12.食事 ②


 "食っていない"理由を、俺は迩愛にあの口から直接聞くことはできなかった。


 それこそ思ったより時間を"食って"しまい、俺は慌ててスーツに着替えてマンションを出たのだった。


 それでも聞かないと気が済まなかった俺は、部屋を出る前に、迩愛にスマホの充電器を渡しておいた。


「これ使っていいから、充電してライン送れ」


 俺のラインのIDは紙に書いておいた。


「秋田さん、いってらっしゃい」


「おう。行ってきます」


 そうして、女子高生を預かって三度目の朝が始まった。




 出社して朝の定例を済まし、俺は俺にあてがわれた営業車に乗って、さっさと会社を出た。


 俺の離婚は、すくなくとも俺の所属する部署には知れ渡っている。


 ヒソヒソされるのはもう慣れたが、気持ちのいいものでもない。


 ──ピンコーン!


 バッグの中でスマホが鳴動し、俺は信号待ちを見計らって手を伸ばす。


『玄関あけてっていいの?』


 ラインを起動するまでもなく、通知画面には『nia』と表示されていた。


 ──隙間すきま


 そうか。


 昨朝は一緒に部屋を出たから、迩愛が一人のときに出掛けるのは今回が初めてなのだ。


 迩愛の文章には絵文字もスタンプもなく、ラインの青い背景にはシンプルにそのフキダシだけが浮かんでいた。


『いいよ』


 アイコンはなんかの写真だ。


 拡大表示する前に信号が変わってしまい、俺は急いでバッグにスマホを放り込んだ。


 午後。


 先方の会社をあとにして営業車へ戻り、助手席に置いたビジネスバッグからスマホを取り出す。


 あれから連絡は来ていない。


 他所の会社に車を停めつづけるのもはばかられ、


『昨日、飯食わなかったのか?』


 と、だけ送っておいた。


 俺はキーを回して駐車場から車を出した。


 自社へと戻り、自販機でコーヒーを選んでいると、尻のポケットに入れていたスマホが震えた。


 ──ピンコーン!


 画面に目を落としたその瞬間、


 ──ピンコーン!


 続けざまにメッセージを受信する。


『niaがスタンプを送信しました』


 クソ通知機能め。一通目の内容が見れないではないか。


 これで既読を付けるしかなくなった。既読スルーが苦手な俺は、とりあえず通知欄で内容を把握して、返事を決めてからラインを起動するのが癖になっていた。




 ──がらこん、とコーヒーが取り出し口に落ちてくる。


 屈んで取り出そうとしたところ、エレベーターホールのほうから賑やかな女性陣の声が聞こえて来た。


(どっか落ち着けるとこねえかな)


 そういえば、と俺はあることを思い出し、エレベータを使って2階に降りた。


 よくこの階で、口をヤニ臭くさせた先輩と乗り合わせたものだ。


 少し歩くと早速タバコの匂いがしてきて、探すまでもなくそこは見つかった。


 喫煙室に入って早々、男の声に呼び止められた。


「おお。珍しい客がいやがる」


 その男──神凪かんなぎさんはフィルターを噛む口の端をにっと持ち上げた。


「ちっ……」


「先輩に舌打ちすんなって」


 軽い感じで笑いながら、神凪さんは俺の背中をたたいた。


 俺も笑った。


 嫌いではない。訳あって面倒な人だとは思うが、仕事も出来るし気さくで、俺は好感を持っている。


 同じ部署で業務上の関わりも多く、なんだかんだやりとりをしているうちに、こういうフランクな関係ができあがっていた。


「いや面倒な人に見つかったなと」


「照れるわ」


「褒めてないっスよ」


 袖の机に缶コーヒーを置いて、俺は箱から一本出して火を付けた。


 ふう、と吐き出し、他愛もない会話が始まる。


「今日どこ行ってきたの」


「山梨のハギワラさんのとこっスね」


 その心は、スマホを開きたくてうずうずしている。


 適当に相槌を打っていると、神凪さんの手がふいに俺の襟に伸びた。


「山梨でなに付けてきたんだ秋田」


 いや、襟ではなかった。


 背広とシャツの間に、──髪の毛が挟まっていたのだ。アッ、と声が出た。


 刹那せつな俺の頭に浮かんだのは、迩愛の顔だった。今朝、髪に絡んだブラシをほどいてときに付着したのだろう。


 神凪さんは、おそらく親切心だろうが、それを摘んで、


「あれ……? ……長くねえ?」


 するすると引き抜いていく。どこまで伸びんだ。するする。するすると伸び、ちょうど、


 迩愛の髪くらいの長さになったとき、スルンと俺の背広から離れた。


 まるで証拠を突きつけられた犯人のように、俺は唖然として固まった。


「さてはお前、山梨なんて行ってねえな?」


「いや……、それは、マジで行って来たっスよ……」


「『それは』? 『マジで』? お前、なんか隠してんな……?」


 鋭い。


 いや、俺がボロをだしているだけか。


 どうイイワケすりゃいいんだ。


「も、……元嫁のじゃないっスか」


 すこし無理があるとは解っていつつ、けれど仕方ない。背広の中に長い髪の毛が入り込んでいた理由が、他に思いつかない。


「違うな」


 神凪さんはそこでタバコを一服つけると、咥えタバコをしたまま両手でつー、と髪を伸ばした。


 立ち上る紫煙に目をしょぼつかせながら、決然と言った。


「断言できるが、この毛質は"女子高生"のものだ」


 がん、と頭を殴られたような衝撃。


 ずばりそうなのだが、そうとは返せない。


 だから──


 だから、面倒なのだ。この人は、


 都内の女子高生のことで俺が知らないことはないと豪語する、"女子高生マニア"なのだ。

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≒猫性JKは猫ではない 竹なかみおん @mion_takenaka1

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