軽々しい希死
赤宮 里緒
第1話
『痛みを負うのが正義なら 身体の管など切ってしまえたら』
音楽的な表現は詳しくない。分かる範囲で言うなら訳も無く胸が締め付けられるメロディと音作りが印象的な楽曲と言える。ティーンの間で密かに人気を集める新人ボーカロイドPの名前を私は半眼で見つめる。
『初めて聞いたけど共感しかない』
『言いたかったこと全部言葉にしてくれてる。なんでこんなに私のこと分かるんだろう』
『歌詞ひとつひとつが優しくて涙出てきた』
絶賛の嵐が吹くコメント欄を鼻で笑う。日常生活では口に出来ない後ろ向きな言葉を集めただけの歌で世間が救われるなんて何と安い奴らだろう。昔からピアノのひとつでもやっていれば私でも似たような歌詞を作れる。そのくらい、安っぽい歌詞に思えて仕方なかった。
私は正直で、衝動的な性格だった。昨日、コメントに思ったことを何の配慮も無く書き込んだ。ほんの2時間ほどで私のコメントの返信欄は荒れた。今まで怖くて見られなかったがおそるおそる自分の書き込みを見ると親指を立て賛同する人も500近くいるようだが、反論のコメントはそれ以上の勢いで付いていた。分からないなら聴くな、公共の場で言うことではない、まあカッとするな空しい人生歩んでるらしい。憶測を超えた誹謗中傷でしかない言葉に苛立ちを覚える。しかし、自分も同じ穴の狢と気付いてパソコンの電源を落とした。
深夜にそのボカロPの新曲が上がっていた。私を始め、理解を示さなかった視聴者への皮肉が籠もっていた。私は携帯をソファに投げて布団に潜り込んだ。
昼を告げるチャイムが鳴った。今まで机に伏せていたくせに急に起き上がって伸びをするクラスメイトが続出する光景はいつ見ても。
礼を告げると教室の彼方此方で椅子とテーブルを動かす音が立った。顔を見なくても分かる。あのグループとあのグループ、大体5分くらい遅れて席を動かすのは控えめなグループ。今日は教室の空気を支配する彼ら彼女らは売店へ行くらしい。
私は自分の席を離れなかった。校庭を見下ろせる窓際の列、後ろから二番目の席は快適だから。梅雨前の時期にしては気温は低めで、強すぎない風のおかげで昼休憩にちょうど良い気候なのだ。わざわざ強い日射しを浴びに屋上へ出るのは嫌だし、人の集まる売店へ行く理由もなかった。
カーテンが風に煽られて乾いた音を立てている。私は今朝作った弁当を黙々と口へ運ぶ。色のない白米、電子レンジを使えば30秒で作れる卵焼きと、これまた電子レンジで作ったほうれん草の胡麻和えに偶々安売りされていたチキンナゲット2個。お腹を満たせ、最低限のバランスを保つ自前の昼食は嫌いではなかった。
「これ聴いた?」
「聴いたよー。超良かった」
クラスではオタクとして面白がられる3人組の女子グループの会話を何となく盗み聞きする。一人が携帯で音楽を流し始め、良いよねと控えめな女子生徒が言った。
「アンチに対抗して作ったとか言われてたね」
「コメント荒れてたらしいじゃん」
「そうそう。私は負けませんってそういうことじゃんね」
3人は誇らしげに感想を言い合っていた。私はいたたまれなくて、おかずの味をまともに感じられなくなった。急に、ついさっきまで私の味方だった風に揺れるカーテンが私を睨んでいるような気がして居心地が悪い。
「しんどい時って、本当にこんな感じなんよね。このPさんの気持ち何となく分かる」
私は音を立てないように教室を出た。だだっ広い校内のどこにも私が食事を許される場所はなくて、早く帰りたいと思った。
左腕の傷が浅くなってくると、あぁ時間が経ったのかと思うのが癖になっていた。かさぶたになった細い傷は少し触ると痒くなる。掻くと余計に痒くなるしかさぶたが取れて治りが遅れるから擦るだけにとどめる。
週末はただ時間が過ぎるのを待つだけだ。胸なのか脳なのか判別つかないところから浮かんでくるマイナス思考から逃げるためにひたすら目を閉じる。耳が痛くない程度の音量で昔流行ったボーカロイドの曲を流す。最近はUTAUやCeVIO AIも自動再生されるようになってしまい、逐一手動で別の曲に変える。新しい歌声は何となく馴染めないでいた。
過去に流行った曲は好きだった。しっとりしたバラードもあれば、視聴者が笑えるように作られたお洒落とは程遠い曲もあって多種多様で、混沌としていた。寝るのにはあまりに賑やかだから睡眠向きではないけれど現実から離れるのにはちょうど良い。うとうとしていたら、例の曲が流れてきてのろのろ目を開ける。船をこぎ始める直前で引き留められた気分は最悪で、目を閉じる前より頭も身体も重たく感じられた。
