――普通の少女と特別な少年
――耳元を何かが通り過ぎる音。
……蚊の鬱陶しい羽音だった。
「……」
すかさず上からはたき込む。
そのまま、蚊は床に潰れ――
その身体から血を出した。
僕が殺した。
僕が殺したんだ。
僕が、彼女を――
「うぅっぷ…!」
吐き気が込み上げる。
――あの悪夢のような出来事から。
ちょうど、九か月が経とうとしている。
僕はあの後、あそこで起きたこと、聞いたことを全て話した。
僕らの状況が状況だっただけに、警察はすぐに動いてくれて。
幸いなことに子供たちは全員無事だったそうだ。
ただ警察があそこに行った時には。
子供たちを残して…全てがもぬけの殻になっていたらしい。
それから。
鈴重が語っていた、海馬をレーザーで焼く――みたいな話が恐かったので、一応全員に身体と脳の検査も施してもらった。
それも全員、異常なし。
僕はというと――あれから留置場で過ごしていた。もちろん、何か法を犯したわけじゃない。
ここにいると色々都合が良かったからだ。
ひとつは、警察の捜査協力がしやすいということ。
もうひとつは、そもそも僕を引き取ってくれる所が、まだ見つかっていないということ。
そして最後は、僕が連中に目をつけられている可能性が高いということ。
ここに居れば安全だった。
……。
――彼女の身柄は、あの後、
病院に引き渡されて。
それからのことは僕も聞いていない。
いや、聞かなくても分かってる。
彼女は、僕を庇って――
と、その時。
ノックの音が聞こえて。
「どうぞ…」
「失礼するよ」
「あ、ああ。こんにちは」
警察の人だ。
捜査協力で何度か世話になっている。
「…遠林くん。面会に来てる子がいるんだ」
「……え?」
……面会?
「突然で済まない。でも、会えば分かるよ」
すると――廊下の方から足音が近づいてきて。
そこに、居たのは。
「―――涼介?」
琥珀色の瞳。
やけに大人びた口調。
「え――なんで―――」
――零花が、そこに立っていて。
「ふふっ…死んじゃったと思った?」
そう言って、彼女は微笑んだ。
――僕は嬉しくて、泣きそうで、
――やっぱり泣いてしまう。
不意に…彼女が抱きついてきて。
「…涼介。これ…見て?」
彼女が胸ポケットから取り出したもの。
それは――綺麗に穴の開いた、あのグッズだった。
「あ……」
そこで僕は気付く。
初めてこれを渡した時も、零花は胸ポケットに入れていた。
つまり、この穴は――銃弾の――?
「…あと数ミリ深かったら、ダメだったって。お医者さんに言われたの」
「……ごめん。ごめん――」
「…ごめんじゃないよ」
華奢な手が、僕の涙を拭った。
「それと、私ね――人の心、読めなくなったの」
「え――?」
「何でだろうってずっと考えてて。それで…気付いたの」
彼女の瞳が、揺らめく。
「たぶん――私が、もう普通の女の子になれるってことなんだと思う」
「………」
僕の生きる意味。
それは、彼女が普通の女の子になること。
これで僕の生きる意味も、果たされる。
「……涼介は?」
「……え?」
「これから……どうしたいの?」
――僕は。
――出来ることなら、零花と一緒に居たい。
でも、彼女が生きているって、奴らにバレたら。
僕と一緒にいる、ってバレたら。
きっと彼女は命を狙われる。
そうしたら普通の女の子でいられなくなる。
そうだ。
君が普通を望んだように。
――僕も、特別になればいい。
そうすれば君は、僕なんかに幻滅して――
二度と会いに来ないだろう。
「……」
彼女の手を、そっと振りほどく。
「涼介…?」
「残念だけど――ここでお別れ」
「え…どうして――」
「僕は特別なんだ。他の奴らとは違うんだよ」
懐かしい言葉だった。
反吐が出そうな言葉だった。
でも、これで君の幸せは守られる。
「……」
彼女は納得がいかない様子だった。
やがて――。
「カッコ、つけないでよ……」
「……」
聞き覚えのある言葉――けれど、声色は優しくて。
「人の心――読めなくなったんじゃ…」
すると彼女は、静かに言った。
「だって――涼介は、分かりやすいから」
「……はは。そっか…」
思わず――頬が緩む。
零花も、笑顔を浮かべていた。
「それじゃあ――」
彼女が、僕から離れる。
「――またね」
「……うん」
彼女との距離が、また、遠くなる。
それでも、君はきっと生きてるんだろう。
心臓の音を確かめなくても、分かる。
だから、また会える日までは、
お別れ――
「――涼介っ」
「え――?」
廊下に出たはずの彼女が、戻ってきて。
「――大好き」
そう言って。
また、去って行った。
「……うん」
心臓の音は聞こえない ShiotoSato @sv2u6k3gw7
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