ep.007 『死神』

 暗殺人形は兵器だ。


 銃を恨んだりナイフを恨んだりしても意味がないのと同じように、暗殺人形を恨んでも詮無いことだ。恨むべきは、銃の引き金を引いたもの、ナイフを振るい血の雨を降らせたもの。つまり、兵器の使用者である。


 エルシオがそのことに気づけたのは、暗殺人形と日々を過ごさざるをえなかったからだ。エルシオと弟のエヴァンは暗殺人形にすべてを奪われた。家族も家も誇りもなにもかも。そんな怨敵と、同じ飯の釜を食わなければならない状況は、拷問に等しい苦痛をエルシオに与え続けた。


 だから、暗殺人形にことあるごとに突っかかった。隙を見せたら殺してやろうとさえ思っていた。任務中、アイアンサイトを綺麗な銀の頭に向けてやろうとしたことも一度や二度じゃない。


 ぶつかってぶつかってぶつかって……。


 ぶつかってぶつかってぶつかって……。


 ある日、ふとエルシオのやっていることは、壁に罵詈雑言を投げつけて殴り続けることに等しいのだと気づいた。


 その日以来、エルシオは虚無を抱いた。こいつを恨んだって仕方ないと考えるようになった。苦悩の末に感情をすり減らし、ようやくその思考に至ったのだが、エルシオの気づきはある種の悟りに近いものである。


 もちろん憎しみを完全に消し去ることができたわけではないし、できるわけもない。ライが無表情に人を殺し、返り血を拭ったハンカチをゴミでも放るように捨てるのを見たときは、心がはっきりとざわついた。俺の家族もそんな風に殺したのか――。そう叫びたい衝動にかられたことがないとは言えない。


 だが、彼はもうライを口撃することをしなくなった。恨んでも仕方ないと割り切り、人形に対する感情を変えようとわざとらしく「兄弟」なんて呼びながら、あえて親しげに接することにした。


 それはきっとレグルスの影響なのだろう。


 彼は明らかに、人形にこころを与えようとしていたから。エルシオとは違う意味で、彼は壁と向き直って語り続けていた。


 その根気と優しさは、心から尊敬できた。


「……」


 エルシオは銃を拭きながらライに目を向ける。


 彼は眠っていた。半目を開いて銃を握りながら寝る姿には、一切の生気がない。そして一切の隙もない。カンテラの光が揺れ動き、殺しに純化した人形の表情を闇へと追いやる。


「……レグルスに感謝しろよ、バカヤロウ」


 エルシオは苦笑いしながらつぶやく。


 人形にこころを教えてやろうとするほどの慈愛も親切心も自分にはない。そんな義理もないと思っている。だが、レグルスの涙ぐましい努力を邪魔しようとも思わない。その努力が実る可能性は限りなく低いし、成功したら冬に向日葵が咲くような奇跡だろう。これが賭けなら、レグルスの失敗に三ヶ月分の給料をベッドする。


 しかし、だ。


 しかし……もし万が一そんな奇跡が起こったとしたら。


 三ヶ月分の給料くらいなら安いと思える。


「……はっ」


 エルシオは自嘲したように笑った。


 まさか、そんな風に思えるようになるなんて、自分も誰かさんと同じように焼きが回ったのか。いや、そんなことはない。ただこの狂気じみた世界の中で、奇跡というものがあるのなら見てみたいと思っただけだ。


 断じて、ライのことを思っているわけではない。


 暗殺人形は、ライは、ただの兵器だ。


「……」


 エルシオは、銃を懐に入れて立ち上がる。十月下旬の港街はかなり肌寒い。エルシオは部屋の隅に置かれた毛布を持ってくると、ライにかけようとして、すぐに思い直した。不用意に近づいたら攻撃されるからだ。


 ――まったく、暗殺人形め。


 エルシオは息を吐いて、毛布にくるまった。







 暗殺人形に対して。


 レグルスのように慈愛を向けられる人間は、エルシオのように少しでも割り切って接することができる人間は、一体どれだけいるのだろう?


 かつてのエルシオがそうであったように、ほとんどの人間は負の感情を向けるだろう。


 暗殺人形が殺した人間の数だけ、恐怖と憎しみが生まれていくのだから。


 そして、その最たる存在。


 憎しみに身を焦がし続け、復讐のためにすべてを捧げた憎悪の象徴と、暗殺人形は向かい合うこととなる。


 まるで、これまで積み上げてきた死と罪を、一斉に天から突きつけられるかのごとく。


 二人の対峙は必然だった。 








 作戦当日。


 リンツェルンに、真っ赤な雨が降る日だ。


 闇夜に紛れるように、ライは港へと音もなく近づいていた。戦法の違うエルシオとは別行動をとっている。昨日のうちに検討を重ねていた、狙撃に有利な地点へ向かったのだ。光を飲み込むようなこの闇夜で狙撃など不可能に思えるが、エルシオなら問題ないだろう。彼ならば確実に的確な援護をおこなってくれる。


