『木』の街に憧れて
多賀 夢(元・みきてぃ)
『木』の街に憧れて
見渡す限り石の壁と、誰も壊さない古い家々。
押し寄せる外からの来客だけが、それらを有難がって帰っていく。
観光と言う名目で、見世物になることで残されているような街。
僕は、そんな場所で生まれた。
「おいトマス!」
学校が終わったあと。教室の隅で読書をしていたら、クラスで一番うるさい奴が声をかけてきた。僕は眼鏡の奥で眉をしかめ、開いていた本を机の中に急いで引っ込めた。
「トマス、今日は一緒にサッカーしてやるよ!」
こいつは、いつもしつこく僕を誘いに来た。隅で一人静かにしている僕を、かわいそうな奴だからと構っているように見えた。
「……いい」
僕は、相手から感じる圧に身を縮めた。背が高くて肉付きのいいこいつの前では、痩せて小柄な自分が醜くてたまらない。
「クラス1下手クソなお前のために、エースの俺がわざわざ教えてやるって言ってんだよ。今日こそは逃げずにさっさと来い!」
相手は大股で近づいてきて、僕の腕を強引に引っ張った。その拍子に、僕が机の下でつかんでいた本が床にはじけ飛んだ。
「あっ」
相手はそれに気づき、好奇心丸出しで本を拾った。そしてページを少しめくり、不愉快そうに顔をゆがめた。
「なんだこれ? 読めないじゃん」
「だって、日本語だから」
「おまえ、日本語読めるの!?」
「まあ、少しだけ」
「すげえ!」
途端に、相手が顔を輝かせた。あまりの態度の違いに戸惑う僕に、相手は興味津々の様子で僕の眼鏡の奥を覗き込んだ。
「じゃあ、マンガも原作で読めるんだ!アニメも!?」
「あー、少しは……」
僕がもごもごと答えると、相手は喜びの舞を舞うようにひとりで何度も飛び跳ねた。
「すげえすげえ!じゃあさ、俺んちで実況してくれよ!俺はアニメは日本語派なんだけど、何言ってるか全然わかんなくてさ!」
「いや、ネイティブの会話は早すぎて無理……え、どこいくの?まさか、今から!?」
それが、『アイツ』と仲良くなったきっかけだった。
それから5年。
僕はアイツの部屋に入り浸っていた。
「なあ、今日はアニメじゃねえの?」
アイツは僕がパソコンで流している配信を覗き見ながら、退屈そうにサッカーボールを弄んでいた。アイツのベッドの上が、僕らの定位置だった。
「時代劇も面白いよ。毎回きっちり悪を成敗して気持ちがいい」
「サムライは戦場で戦ってこそサムライだろ」
「君は戦国時代が好きだもんね」
それから僕たちは、しばらく黙って画面を見ていた。ストーリーはともかく、背景の描き込みが素晴らしい。
「なあ。トマス」
「何」
「俺、イギリスに行くことになった」
「は?」
飛び跳ねるように顔をあげた僕に、アイツはニカっと笑って見せた。
「サッカー留学、親が行ってみろって」
「す、すごい!お前ってやっぱりすごいな!」
僕の内側は、怒涛のような感情の嵐だった。本当にすごいという気持ち、どうせ失敗するだろという黒い気持ち、こんな僕がすごい君の友達で申し訳ないという気持ち、大人に認められて羨ましいという気持ち、そんな大人が自分にはいない劣等感。
すべてが同じ強さで襲ってきて、言葉が喉を塞いでいく。息を吸うのも吐くのも辛すぎる。
どんどん陰の方に落ちていく僕に、アイツはちょっとためらいつつ言った。
「お前も、日本行ったら?」
「うちはそんな金ないよ」
僕の家は代々続く靴職人だが、正直経営は傾いていた。母が外で稼いでも、親子3人と祖父母の生活には足りない。
「僕の爺さんが、大学もあきらめて家で働けって。親父は僕の好きにしろって言ってくれるけど、僕が働かないと生活に困るんだろうなって思うし」
まだ小さな子供だった頃、ニュースに流れた日本に憧れた。
日本には街を守る壁がなくて、ガラスが太陽に輝いてピカピカだった。新しいものと古いものが混在していて、空気ごと時間が止まったようなこの街とは違う気がした。
行きたいと、強く願っていた。だけど現実はそれを許さない。
「壁の外には出たかったけど、あきらめた。――それよりもさ」
僕は、パソコンの画面を切り替えた。動画サイトに接続して、自分のチャンネルを選ぶ。再生すると、日本の長屋が立ち並ぶ3D映像が流れた。
「今度はクラシキの復元動画作ったんだ、見てよ」
「おおー、相変わらずすげーな」
僕は照れ隠しに苦笑した。
