真実をみつける小さな旅
秋色
〈前編〉
プロローグ
刑事としてあまり優秀でなかった。年をとり、引退する時にそう実感していた。総合病院の警備対策の人員として第二の人生を歩み始めた時、こういう仕事の方が向いていたのだと感じた。頭が良くなく、人や物事の裏を勘ぐる事ができなかったから。
①文庫本
病院に勤務し、二週間が過ぎたある水曜日の仕事帰りの事だった。夕暮れ迫るバス停でベンチに座っていた。と、すでにベンチに座ってスマートフォンの画面を見ていた中年の女性が軽く会釈した。アイボリーのワンピースを着た上品な感じの婦人。誰だっただろうか。このバス停にいるという事は、病院関係者だろうか。
この二週間の間に出会った、様々な顔を思い出し、病院の心療内科の医師、湯川さと子に思い当たった。湯川という名字の医師は、院内に二人いるので、こちらはさと子先生。先週行われた十代の子を対象とした心療内科の院内イベントで講師をしていた。このイベントの警備についていた私は、事前に彼女に挨拶したのを思い出した。
初めて会った際、女医にしては地味で、大人しそうなタイプという印象を受けた。と言っても、それは、テレビのドラマ等で勝手に女医に、気が強かったり横柄そうだったりというイメージを抱いていただけ。
ここに勤務するまでは、普通にバスや電車で医者が通勤するという事も知らなかった。お付きの運転手がいて車で送り迎えかと。それを話すと、事務の女性から、「みんながみんな、大病院の医療法人の会長なんかじゃないですから」と笑われた。
「今、お帰りですか?」とさと子先生が話しかけてきた。
「はい。先生も今日は早いんですね」
「ええ。水曜日は残業しないんです」
やってきたバスに、共に乗った。つり革を持ち、並んで立っていた。バスは満席だった。足元を見ると、さと子先生はハイヒールを履いていて、立っているのがきつそうだった。ふと後方に目をやると、この二週間、バスの中でよく見かける髪を後ろで結んだ女子高生が後ろの方に座っている。次のバス停でいつも降りる子だ。
私は小声で言った。
「あの文庫本を読んでいる後ろの女子高生、次で降りるので、席、空きますよ」
さと子先生は微笑み、言った。
「ありがとうございます。でも彼女は文庫本を読んでいるわけではありませんよ」
「え?」
次のバス停が近付いた。何気なさを装い、女子高生を見ていると、おもむろにペンケースから出したマーカーで、持っている本らしきものにチェックを付け、シールのように見える物を貼ると、にっこり笑って鞄の中に仕舞った。そしてバスが停車すると同時に、座席を立ち、降りていった。
思わず隣の女医を見ると、思わせ振りな含み笑いをしている。
私が勧め、さと子先生が腰掛けると、思い切って尋ねてみた。「なぜ彼女が持っているのは文庫本ではないと分かったんですか。サイズも質感も文庫本みたいだったのに」
「ああいう文庫本風の手帳があるんですよ。彼女の視線は縦に動いてなかったでしょ? 手に持った物のある一点から動いてなくて、それでいて時々上の方を見たり、窓の外を見たりしていました。あれは、楽しかった出来事、又は楽しみな予定を考えている時に人がする事ですよ」
「すごいな……。まるで本物の刑事みたいだ」
それからしばらくし、私の最寄りのバス停が近付いたため、さと子先生に挨拶し、バスを降りた。一番星がすでに藍色の空に瞬いていた。
私は、同僚、後輩より大きく差をつけられていった自分の刑事人生、刑事としての資質の無さを久し振りに振り返っていた。
②ダンサーとかいぎ
翌週の水曜日、バス停で再び、さと子先生と一緒になった。今日は水色のワンピース姿だった。
「こんにちは。お仕事にも慣れましたか?」
「はい。この間はどうも。先生には脱帽しました」
「え?」
「文庫本を読んていると私が勘違いしていた女子高生の事です」
「あー、あれですね。でもそんなに大した事では」
「いえ、そういう勘とか分析力とかが私にはどうも欠けていて。単細胞というか。時に犯人を取り逃がす事にもなったのです」
「まあ、嫌な事を思い出させてしまったのなら、ごめんなさい。でもよく分からないのですが、警察の仕事も病院と同じで、一人で動くというものではありませんよね。連携プレーなので、一人で責任を感じなくても良いのではないでしょうか?」
