変身薬

城島まひる

本文

 砂漠の街アルク=エプから徒歩で2週間掛かる距離に、イティリアと呼ばれる巨大な石造りの王国がある。岩や金属の加工に優れた技師の集う街で、畜産にも力も入れている。その為、交易の中心になっており、アルク=エプの露店に並ぶ食料品の殆がイティリア産のものである。例えるなら人間の心臓であり、交易の中心地、輸入と輸出を繰り替えす商人の街である。そんな街だからこそ自然と人が集まり、技術が集まり、やがてイファールヤン王が治める巨大な王国となったのである。

 

 しかし今回語るのは砂漠の街アルク=エプから逃げてこの王国に来た二人組の盗人の話でも、旅をしてきた妖術師と元娼婦の女怪の話でもない。この国の現国王、イファールヤンの王座を継いだクヤル=ナンたる人物の話である。


 *


 石造りの城の一角。でっぷりと太ったビール腹を豪快な笑いで揺らし、黒ビールで喉を鳴らす男が一人。そしてその男の向かいには白髭を腰のあたりまで伸ばし、ヴィオラ色の生地に金の刺繡が入ったローブを羽織った男がいた。彼らは晩酌の最中で、ビール腹の男がイティリア王国の国王クヤル=ナン。白い髭と洒落たローブが特徴的な男ファルフ=ナプス、国王クヤル=ナンの相談役であり優秀な魔術師である。今二人はファルフ=ナプスの部屋で二人っきりの時間を過ごしていた。それは決まって国王クヤル=ナンが、魔術師ファルフ=ナプスに相談事を持ち込むときだった。使用人たちもそれを察して、国王と魔術師の二人分の晩酌の準備を終えると、足早に部屋から去っていった。


「ファルフ=ナプスよ、こんな噂を知っているかね?」


 ベリーを片手に問い掛けてきた国王の様子から、魔術師ファルフ=ナプスはこれから話されることが件の相談事であろうと予想した。ファルフ=ナプスは椅子に深く座りなおすと、笑顔で話の続きを促すのであった。


「奇妙な軟膏の話なのだが、なんでもその軟膏を塗るとあらゆる動物に変身できるらしい。城下町ではその薬を女たちが使い、鳥に変身して夜な夜な山へと出向き、魔物と宴を開いているらしい……」


 気味が悪いのか恐ろし気に語る国王は話を終えると、唾を吐き黒ビールを一気に飲み干した。ファルフ=ナプスは空になった国王の盃に黒ビールを注ぎながら、成る程……と一人納得するのであった。


「その噂が誠であるかは存じませんが、不定期で夜警を増やしては如何でしょう」


「夜警を増やす理由は分かるが、何故不定期にやる必要がある?」


 相談役であるファルフ=ナプスの意見に疑問符を浮かべた国王はその真意を魔術師に問う。


「急に夜警を増やしてしまうと、こちら側が噂の件を探っていると勘繰られてしまいます。ならば相手が油断するよう不定期に夜警を増やして、監視し、探っていくのが得策でしょう。少々時間が掛かりますが、確実に結果を出すのであればこの手法が一番かと……」


「流石だファルフ=ナプス!貴様を相談役に命じて正解だったぞ!」


 そして上機嫌になったクヤル=ナンはファルフ=ナプスと黒ビールで乾杯をすると、一気に飲み干し魔術師の部屋を後にした。一人自室に残されたファルフ=ナプスは、まだ黒ビールが残った盃を傾け黙想に耽っていた。これから国王の身に起こるであろう恐ろしい出来事を想像しながら、黒ビールを一口だけ口に含むと左手でベルを鳴らし使用人を呼びつける。


「計画は予定通りに進んでいる。あとはお前があの踏ん反り返った豚と見分けのつかない国王クヤル=ナンを誘導するだけだ」


 魔術師ファルフ=ナプスは背後から近づいてきた使用人にそう告げると、盃に残った黒ビールを飲み干した。


「王冠は叡智の下にあるからこそ、その本領を発揮するのだ。故にこの魔術師ファルフ=ナプスこそが、真の王座に着くべきなのは神託を受けた司祭の言葉より確かなことよ!」


 魔術師の高らかな宣言に使用人は膝をつき、賛同の意をその態度で示した。そして露出が多いナイトドレスを着た女性の使用人が、ファルフ=ナプスの部屋から静かに出て行った。


 *


 月明かりに照らされた石造りの廊下を一人歩いていた国王クヤル=ナンは酔いを醒ます為、夜風に当たろうと中庭へ向かっていた。今回の相談に対するファルフ=ナプスの提案も見事なもので、王国の庇護下にありながら反逆をなそうとする愚か者どもの動向を先読みし、こちら側が行動を起こすという案に大変満足していた。確かにファルフ=ナプスのやり方では愚か者どもを探り出すには時間が掛かるが、手詰まりになっていたクヤル=ナンからすれば解決の糸口が見えただけでも有難いことこの上なかった。


