天才になりたかった私と、ギフテッドの人との乖離とは?

私は、高校生時代から大学生時代にかけて、天才に憧れた事があります。

大学時代では、クレッチマー博士の『天才論』を買ってきて読んだり、酒を飲んで机の前にレポート用紙を置いて、天才的アイデアが降りてくるのを待ったりしましたが、いかなる奇跡も起きませんでした、

でも、この物語を読むと、天才(この場合、IQが高い人と言う意味で、神から与えられた(ギフト))として生まれた作者さんが、ギフテッドと言う事で、実に、言葉にならないような、過酷な人生を歩んで来られた事を、克明に深刻に書かれておいでます。

それは、私のような凡人には、とても、理解できる筈も無く……。

でも、懸命に生き抜いて来ておられます。徐々に、作者先生の価値が認められて来ているのは喜ばしい事でもあります。


さしでまがしいですが、哲学者ニーチェの言葉を、送らせて下さい。

「世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら歩め。」(ニーチェ著、『反時代的考察』より)

私はこの言葉に支えられて、生きています。どこに行き着くのかと、問うてはいけないのです。ひたすら歩くのです。

少しでも、作者先生の、心の支えになればと、思い、レビューさせて頂きます。

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