「連携プレーでも、こちらで間違って情報を受け取ってしまう事があったんです。一度、密売の現場に急遽駆けつけた事がありました。容疑者はダンサーの女性でホテルのロビーにいる、という情報だけ。先生ならダンサーをどうやって識別しますか?」
「そうですね。医者なら、その体型かしらね。筋肉の付き方で、どの位の運動を普段しているかが分かるかも」
「やっぱりそうですよね」
はあっと溜息をついた。「私は、その場にいた二人の女性のうち、茶髪で派手な服装の若い女をマークしたんです。もう一人は、黒髪の大人しそうな中年の女性で、本を読んでいたので、除外してしまってたんです。ところが黒髪の方が容疑者だったんです。痛い失敗でした」
「情報が少なかったのですね。それに容疑者は、見つからないよう、なるべく除外されるべく変装していたのでしょう。人には皆、固定観念というものがあります」
「そうですね。自分は固定観念に縛られているのでしょう。一般の人ならまだしも刑事としては致命的で。いや、それ以前に自分はちょっとおかしいのではないかと思う事があるんです」
「思い込みすぎでは?」
「いえね、上司も首をひねっていましたよ。『かいぎを持て』と言うから、『いつにしますか? 会議は』と答えたら、『懐疑だ』と怒られました」
さと子先生は、声を上げて笑っていた。「ごめんなさい。でも中嶋さんって面白い方ですよね」
「いえ、いいんです。自分は真実からは程遠い人間です。それで何とかメンタルをやられず来れたのかも。こんな事を言ってはなんですが、刑事も医者も真実を突き止めるのが辛い職業ではありませんか」
「真実を突き止めるのは、個人的には好きです。突き止めるからこそ、問題への対処法を考えられると思うので」
「それはそうですが、こんな自分でもが時として人が信じられなくなる時もありましたよ」
「人が信じられなくなる時……ですか? 例えば容疑者でないと思っていた人が罪を犯していたり……ですか?」
「それもあります」
「中嶋さんは素直に物事を捉える、お優しい方だと、この間、帰り道が一緒になってから思っていました。これまで中嶋さんが捕まえられた方も、自分を捕まえた相手が鋼鉄のような心の持ち主でなくて、ほっとしている所、あると思いますよ」
「そう言ってもらえた事も確かにありました。でもまたそう言った相手に裏切られてるんですよ」
「え? そう言った相手とは?」
「昔、自分が捕まえた空き巣の窃盗犯に街なかで再会したんです。相手は出所した後でした。『あの時、オヤジさんに捕まえてもらって、真っ当な道に戻れて良かった。今では妻と子と幸せに暮らしています』って」
「それで? その話は真実でなかったの?」
「それ自体は真実だったと思います。写真も見せてもらったし。でもその後、一緒に屋台で飲んだんですよ。その時、『調理場で働いていますが、子どもが病気でまとまったお金が必要になったんです。保険のきかない治療が必要と言われて……。お金を少し貸してもらえませんか?』と言われ……」
「貸したんですか?」
「はい、貸しました」
「その相手とは、その後連絡がつかなくなった……とか」
「その通りです。やっぱり刑事でなくても分かる展開ですか」
「はい、いえ、あの、何となくそんな気がして」
「いえ、娘はそう言うんですよ。そして『パパはあり得ない』って。ちっちゃな頃は刑事のパパがいるって近所の子に自慢してた時代もあったのに。ホント、自分は才能のない仕事に半生を費やしました。時間だけでなく、財産も」
自分はいつしか頭を垂れていた。
「まぁ、そんなに落ち込まないで。話が変な方向に行っちゃいましたね」
「いえ、自分が変な方向に話を持っていきました。スミマセン。真実を突き止めるというのは酷な事です」
「でも真実も時としてハッピーエンドに繋がる事がありますよ」
「そうですかね。例えば?」
その日、近辺で起きた事故による渋滞でバスは大幅に遅れていた。さと子先生は話し始めた。
「例えばね、ある女子高生の話」
「ほう。女子高生の。流石に病院で若い子専門の外来をしていたり、イベントをしているだけあって、様々な事例に詳しいんですね」
「仮にその子をAさんとします。いえ、それだと味気ないので、えっちゃんにしましょうか」
「いや、仮名ならAさんの方がいい良いのでは?」
「では、やっぱりAさんにします。事件てはないんですけどね」
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