マイヤの嘘

栄三五

新川舞耶は嘘を吐く


その女の顔は文庫本だった。


嘘だ。言いすぎた。

でも、遠目から見ればそう錯覚してしまうほど、彼女の顔は小さかった。

額は黒髪で覆われ、瞼のあたりから顎の手前まで顔に開いた文庫本が覆っている。


腕組み足組みをして椅子の背もたれに大きくもたれかかり、顔に文庫本をかぶせて寝ている姿には、女性らしい優雅さの欠片もない。不良だと噂されるのも納得だ。


「おら、早くいって告って来いよ」

「骨は拾ってやるから」


嘘だ。拾うつもりなんてないくせに。


理科教室から教室までの競争に負けた俺は、罰ゲームで女子に、新川舞耶に告ることになった。


父の転勤に付き合って、都会の高校に入学してはや3か月。毎日がこんな感じだ。

クラスの中心グループと仲良くなったはいいものの、それはイジられる要員としてだった。

この3か月、イジリという名目での俺への要求や罰ゲームはエスカレートしていた。

コイツらのイジリには限度がない。これからも悪ふざけが際限なく増していく。その確信がある。


「あ~、新川さん」


意を決して新川に声をかける。頼むから起きないでくれ。

俺の思いも虚しく、彼女は気怠そうに右手を動かし、文庫本を取り払った。


新川舞耶はクラスで浮いている。誰ともつるまないし、あまり喋らない。喋ってもぶっきら棒に一言話すくらいだ。

投稿初日に、女子グループが彼女をカラオケに誘ったときに、新川は「私、いいや」と言って、さっさと帰っていった。

翌日には彼女のクラスでの立ち位置は明確になっていた。


おそらく、元から寝ていなかったのだろう。

本に隠れていた切れ長の目と高い鼻、小ぶりで薄い唇が露わになる。

思わず見惚れてしまう美しさだ。


「前から好きでした!付き合ってください!」


彼女は眉一つ動かさず数秒俺の顔を見つめると、右手に持った文庫本を顔にかぶせて狸寝入りに戻った。


教室が爆笑の嵐に沸いた。

俺の告白は教室中に聞こえていた。

「カワイソ~」「殴んねぇのかよ、新川」「おい新川、フる時ぐらい喋れや」


俺に同情する声や罵声が飛び交う。新川は文庫本を顔にかぶせたまま反応しない。

俺は、恥ずかしそうに頭を掻いて、俺を嗾けたグループのところへ戻った。

サイアクだ。これが後3年間続くと思うとゾッとする。




その日の放課後、誰もいない教室で新川が鞄を探っていた。

今日の件で謝ろうかと思って、まず声をかけた。


「今日、寝てたのにごめんね」


新川が怨敵を見るかのように俺を睨みつけた。


「…何か探してるの?」

「……………本がない」


詳しく聞くと、鞄に入れておいたはずの文庫本がないらしい。そういえば俺がフラれた後、彼女を見ながらヒソヒソと話しあってる女子グループがいた。


「どこかに落ちてないか探してみようよ」


一応、気を使ってそう表現した。もし想像通りなら、それは間接的に俺のせいでもある。

手分けして、教室を探すとすぐ見つかった。文庫本はゴミ箱に捨てられていた。

新川が拾い上げてゴミを手ではたいて綺麗にする。


「何の本?」

「アンナ・カレーニナ」


聞いたことはあるような気がする。ロシアの作家の本だったかな。

間で察したらしい。新川がこちらを向く。


「読んだことないの?」


黙って頷く。


「貸してあげるから読めば?明日返してくれればいいから」


そう言って、新川は文庫本を差し出した。

返す期限、早くない?それに上巻だけ…?


「……大事な本じゃないの?」


なんとなくそう思って質問した。


「別に。ロシアが好きだから持ってるだけ」


新川は文庫本を俺に渡してさっさと教室を出て行った。


家に帰ってベッドに寝ころんで文庫本を読む。あらすじを読むと、貴族の奥さんの不倫の話?らしい。正直よくわからない。1頁目で既に眠い。結局、頁を繰る手は進まず、文庫本を鞄に戻した。


