【短編】師の心、弟子は知らず。その逆も然りかな

雨宮ソウスケ

師の心、弟子は知らず。その逆も然りかな

 酷い戦乱だった。

 大国による一方的な虐殺だった。

 戦争の期間は一月。

 そのわずかな期間で至る場所に地獄が生まれた。

 この街はその一つだ。

 見渡す限りの瓦礫の山。そこかしらに無残な死体がある。

 あらゆる魔法で破壊された跡だった。

 戦闘に特化した戦術魔術師の仕業だろう。

 その頂点に立つと言われる者の一人としては心が痛む光景だ。


「…………」


 男は双眸を細めた。

 四十代半ばほどか。

 精悍な顔つきに、灰色アッシュの髪に顎まで覆った髭。

 魔術師を示す黒い外套を纏っていなければ、戦士と間違えられそうな体格だ。

 男は瓦礫の中を歩き続ける。


 すると、その時だった。

 瓦礫の陰から人影が現れたのだ。


 男は目をやる。

 それは十歳ほどの少年――いや、短髪の少女だった。

 ボロボロの服に、痩せこけた身体。

 元々は美しい白金の髪だと思うが、それも今は乱れて汚れている。

 彼女は無表情だった。

 ゾッとするほどに感情が読めない。


「……あなたは」


 彼女は唇を開いた。

 男は立ち止まり、少女を見据えた。


「……戦術魔術師?」


「……そうだ」


 男は答える。少女は男の顔を見据えた。


「なら、私に魔術を教えて」


 男は少女を見据えつつ、双眸を細めた。


「……復讐か?」


「…………」


 彼女は何も答えない。

 表情からも何も読めない。

 ただ、強い決意だけを感じた。


(これも因果か)


 男は嘆息した。


「いいだろう」


 承諾する。


「容易い道ではない。だが、それがお前の生きる目的となるのならばな」


 二人は師弟になった。

 そうして――……。

 …………………。

 ……六年の月日が流れた。


 とある森の中の館。

 修練所にて男は一人、瞑想していた。

 今年で五十になるのだが、精悍さは全く衰えていない。


(……明日で六年か)


 二十年前に死別した妻と過ごし、近くの丘には妻の墓もあるこの館に、弟子を招いて修行の日々を過ごした。

 あの戦乱のせいなのか、それとも生来のモノなのかは分からないが、弟子は相も変わらず無表情な娘だった。


 しかし、魔術の才はある。

 それも底知れぬ才能だった。


 基礎たる元素魔術。一流の証とも言える固有魔術。

 それらをわずか六年で習得した者など、男の経験を以てしても知らない。


(あの子はもはや一流以上の戦術魔術師だ)


 男は想う。

 弟子は充分な力を得た。

 その胸に未だ復讐の炎が宿っているかは師である男にも分からない。

 心の裡を全く見せない少女だからだ。

 ただ、もう二度と踏み躙られることなく生きていくには充分な力のはずだ。

 願わくば、復讐ではなく、幸せのために生きてもらいたい。


(いずれにせよ)


 巣立ちの時は来た。


「……先生」


 その時、声を掛けられる。

 男は双眸を開いた。

 そこには弟子がいた。

 戦争孤児だった彼女は美しく成長していた。

 背は伸びて、かつて枯れた棒のようだった四肢はスレンダーながらもしなやかに。

 髪は短いままだが、絹糸のような質となり、白金のごとく輝いている。腰には魔術杖も兼ねた剣を差し、動きやすさから黒い男物の服を着ているが、一目で女性と分かる。


「……来たか」


「……うん」


 弟子は頷いた。

 師弟となっても、彼女の無愛想さは変わらなかった。

 しかし、師は些細なことだと気にしない。


「話がある。そこに座りなさい」


「……うん」


 彼女は男の前にまで進み、そこで座った。

 東方に伝わる正座という姿勢だ。


「お前が私の元に弟子入りして早六年」


 師は語る。


「早いものだ。そして見事なものだ。お前はわずか六年で戦術魔術師と成った」


「…………」


 弟子は無言だった。師はさらに言葉を続ける。


「お前はすでに一流と言えよう。旅立つ時が来たのだ。しかし、私は自身の魔術系譜の継承者として、どうしてもお前に一つの提案をしなければならない」


「……提案?」弟子は眉をひそめた。「それはなに?」


「……奥儀の伝承だ」


 師は告げる。


「魔術系譜に伝わる秘奥魔術。それをお前に伝承して欲しい」


「…………」


「私ももう五十だ。お前が最後の弟子になる可能性が高い。だから提案する。しかしだ」


 師は弟子を見据えた。


「奥儀の伝承は生半可ではない。お前は命を懸けることになる。私もそうだった」


「…………」


 彼女は、表情を変えずに師を見つめていた。


「これは強制ではない。一日、考える時間を与えよう。受けなくともよい。秘奥魔術などなくとも、お前は一流だ。すでに生き抜く力は充分すぎるほどにあるのだからな」


「……分かった」


 弟子はそう告げると、立ち上がって去っていった。


(我が弟子よ)


