2.鬼ごっこ②

 白い壁には、残り時間を示す数字が浮かび上がっている。ゲームが開始してから、既に2分18秒が経過しているが、誰一人として開始位置から移動する者はいない。それは、鬼が一向に追ってこないからだ。

「真桑くん、ありがとう。君のお陰で、僕らは楽にここから出られそうだ」

 大岩が、相変わらずの良い笑顔で鬼へと喋りかける。

「ぐううううッ!!」

 当の鬼はと言えば、どうにかその場から動こうともがいているものの、ただの一歩も踏み出せないでいる。両手で足を持ち上げようとしたり、飛び上がろうとしたりするが、自分の足がビクとも動かない。真桑にとって、途方に暮れる他ない状況であった。

「くあぁ~……」

 そんな中、大きな欠伸と共に菊場が動き出す。

「ヒマだから寝るわ……」

 結末が決まり切った映画に興味を失ったかの如く、菊場は鬼から一番遠い壁際まで移動し、寝転んでしまった。完全に舐め切ったその態度にさえも、今の真桑では成す術がない。1秒、また1秒と、時間ばかりが過ぎて行く。

「20キロって、要は2リットル入りのペットボトル10本分か。あの体型とはいえ、それを抱えたまま一歩も歩けないなんて事はないだろうけど……運動不足のせいなのかな」

 大岩は、依然として動けない鬼を見ながら、不思議そうに感じている。

「それにしても、何でペナルティが20キロなんですか?私、言いましたよね?爪を1枚だけ賭けて欲しいって。みんな片目を賭けていますから、正しくは200キロのペナルティの筈なんですけど」

 不機嫌な紫摩が、遠くの鬼に問う。

「だだ、だってぼくは体型のハンデがあるから最初の鬼に選ばれるのは不公平だろ!そそそ、それにみんなが10キロのペナルティを背負えば、公平なゲームになると思ったんだよ!!だから爪10枚を――」

「あー、はい。もう喋らなくて結構です。どの道動けないなら、結果的には何でも大丈夫なので」

「くそっ!くそっ!!信じたのに!!」

「……ハァ?」

 今にも泣きそうな真桑に対し、紫摩は苛立ちを募らせる。

「そういうのは、ちゃんと爪1枚を賭けた場合にだけ言ってくれますか?結局、あなたも私たちを出し抜いて勝とうと考えたから、賭ける爪を10枚に増やしたわけじゃないですか?」

「つまり、君と僕らはお互い様ってことだよ、真桑くん。お互い騙し合おうとして、最終的に君が負けたんだ」

 あと僅かで鬼の心が折れそうなところに、大岩が助け舟を出す。無論、それは真桑には向けられてなどいない。

「最初から、みんなでぼくを騙すつもりだったのか……」

「あのねぇ、これは勝負なのよ?しかも、自分の命や体がかかっている勝負なの!それを、簡単にハンバーガーと交換する愚かな子がいたら、誰だって考えるわよ!“自分はコイツよりはマシだ、こんな奴には負けたくない”ってね!!アナタは狙われるべくして狙われたの!!自分の行いのせいでね!!!」

 それまで黙っていた風間も、好き勝手に言葉を投げ付ける。

『5フンがケイカしました。ノコりジカンは10プンです』

 無機質な余命宣告が、ゲーム会場に鳴り響く。真桑の瞳から、涙がこぼれ落ちた。まだゲームは3分の1しか経過していないにも関わらず、既にもう彼の戦意は潰えてしまった。その鬼は、俯いたままぐすぐすと泣くばかりで、周囲の目など気にも留めない。

「……」

 これには、ほんの数秒前まで流暢に喋っていた紫摩や風間も、バツが悪そうに目を背ける。気まずい空気が場を包み込む。しかし――

「きゃっ!」

 それは、真桑からわずか数歩という距離。梅木の声だった。バランスを崩してその場に尻もちをついている。

「っ!?梅木ちゃん、早く立って!」

「大岩さん……!わ、分かってる!分かってるけど……!!」

 梅木の足は、綺麗に揃ったまま地面から離れようとしない。

「アナタ……まさかとは思うけど、ペナルティを受けてるんじゃないでしょうね?」

 風間が、梅木に問う。

「だ、だって!死んじゃうじゃん!!内臓とか目なんか賭けれないよ!!それに、爪20枚なら剝がされても貼るネイルで何とかなるし!!」

「なっ!?ならないわよ!バカなのアナタ!!」

 その場に似つかわしくない風間のツッコミが炸裂する。次いで――

ドスン。

「ふーっ……ふーっ……」

 血眼。鬼の形相。あと5歩。

「ひっ!?」

 真桑が、最初の一歩を梅木へと進める。

「やっぱり、さっきまでのは歩けない“ふり”か」

 大岩から笑顔が消える。

 一歩、また一歩。地を鳴らしながら、鬼は歩み寄る。

「こ、来ないで!やだ、来ないでよ!!」

 未だに立ち上がれない梅木は、必死に床に手を這わせるが、するりと滑るばかりだ。

『10プンがケイカしました。ノコりジカンは5フンです』

 無機質な割り込みなど意にも介さず、真桑はあと一歩のところまで差し迫る。

「お前らが悪いんだからな。ぼくは悪くない。悪意を向けられなきゃ、ぼくだって仲良くできたんだ」

 足が上がる。最後の一歩だ。

「お前らの方が……」

真桑が腕を伸ばす。

「お前らの方が鬼じゃないかぁぁあああッ!!」

 瞬間、鬼の頬に拳がめり込む。大岩は、一切の躊躇なく真桑を殴り付けていた。真桑の指は、梅木へ届かなかった。あと数センチ。しかし、邪魔された。この男に。別に、梅木を助ける必要などない。しかし、優劣を付けられて、梅木と真桑を天秤に掛けられて、真桑は理不尽に負かされた。集団が、真桑を孤独に追いやる。ただ一人の絶対的な敗者を作り上げる為には、暴力さえも肯定される。

