世界の終わりに

とぶくろ

ちからのつかいみち

 その時、世界が壊れた。


 学校帰り、いつもの駅へ向かう途中。

 突然、大きな揺れに襲われた。

 道路が割れ、車も人も呑み込んでいく。

 商店街の店もビルも崩れ、沈み、隆起して、人と共に潰れていった。


「何、いまの……地震、なの?」

 いつもの帰り道、駅へ続く商店街に一人立ち、変わり果てた町を見まわしてみるが、人の姿どころか、呻き声すら聞こえない。

 まるで世界中に、自分一人だけ取り残されたように。

「なんで、こんな……」

 何が起きたのか、どうしたら良いのか。

 何も分からず、その場を動けず、立ち尽くす。


「りょうっ! 良かった、無事だったんだねっ」

 その声に振り向くと、私と同じ制服姿の女子高生が、割れた道路を駆けて来る。

 間宮涼子、私を呼ぶ同級生が生き残っていたのだ。

 その顔に、血の気が引く。膝が震える。

 何故、あいつが生き残っているんだ。


 教室の床に、無様に這いつくばる私。

 それを見下ろし、楽しそうに嗤うアイツら。

 いつも、私を虐めて遊んでいた四人の女。

 見上げると、やつらの中心の女がニヤリと嗤う。


 学校でのあの女を思い出すだけで、涙があふれそうになる。

 渋川京子、あの女が何故か生き残り、私に向かって駆けて来る。

「涼子っ、怪我はない? 良かったぁ。今の何だったんだろうね」

 まるで昔からの親友だったかのように、私に駆け寄る女に、吐き気すらする。

 でも、今はまだあわせてやろう。

 親友のふりをしておいてやろう。

 復讐を果たすまでは。


 そう、私は力を手に入れた。

 世界が壊れた時に、突然手に入れた不思議なちから。

 他人の記憶をいじれる、記憶操作の力。これで、いじめられ続けた復讐をしてやるんだ。あの四人を生かしてはおけない。アイツで最後。京子さえ殺せば。

 今、京子こいつには、私が昔からの親友だと思わせている。

 そして油断させ、隙を見て殺してやるんだ。


「き、京子……貴女も無事だったのね。良かったぁ。他に、生き残りを見た?」

「ううん。もう、誰も居ないのかと思っちゃった。おりょうが無事で良かったよぉ」

 まとわりつかないでよ、気持ち悪い。でも、今は我慢しないと。

「他の人とか居ないかな。ちょっと探してみようよ」

「ん~、そだね。何が起きたのかも分からないしね」


「おおっ、女の子はっけ~ん。生きてるし無傷みてぇだぜ」

「ラッキーだな。じぇえけぇじゃねぇけぇ。制服だぜぇ」

 たいして歩かない内に、頭の悪そうな、ガラの悪そうな二人の男に見つかった。

 何言ってるのか、はしゃいでいるのか分からないけど、生きてる女の子を見つけて、浮かれているようだ。やはり、生き残りは少ないのだろうか。

 世界は、もう終わっているのだろうか。


「ひゃっはー! たぁのしもぅぜぇ」

「いいことしよーぜー、おねぇちゃ~ん」

 二人の男が、飛び掛かるように迫ってくる。

「ひっ……」

 男に抱き着かれ、小さな悲鳴を漏らしただけで、動けなくなってしまう。

「なんだよ。放せよー」

 もう一人の男に纏わりつかれた京子は、必死に抵抗していた。


 私は何も出来ず、道路に押し倒される。

 必死に抵抗しているつもりだったけど、男の顔が目の前に迫る。

 そうだ。手に入れた力で、こいつらも操れば逃げられる。

 いや、だめだ。今は京子に力を使っている。

 二人以上には使えないんだった。

 このままじゃ……この男達に、こんな路上で。


「もう、ここいらには、生き残りはいねぇからよ。いくら抵抗しても、叫んでも無駄だぜぇ。大人しくしてりゃ、優しくしてやるからよ」

 必死に抵抗していたが、男の言葉に、ふと気付く。

 世界中がこんな状況になっていたら?

 私一人で、どうやって生きて行くの?

 それなら、この男に取り入って、守って貰った方がいいんじゃないの?

