第一章

森の出会い

 赤巻透は、大が付くほどのファンタジー小説好きである。

 だが、ただ好きなだけだ。よく読むが、知識が深い訳でも、世界観を理解し尽くしていて考察したりするような類いではない。強いて言えば、自分が異世界に行ったらどうなるか。そんな妄想をするくらいであろう。


「おはようさん!」


「うおっ、びっくりした……。なんだ大智か。おはよう」


 重本大智は、透と仲の良いクラスメイト。気兼ねなく話せる友達だ。

 根っからの野球少年で、彼とつるむ時以外は、基本的に野球のことしか考えていない。


「なんだ〜? また夢の中のお姫様を救ったたのか?」


 そして、ファンタジーを愛する彼をからかうことがしばしば。

 だが、別に軽蔑していたり、見下している訳ではない。ただの友達同士のじゃれ合いだ。

 透もそれを理解しているから、本気で怒ったりはしない。


「あ? なんだこのヤロウ、一週間ライトノベル読みの刑に処すぞ?」


 透の方からもじゃれていく。


「あ〜やだやだ、押し売りだなんて酷い人」


「バーカ、お前が活字死ぬほど嫌いなだけだろ」


 大智は、結構馬鹿である。

 本人が認める馬鹿であり、透以外と絡む時にはそういうお調子者キャラで通っている。

 こうやって中身のない話をしながら登校するのが、彼らの毎日の日常である。


 キーンコーンカーンコーン


 ウェストミンスターの鐘。ビッグ・ベンの有名な鐘の音。日本の学校に通う者なら誰でも聞き馴染みのあるメロディ。

 二人も例外ではなく、これを校門を潜る前に聞こえるというのは、焦りを加速させるというものだ。


「やべっ遅刻だ! 急ぐぞ透!」


「ちょっと、待てよ! 野球部エースの脚に一般中学生が追いつける訳ないだろ!」


 大智は焦りのあまり、透を置いて駆けて行ってしまう。

 彼らをそこまで焦らせるものは何か。

 強いて挙げるとするならば、あの強面体育教師、佐川だろう。ゴリラゴリラと呼ばれる彼は、遅刻する生徒を許さない。

 どれほど恐ろしいかというと、遅刻魔の井上が佐川の転勤以来、一度も遅刻しなくなった程だ。

 既に校門を潜っている大智の手前には、仁王立ちの佐川がいた。

 遅れてはならない。遅れたら終わる。

 そんな気持ちを掻き立てられ、透は全力疾走する。

 俺は、光になるのだ。

 チャイムが鳴り終わるギリギリのところで校門を潜り抜けることができ———————————————————————————————————————————————————————————————



 森だった。

 校門を潜り抜けた先は、森だった?

 では、佐川は?

 学校は?

 大智が待ってくれていたりしないのか?

 見知らぬ土地に突然居たことの恐怖、帰り方が分からない絶望………

 それらを押し退けて、一番最初に自分の思考を埋め尽くしたものは、混乱。

 まだ社会も知らない中学生。サバイバル術を趣味として学べる機会は、全てファンタジー小説を読み耽ることに費やした。そんな彼が突然森に放り出されても、生き残れるはずがない。彼には特別な能力などないのだから。

 ———少なくとも、今はまだ。


 …………。


 ぐるぐるする思考を抑えて、やっと冷静になった。

 透には山や森で遭難したときの正しい過ごし方など知らない。

 ただ闇雲に歩いていく。

 なんとなく、本当になんとなく、ただ漠然と「このまま森から抜け出せなかったらどうしよう」などと考えてしまった。

 その先に待ち受けるものは———餓死。

 背筋に寒気が走る。

 余計な不安を感じて、無駄に精神を擦り減らすものではない。

 そう分かってはいる。分かっているのだが、考えるなと思うほどに考えてしまう。

 すると、草むらの向こうから物音がした。

 もしかして、人か?