 それはエルシオ個人への信頼というより、『魔弾の射手』としての高度な技能への信頼だ。暗殺人形は情で物事を判断する無駄を持ち合わせてはいない。合理的で機械的な選択こそがすべてだった。


「……」


 ライは近くの茂みに身を潜め、巨大な軍港を見つめる。エルシオの集めた情報によると、メリダを乗せた船が入港するのはリンツェルン軍港の第七埠頭だという。黄色い明かりが浮かんだ、赤レンガ倉庫の先――。


 侵入の手順を、頭の中で再度確認する。


 すでにガンマの構成員である『顔無しフェイスレス』と『道化師ピエロット』が軍港の中に潜入し、時が来たら破壊工作を行なう手筈になっている。合図は、単純。エルシオ曰く「派手な花火が上がるからすぐにわかるぞ」とのことだった。


 しばらく石像のようにライが動かないでいると――。


 花火が、上がった。


 甲高い音を立てながら空にあがった赤い塊は、激しい音を立てながら花を咲かせる。虹色の光が象ったのはコミカルに笑う道化師の顔。


「……」


 ライは目を瞬かせる。


 ……まさか本当に花火を上げるとは。


 しかし次の瞬間、ライの予想通りの事態が起こった。


 軍港から、次々と火の手があがった。連鎖する轟音と黒煙。そして天を焼き尽くさんばかりの激しい炎。遅れて聴こえたのは悲鳴と怒号だった。けたたましいサイレンが鳴り響く。


 耳朶が狂いかねない轟音の波濤を、ライは気にもせず駆け出した。


 風を引き裂く速度で接近し、身長の倍以上はありそうな塀を一度の跳躍で乗り越え、羽根のごとき無音の着地を見せると、青く光る目を右へ走らせた。爆発に慌てふためく二人の歩哨が、突如現れたライを見て固まった。


「――て」


 叫ぼうとした歩哨たちの顎が吹き飛んだ。下顎の歯がポップコーンのごとく弾け、血と肉片をまき散らしながら、砕かれた顎がだらりと垂れ下がる。瞬速で間合いを詰めたライが壊したのだ。


 ライは倒れ伏した二人を気にも留めず、凶器となった両手を振るい、懐から投げナイフを取り出した。ゆらり、と脱力で身体が揺れた瞬間、弾丸のごとき勢いで走った。


 遠くから、あるいは近くから絶叫が上がり続けている。銃声が幾重にも幾重にも響いては消え、響いては消えていく。ガンマが暴れているのだ。爆発。怒声。炎が巻き起こす息も止まりそうな熱波。戦場で幾度となく味わった狂気の気配が、リンツェルン軍港に渦を起こしていた。


 ライは、建物の影で鉢合わせた兵士の頭を壁に叩きつけて粉々に破壊すると、目にも止まらぬ速度で投げナイフを投擲し、奥にいた数名を瞬殺。彼らが倒れるよりも速くその間を駆け抜け、小銃を構えようとする兵士の腕を回し蹴りで圧し折った。


 殺され、壊された彼らの後ろには、まだ十数人の武装した兵士たちがいた。爆発の混乱の最中、銃声のする方へ駆けつけようとしていたのだろう。彼らの不運は、怪物じみた殺人機械に遭遇してしまったことだ。弛まぬ訓練のすべてが無駄だったと突きつけられるほどの――圧倒的な戦力差。


 暗殺人形の前には、どんな優秀な兵士も凡人以下に還る。


 腕を折られた兵士が悲痛の叫びを上げるよりも速く、ライは貫手でその喉を引き裂いた。血飛沫があがる。投げナイフで殺された兵士たちがようやく地面に倒れた。青い目が、炎に炙られた仄暗い闇の中で獰猛に光った。残りの兵士たちが叫びながら拳銃を構えようとして――。


 全員、殺された。


 三秒にも満たない時間で、一呼吸の間にすべてが終わった。圧縮された時の中で、ライの動きを捉えられたのは神だけであろう。一度の銃声さえ鳴らなかった。その前にライの拳が、貫手が、足刀が、前蹴りが、回し蹴りが、兵士たちの頭蓋や肋骨や恥骨や首の骨を粉砕した。血が噴き上がり、脳みそが飛び散り、充血したいくつもの目玉が眼底からまろび出て転がる。


 建物の一角に、死の花が咲いた。返り血がライの端正な顔を濡らす。呼吸すら乱さず、その表情に一切の揺らぎはなかった。歓喜も恐怖も安堵も何もない。ただ伽藍堂に光る海色の瞳を、足元の脆い肉塊たちに向けるだけ――。 


 鉄の香りを含んだ潮風に、赤く染まるライの銀髪が揺蕩う。折り重なった死の中で、顔色一つ変えずに佇むその姿は、残酷なほどに恐ろしく、だからこそ神々しい。


 ――死神グリムリーパー


 冷徹な暗殺人形の異名。まさにライは、死を告げる神そのものだった。


「……ひっ! ば、化け物……っ」


 一人、殺し損ねていたらしい。膝を砕かれて、動けなくなっている兵士がガタガタと震えながら銃を向けている。まだかなり若い。おそらくは新兵に毛が生えた程度の兵卒だ。だが、ライには情けをかけるような機能こころなどない。