「そんなことはないよ。マシンスペックも低いし、頑張ってこれかな」
「いやすごいよ。これで稼げるよ」
そこで、アイツは「ん?」と宙を見て、盛大に手を叩いた。
「稼げばいいじゃんか!これ収益化して、稼いで、それで大学行けばいいじゃん!」
「無理無理無理」
僕は首を左右に振った。
「爺さんが言ってた。『好き』で稼ぐのは賢くない、いつか飽きるからって。嫌なことだからこそ、淡々と耐えて働けるのかもしれないじゃないか」
「トマス。お前の爺さんは正しくない!」
アイツは拳をふりあげた。
「俺の父ちゃんは言った。働くってのは単に金を稼ぐことだ、楽しくてもつまらなくても構わないって。成功したら続ければいいし、失敗したって別に構わないって。失敗から成功した人間だって、世界には山のようにいるから気にするなって」
アイツはそこまで熱弁して、押し黙った。ぼくの作った映像をじっと眺めている。
沈黙がいたたまれなくて、僕の方が折れるように口を開いた。
「これさ。稼げると思う?」
「稼げるよ、きっと。だってこれだけ凄いんだから」
「この街に、木の家はないよ?」
「そうだな、でもいつか稼げる。保証できないけど、でも保証する」
なんだそれ、と、僕は笑った。
それから数日しか経たない間に、アイツは旅立っていった。見送りに行った僕に、『次はお前だ』という言葉を残して。
それから、僕の試行錯誤が始まった。
僕は作った建築物の動画をSNSにUPしてみた。だけど演出が地味だったのか、ほとんど人気が出なかった。
地元の建築会社に動画と自分で引いた図面を持ち込んだが、追い返された。僕に建築の資格がないのと、この木の少ない土地で木造の家など非現実的だと笑われた。
映像が背景に使えないかと、映画製作の会社にも持ち込んだ。アジアを舞台にする映画を作る予定はないと、断られた。
その間に伝染病の大流行があった。
僕の街から観光客が消えて、景気も思いっきり冷え込んだ。外を歩かないのなら、靴を履くこともないのだろう。靴の発注は大きく減り、家業は本当に潰れる寸前だった。
店を畳むかどうかで、大人たちは揉めていた。プライドと欲のぶつかり合いに疲れた僕は、一人で自室に籠ってパソコンを見ていた。自立する手立てはないかと、ネットの海を探し回っていたのだ。
『新ゲーム制作中、景観デザイン募集
【街づくり】コンテスト開催中
※入賞者には賞金のほか、希望された場合は町の運営スタッフとして契約できます』
「これだ!」
僕は募集要項を読み漁った。
必要な提出資料を一覧を印刷し、即座に準備に取り掛かった。
――そして今。
「我ながらすごいよな……」
僕は、自分が作った街『ネオ江戸』に立っていた。
僕そのものは、単身引っ越したものの石の街からは出ていない。しかしゲームにログインし3Dゴーグルをかけることで、周囲は木造の家屋が立ち並ぶ景色に様変わりするのだ。キモノを着たNPCが行き交えば、さらに臨場感が増して鳥肌が立つ。
僕の作った街は、コンテストで準グランプリを獲った。賞金はすべて両親に渡したが、ゲーム会社と契約することで定期な収益が得られるようになった。僕は家業云々の騒動から一旦離れ、好きな世界で生きることにしたのだ。
祖父からは上手くいくはずがないと言われた。出て行ったのなら帰ってくる家はないと思えとも言われた。だけど、そんな否定的な言葉で心が揺らぐことはなかった。僕はすでに、大きな評価を手に入れていたのだから。
異国でサッカー選手になったアイツからは、たまにメッセージが来る。
『仕事は順調か? 俺はまだまだだ』
プリントアウトした案件が積みあがったデスクを眺めながら、僕も返事を返す。
『同じくだ。僕もまだまださ』
好きを仕事にしたところで、毎日が天国なわけではない。嫌な作業もあれば気が滅入るクレームも来る。
だけど、それでも今を賭けるに値すると感じた道だから。自分の世界を作り守るために、選んだ道だから。
『楽しくやろうぜ、親友』
『もちろんだ。親友』
僕らは、好きな仕事で生きていく。
『木』の街に憧れて 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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