私は携帯の画面を見た。再生数は投稿一週間で100万再生を超えていた。今までにない勢いの人気ぶりに、この人も世間に見つかったんだ、と思った。コメントの数も初めて見る数字が表示されていた。
『最近知ったけど』
『もっと早く知りたかった』
『今まで何となく避けていたのを後悔した』
肯定的な言葉で画面は埋め尽くされていた。唇を噛む。投稿者が記入したコメントを見て、世界の重力がひっくり返った心地がした。私は目が回った時のような気持ち悪さを覚えた。携帯を床に伏せて右腕で目元を覆う。我知らず呼吸が速くなっていた。
「最初の頃なんて知らないくせに」
負け犬の遠吠えとはこういうことなのだろうか。
何てことは無い、ただの嫉妬だった。今や話題の中心であるあのボカロPを私は知っていた。処女作が投稿された一週間後に、ユーザーの宣伝で偶然見つけたのが最初だった。コメント数は30にも満たない、再生数は1000を少し超えたくらい。投稿先はYouTubeではないから尚更人目につきにくい作品だった。
特に惹かれるものはなかった。だが、ネガティブに覆われた言葉の羅列に心地よさを感じた。教室の隅で他の生徒の声や顔を見ないように、机に伏せている時の心細さを表しているような気がした。新曲が上がる度に聴くようになった。
初めて聴いてから3年が経った。私は高校生になって、しかし自分の性格も態度も最悪なままだった。小学生の時に男子と言い争いしたことをきっかけに机と椅子を廊下に出されたあの日の暗闇が私の足を引っ張っていた。クラスの控えめな、少し地味な容姿の女の子を嘲笑う男子に刃向かった代償だった。高校生になっても未だに断ち切れず、人の輪に入るのを恐れている。常に人を避けるから、私は常に孤立していた。当然だと思った。
気付いたらボカロPは多くの人に聴かれるようになっていた。時間はかかるものの、10万再生まで辿り着いていた。その頃から、少しずつ曲調と歌詞が変化していた。低音で、少ない音で作るのが主流だったはずなのに、気付いたらアップテンポな曲ばかり発表して。段々、世界なんて壊れてしまえという暴力性はなくなり、痛い辛いでも辞められないと寄り添う言葉が目立ち始めた。視聴者にも、昔に比べて丸くなったと言われるほどだった。私は焦った。同じ沼にいた人が先に自力で脱出してしまった。ただ闇に浸かるだけでなく、どうにか抜け出す方法を彼、もしくは彼女は考えていたのだと今更気付いた。そして、私を振り返ることなく、知らない人たちの元へと走っていった。
暗闇は怖いよね、苦しいよね、分かるよ。だって、経験したから。
その想いは真っ直ぐ、沼にはまって出られない人へと刺さった。出られないまま、もがくことを諦めた私以外の人へは、確かに救いになった。
置いて行かれた。私は曲を恨んだ。私のことは見向きもしなかったのに。諦めた人のことは見えていないかのように振る舞うのが許せなかった。アンチになるのなんて、そんなくだらないきっかけなのだとそのとき身をもって知った。
私の恨み言は、ただの嫌がらせとしてネットに漂うだけだった。馬鹿な奴がいると笑われている。どうしようもない人間の言葉を、どうしようもない人間にはならないと踏みとどまる人が笑う。酷い光景だと思った。私は余計にエスカレートしていった。
私が先週書き込んだコメントもそのひとつだった。安っぽい歌詞という私の言葉に嘘はなかった。私のいる場所に、あなたのいた場所で今も出られないでいる人がいると気付いてほしいから、嫌な感想ばかり思い浮かぶ。どうして置いていったの。そんな、メンヘラと称される言動ばかりが、感想になる。
イヤホンを耳から外す。携帯の画面の右上で、10%と赤文字で表記されたからもう動画を見ていられない。充電しながらの視聴は、この型落ちした携帯には無理だと分かっていた。
立ち上がり、勉強机の引き出しをひとつ開ける。筆記用具が乱雑に入ったそこには、私が今最も満たされるものがある。痛みがあれば忘れられる。私は顔を顰めて、その後に、酷く安堵して。
この寂寥は、どうも痛みでは拭えないらしい。
軽々しい希死 赤宮 里緒 @rio324_blue
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