 ちょっと身体を自由にさせるだけだし、おじさんに小遣いを貰うのと同じ事だよ。

 無駄に抵抗するよりも、身体を許した方が賢い事だよね。

 そんな考えが、頭をよぎる。抵抗していた身体から、力が抜けてしまった。


 諦めた私から、男がすっと離れる。急に興味をなくしたかのように、抵抗しない娘に用はないとでもいうように、男が私から離れる。

 いや、別にシて欲しかった訳じゃないけど、なんか腹が立つ。

 京子に絡んでいた男も、ぼ~っと立っていた。

 二人は、そのままどこかへ立ち去ってしまった。


「……なんだったの?」

「おりょ~! 良かったぁ。無事で良かったよぉ」

 泣きながら、京子が抱き着いて来た。

 この女でも、怖かったのだろうか。

「あぁ……なんだったんだろうね」

 興奮して、私に抱き着いたまま離れない京子を、なんとか宥めて立ち上がる。

 いったい何やってんだろう。

 もう、こいつをどっかに置いて行きたい。


 でも、なんであいつら急に……私が諦めたから?

 抵抗しない女に、興味がないとかかな。

「ん?」

 なんか視線を感じて振り返る。

 けれど、誰も居ない。


「どうしたの? 誰か居た?」

 まだ私にしがみつく京子が、私の振り向いた先へ目を向ける。

 もうっ、鼻水つけないでよっ。汚いなぁ。

「え……あ、ううん。なんでもない」

「そっか。やっぱり他には、誰もいないのかなぁ」

「あんな変な男も生きてたんだし、誰かしら居るんじゃないかな」

「そっか。そだねー」


「道……塞がってるね」

 駅の方へ向かってみようかと、二人で歩き出したが、倒れたビルが道を塞いでいて、駅へは向かえなくなっていた。

「あの店の方から回れば、駅にも行けるかも」

「あの店……ああ、あっちなら、おっきなビルもないしね」

 いつも、あいつらが学校帰りに溜まっていた店。

 輸入雑貨と小物を並べて販売していたカフェ。商店街の裏通りにあるが、京子たちが入り浸っていたので、近付かないように警戒していたから、よく知っている。

 あの通りなら、通れるかもしれない。

「早く、早く行ってみよっ」

「う、うん」


 京子に手を引かれ、小さな洋食屋の脇を抜け、一本奥の通りへ。そちらも建物は崩れ、道路も所々陥没していたりはしたが、通り抜ける事はできそうだった。

「やった。こっちは行けそうだね」

「う、うん。そ、そだね」

 自分でやっておいてなんだけど、やっぱり気持ち悪い。

 こいつは全部忘れているけど、私は全部覚えてる。


 体育の授業の後、着替え中に絡まれた記憶が、急によみがえる。

「あんた、まぁだ着替えてんのぉ?」

「ほんと、どんくさいんだから」

 京子は、何故か嬉しそうに、ニヤニヤしていた。

「あ、あの……ごめん」

 卑屈な精神がこびりついているのか、何故か私はすぐに謝ってしまう。

 それがやつらを増長させてるのだとしても、今更どうにもならないし、抵抗すればしたで、虐めが酷くなるだけだ。

 じっと大人しくして、嵐が過ぎるのを待つのが一番だ。


「あっ、風がぁ~」

「えっ……」

「あらら~。タイヘンダー」

 信じられない。

 今、目の前で起きた事が理解できず、思考が止まってしまう。


 私の着替えが、制服が飛んで行く。風に乗って、窓から飛んで行った。

「ほら~、早くしないと学校の外まで、飛んでっちゃうよぉ~?」

「「「きゃははははっ」」」

 私は今、体操着一枚だけだ。

 そう、下を脱いだところ。

 上は体操着で、下はパンツだけ。

 この人達は、何を笑っているのだろう。

 何がそんなにおかしいのだろう。


 こんな格好で駅前を走り回ったりは出来ない。そんな事、出来るわけがない。

 体操着の裾をぎゅっと下げて、無駄な抵抗をしながら、教室から駆けだした。

 廊下の生徒達が、下着を見せながら走る私を見ている。先生たちも、驚いた顔で声も出ないようだった。そんな人達の中を、真っ赤になりながら駆け抜け、校庭を飛び回る、風と踊る制服を集めて駆け回った。