 さて中庭まで後少しというところで国王クヤル=ナンは怪しげな人影を見つける。背中が大きく開いた深紅のナイトドレスで着飾った女性が、手のひらサイズの薬壺を片手に中庭へ出て行ったのだ。ドレスはその女性に似合っていたし化粧がおかしいわけでもないが、この時間にそんな恰好で中庭に入っていったことがクヤル=ナンには怪しく見えた。


 その時、クヤル=ナンの中で一つの憶測が生まれた。あくまで可能性の話であるが、確かめずにはいられない。そう思いクヤル=ナンは中庭に入っていった女性の後を気づかれないように追った。――それが王座の奪取を狙う魔術師ファルフ=ナプスの罠とも知らずに。


 中庭に入り辺りを見回すと城の影になっているところに先ほどの女性の姿が見えた。クヤル=ナンは音を立てない様にゆっくりと近くの木陰まで近づいた。しばらくすると目が慣れてきたのか女性の顔が見える様になってきた。驚いたことにその女性はファルフ=ナプスの使用人の一人リス=ナーヴェンであり、クヤル=ナン自身いつか妾として迎え入れたいと思っていた女性である。


 リス=ナーヴェンは国王が近くにいるなど知るわけもなく、その場で深紅のナイトドレスを脱ぎ始めた。国王であるクヤル=ナンは突然の奇行に声をあげそうになったが、最近この国で起きている奇妙な話を思い出し、リス=ナーヴェンの一挙手一投足を見逃すまいと注意深く監視することにした。


 一応、国王クヤル=ナンの為に弁明しておくが、彼は決して女性の裸体に見惚れていたわけではなく件の噂を思い出したからである。その噂とは――「奇妙な軟膏の話なのだが、なんでもその軟膏を塗るとあらゆる動物に変身できるらしい。城下町ではその薬を女たちが使い、鳥に変身して夜な夜な山へと出向き、魔物と宴を開いているらしい……」とクヤル=ナン自身が、ファルフ=ナプスに語っていることから察していただけるだろう。


 話を戻そう――そして遂にクヤル=ナンの視線の先で決定的なことが起きた。裸体になったリス=ナーヴェンが薬壺から軟膏を取り出し、自身の柔肌に塗り始めたのだ。満遍なく全身に足元から腿へ、腿から腰回りへ、腰回りから胸元へ、胸元から腕を塗り、そこで一度軟膏を手に追加すると顔にも余すことなく塗り付けた。そしてリス=ナーヴェンが小声で呪文を囁くと、突風が吹いた。クヤル=ナンはたまらず目を瞑ってしまった、目を開いた時にはリス=ナーヴェンの姿はなく夜空に大きな鳥の姿を見て確信した。リス=ナーヴェンが使っていた軟膏こそ、今この国を騒がしている奇妙な噂の軟膏に違いないと!


 国王クヤル=ナンは地面に残された深紅のナイトドレスと薬壺の許に近づくと、薬壺を手に取って月明かりが差し込むところまで歩いて行った。薬壺の表面には彫刻刀で彫られたものなのか古い時代の魔術文字が記されていた。恐らく殆どの人が読めないであろうその文字だが、その時クヤル=ナンは心もとない月明かりの下で読むことが出来た。何故ならその魔術文字は先代のイファールヤン王の時代に使われていたものであり、王族以外が知りえない筈の秘術だからである。そしてこの魔術文字が記されているということは王族内の犯行か、または王族の側近の中に犯人がいることを示唆していた。


 その事実に気づいた瞬間、国王クヤル=ナンは大声で魔術師にして最も信頼のおける相談役のファルフ=ナプスの名を叫んだ。もはやこれは自分の手に負える事件ではないと、本能的に悟ったのである。その判断こそ賢明ではあるが、同時に浅はか過ぎるというのはこの後のファルフ=ナプスの言葉である。


「如何なさいましたか国王様?」


 魔術を使ったのかファルフ=ナプスは瞬時に自室から中庭まで移動していた。そして冷たい月の光に照らさ青ざめた顔をした国王に問い掛けた。いったい何用でしょうか?と。国王クヤル=ナンはファルフ=ナプスの姿を見て、安心した様で彼のもとに駆け寄った。


 そして今まで見たリス=ナーヴェンの奇行と薬壺を証拠品としてファルフ=ナプスに渡した。しかしクヤル=ナンはファルフ=ナプスに話しているうちに、彼に対して言い知れぬ不信感が増していくことに気づいた。何故ならクヤル=ナンの話を聞いても一向に動じることなく、まるで何かを我慢している様な、自身を嘲笑している様なファルフ=ナプスの表情が視界に映ったからである。ファルフ=ナプスはクヤル=ナンの話を最後まで聞くと一言だけそうですか……と答えると、あろうことか国王に薬壺の軟膏を振り掛けた。ファルフ=ナプスの魔術によって軟膏は液体の如くになり、クヤル=ナンの全身にかかった。


