廊下のロッカー 01
教科書が消えた。ここ数日、ロッカーの中から教科書が消えると2年生の間で噂になっていた。
皆、置き勉といって学校に課題に必要ない教科書やワーク、資料集は学校に置いて帰る。机の中に入れて帰る者もいるが大抵は鍵をかけることが出来る廊下に設置された個人のロッカーに入れて帰るのだ。
「俺の教科書が無くなったんだ」
「そうか」
「無くなったのにその反応?」
持ち去られた鞄を返してもらうために僕は彼の後を追って保健室へ来ていた。
保健室の中は僕達だけで看護教諭の姿はない。本来なら保健室は理科室同様に薬品が置かれているから特別な事情を除いて生徒だけでの立ち入りは禁止されている。
特別な事情を除いてということで、僕たちは特別な事情に該当していた。
正確には保健室の利用ではなく、保健室の隣にあるカウンセリングルームの使用を許可されているわけだが。
「誰かに貸したままで忘れている可能性もあるだろ」
「絶対ないよ」
絶対ないと断定してはいるが、彼は僕と違って交友関係が広い。教科書を忘れて借りに行く友人がいない僕に対して、彼はどのクラスからでも借りることが出来るはずだ。借りることが出来るということは、同じように貸すことが出来るともいえる。
「ロッカーに鍵をかけ忘れていた可能性は」
ロッカーには鍵をかけていない生徒もいる。彼の場合、誰かに貸したままではないと言い切るということは、貸し借りをする交友関係はあっても誰でも自由に持ち出すことが出来る状態にはしていなかったということになる。
「絶対にかけてたよ」
した、しないを討論したところで根本的な解決にはならない。
「無くなったのは何の教科書なんだ?」
「倫理」
倫理の授業は週に1回程度だ。僕の場合は倫理ではなく政治経済を選択しているが回数が多い授業ではない。
「だから貸した可能性もありえないんだ」
僕たちの学校は文系と理系でクラス分けが行われ、そこからさらに政治経済・倫理・地理を選択する生徒でクラス分けが行われている。大学受験では利用できる学校が少ないという影響からか倫理を選択する生徒は多くない。そのため、倫理のクラスは一つしかない。
「それならどうして無くなるんだ」
誰かに貸した可能性がないとなればどこかに置き忘れた可能性しかないが。
「そこが問題なんだよ」
彼はリュックの中からファイルを取り出すとその中からルーズリーフを1枚出して保健室の中央にあるテーブルの上に置いた。
「俺のクラスにも教科書が消えた人が何人かいるんだ」
『
「数Ⅰ?」
数Ⅰは1年生の時に学習が終わっている。2年生の今は数Ⅱか数Bを学んでいるはずだ。
「1年生の時から持ち帰ってなかったらしいよ」
「それが何で今失くしたことに気が付くんだ」
持ち帰らずロッカーの中に放置し続けた教科書が無くなったことに気が付く方が難しいと思うのだが。
「中間テストの前に模試があったでしょ。模試の解きなおしをするときに使おうとしたらしいよ」
「2か月前にはもう始まってたのか」
「そうだね。でも彼女の場合、1年生の時からロッカーに入れたままにしていたから大きな問題にならなかったんだ」
中間テストがあったのは大型連休が終わったすぐ後のことだ。学年が変わって1か月しかたっていないから教科書が消えるというよりも彼女の管理に問題があったとされて終わったのかもしれない。
「やけに詳しいな」
確かに教科書が消える事件は噂にはなっていたし、消えた張本人であるから調べたのかもしれないが。
「小林さんは同じクラスだし、教科書が無くなったとき隣の席で困ってたから貸したんだ」
彼はルーズリーフへ更に情報を付け加える。
『
「また使う機会の少ないものが消えたな」
「そうだね」
『
「まあ僕が実際に教科書が消えたことに対して話を聞けたのはこの3人だよ」
「一人目の小林さんは分かったけど後の2人はいつ消えたことに気が付いたんだ?」
世界史と日本史は週に2回の授業がある。先生にもよるが、教科書では補うことが出来ないところは資料集を開かせて確認することが多い。消えたとしても毎回の授業で必ず机の上に用意して授業を受けていれば消えたことにはすぐに気が付けただろう。