 でも小動物かもしれない。それだと覗くのは無駄足になる。

 だが、人なら助けてもらえる可能性をみすみす捨てることになってしまう。

 そのわずかな希望を胸に、草をかき分けて覗き込んだ。

 ———熊だ。

 攻撃的な熊として有名なヒグマ。透は実物を見たことはないが、それを優に4〜5倍上回るサイズの大熊だと、すぐに理解する。

 今は四つ足を全て地面に置いているから目線の高さは同じだが、仮に立ち上がったとしたら………その体躯の差故に恐怖し、あるいは失禁するかもしれない。

 そういえば最近ニュースを見た。人が熊に喰われたようなニュースを。

 透の脳裏によぎったのは———死。

 ああ、もう駄目だ。

 喰われて死ぬのと、餓死するのとではどちらがより苦しくないだろうか。

 そんな後ろ向きな………死に対してという意味では前向きかもしれないが、人生に対しては後ろ向きな思考を始めていたときだった。


「【フレイムジャベリン】!!!!」


 男……いや、少年の声がした。

 途端に大熊が悲鳴を上げる。

 背中に、燃え盛る大剣が深く刺さっていたのだ。


「オッラァ!!!!」


 その後の何者かの飛び蹴りによって、大熊が転倒する。

 その何者か———鎧に身を包んだ逞しい体つきの少年は大熊に刺さっている大剣を引き抜いて、再び構えた。

 そして羽衣のような美しいローブを見に纏った少女がそれを追って駆け寄り、横に立つ。

 体勢を立て直した大熊は、この少年を警戒すべき敵として認識した。

 後ろ足のみで立ち上がり、その巨躯を誇示しながら唸り声をあげた。

 透の予想した通りのその巨大さは、自らが食される側なのだと実感させられる。

 して、それでもなお怯まない少年。


「ヌゥン! 【ファイアブレイド】!!!!」


 彼が力いっぱい振るった大剣は、大熊に避ける隙さえ与えることなく、脳天から腹まで一気に掻っ捌いた。

 その後に残った少し焦げた臭いは、とても印象的だったと透は感じる。

 その臭いは、大熊の死を盤石なものにしたためだ。

 大剣から血を落とし納刀するのと同時に、少年は透の方を向いた。

 透は思わず身構える。

 少年は透の肩を叩いて、笑顔を見せながら言った。


「ようこそ勇者。この世界に」


「………え?」


 困惑する透とそうさせた少年の間に、少女が割って入った。


「ちょっとタツヤ、いきなり言われてもびっくりするだけでしょ! ごめんね、順を追って説明するわ。私はサヤカ・ハタナカ。この馬鹿がタツヤ・カンザキ。私は水の勇者で、この人は炎の勇者なの」


「ちょ、ちょっと待って。いきなり勇者とか言われるとびっくりなんだけど」


「まぁ、確かにそうよね、それが普通の反応よね……。タツヤみたいに当たり前のように受け入れるのはおかしいはずなのよね……」


「でもお前が勇者だ、って言われたんだぜ? 嬉しいに決まってるだろ」


「嬉しい嬉しくないの話じゃないんだけど……ハァ」


「……えーと?」


「あぁ、ごめんなさい。私達は、この世界に新たな勇者が転移してきたのを知ったから、ここに来たの。格好的に、あなたここの世界の住人じゃないでしょ? 例えば———前は地球にいたとか」


「……なんだかここが地球じゃないような言い方に聞こえるんだけど」


「その通り! ここは地球じゃない!」


「もう、いちいち大声出さなくてもいいでしょ、タツヤ! うるさい!」


 一呼吸置いて、深呼吸をするサヤカ。


「……今言った通り、ここは地球ではない別の世界『グラヴィニテ』。あ、そうだ。君の名前も教えてくれるかしら?」


「赤巻透、です……だ!」


 思わず敬語を使ってしまった透は、中学生なりの恥ずかしい気持ちから、敬語は使っていないというアピールのような言い直しをした。


「それは、どこまでが名字?」


「赤巻が名字で、透が名前」


「そしたら、この世界に合わせて〝トオル・アカマキ〟と呼ぶことにしましょう。よろしくね、トオル」


「よろしくな!」


「あ、こちらこそよろしく」



 彼らとのやりとりは、先程までの恐怖や混乱を自然と洗い流してくれる。

 土地勘があったのか、二人と共に森を歩くと、簡単に抜け出すことができた。

 小一時間彷徨っていたのはなんだったのかと思ってしまう。


「これから、この馬車に乗って『ディメンタリア王国』に行くわ。王様に会って、あなたが勇者かどうか一応確認してもらうの」


「確認って、どうやって?」


「勇者にはね、それぞれ対応した五つの属性があるの。私は水で、タツヤが炎みたいにね。他には風とか、土とか、あと光とか。その属性の勇者にだけ反応する水晶っていうものがあるんだけどね、それを保管してるのがディメンタリアの王城なの」


