〈後編〉

③真夜中の冒険


 「ある女子高生は、都会の女子寮で生活をしていました。仮にAさんとしましょう。Aさんの高校は名門の女子校で、通学の生徒もいましたが、実家が遠方でもどうしても入りたいという生徒が後を絶たない程の人気の学校です。ただ、Aさんの場合は、ちょっと事情が違いました。小学生の時に両親が交通事故に遭って亡くなっていました。それで高校に入るまでは、親戚に育てられていたのです。親の残した財産もあり、また親戚も裕福だったのですが、Aさんは少しでも早く自立したいと考えていました。


 そのような事情があり、Aさんは他の同い年の子よりしっかりとした考えを持ち、大人びていました。そして、いつしか周りのクラスメート、寮生からはかなり、浮いた存在となっていたのです。

 クラスで話題となっている芸能人やゲーム、オシャレの話題も、彼女にとっては退屈で、どうでもよい事でした。

 敦君ってってカッコいいよね、とか、まぁ君って最近テレビで見かけないから落ちぶれたみたい、とか、そんな話です。

 でも、かと言って彼女に推しがいなかったかというと、決してそうではありませんでした。彼女は勉強しながらよくラジオを聞いていて、深夜放送のパーソナリティであるサミュというタレントをとても尊敬していたのです。

 サミュがパーソナリティを務めるのは金曜日の夜中……というより土曜日の朝方でした。

 サミュは、謎のベールに包まれた存在でした。分かっているのは、サミュというのは芸名で、外国人ではなく日本人という事くらい。彼の素顔は明かされる事なく、雑誌等で取りあげられる時には、ボサボサの髪に帽子を被り、サングラスをかけたいつも同じ似顔絵が載ってありました。本人もラジオで、「自分はデブでブサイクだし」と言っており、外見を揶揄されるのがイヤで、写真を公開しないし、テレビにも出て来ないという意見が一般的でした。

 それでもAさんが彼に憧れていた理由は、彼の知性ある話し方、そして時折、自分のラジオ番組でギターの弾きながら披露する、その甘い歌声でした。

 サミュは、色々な物事に対し、独自の繊細な感性を持って話し、Aさんはその一つ一つに心を動かされていました。Aさんは、毎週、熱心に番組あてにファンレターを送っていて、時にはそれが読まれる事もありました。

 少し不安だったのは、ラジオ局はもっと人気のある他のタレントの番組に差し替えたがっているという噂が以前からある事。そしてある日の番組の最後で、突然、来週、重要なお知らせがありますとの予告。次の週の放送では、翌週が最終回というショッキングな告知がありました。週刊誌の表紙に「異色タレント、名物番組を緊急降板させられる!?」との見出しが小さくついていたのはこの時期です。

 Aさんがコンビニで立ち読みし、内容を確認したところ、「サミュはスポンサーに配慮しないトークでスポンサーを怒らせてしまい、降板させられた、ラジオ局は元々もっと人気の高いタレントの番組に差し替えたかった」という内容でした。

 ショックを受けたAさんは、署名活動でも何でもして、彼の番組が失くなるのを阻止したいと勇ましく考えていました。と言っても、彼の番組は実際、大人気というよりは、知る人ぞ知るといった感じで、一部の熱烈なファン――大半は男性ファンのようでしたが――が支持しているだけ、という事は、賢い女子高生には十分、分かっていたのですが。

 最終回の放送は、Aさんが月に一度、養父母の元に帰り、週末を過ごす事となっている週末でした。

 Aさんにはふっと湧いたような、一つの計画がありました。それは金曜日の夜中に放送局に行ってみる事です。通常、サミュの放送は、生放送ではなく、録音でした。でも最終回の一週前の放送で、次は生放送になるような匂わせがあったのです。養父母には、どうしても事情があって、帰るのは土曜の朝になるといっておけば良いと思いました。思慮深く慎重なAさんの行動に養父母が不審感を抱く事はまずなかったのです。