「分からないんだよ。二人とも6月ごろに消えたことは分かってるんだけど正確な時期までは分からない。小林さんも正確な時期は分からないから状況は似ているかもしれないね」
「天木のクラスは資料集使わないのか?」
「日本史は使うよ。世界史も聞いた話だと普通に毎回の授業で使ってるらしい」
彼らは普段の授業を聞いていなかったということか。
「寝てたんだな」
「そうだね。井之上くんと一緒だ」
「僕のは持病だから仕方ないだろう」
「そうだったね」
今は眠くはないが突如として眠気が襲ってくる過眠症を患っている。僕の場合は心因性によるものだとされているが、治る兆しは今のところない。大抵は保健室で寝ていることが多いが、たまに教室でも寝てしまうことがある。これが僕が保健室の君と呼ばれている理由だ。
「普段資料集を用意しないで授業を受けている二人が急に資料集を使った原因はあるのか?」
消えたことに気が付いた時期を見ると、消えたのはもっと前かもしれないが、二人とも気が付いたのは6月でテスト期間ではないことが分かる。
「名取くんは課題をするのに必要で大神は先生に怒られたからかな」
「そういうことか」
「あ、知ってた?」
「あれだけ怒鳴り声が聞こえたらな」
先月、授業中に隣のクラスから盛大な怒鳴り声が聞こえてきたことがあった。日本史は授業中に寝ている生徒が多く教師も気にせず授業をしているようだったが堪忍袋の緒が切れたらしい。
「あの時の森山先生はすごかったなあ。謝るまで授業は再開しないって言うし、寝ているのは自分の授業がつまらないことも悪いと思うけど授業道具を揃えないのは前提としておかしいって」
「その時に気が付いたのか」
「大神くん本当にかわいそうだったんだから。森山先生が全員の机の上をみてまわって一式出ていない生徒でロッカーに置いてる生徒は今すぐ持ってこいって言われて大神くんだけなかったんだ」
「運が悪いな」
心の中でご愁傷様と言っておこう。
「でもこのことをきっかけに教科書が消えた話が出るようになったんだよ」
まさか教科書が消えるだなんて思っていないからさぞ肝が冷えたはずだ。
「天木の教科書が消えた時の話も聞きたい」
「興味を持ってくれて嬉しいよ。なんだかんだ言って井之上くんは優しいよね」
「うるさい。茶化すな」
彼は椅子に座りなおすとルーズリーフに天木天貴と名前を書いた。
『天木天貴 倫理 7月8日』
「俺は今日の3時間目が倫理の授業で2時間目が終わってロッカーに取りに行ったら教科書だけがなかったんだ」
「他の教科の教科書は」
「噂は知っていたから確認したよ。倫理の教科書以外は全部揃ってた」
どこに消えたのかは分からないが、消えたという生徒が何人かいるのはなにかしら原因があるのだろう。
他にも教科書が消えた人の話を聞いてみるということで僕らの方向性は決まった。
「他に教科書が無くなった人は知ってるか?」
正直、乗り気ではなかったが一度話を聞いてしまったし、彼の教科書が無くなった時点で付き合わされることは確定していた。断れば彼は僕の参加を強要しないが結局僕が見過ごすことが出来ない。
「僕が話を聞いたのはこの3人だけだよ。でも、消えた人なら何人か知ってる」
「話を聞きに行くか」
正直気乗りすることではないが、話を聞いてみないことには解決しない。
「やっぱり井之上くんは面倒見がいいよね。安心して。約束はもう取り付けてあるから」
「お前な」
分かっていたことだが、僕が断るという選択肢は彼の中に存在していなかったようだ。天木はリュックの中からバインダーを取り出すと先ほどまでの情報を書いたルーズリーフと新しいルーズリーフを何枚か取り出すと挟んだ。
「さあ行こう」
荷物を置いたまま保健室を出て保健室の鍵をかける。
「鍵をかけても中身が消えるならこの保健室に荷物を置いておくのも危ないのかな」
「保健室だぞ」
僕は保健室の鍵を持ってはいるが、学校側から支給されたもので違法に作ったものではない。僕以外には保険医の先生と教員室で管理されている。
「そうだよね」
彼が取り付けたという約束の人物に会いに向かった。
謎解きは保健室で 伸夜 @shinyayoru9
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