第6話 羽衣を求めて
眼前は真っ暗な、茫漠とした世界。
びゅうびゅうと吹きすさぶ風の音には、心無い誹謗や中傷の声が紛れ込んでいる。
地面にはガラスの破片や抜かれた釘がそこかしこに散乱している。
突然どこかから石つぶても飛んでくる。
私はいつどこで傷つくのか分からない状況だ。そして既に傷だらけだ。
「天衣無縫」という言葉がある。
飾り気がないのに、完璧に美しい詩文を例える表現である。
綺麗な薄い羽衣だけを纏った美しい天女が、清澄な天界を優雅に舞う姿が思い浮かぶ、この言葉が好きだった。
そんな天衣無縫の境地になりたかった。
未熟で脆弱な心を強固な鎧具足で固めていては、きっと羽衣は手に入らないだろう。
だから私は鎧を脱ぎ捨て、裸足で荒野を踏み進めた。
羽衣を纏うに相応しい人格と成る為に——。
私の若い頃の創作に対する心象風景はこうだった。
人はどのようにして「己を知る」事が出来るのだろうか。
私にとって絵は正直な心の姿であり、絵を見せるという行為は自身の心を晒すことだった。未熟さも、弱さも何もかも。
だから若かった私にとって、他人に絵を見せることは恐怖でもあった。ある意味自傷行為なのかもしれない。しかし私はそれを辞められなかった。辞めれば己を知らぬまま年を重ねてしまうのではないか、そんな葛藤があった。
若いうちは皆、大なり小なりそういう葛藤があるのだと思う。自意識と外界との摩擦に悩み、試行錯誤しながら順応し、成長していく。
私の勤め先にも、欠席が多かったり、学業がおろそかな教え子は少なくないが、「若いうちは色々あるんだろう」という温かい目で見守っていたい。
ところで20代で二次創作の世界に入り込んだのが、正直、あけすけな性癖博覧会の様相に、カルチャーショックを受けたものだ。
他人の性癖は否定しないし、創作スタンスも様々だと受け止めている。
だがもしも私が超がつくほど特殊な性癖だったら、これが私だと自負して貫けただろうかと、考えただけで心から変な汗が流れてくる。こっそり活動をすると自己嫌悪に気が狂っていたかもしれない。だからといって己を知るためにと大っぴらにしてしまえば……やはり気が狂いそうだ。
これは未だに答えを出さないでいる。
かつての私は単に筋肉好きな女の子だったから、まだあの程度の苦悩で済んだのかもしれない。
客観的に自分の心を見つめ直す。私はきっと繊細で正直すぎたのかもしれない。
創作を始めて40年余、今の私の足裏を見直すと、ゾウの皮のごとく分厚くなってしまっている。飛んでくる石つぶてだって、目をつぶってでもかわせるようになった。そもそも石つぶてを投げられる機会もそうなくなった。
憧れていた、ひらひらと華麗に舞う天女の姿とは似つかないが、自由なのは確かだ。私は私なりの羽衣を手に入れられたのかもしれない、と納得するようにしている。
- Viṣṇu -
http://agdes.net/gallery/visnu.jpg
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