翌朝、教室で自分の席に座るや否や、新川が声をかけてきた。


「本、返して」


新川が早く返せというように手を差し出して、感想を聞く。


「どうだった?」

「つまらなかった」


素直な感想を言うしかない。変に面白かったなどと言って、掘り下げられては困る。

そもそも上巻だけだからよくわからない。


「私もそう思う」


俺の感想を聞いた彼女はクスリと笑った。

彼女が本を受け取ろうとしたとき、担任教師が教室へ入ってきた。


「新川、一昨日の件で話がある。職員室に来なさい」

「分かりました」


新川は笑顔で先生について行く。いっそ清々しいくらいの作り笑顔だ。

彼女が出ていく前に文庫本を返そうとしたが、できなかった。


新川は始業時間ギリギリに教室に戻ってきていつも通り授業を受けていた。



結局、フラれたはずの俺が新川と話しているのに興味津々のクラスメイトに遮られ、休み時間も本を返すことができなかった。

放課後になってようやく自由になり、彼女に文庫本を返そうと声をかけた。


「本ありがとう。もしかして新川はロシア人なの?」


もしそうなら、彼女の美貌にも納得だ。そう思って、本を返すついでに質問した。


新川がギロリとこちらを睨みつける。


「いいえ、ただのロシアが好きな純日本人よ。あと、私のこと『新川』って言うの止めろ。名字で呼ぶな」


ものすごい形相だ。これ以上怒らせてはいけない。


「悪かった。どう呼べばいい?」

「マイヤでいい。さん付けもいらない」


せっかくなので名前を呼び直すついでに、気になっていることを聞いた。


「マイヤが告白してきた先輩を殴ったって本当?」


「ホントよ。断ったら、腕を掴まれて押さえつけられそうになったから、顔を殴って、股間を蹴飛ばしてやった」


マイヤが髪をかき上げる。


「この学校は性質タチが悪いのが多いわ。どうせ出てくし、もうどうでもいい」


「転校するの?」


「プリンシパルになりに行くの」


プリンシパルって何だっけ。単語集で見たような気はする。確かCEOとかそんなのだ。


「新か、…マイヤは社長になるの?」


マイヤが「何言ってんだコイツ…」という憐みの目で俺を見た後、ため息をついた。


「そうよ。もうしばらくしたらロシアに行って起業するの」


やたらとロシアの話になる。ロシア贔屓はほんとなんだ。

そんなことを考えていたらふと疑問がわいた。


「でも、はつまらないの?」


マイヤがピクリと反応する。


「……どこまで読んだの?」


「冒頭」


「『幸福な家庭は、皆同じように見えるが、不幸な家庭は様々な形がある。』」


「そうそれ」


「それだけ覚えていればいいわ。この世の真理だから」


マイヤは吐き捨てるように言った。


本もアンナも嫌いよ。自分で不倫しといて最後は自殺なんて何様なの。私はそんなクズみたいな生き方絶対にしない」


これまで冷め切っていたマイヤの言葉に熱と憎悪が籠る。


「じゃあ…マイヤならどうするの?」


「私なら…」


「私なら……汽車もヴロンスキーも蹴っ飛ばして、跳んで逃げるわ」


そもそも不倫なんてしないけど、マイヤはそう言いながらカバンを持って立ち上がった。


「これから、私が殴ったヤツのことで会議があるみたいだから」


そう言って、ツカツカと教室を出て行った。


うちの学校の校舎はロの字型になっている。俺は窓越しに会議室が見える向かいの廊下に立って、マイヤの様子を見守っていた。


会議室に先生数名とマイヤと彼女に殴られたという先輩がそろっていた。

マイヤの話を聞く限り悪いのは向こうの方だが、相手がどう証言するかは分からない。

何か発言を求められたのだろう。マイヤがスッと立ち上がった。


口を開くと思いきや、マイヤは突然机の上に飛び上がり、会議室の長机の上で踊りだした。


つま先を軸に回転し、ピタリと静止し、緩急をつけて飛び跳ねる。

ダンスなんて碌に知らない俺でもわかる。バレエだ。

飛び跳ねて回る彼女の動きに合わせて長いスカートがヒラヒラと舞い踊る。

先生と先輩はポカンとして、大口を開けてマイヤが踊りまわるのを見ていた。


先生の一人が我に返り、何事か怒鳴りつけているようだったが、マイヤは聞く耳持たない。クルクルと彼女の舞台の上で踊り続けている。


数分間踊り終わると、マイヤは優雅に礼をして、会議室から出ていった。


その翌日からマイヤは学校に来なくなった。

そして翌月になって、担任からマイヤが転校したという知らせがあった。


彼女は許せないものを蹴っ飛ばして、跳んで、どこかへ去っていった。



俺はその後も同じグループにいたが、これまでとは心持ちが違っていた。

嫌なイジリを受けても、何とも思わなくなったのだ。

だって、あいつらがどんな性質タチの悪いイジリをしてきても、俺がどんな嫌な気持ちになっても、もしあの会議室にいたら全員バカみたいに大口を開けて呆けているしかないのだから。


そう思うと、全てがおかしくて、些細なことに思えた。


2年になってからは全員と別のクラスになり、付き合いは自然になくなっていった。


結局、マイヤに本を返せなかったことだけが心残りだった。



高校を卒業してそのまま大学に入り、就職して、忙しい日々を送るうちに新川舞耶のことなど忘れていた。


しかし、ある日、僕は新聞記事を見つけた。

ボリショイ・バレエのプリンシパル、マイヤ・グラツカヤの記事だ。


その記事には、マイヤがロシア人と日本人のハーフで幼少期を日本で過ごしたこと、両親の離婚を気にロシアに戻ったこと。そこで、ワガノワ・バレエ・アカデミーに入学、卒業し、ボリショイ・バレエ団に入団。

そしてとうとう、今期プリンシパルになった、今最も輝くバレエダンサーであることが書いてあった。


僕はその記事を見て苦笑した。

あの時、僕に喋ったことは嘘ばっかりじゃないか。


そして、新聞に載っているマイヤの写真をみてさらに吹き出した。

大人になり、さらに美貌に磨きがかかったマイヤの顔に張り付いていたのは、あの時担任について行った時と同じ作り笑いだった。


もしかしたら、嘘ばかりではなかったのかもしれない。


嫌いとは言っていたけど今はどうか分からない。

今度、実家に帰った時、文庫本を探しておこう。


ロシアが好きな純日本人で、社長で、――嘘吐きの、友人のために。

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マイヤの嘘 栄三五 @Satona369

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