の視線が猪俣さんに集まる。猪俣さんは涙を浮かべ淡く笑うと「うん。私は辞めてしまうから……」と呟く。俺は猪俣さんへ目配せして肯定を認めてから、瞳を見開く佐々木さんに残酷な追い打ちをかけた。


「猪俣さんのお腹には赤ちゃんが居ます。だから佐々木さん、もう……」


「…………なんだ、そっか……」


 俺の言葉に佐々木さん顔にほんの少しだけほっとしたような笑みが浮かんで、しかしそれはすぐに消え、代わりに引き結ばれた唇がわななき彼女の体が傾いた。すんでのところで、俺はすぐ隣へと振りかぶる細腕を止める。


「待って下さい! 違うんです、静間は違います!」


「何が違うの? 梨紗はこいつと付き合ってた。あの子はそれでひどく傷ついて、でも自殺や自殺途中の事故死なんてあり得ない」


 低い、腹の底から出たような声は怒りに満ちていた。俺と佐々木さんを置いて呆気にとられる面々の後ろに、刑事さんの影を見つけて俺は続ける。


「ええ、ですから違うんです。佐々木さんは誰よりも早く梨紗さんの遺体を見つけてしまった。彼女の異変に気付いていたんでしょう。午後十時過ぎに電話したのもそのせいです。佐々木さんが隣の部屋の静間に気付かない訳がない事を考えても、遺体発見の時間は静間がコードを探した後、午後十時二十五分以降でした。現場には踏み台と首をつろうとして用意したであろうコード類。佐々木さんは静間と小松さんが喧嘩した事にも気付いていたと思います。だから、これも憶測ですが佐々木さんは自分の意志というよりも生前の小松さんの意志を継いで、ルナを守る為に彼女を事故死に見せかける事にしました。首をつろうとして用意してあったであろうコードをカーテンレールから外して、ほどいて隣の部屋へ。踏み台はそのまま利用し、ご自身のキーホルダーに小松さんの指紋なりを付けてコードで多少の傷が付いた部分に例の細工を施しました。こんな事になった原因が静間であると勘違いしたまま。でも後に猪俣さんから電話の話を聞いて、何かおかしいと思った。だから静間が殺したんじゃないかと疑って俺に探りを入れてきたんですよね?」


「そうよ! だってそもそもおかしいじゃない。梨紗は誰よりもアイドルに対してのプライドを持っていた。誰よりも努力して、けなされても馬鹿にされてもルナを守る為なら自分が前に出るって。その梨紗がこんな所で自殺? 里奈への電話も明らかにおかしいわ。電話も遺書も信じられない。誰が仕事用のスマホからご丁寧に電話して、わざわざ遺書まで残すの?」


 待っていた言葉がすんなりと彼女から出て、俺は思わず苦笑していた。


「そうなんです、そこです。昨今のアイドルが仕事用スマホ一台のわけがありません。それに猪俣さんだって仕事用のスマホからの電話だったから、叫び声のようなよくわからない短い言葉だったから余計真に受けなかったんですよ。でしょう?」


「うん。でもあれは梨紗の声だった『許せない』って。短かったけど」


「おそらくそうでしょう。でも『許せない』とは何に対してでしょうか。確かに遺書には『運命を弄んだ女神が許せない』との言葉があったようです。しかし何故猪俣さんに? それに小松さんがキャラ通り、小悪魔的でわがままで気分屋、不安定な衝動タイプならまだわかります。カッとなってという感じで。ですが話を聞く限り、彼女は繊細な面はあるものの責任感が強く冷静で自覚的、バランス感覚に優れ、一人で耐え忍ぶタイプでした。実際、猪俣さんがカフェインを断った時に追随したり、部屋に戻りやすいような発言や行動を起こしています。そのような面からも突然死にたくなり、メンバーを蔑ろにして自殺を目論み、攻撃的で支離滅裂なメモや電話を残して、最中でうっかり事故死したとは考えにくい。遺書についても当てつけや仕事絡みの復讐の為に仕事用スマホへ保存、『女神が』との曖昧な言葉を使ってルナへの執着と現場を示し、誰かに削除されないよう試みたとも考えられますが、ならば削除履歴が残るアプリを使うなり壁に直接的な言葉で書くなり、もっと簡単に確実に。具体的に意志を残す方法があったはずです」


