第8話 嫉妬心
今だから話せるが、私は10~20代の頃、ある人気漫画家に対して強い嫉妬心を抱いていたことがある。書店のラックに陳列されていた雑誌の表紙イラストが目に入った途端、文字通り目と心を奪われてしまったのだ。心臓が一瞬麻痺して足がすくんだ。圧倒的な画力に個性にイマジネーション、「適わない」と本能が判断した。
それからが地獄だった。自分の画力が、存在そのものが無力でつまらなく思えてならなくなってしまう。
とかく自尊心を甚だしく損なわれる日々だった。書店でこの人の絵が目に入るや、友人の口からその人の話題が出てくるや、心臓がズキンと疼いた。会った事もない他人の作品にこれほどおののいているという事実に激しく自己嫌悪した。
忘れようとしても忘れられなかった。忘れるということは画道を諦めることでもあったから。無視したいと思っていても、その人の作品をもっと見たくて発売日には書店に向かう自分が滑稽でさえあった。もっと知ることでその人の力量を見極めたかった。「ふん、この程度か」と思えるような要素が欲しかったが、その人は常に才能あふれていた。そんな悩ましい感情を持てあました時期が何年も続いた。
プロのクリエーター界隈は「アンチスレができれば一流」と言われている。スレッドを覗くと、おそらく会った事もないであろう売れっ子作家に対しての誹謗中傷がずらずらと書き連ねてあり、当該作家が気の毒にさえ思えてくる。
私はある売れっ子同業者とは何度か企業イベント等でお会いしており、「感じよく接して頂いたしおきれいな人だった」という率直な感想を彼女のスレッドに書き込んだら、あり得ないだのブスに決まっているだのといった、根拠のない中傷レスが延々と続いた。秀でた才能を持っている上に美人だったら、余計自分が惨めに思えてしまうという本音なのだろう。書き込む人はその人を貶めなければ自分が守れない、という所まで追い詰められているのかもしれない。気持ちは分かるといえばわかる。
アンチスレにとぐろを巻く人たちの正体は、何者にも成れてない人なのかもしれない。憎い奴をこき下ろせば一時溜飲が下がるだろう。気持ちよくもなるだろう。しかし相手を下げたからといって、自分の価値が上がるわけではない。それは一種の逃避行動だと認めた上で、一歩踏み出さねば何も変わらない。それをするかしないかが人生の分岐点だと思う。「自分はいくらでも変われる」と信じて傷だらけになりながらでも進む道を選んだら、他人をこき下ろす暇なんて無くなってくるものだ。
私はプライドが高かったから自分が他人に嫉妬しているという姿を他者におくびにも見せたりしなかった。もしかして勘づいた人はいたかも知れなかったけど、少なくとも自分からは出さなかった。だからネットの掃き溜めに入り浸らずに済んだし、今となっては安堵している。そこに入り浸っていたら、私は今プロとして暮らしていなかったのかもしれないとさえ思う。
嫉妬とは、タチの悪い恋愛と似た体験なのかもしれない。非常にしんどく、貴重な青春時代を悶々と過ごしてきて勿体ない事をしたと惜しまれる。しかし一方で、自分のいかんもしがたい感情と向き合う、あるいは平穏に生きてたら知らないままであった本性を知る、有意義な機会でもあったと振り返る。
私は今はあの漫画家先生を凌駕する技量を得たかというわけでもないだろうが、嫉妬心はなりを潜めてしまった。むしろあの先生を尊敬している。年月をかけて葛藤して、自分には自分だけの人生があり、その人生から得た自分だけの理想があると悟ったからである。それに生きてるうちは、自分はまだまだ変われる余地があり、自身の変化を味わいながら自分なりの画道を歩んでいきたいと思うようになった。
Oriental Dragon
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ある絵描きの創作論 長崎 @nukopin
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