 Aさんは、その日、最終回の放送をタイマー録音とし、帰省の外泊と言って、寮を出ました。

 夜中の都会の街は、人で溢れていて昼間のようにも思われます。しかもAさんと同じ年代も多く、真夜中の冒険と考えていたのが、少し拍子抜けに感じられました。

 それでもラジオ局が近付くと、Aさんの胸はドキドキしてきました。ラジオ局の出口前には、生放送を終えた人気タレントを待つ出待ちのファンがいるものです。ただサミュは大人気タレントというわけでもなく、また通常は録音の放送です。にも関わらずAさんと同じく、今日が生放送である事を察知したファンが十人位、出待ちしていました。Aさん以外は大学生位の男性ばかり。Aさんも含め、ファンは携帯ラジオで放送を聞きながら、待っていました。早春の、まだ寒い時期で、Aさんはマフラーを首にくるくる巻いていました。

 やがて番組は終了し、しばらく経ちましたが、関係者以外出てくる気配はなく、そのうちラジオ局のスタッフが「サミュさんなら、もう別の出口から出ていて、ここにいないから」と言い、ファンに、もう帰るように言いました。渋々と引き上げる男性ファン達。それを見ながらAさんは、一人、諦めきれないような気持ちでその場に佇んでいました。こんな形での最終回。サミュはきっとすごく気落ちしているに違いない、と。

 するとそれからちょっとして、またスタッフのような三人組の男性と一人の女性が出口から、出て来て、Aさんはそのうちの一人、最後に出て来た背の高い野球帽の青年と眼が合いました。そしてその眼を見た時、その風貌は、サミュの似顔絵とも、本人がラジオで話している風貌とも全然違うのですが、なぜかその人物がサミュであるという確信を持ちました。直感というのでしょうか。というより、眼が合った瞬間に、相手が、ハッとした表情を浮かべてこちらを見つめたからでしょう。相手はまるで向こうもAさんを知っているかのような表情だったのです。

 Aさんは意を決して、三人組に近付き、さっきの背の高い野球帽を目深に被った青年に対して話しかけました。


「こんにちは。あなたはもしかしてサミュさんではないですか」と。相手は明らかに戸惑っていました。「私はどうしても最終回に直接会い、サインをもらいたいという一心で、ここまで来たんです」

 Aさんはそう続けて言いました。


 青年はやっと口を開きました。

「君はもしかして『名無しっ子』さん?」


 それは、Aさんが彼の番組にハガキを出す時のペンネームでした。Aさんは大感激でした。

 青年、いえサミュは、他の二人に先に行っててという合図をし、Aさんをラジオ局の入口ロビーに呼び、立ったまま話をしました。

「僕……サミュのサインを?」


「はい。私、大ファンなんです。あの……ハガキに書いた、その通りなんです」

 Aさんは、寮から持って来ていたA4のノートの白紙の一ページ目とボールペンとを差し出しました。


 青年はひらがなで丸文字のようなサインをかき、最後に星で締めくくりました。その横顔を見て、Aさんはふと見覚えがあるような、不思議な感じをおぼえました。似て見えました、ほんの少し前までクラスの子達が夢中になっていたアイドルグループの一人に。確か、まぁ君。寮の同室の子が以前ポスターを貼っていて、見慣れていたので分かるのでした。確かそのグループはかなり前に解散するか、活動休止かになっていたはずです。


「あの……」Aさんは、以前サミュが放送で話していた故郷の話を思い出し、故郷に帰るのか訊こうと思い、「サミュさんは帰っちゃうんですか?」と訊いたのです。相手は少し寂しげな笑顔で「帰らないよ」と一言。「以前のアイドルグループの頃の僕には」


 Aさんは心の中がパニックになっていました。――え!? じゃあ、サミュさんは、やっぱりまぁ君? サミュさんは実在していないの? それとも実現しないのはまぁ君の方? ――


 サミュはまるでAさんの心の声を聞いたかのように言いました。

「そう、僕はアイドルグループ“hard buiscuits”の雅也なんだ。みんなを騙すつもりはなかった」


「でも、どうしてそんな?」


「真実の僕を見てほしかったから。単にビジュアルでなく、僕が歌っている歌の真価とか、本当の気持ちとか」


「それは以前のグループではムリだったんですね」


「うん。見かけばかりを絶賛する女子とか、見た目がナヨナヨして見えるとかで音楽性まで否定する男達とか、うんざりしていたんだ」


「それでは、今はそうではなくなったんですね?」


「うん。この二年間、幸せだった。見かけでなく歌を褒めてもらったり、考えに賛同してもらえたり。名無しっ子さんもそんな大切なファンの一人。初めは昔のアイドルグループのメンバーだった頃のファンがもって思ってたけど。正直、ここで、見かけた時も名無しっ子さんが昔の僕を知ってるファンかと疑った。でも違ったんだね。


