第3話

「巻き込んでしまって申し訳ないです」

「べつにいいよ。あれはもう不可抗力っていうか」

 そう言う遥斗の声には温度がなく、高い位置にある横顔はこちらを見向きもしない。岩を削いだような角ばった輪郭とすらりと切れ長の目元が仏頂面に拍車をかけて、八重は次のひと言をひねり出すのに大変苦労した。

 例によって並んで歩く帰り道。本当は彼の後ろに引き下がってしまいたいが道幅はじゅうぶんで、これでは助手席が空いているのに後部座席に座るようなものだ。歩調を合わせてもらっている引け目もあって、なんとか横並びに踏みとどまっている。このときばかりは、道幅をゆったりとったわが街の都市計画を恨むしかない。

「……おこってますか?」

「なんで、おこってない。ていうか桜庭さんが怒られる筋合いないでしょ」

 それよりなんで敬語なの、と問われて八重の喉がうっと鳴った。

「も、申し訳なさが態度に」

「ふうん」

 とらえどころのない返事に八重はすっかり竦み上がって、いたたまれなさで首筋が凝り固まってしまった。どう接するのが正解なんだろう。肩に掛けたトートの持ち手を握りしめて己の発言を総点検していると、不意に大きな体温が半身を覆った。

(えっ、なに)

 頭上でちいさく舌打ちが鳴る。遥斗の苛立ちが降り注いでくるようで、八重はもう半泣きだ。

「……あぶねえな」

「うう」

「ん?」

 ようやく二人の目が合った。悲壮感に満ちた八重の様子にいささか驚いたようで、遥斗はとりなすように前方を指差す。視線の先で、四角いデリバリーのリュックを背負ったロードバイクがみるみる遠ざかっていく。

「チャリ。突っ込んできた」

 車両は車道を走れよな、とぶつくさ言う姿はたしかに怒っている様子だったが、態度はどこか和らいで見える。それだけのことで、八重はずいぶん呼吸しやすくなった。

 すう、はあ、と深呼吸。

 うしろから自転車が来ていたなんてまるで気づかなかった。八重があれこれ悩んでいるあいだ、彼は淡々と周囲に目配りしてくれていたのかもしれない。今だって当たり前のように遥斗が車道側をキープしている。

 思わぬ気遣いにふれて、ほうと胸のあたりがあたたかくなる。それから三歩の時差を置いて八重の足取りが鈍った。これまでを上回る罪の意識がズンと肩にのしかかる。

(なのに私ときたら自分のことばっかり……!)

 呻きそうになるのをなんとか抑え込んでいると、隣から控えめなため息が聞こえた。

「そんなに気い張って疲れない?」

「……疲れる」

「だろうな」

 この人は大丈夫な気がする、根拠の薄い直感にしたがって本音を吐露したものの、八重の頭のなかは直後から後悔でいっぱいだった。気を悪くされただろうか、どう答えるのが正解だったのか。なにもかもに躊躇して進退窮まっていると、遥斗が「あのさあ」と口を開いた。

「なに……?」

 おそるおそる見上げる八重の瞳をまっすぐ受け止めて、抑揚のない低い声が響く。

「そんなに申し訳なさそうにされんのもあれだから、いっこ頼まれてほしいんだけど」

「よろこんで!」

 弾かれたように顔を上げた八重の腹から、予想外に大きな声が出た。

「いや、急に居酒屋」

「だって」

 願ってもないことだ。一も二もなく飛びついた八重をじっと見たのち、遥斗は薄く目を細めた。

「もうすこし警戒したほうがいいんじゃない。とりあえず、話は最後まで聞いたほうがいいよ」

 小さく息を呑んだ八重に微かに笑いかけて、尻ポケットからスマホを取り出す。青白い光がふたりのあいだを明るく照らして、その明かりを頼りに八重もバッグを探った。

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春に桜の交響詩 草群 鶏 @emily0420

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