 兵卒の頭に、暗器が突き刺さる。目をぐるりと天に向け、「ああぁ……」と恍惚に震えたような微かな断末魔をあげ、兵卒は倒れた。


「……」


 ライは奪った命に対してなんの感慨も抱かず、淡々と使用した武器を回収した。それらを高速で振るい、血と脂を落とすと懐に仕舞う。


 これまでライは銃を一切使用せず、ほとんどの敵を徒手空拳で処理していた。弾丸の節約や武器の摩耗を避けたのもそうだが、音で場所を気取られることを嫌ったのだ。優秀な暗殺者の中には聴覚が異常に発達したものもいる。ライの「標的」がそうじゃないとも限らない。


 敵はガンマが来ることを分かっている。そして、ガンマがそのことを知っていることを敵は知らない。情報戦の段階から高度な駆け引きが行われている。待ち伏せされている不利を覆すためにも、ギリギリまで気取られないように振る舞うべきだ。


 だが、敵もそう甘くはない――。


 再び音もなく行動を開始したライが、第七埠頭の目前まで近づいた瞬間。


 反射的に身体を引いた。


「――」 


 地面に弾丸が爆ぜる。ライは宙返りを繰り返しながら後方に退避し、空気を引き裂きながら追い縋ってくる銃撃をやり過ごすと、側にあった赤レンガ倉庫の影に隠れた。


 何者かが闇の中から攻撃してきた。凄まじい練度だ。位置は把握できたが、まず間違いなく場所を変えているだろう。射線から得た情報は当てにならない。


 ライは銃を取り出した。


 さっきの海兵たちとは明らかに格が違う。


 ブルーメンの構成員か? もしくは――。


「……っ!」


 背筋に怖気が走った。反射的に放ったバックブローが、後ろにいた何者かの顔を浅く削る。かわされた。敵は黒い影。口元を隠した黒装束の女。そいつは後方に飛んでふわりと着地する。その手にはナイフが握られていた。


 ライがこれほどまでに敵へと接近を許すのは珍しいことだった。こうして視認しても敵の気配が霞のごとく読みづらく存在感が薄い。


「……ガンマだな?」


 敵の言葉に答える必要はない。ライは問答無用で銃を放った。だが、弾丸は空を裂く。飛び上がってかわした女が、壁を蹴りつけてライに肉薄する。速い。銃では間に合わない。ナイフの切っ先がライの眉間を捉えていた。


 ――だが、破壊されたのはライの頭ではなく、女の腕だった。


 紙一重で見切ったライが、ナイフをかわしざまに、関節技で女の肘を逆向きに圧し折ったのだ。


「……がっ!」


 痛みに叫ぶ間など与えない。ライは肘打ちで女の延髄を叩き潰し、絶命させた。


 地面に倒れ、痙攣する女に目をくれず、ライは駆ける。一秒の逡巡が死を呼ぶ。複数の場所から銃声が爆ぜる。弾がレンガを砕き、砂を吹き飛ばし、ライの頬を掠めた。


 ライは再び物陰に隠れた。このままではジリ貧だ。敵の位置はわかるが、狙いをつける間がないし、すぐに場所を変えられる。かなり優秀な兵士……いや、暗殺者の集団。敵は間違いなくブルーメンだ。


 状況を変える一手がいる。


 不利な盤面を覆す一手だ。


「……」


 ライにはあった。


 盤外からの最高の一手が――。そして、それはいつも最高のタイミングで差し出される。


 何かが弾ける音がした。その瞬間、暗闇から黒い影が落ちてくる。さっきライが殺した者と同じ装束をした女。遠目からでも頭が吹き飛んでいることがわかる。


「……バカなっ!」


 敵から動揺の声が上がった。


 爆発の炎でいくらか軍港の闇は取り払われているとはいえ、とても長距離からの狙撃をおこなえる明るさではない。敵の驚愕は当然といえた。だが、そんな常識は通用しないのがガンマという超人集団であり、「魔弾の射手」と呼ばれる射撃の達人かいぶつである。


 敵から悲鳴があがった。


 次々と撃ち抜かれ、倒れていく「花」の名を冠する暗殺者たち。優秀な彼らはすぐに身を隠す。だが、崩れた陣形と不意をつかれた動揺を立て直すのは、暗殺人形を前にした状態ではあまりにも時がなかった。


 銃撃が止んだことを確認し、ライは走る。


 逃げ出した暗殺者を一人ひとり殺すために。


 ここに、『鮮血の百合ブラッディ・リリー』がいるかどうかはわからない。だが、暗殺者たちを殺し続ければいずれは必ず彼女に辿り着く。


 その発想は、あまりにも人間離れしたもので、そして残酷なほど正しかった。


 ――鮮血の夜は、まだ始まったばかりだった。 


 




  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダイヤモンドリリー 浜風ざくろ @zakuro2439

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