 この二年間はリスナーの人達と共感できたし、本当にすごく面白かった」


「じゃ、ラジオの番組が終わるの、イヤではないんですか? 私、署名活動も考えたんです」     


「ハガキにそう書いてあったよね。でも今回、降板したのは、本当言うと僕の都合なんだ。二年間、冬眠したように土の中で栄養を補給してきたけど、そろそろ外に出る頃かなって。実は海外のミュージカルのオーディションに受かったんだ。来週には渡米する。そういう準備も怠りなくずっと続けてきたから」


「え…」Aさんにとっては足元の地面が崩れるかのような衝撃でした。

「……そ、そうだったんですか? じゃあ、全然ザンネンなんかじゃなくて、『おめでとうございます』だったんですね。来週には渡米って……」


「名無しっ子さんなら、きっとおめでとうと言ってくれると思ってた。僕の門出を祝ってくれるって」


「もちろんです。うれしい。おめでとうございます」と言いながらもAさんは眼に涙が溢れてくるのを感じていました。


 周囲が涙でぼやけ、Aさんには、街の灯りがとても美しく視えていました。その美しさがきっとあとから自分の心の傷を癒やすだろうと思いました。



 ④やはり刑事の資質がない



「Aさんのお話はこれでおしまいです」


 聞き入っていた私が、はっと目を上げると、ようやくバスが到着したところだった。バスの中は満員で、今の話についても触れそびれ、挨拶をし、それぞれの帰路についた。



 それから一週間後の水曜日。

 また、帰りのバス停でさと子先生に会ったら、この間の話についてと、あとちょっとした報告をしようと思っていた。

 ところが水曜日のバス停のベンチにワンピース姿の彼女はいなかった。仕事で今日は残業をしなくてはならなかったのだろうか?

 翌日、事務の女性、山ちゃんにその事を話してみた。

「毎週、水曜の帰りのバスで心療内科のさと子先生と一緒になって、世間話とかしてたんだけど、昨日は一緒にならなかったんだよ。昨日は忙しかったのかな」

 話しながら、果たしてあれは世間話に入るのだろうかと考えていた。


「あら、さと子先生は一週間の夏季休暇中ですよ。六月から九月までウチの病院の先生方は、交代で一週間の夏季休暇をとるんです」


「おお、夏季休暇か。それでいなかったのか」


「外来案内にも掲示してありますよ。あと、ホームページにも」


「そうか。では先生はノンビリと夏休みを過ごされているんでしょう」


「ノンビリしているかな。意外とアクティブなんですよ、さと子先生は。海外で舞台俳優をされているダンナさんがこの夏、帰国するんで、それに合わせて旅行するって言っていました」


「ええ!? 海外で舞台俳優って。まさか!?」


「中嶋さん、何をそんなに一人で驚いているんですか? もしかして芸能人コンプレックスですかー?」


「いや、そんなわけじゃ……。ただあまりに驚いて」

 そりゃ驚くさ!



「大げさですよ。確かに私も最初に聞いた時はびっくりしたけど。でもさと子先生だって、朝の情報番組で、ティーン外来を取りあげられ、テレビに出た事、あるんですよ。それにウチの他の先生だって……」


「いや、それはいいが、先生の旦那さんって、その、もしかして昔、ラジオ番組のパーソナリティをしてなかった?」


「ああ、そう言えば、そんな話、聞いた事あるような」


 張り出された外来診療表を改めて見る。旧姓で勤務していた時期のある医師の名には括弧書きで旧姓も書かれてある。湯川さと子という名の下には括弧して、「江下」と書かれてあった。

 江下、えした、Aさん、えっちゃん……。

 なるほど。思わず額に手を当て、笑ってしまった。彼女らしいな。私が今度話そうとしていたささやかな報告を軽く覆してしまい、いつの間にか彼女が舞台の中央に立っている。

 でも、まあ今度会ったら、この報告は、ちゃんとしよう。くだんの金を貸してた前科者が、「少し落ち着いたのでこれから少しずつ金を返していきます」と連絡をしてきた事。この件に文句一つ言わなかった妻にこれで少しは顔向けできる事。

 この間の彼女の言葉を思い出していた。


 「真実も時としてハッピーエンドに繋がる事がありますよ」





〈Fin〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真実をみつける小さな旅 秋色 @autumn-hue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