「例えば、俺が触ったら燃え上がる炎が映し出されるんだ」


「まぁ、とにかく着けば分かるよ」



  ◇



 馬車に揺られて小一時間。

 正面に立派な城が聳え立つのがよく見えるここは、ディメンタリア城下町。

 メインストリートは馬車が行き交い、人が行き交い、出店の屋台が軒を連ね、どこもかしこも繁盛していた。


「起きて、そろそろ着くわよ」


 馬車の揺れに身を任せ、どっと出てきた疲れで寝てしまっていた透は、目に飛び込んできた非現代的な街並みに釘付けになる。


「すげぇ、本当に異世界に来ちゃったんだ……」


「ふふっ。私達、初めて来た時はみんな同じリアクションなのね」


「俺の時もあんなに可愛かったのか」


「いや、タツヤは可愛くなかったわね」


 二人のやりとりは、付き合いがそれなりに長いことがわかる。それこそ、透と大智の付き合いくらいは長い。


「しっかしまぁ、久々の加入になるな」


「以前出てきた勇者の人は、結局見つからなかったものね」


「見つからないこともあるんだ……。てか、そもそもどうやって見つけてるの?」


「それを説明するには、一つずつ順を追って説明していく必要があるわ。

 まず、この世界には戦うべき敵ってのがいるの。名前は『次元獣』。あいつらは世界同士の間……次元の狭間からやってきて、世界を荒らし回るの。だから私達は勇者として、そいつらと戦うってわけ」


「しかもどういうわけか、奴らと戦えるのは俺たち勇者だけらしい」


「だから、いち早く私達が戦線に立てるように世界中にビーコンを設置したの。時空間異常が起きたら知らせてくれる、特別なものよ。

 で、このビーコン、私達みたいに別の世界からこの世界に転移してきた存在も探知してくれるみたいでね。しかも反応が『次元獣』発生時とは都合よく別物で。これが〝勇者の出現〟を知らせてくれる役割も担うようになったってわけ」


