第7話 思いのたけを
私は絵描き。主張したいことは絵で語りたいという自負でやってきたものだから、今までこういった著述とも無縁だった。だがいざ書いてみるとこれはこれで、創作を別の視点から吟味出来て良いものだと感じている。
私は実生活でもSNS等でも、なるべく愚痴や文句を言わないようにしている。それは単純に人としての品性に関わるからでもあるし、こまめにガス抜きをしていると創作に対する意識の質が落ちると考えているからだ。
自身の心から自ずと湧き上がる思いは何であるのか、それをじっくり見つめる習慣は創作家として大切だと思う。
たとえどんなに不本意な体験であっても、きちんとした形にすることで、世の人の為になる芸術作品として昇華できる。ここが大切なのだと私は思う。
体験を見つめ、様々な考察をして、理解を深め、創作物という形で昇華させる。
創作とは、体験する以前よりも、高い次元の人格を獲得するための作業なのだ。人格を高めると、周りの人や環境も変わり、心豊かに生きる事ができる。
完成された創作物は、質が高いほど、受け手の心に強い印象と、良い影響を与えられる。面倒でも努力をして作品の質を上げる意義はそこにある。
体験したことを愚痴るだけでは成長できないのだ。周りの人にとっても、ただの不愉快な迷惑者と見なされて終わってしまう。
…と、私が述べた事はいわゆる「意識高い系」なのかもしれない。でも単純に「より良く生きる上で何が最善か」を考えると、そういう志向に行き着いてしまうだけなのだから、仕方がないと思っている。
私が新聞記者時代を過ごした故郷・宮古島には、国立のハンセン病療養所がある。島の北方、太平洋に面した陸の孤島のような場所で、海は見渡せるが、陸地側は高い塀に囲まれている。ちなみに宮古島は地図的に島の右側は太平洋、左側は東シナ海に面している。
入所者たちは第二次世界大戦の頃に罹患して以来、ずっとそこで暮らしている。感染症であるハンセン病は身体の末梢が欠損する症状が特徴だ。それに加え、昔は差別の対象とされ、患者は堕胎・断種を強制されたりした。療養所というが、実質は隔離目的でもあったという。彼らの人生はいかほどであったか、いかような思いを募らせてきたか、計り知れないものがある。
私はそこの入所者たちの作品展示会の取材に出向いたことがあった。取材に入る際は、(安全ではあるが一応は)院内の手すりには触れないようにと注意されたことを覚えている。彼らは指を欠いた手に、布で筆を巻き付け執筆している。更に失明している人は、点字を舌で読むという。その絵や詩文の数々を鑑賞すると、制限された居住空間と肉体の中で連綿と静かに燃え続ける、寡黙な魂の発露がはっきりと感じられた。
「芍薬」 2022年 落書き帳に筆ペン
http://agdes.net/gallery/shakuyaku.jpg
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