「大岩さん!!」

 今にも泣きそうな梅木が叫ぶが、大岩は彼女に背を向けたまま口を開く。

「ゲームマスター、今の鬼は誰だ?」

『真桑サマです』

 大岩は、「ふっ」と小さくため息を吐くと、ようやく梅木に手を差し伸べる。

「ほら、立てるかい?」

「あ、ありがとうございます……」

 梅木は顔を真っ赤に染め上げて、大岩の手を取った。その奥で、鬼は咽び泣く。

「なんで、なんでぼくなんだ……負けるなら誰だっていい筈だろ……なんでぼくばっかりこんな目に遭うんだ……」

『14フンがケイカしました。ノコりジカンは1プンです』

 無機質な絶望が、真桑を襲う。安易に梅木へと近付かなければ良かった。歩けないふりをして最後まで隙を伺っていれば、まだチャンスはあったかも知れない。彼の頭の中で、ぐるぐると後悔が駆け巡る。しかし、切り札を使うタイミングを見誤った彼に残されたのは、僅かな時間のみである。手詰まり。逆転の一手など、最早浮かびようもない。

「大岩さぁ」

 いつの間にやら、薬師が大岩の隣にいた。薬師が馴れ馴れしく彼の肩をポンポンと叩くものだから、梅木が眉間にしわを寄せて口を開こうとした。が、先に薬師が口を開く。

「アンタが一番厄介そうだわ」

 言い終わらぬ内に、薬師が大岩の背中を蹴り飛ばす。

「は――?」

 その行く先は、鬼の住処であった。咄嗟の出来事に、大岩は受け身も取れずに倒れ込むが、真桑も状況を理解できていない。

「立て真桑ァ!男なら意地見せてみろや!!」

 薬師の怒号が鳴り響く。

『ノコり10ビョウ。9、8、7、6』

「ふざけ……くそッ!?何で僕が……!?」

「大岩ァアアッ!!」

 名を叫ばれ、彼は思わず振り向く。そこには、鬼がいた。

『5,4、3、2,1』

「ぼくのために死ねッ!!」

 鬼の拳が大岩鼻筋にめり込む。大岩は、「ブッ」と鼻血を噴き出して倒れ込んだ。

『タイムオーバーです』

 無機質な終了が告げられる。同時に、足枷に掛けられていたペナルティが解かれると、すぐさま梅木が大岩へと駆け寄った。

「大岩さん!!」

「……大丈夫、これくらいすぐ止まるから」

 大岩は、鼻を抑えながら真桑を見る。彼は、未だ興奮冷めぬ様子で「ふーっ……ふーっ……」と息を荒げるばかりであった。続いて、大岩は薬師と目を合わせ、口を開く。

「これはどういうことかな?」

「あ?最終的にテメェが負けた。それ以外にあるか?」

「ふ、ふざけてんじゃないわよ!!」

 咄嗟に立ち上がった梅木が、薬師の首に掴みかかる。しかし、薬師から手首を握られると、その指はたちまち解けてしまった。

「イタッ!痛いっ!!」

「勝てねぇ相手に喧嘩売ってんじゃねぇよ、雌豚」

『ゲームガイでのボウリョクはキョカされておりません』

 無機質な仲裁が下される。薬師は舌打ちをして梅木の肩を突き飛ばすと、早々と自室に戻って行った。

「ゲーム外での、ね……」

 いつの間にか上体のみ起き上がっていた菊場が、人知れず呟く。

『これより、ダイ1ゲームのショウシャをハッピョウします。薬師サマ、心臓と左目がトレードされます。梅木サマ、心臓と爪20枚がトレードされます。真桑サマ、心臓と爪10枚がトレードされます。紫摩サマ、心臓と血液1リットルがトレードされます』

 無機質なトレードが言い渡されてゆく。

「紫摩さん、アナタ……」

「馬鹿正直にリスクの高い瞳なんて賭けるわけないじゃないですか」

 風間が言いかけた事を察した紫摩は、そのまま返答する。

『菊場サマ、心臓と右目がトレードされます。風間サマ、心臓と左目がトレードされます。そして、ダイ1ゲームのハイシャとなった大岩サマは、新たに爪20マイ、両目、血液1リットルがサしオさえとなります』

「……まあ、まだ回収されるわけじゃない」

 大岩の顔に笑顔はなく、ギリっと奥歯を噛み締める。握られた拳からは、ぽたりと血が滴った。

「しっかりお礼しなきゃね」

 大岩が、ぼそりと呟く。彼の背中を見つめていた梅木は、少しだけ後ずさった。

『それでは、1ジカンゴにダイ2ゲームのセツメイをカイシします。ミナサマ、おツカれサマでした』

 ピンポンパンポーンという音と共に、第1ゲームが幕を閉じた。




【差し押さえ状況】

梅木 茉莉:爪20枚(2000円)

紫摩 陽花:血液1リットル(1万円)

真桑 貫太郎:爪10枚、血液1リットル(1万1000円)

薬師 牡丹:左目(2万円)

菊場 公:右目(2万円)

風間 信子:左目(2万円)

大岩 草次:爪20枚、両目、血液1リットル、心臓

(1005万2000円)

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お前の心臓1000万 睦月ふな @funa_mutsuki

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