「じゃあ、前見つからなかったってのは」


「どうなんだろう、誤作動かな? 過去に同じ事例はなかったから、何かしら来てたけど単に私達が発見できなかっただけかもしれないし」


 まだ話の途中、といったところで馬車が止まった。


「着いたみたいだな」


「さぁ、行きましょう」


 親鳥の後を追う雛のように、二人について行く透。

 絢爛豪華な外装、内装は思わず目を奪われる。パリにあるヴェルサイユ宮殿のようだ。

 透は本物を見たことはないので、なんとなくイメージで補っているだけだが。

 長い廊下を抜け、玉座の間に辿り着く。

 三人がその前に立つと、大きく重い扉を従者と思しき二人の男がゆっくりと開く。

 目に入るのは、より一層煌びやかな装飾と、またそれに負けない輝きを放つ衣を身に纏う男、国王だ。


「さあさ、堅苦しいものは無しにしよう、入って参れ」


 国王の言葉に応じるように二人が進むので、透も続けて入って行く。

 玉座手前の段差の、さらに手前で止まると、国王は手をかざした。


「楽にしてよいぞ」


「王様、勇者を連れて来たぜ。なんの勇者かわかんねぇけどな!」


「それは、今から分かることじゃ」


 国王が手を二回叩くと、五人の男女(おそらく従者だろう)がそれぞれ水晶玉を置いた台を持って出てきた。

 それらを透の前に置くと、従者達は隊列を乱すことなく壁際に整列した。


「え〜っと、これ触ってもいいの?」


「触っていいとも。お主の秘めたる属性を知るためにはそれしかないからのう」


 国王の言葉を聞いた透は、恐る恐る真ん中の水晶玉に触れる。

 すると、それは眩いばかりの光を放ち、玉座の間を光で埋め尽くした。


「お、おぉ……」


 思わず感嘆の声を上げる透。


「なんと、お主は光の勇者じゃったか!」


「すげぇな、お前最強の勇者だぞ!」


 国王が驚嘆した。

 隣ではしゃぐように喜ぶタツヤだが、透はイマイチ理解していなかった。


「ああ、お主は転移してきたばかりで知らなかったのう」


 そう言うと、国王は懐からボロボロの紙切れを取り出した。


「この古文書に、それが記されておる」


「……読めないんですけど」


 手渡されたが、透には全く理解できない記号の羅列にしか見えない。

 助け船を出したのは、サヤカ。サヤカの手助けによって、透もなんとか古文書を読むことができた。


〝コノ世界 異 界ノ魔 現ルル時世界ニ 光ノ勇者現 世界ヲ救ウ〟


 ところどころ擦れていたりして、全く解読出来ないものもあったが、概ね内容は理解できた。

『次元獣』が出現するようになった時、光の勇者が世界を救ってくれる。

 多分、予言書の類いだろう。


「これが正しいのであれば、間違いなく光の勇者が最強であろう」


「なるほどね」


「まぁ、私達の使命は変わらないから、そこまで気にしなくてもいいわ」



「———さて、我々からお主へプレゼントだ」


 国王が再び手を叩くと、従者が鎧と幾つもの武器を持って出てきた。


「好きな武具をくれてやろう。数に制限はない。お主に合うものを気の済むだけ持っていくがよい」


「うわぁ……! 迷うなぁ……!」


 透は、ワクワクしていた。

 念願、というのは少し違うが、ずっと妄想していたことが現実になっているからだ。

 これは冒険の始まりであるということを考えると、異世界転移というものを再認識して、興奮してしまう。


「うん、よく似合ってる!」


 透が選んだ物は、シンプルな長剣であった。

 ただの中学生であったはずなのに、鎧の着こなしがあまりに様になっている。

 サヤカもつい褒めてしまう。


「なんか、昔の知り合いによく似てるな……」


 サヤカの続ける言葉に、キョトンとする透。

 サヤカはすぐに「なんでもない」と誤魔化したので、誰もそれ以上追求しなかった。


 すると、突然玉座の間の扉が開かれる。


「なんだ、騒々しい」


 国王の機嫌をそこねたことを無視して、飛び込んできた衛兵は叫んだ。


「新たに勇者が現れました!」


「うそ、こんな短時間で!?」


「面白くなってきたじゃねえか!」


「ふむ。ならば彼奴の無礼は不問としよう。さて、勇者達よ。新たなる勇者をここに連れて参れ!」


「おう!」


 国王の命令に、元気よく返事をするタツヤ。

 サヤカは、先程飛び込んできた衛兵に話を聞き始めていた。

 と、自分が何をすればよいか分からずキョロキョロしている透に、国王は声を掛けてやる。


「ほれ、お主も行くのだ。何、冒険の肩慣らしと考えればよい」


「よし、行くぞ!」


 透が心を決めるよりも早く、タツヤに肩を組まれて連行されてしまう。

 だが透は、未だ詳細が未知の冒険の胸を躍らせていて、やる気が満ちていたのだった。国王の言葉が後押しとなり、それは表に現れた。


「ああ、行こう!」



  ◇



 馬車というのは便利なもので、広大な大陸でかなりの土地を所有する王国の領地内を、ひとときで駆け抜ける。

 城下町から数時間かけてやってきた、ここは『ギルムテクシュ海岸』。

 静かな波と美しい砂浜。次元獣が現れる前までは、観光地として有名なスポットであった。

 だが、今は人が寄り付かなくなってしまっている。

 こういった光景も、勇者達が戦う理由となる。

 そして、この広い砂浜に、一つの人影があった。

 近づいて見てみると、その人影が身につけているのは現代日本で着用されるようなブレザーだった。

 それは、その少年は、勇者一行の接近に気付くと素早く距離をとり、身構えた。

 丸腰でも、その気迫だけで身を守れそうだ。

 そんなこともお構い無しに、タツヤは両腕をおっ広げて叫ぶように言った。


「ようこそ、異世界へ!」

 

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