 師は、優しくも寂しい眼差しを弟子の背に見せた。

 魔術系譜の伝承者として秘奥魔術の継承はしなければならない。

 それは継承者の義務とも言える。

 少なくとも、弟子に提案しない訳にはいかなかった。

 しかし、それ以上に彼女には自分の道を生きて欲しかった。


(我が愛しき娘よ。お前はお前の道を生きるのだ)


 奥儀の伝承など受けずともよい。

 心の裡ではそう思っていた。



 そうして深夜。

 月明かりが窓から差し込む中。

 彼女はベッドの上で膝を抱えていた。

 無表情。

 無言で考え続ける。

 そして、


「……うん」


 小さく頷いた。


「やっぱり、これしかない」


 彼女は覚悟を決めた。



 翌朝。

 師は前日と同じく修練場にて瞑想していた。


「……来たか」


 そうして、おもむろに瞳を開いた。

 そこには修練場に入って来る弟子の姿があった。


「……決断したか?」


 師が尋ねると弟子は「うん」と頷いた。

 そして、


「私には無理」


 はっきりとそう告げた。

 師は「そうか」と頷いた。

 正直、安堵していた。彼女の目的が未だ復讐にあるのならば、さらなる力を求めて継承したいと返答する可能性もあったからだ。

 その場合、果たしてどう諫めようかと悩んでいたのだが、杞憂に終わったようだ。


「分かった。奥儀の伝承は不要だ。そしてこれからのことだが……」


 彼女が旅立てる準備はすでに完了している。

 いささか過保護かもしれないが、最高の魔術装備に潤沢な資金も用意した。

 それを弟子に語ろうとした時だった。


「待って。先生」


 弟子は片手を突き出して師の言葉を遮った。


「奥儀の伝承。私から提案がある」


「……提案?」師は眉をひそめた。「どういうことだ?」


「私には奥儀の継承は無理」


 弟子は改めて告げる。


「先生の才能で命懸けなら私では無理。だけど」


 彼女は師を見つめた。


「先生の子供なら、きっと継承できる」


「……いや。待て」


 ますますもって師は眉根を寄せた。


「私には子はいないぞ。亡き妻との間に子宝は恵まれなかった」


「うん。分かってる。だから」


 弟子は拳を胸の前に持ってきて、フンスと鼻を鳴らした。

 六年の付き合いで初めて見る仕草だった。


「私が産む。私は先生の次ぐらいに天才だから、私がお母さんで先生がお父さんなら、きっと天才が生まれる」


「……………は?」


 師は唖然とした。

 そして、


「――いや!? 待て。待て待て!?」


 師は片手を突き出して顔を強張らせた。


「お前、さっきから何を言っているのだ!?」


「ん? 先生と私のこれからの話」


 キョトンとした様子を見せる弟子。

 無表情なのは変わりないが、かつてないほどに彼女の感情が読むことが出来た。

 弟子は本気なのだ。


「一人目じゃ無理かもしれない」


 彼女は、そっと自分の腹部に両手を添えた。


「だけど、それならいっぱい産む。どの子かはきっと奥儀を継承できる」


「だから待て!?」


「……ん。大丈夫」


 彼女は一向に待たなかった。


「継承できなかった子もいっぱい愛するから。先生と私の子。きっと全員が可愛い」


 言って、彼女は微笑んだ。

 それも初めて見せる顔だった。


「待て!?」


 師は立ち上がって叫んだ。


「何故そうなる!? お前が私に師事した目的は復讐ではなかったのか!?」


「うん。それも事実」


 彼女は言う。


「けど、私にとっては昔のことよりも、今の先生の方がずっと大事。先生が奥儀を伝承できなくて困っているのなら助けたい」


「その気持ちは嬉しいが方向性が違うだろう!?」


「……むう。確実な方法なのに」


 彼女はそう言って、師の首筋に両手を伸ばした。


「先生は私のことが嫌い……?」


「嫌いなはずがないだろう!」


 反射的に師はそう答えていた。

 これは嘘ではない。実の娘のように大切に思っているのだ。

 だが、そんな師の心も、弟子は曲解する。


「うん! 嬉しい!」


 師に全身で抱き着いた。


「先生と相思相愛だった!」


「だから待て!?」


 思わず彼女の腰を支えつつ、


「それは娘としてだな……そもそも私は五十だぞ! 歳が幾つ離れていると思う!」


「愛の前では些細なこと」


 彼女は全く聞かない。


「先生の奥さんの墓前にも今朝報告したから。先生は私に任せて欲しいって。だから」


 彼女は微かに頬を朱に染める。そして師に顔を近づけていく。


「先生、大好き。だから奥儀の伝承……しよ」


 そう告げた時。

 不意に二人の足元に光の魔術印が展開された。

 そして次の瞬間、師の姿だけが消えた。

 弟子は唖然とした。


「……むむ」


 そして眉をしかめる。


「先生の固有魔術。転移術。先生……」


 頬を微かに膨らませる。


「逃げた。ずるい」


 そう言って、彼女は走り出した。師が彼女の人生の旅立ちのために用意した装備品と資金を手に取って、師を追いかける旅に出たのだ。


 こうして奥儀伝承を巡る師弟の追いかけっこが始まったのである。

 その結末がどうなったのか。

 それはまだ誰も知らない。




〈了〉

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【短編】師の心、弟子は知らず。その逆も然りかな 雨宮ソウスケ @amami789

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