 暫しの沈黙の後、


「じゃあ……殺されたって事ですか……?」

「少なくとも遺書は誰かに偽装されたんだろうって事だろ?」


 森さんが口を開き、静間が続く。俺は両者どちらに対してかを曖昧にしながら頷いた。


「遺書の偽装理由の一つとして他殺があげられます。そして一つ、猪俣さんが受けた電話もその偽装に関連すると考えると」

 猪俣さんから小さな驚きの声が漏れる。見開かれた大きな瞳は一人の人物を凝視していた。俺は猪俣さんへと、努めて穏やかな声で先を促す。彼女は真っ直ぐに彼、森さんを見つめて声を発した。


「梨沙のあの声、叫び声でした。まるで誰かを責めるような。それに今思えば雷でよく聞こえなくて……録音だとしてもわからなかったと思います。それにその……」

「森さんには動機があった。横領という。そして梨沙さんの様子から猪俣さんは気付いていたんですね?」

「はい。妊娠の事で色々相談にのって貰ってたから、最近よく会ってて……」


「ちょっと待ってくれ! 動機も何も、それならそこの静間君だって」

 叫ぶ森さんに、俺は背中を伝う汗と同じ速さで言葉を返す。


「どこに利が? 静間には他に機会もありましたし、突発的な犯行だとしても矛盾は残ります。佐々木さんの偽装がされてなくとも、静間の一連の行動――延長コード探しを引き受け、スマホを通り道であろう廊下に真夜中に落として、コードの異変について俺に告げる事は疑いを強められる要素にしかなりません。電話に利がある人は限られてます。佐々木さんならば矛盾した偽装をする意味がない。アリバイのない静間や猪俣さんも同様。それに犯人は佐々木さんの偽装を比較的後まで知らなかった。現場にあえて近付こうなんて思わないですから。だからわざわざ手間をかけてまでコードと踏み台を用意し自殺途中に見せかけ、録音機を利用してアリバイらしきものも作った。それに突発的な犯行だったのではないかとも思います。一つ一つの犯人の行動が杜撰で、いつ破綻してもおかしくない。ノックの音を利用したのも隣の猪俣さんの部屋のドアをノックしたのも、それを静間が見て『幽霊』だと勘違いしたのも、おそらく佐々木さんが小松さんの仕事用もしくは私用スマホにも電話をかけたから、そのバイブ音をリモート先の社長が聞いてしまった事が発端でしょう。そもそも遺書も佐々木さんからの電話で不安になっての保険的な後付けなんですよ」


 そこまで告げ、俺が一息つく間を森さんは与えなかった。女神像に怯え、高価な品の扱いに不安を抱き、突然の出来事に戸惑っていたはずの森さんの顔に、ぞっとするような不気味な笑みが浮かぶ。


「推測に推測を重ねただけさ。大体電話トリックの録音とやらはどこで集めたんだ? 配信か? まさか! 偽装にしろ、俺以外が殺した可能性だってあるだろう。共犯や外部犯、他にもまだまだ。あのな、世の中辻褄が合う事ばかりじゃねぇんだよ。偶然、運、理由なき行動。完全に否定できないものを勝手に除外して俺を都合良く犯人にして楽しいか!」


 森さんの言葉に一瞬だけ、冷水をかけられた気持ちになる。辻褄の合わぬ物、偶然、運、理由なき行動、否定しきれぬ物の除外。確かに世の中はそんなもので溢れているのかもしれない。俺はごくりと唾を飲み込み、視線を逸らさず唇を引き結ぶ静間を見て、言葉を選んだ。