 クヤル=ナンがファルフ=ナプスの無礼な振る舞いに、怒り震える国王のその体に、変化が訪れた。突風が吹きファルフ=ナプスは目を瞑る。そして次に目を開いたとき目の前には国王クヤル=ナンの姿はなく、豚に変身したクヤル=ナンの姿があった。国王の変身を確認してからファルフ=ナプスは獣の咆哮の如き勝利の雄叫びをあげた。


 「クヤル=ナン!この愚王め、一連の事件の犯人が王族またはその側近たちの中にいると気づきながら何故私に頼ったのです?私とて王族の側近、つまり容疑者の一人の筈ですぞ」


 ファルフ=ナプスの問いにクヤル=ナンはお前を信用していたからだと、答えたが豚となった今ではブヒブヒと答えるのがやっとだった。


 「クヤル=ナンよ、大方お前は私を信頼していたからだと言うのだろうがそれは違うぞ。何故ならお前を私を頼らざるを得なかったからだ。」


 政策も国策も全てファルフ=ナプスに押し付けて、国王であったクヤル=ナンは何もせずにいた。強いて言えばクヤル=ナンがやったことはファルフ=ナプスの考案した数多の政策や国策をさも自分の考えの様に、側近や国民たちに語ったことだろう。結果、国王クヤル=ナンは王冠をいただいたけで何も出来ない愚王と化していた。自分でものを考えなくなってしまったのだ。

 

「しかしクヤル=ナン、貴方とて国王だ。最後くらいは国王らしく国の為に死んでもらいますよ」


 ファルフ=ナプスは豚に死刑宣告を告げると、ベルを鳴らし使用人を呼びつけた。そして使用人によって豚になった国王は調理場に連れていかれ、そこで料理長によって裁かれてしまった。無論、料理長は豚の正体など知るわけがなく、数日後に控えた国際会議での料理用にとファルフ=ナプスが用意した食材だと伝えられていた。


 後日開かれた国際会議、砂漠の街アルク=エプとの会食では豚肉を使った料理が大変受け好評であった。その為もあってか会談はスムーズに進み、互いに大きな利益を得ることが出来たのだ。ファルフ=ナプスの言った通り、豚となった元国王クヤル=ナンは最後に国の為に、その身を以て国に貢献したのだった。

 

 クヤル=ナンが豚になった後、場内では国王が失踪したとして大騒ぎなった。大規模な捜索が行われたが、遂にクヤル=ナンが見つかることはなかった。よりよってこのタイミングで失踪すとは最悪だと、皆が思ったに違いない。なんせ数日後には砂漠の街アルク=エプとの会談が控えているのだ。その時、国王が不在とあっては国際問題になりかねない。そこで残された王族の一人クヤル=ナンの妃であるクラナ=フの意見により、国王が最も信頼していたファルフ=ナプスが代理として会談に出席することとなった。

 

 会談で見事な手腕を発揮した魔術師ファルフ=ナプスはクラナ=フに気に入られ、長い月日を過ごして遂にクラナ=フの夫となることなった。それはファルフ=ナプスがこのイティリア王国の国王になることを示唆していた。無論国民からは反発があったがファルフ=ナプスが着任した後の政策と国策は的確であり、労働問題から生活水準の向上など交易を利用して国民の生活をより豊かにしていった。その為、ファルフ=ナプスが国王になったことに対し反発する者は減っていった。


 *

 

「ところでファルフ=ナプス様、その薬壺にはなんて書いてあるのですか?」


 ファルフ=ナプスが自室で薬品を使った実験に入り浸っていると、背後から声を掛けられた。声を掛けたのは使用人のリス=ナーヴェンであり、その手には変身薬と呼んでいる軟膏が入った薬壺が握られていた。ファルフ=ナプスはその薬壺の表面に彫刻刀で彫られた魔術文字の内容を問われていることに気づき、その問いの回答を口にした。


同胞はらから喰いは地獄に堕ちねばならぬ。然れど、神が我らより前に創り給うた動物を喰らっても罪には問われぬ。故に王は神の法を以て、人を動物へ、動物を民へ捧げよ」


 回答を聞いて疑問符を浮かべるリス=ナーヴェンに、ファルフ=ナプスは分かりやすいように噛み砕いて説明する。


「つまりこの軟膏は食糧難であった時代に使われており、人間を動物に変身させることが出来た。だからこれを使って罪人どもを豚に変身させ、国民に食糧として渡していた――ということだろう。神の法というのはただ単に人間が人間を喰らったら神罰が下るが、動物なら食べても問題ないと言っているだけだ」


 軟膏の効能は塗った人間が最後に食べた動物へ変身するというものだった。その軟膏はイファールヤン王の時代に使われており、その王よりファルフ=ナプスへ譲渡されていた。正しく使えと、そう言ってイファールヤン王は息を引き取った。


 果たしてファルフ=ナプスは正しく軟膏を使えたのだろうか?恐らくだがイファールヤン王は国が再び食糧難になった時のことを考え、この軟膏を渡したのだろう。しかしファルフ=ナプスは食糧難ではなく、無能な王を排除するために使用した。どちらも国民の為を思っての行動という点では一致するが果たして――


 ─了─

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