 まだ女子校だったから、男の人は数人の教師だけだったけれども。それでも痴女だのなんだのと、しばらくは他の教室の生徒や、先輩後輩にも揶揄からかわれた。

 さらに何故か、職員室に私一人が呼び出され、放課後遅くまで叱られた。

 恥ずかしいやら、悔しいやら、頭がどうにかなりそうだった。


「ん? どしたん、りょ~?」

 よみがえる記憶に、様子がおかしいと気付いたのか、京子が私の顔を覗き込む。

 こいつは、あんなことも覚えていないのだろう。覚えておくほどの価値なんて無いほどの、どうでもいい事なのだろう。それでも私は忘れない。忘れられはしない。

 惨めな記憶と煮え立つような怒り。

「……え?」

 叫び出しそうになったが、不意に感じた視線に振り返る。

 まただ……さっきも感じた視線。

 また、誰の姿も見えない。


「どしたの? りょう、涼子!」

「え……あっ、うん。だいじょぶ……なんでもないよ」

 笑ってごまかすが、さらに京子がひっついてきた。

 あの視線はなんだろう。

 瓦礫の下に取り残された人でも、いるのだろうか。

 瓦礫に埋もれ、声も出せずに、私に助けを求めているのだろうか。

 もしそうでも、そんな人を見つけても、私には何もできないし。

 きっと気のせいだ。


 商店街から、普段から人の少ない裏通りへ抜けた。

 頭上には高速道路……だったものが見える。

 頭上の道路は、ほとんどが崩れ落ちていた。

 何気なく、崩れた道路を見上げる。


 太い鉄筋が飛び出した、コンクリートの塊。

 道路の一部だったのだろう。

 そんな塊。コンクリートの

 私の頭くらいの破片。


「りょう、危ないっ!」

「えっ? あっ……」

 京子の叫びに我に返るが、もう遅かった。

 頭上の道路から落ちて来た、コンクリートの塊。

 呆然と見上げる私の顔へ、まっすぐに落ちて来ていた。

 まるで『新しい頭よ』とでも言いたげに。


 なんでこっちに落ちてくるのよ。

 落ちるなら京子でしょ。

 まぁ、でもいいや。もう、いいや。

 諦めて動けない私は、飛び込んで来た京子に突き飛ばされる。


「は? な……なんで? なんでよぉ!」

 落ちて来た塊から突き出た鉄筋が、京子の胸を貫いていた。

 足に力が入らない。なんでなんでなんで。なんで、と何度も繰り返す。

 なんでアンタが庇うのよ!


 倒れた京子の胸の真ん中を、錆びた鉄筋が貫いていた。

 必死に、這うようにして、京子の手を握る。

「よ……良かっ……た」

「何言ってんの! 意味分かんないっ! やだっ、分かんないよ!」

 無事だった私に微笑む、京子の口から赤黒い血があふれだす。

 ごぼごぼと血を吐き出した京子の体が、ビクンっと大きく跳ねる。

 小さく痙攣した後、京子は動かなくなった。


「なんでよぉ……やだ……きょおこぉ」

 ぜるように目から溢れ出し、頬を瀧のように流れる涙が、京子の顔を濡らしていく。ずっと一緒だったのに。

「おいてかないで……やだよぉ」

 幼馴染の親友は、私を庇ってくれた。

 自分が身代わりになったのに、私が無事で良かったと笑ってた。

 ずっと一緒だったから、ちゃんと分かってる。


 学校の記憶。

 京子が笑う姿が目に浮かぶ。

 教室の床に、無様に転がるアイツを見下ろしながら。

 笑う京子の隣で、笑う私と仲間たち。

 そうだ、京子はずっと親友だった。


 他人の記憶を操る、特別で不思議な力。

 そんなもの、私にはない。

 そんなもの、私は貰ってない。

 記憶を操作されていたのは京子じゃない。


 そうだ。ずっとアイツは見ていた。

 あの時、男達に襲われた時も、商店街を抜ける時も。

 ずっと見ていたし、見えていたのに。

 振り返ると、彼女はそこにいた。


 教室で、無様に這いつくばる女。

 着替えを追って、校庭を下着で駆けまわる女。

 あいつが嗤って見ていた。

 耳まで裂けそうな程に口を開けて、その端をつりあげて。

 うれしそうにわらっていた。


「やめて……もう、やめて。私の頭をいじらないで」

 私の記憶が消えていく。

 知らない記憶が、頭を埋めていく。

 頭が溶けて、私が消えていく。


 あいつは私に仲間を、友達を殺させる気なんだ。

 世界の終わりに手に入れた、不思議な力で、復讐したいのね。

 もういいよ。

 好きにすればいいよ。

 私はアンタの復讐の道具なんだね。

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