「録音機」


 大きく森さんの肩が揺れる。


「処分できてないんです。外に出られなかったから。屋敷に隠すにも度胸と時間が必要ですし、万が一持ち物検査となった時の事を考えればすぐに対処できるよう近くに置いておくはずです。森さんは今も肌身離さず持っているんじゃないですか? 絶対に発見されてはならない録音機を、貴方の罪を暴き言質を取る為に小松さんが利用した、彼女の私用スマホを。水没くらいなら修理に出せば回復しますよ」


 絶句する森さんは、かの絵画に描かれた幽霊のように青白かった。


「電話に利用した叫び声の元音源こそが事件の発端だったんじゃありませんか? 小松さんは女神を許せなかったんじゃありません。横領やそれらを埋める為に週刊誌に嘘や業界のネタを売る、女神アイドルを壊そうとする人間を許せなかったんです」

「う、嘘だ!」

「ならば俺に恥をかかせる為に刑事さんに調べて貰いましょう? ああ、自白って裁判に効果的でしたっけ? 千里叔父さん」


 俺の問いに叔父さんは何も答えずに膝からくずおれ、ブツブツと何事かを呟く臆病な男へ、壊れかけた森さんへと近付いた。怒りにぶるぶると震える佐々木さんの肩を静間は宥める。その表情は普段よりもずっと険しく、一見冷たくも見える森さんへの視線は憤怒と悲傷に滲んでいた。


 彼女が守るべき物の為に必死になって用意した音源は彼のポケットからあっさりと現れ、事件は幕引きとなった。



 

 後日、俺と静間は新聞と千里叔父さんから佐々木さんと森さんが自供した事を知った。森さんは多額の横領を問い詰められた際に突き飛ばしてしまい、小松さんを殺してしまったという。各々の偽装等は俺の個人的偏見に満ちた推測通り、リモート前に殺害、スマホの録音アプリを小松さんが森さんを糾弾する声の直前まで再生し、リモート中に猪俣さんへの電話やノック、元々あった小松さんのメモに追記し遺書を作成する等の細工をし、スマホは夜中廊下に捨て置いた。ノックや遺書が佐々木さんからの電話が発端だとの推測も当たってしまったようだ。


 唯一、警察が既に横領についての証拠を揃えていたという点と森さんが自暴自棄になり全て自供したものの、横領の返済は有耶無耶にしようとしているという点だけは予想外であった。一緒に仕事をした仲、多少は反省をしてくれると思っていた俺はがっかりしてしまったが、叔父さんは共感や容認が出来ずとも、年を取ればその辺りも事実の理解だけは出来るようになるし、相手も自分も変わるものだと、肩を叩くという激しめのスキンシップと共に慰めてくれた。


「しかし俺に内緒でウチの刑事を使って、推理披露中に犯人の部屋にスマホがないかチェックして貰うとか、なあ?」

「あの、こっそりやって、それに刑事さんには森さんだけじゃなくて全員って言ったし、もし推理が外れたら……いやほんと、ごめんなさい」

「全くだ。ほれ、そんなお前達に」


 差し出された二通の手紙にはそれぞれ『佐々木莉茉』『猪俣里奈』の文字。あれからルナは解散、当然佐々木さんは偽装した事について罪に問われた。本人は深く反省しており、小松さんとの関係や森さんの証言、背景等全てを加味した結果、減刑となるだろうとの話だ。しかし憑き物が落ちたような彼女自身は正当な裁きを希望しており、減刑に対しても逆らわずとも希望は全くしていないと聞いた。猪俣さんも大変だったそうだが持ち前の明るさと打たれ強さから乗り越え、出産準備でてんやわんやだと聞いた。騒ぎ立てる週刊誌も猪俣さん――今は異なる苗字だが――の家に新しい命が誕生する頃には別の話題へと移っているだろう。


「で、どうするんだ? お前らは」


 俺と静間は顔を見合わせ、それぞれに答えを出す。


「自分勝手な結果となりましたが解散します。あいつとの、梨紗との喧嘩も元々アイドルに対する意識や覚悟の差とか、未来への不安を俺が零した事が原因だったんです。あいつは俺が本当にしたい事、努力したい事を知ってたから背中押してくれて。だからもう一度この先の事も含めて考えようと、颯太郎とも話し合って決めました」

「叔父さん、静間のやつ、一人だけ国立のすげえ有名な芸大受かってんだよ。将来は講師か先生とか、現実的で静間らしいよな」

「褒めてんのか、それ? 教えんの好きなんだよ、俺の家、弟妹多いし」

「いや、すげえ良いと思って」


 俺がニヤリと笑うと静間の硬くて変化の少ない顔に微笑めいたものが浮かび、口角がほんの少しだけ上がった。


「颯太郎、お前は?」


 ニヤニヤする叔父さんに俺も笑って、叔父さんにそっくりな彼女の名を挙げ、仏壇の前で笑い続ける彼の面影もなんだか懐かしくなったと誤魔化した。沢山泣いて、沢山耐えて、沢山笑い飛ばしてくれたちょっとだけうざったい早戸家唯一の女神に未来を相談し、誓いにいこうと思えたのはきっと出会ってきた全てのお陰だろう。


 佐々木さんからの手紙には俺達へのお礼と、遠くから猪俣さんと小松さんの幸福を祈っているとの近況、そして少しばかりの小言が書かれていた。


「【静間君、勘違いして呼び出してごめんなさい。早戸君を呼ばなかったのも悪かったと思ってます。でもあの時早戸君が来てくれて、私の代わりに真実を導き出してくれて本当に良かった。私の罪まで、本当にありがとう。私の女神は梨紗だったけれど、梨紗と梨紗の大事なものを守ってくれた女神は早戸君と静間君だったと思う。これが最後の手紙になるけど私の最期じゃないから安心してね。きちんと罪を償って、一生背負ってもいきます。あと静間君、今後の恋愛も結婚もお任せするけど、ちゃんと幸せにならないとあの子は絶対化けてお説教したり心配したりするし、私も嫉妬に狂って生き霊になるかもね。だからどうか、お元気で。ご多幸とご武運を祈っています。】だって。どうするよ、静間?」


 叔父さんに倣って投げかけると、静間は真剣な面持ちで「心に留めて、誠心誠意やる」と静間らしい真っ直ぐな答えを出した。

 


 事件から間もなくして、俺と静間は三上さん達と応援してくれていた人々にお礼を告げヴァーチャルアイドルを引退し、それぞれの道を再び歩み始めた。静間は教員に、俺は公務員に。どちらからともなくふらっと連絡しては適当な居酒屋や飯屋で会い、お互い好き勝手に、お袋が豆乳料理に凝っていて俺まで詳しくなったとか、一番下の妹が最近冷たい目で見てきて寂しいとか、他愛ない近況を話しては笑い、少しばかりの小言を漏らし、己の非力さに弱音を吐いては小さな未来への願望を誓い合うという特筆すべきものはないものの居心地の良い関係を続けている。そこに親戚の伯母さんのように俺達の成長に驚く三上マネージャーと祖母の如く料理や茶菓子を勧める社長が加わる事も珍しくなく。その度に俺と静間はこそばゆい気持ちになりながらも、事務所で過ごしたあの時も充実したかけがえのない時間だったと改めて思うのだ。


 あの事件と俺が振り回した推理とそれらが呼んだ結末は、アイドルが俺の中で完全なる偶像となった今も俺の戒めとなり、過ごした全ての時は糧となっている。曇天を縫う雷光も胸を満たす湿ったあの感覚も、傲慢と偏見と善意が入り交じる世界も、弱く至らない自分も、実際はそれほど悪いものではないかもしれない。


 それからこれは他愛ない妄想と言われてもおかしくないのだが。時々、ふとした時に。『どう受け取るかは私次第。みんな祝福なんだ』――決して記憶にはない二人の笑い声が、輝かしい若草と爽やかな風と共に俺の頭を過るようになった。 




――誰が女神を毀したか(たがめがみをこわしたか)? 了

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誰が女神を毀したか? 島田(武) @simada000

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