第5話 筋肉の美と醜
前回少し触れたように、筋肉質の男性が好きだ。
小学高学年の頃に観た、「ロッキー4」のドルフ・ラングレンが初恋の人だった。昔は純粋にカッコいいなーという印象だったが、今見直すと勇壮たるヴァイキングの血を引いた、北欧の美そのもののような姿にため息が出る。
またその頃少年ジャンプは黄金期で、マッチョで強い魅力的な男たちが溢れていた。最も夢中になって漫画を買ってた時期だったと振り返る。
高校時代はクラスメートの男子生徒に『月刊ボディビルディング』を買ってきてもらった事がある(自分で買うのが恥ずかしかったからだ)。あの頃からわりと目が肥えていたようで、当時のミスターオリンピア、ドリアン・イェーツよりも、選外でチラっと載ってた黒人ビルダーのプロポーションの美しさに惚れこんだ。その彼は後のミスターオリンピアの常連、ロニー・コールマンだった。
私の創作のフィールドは、嗜好を同じくする者同士が寄り合う同人界ではなく、一般感覚を持った非オタクの人達の中だった。私の筋肉好きはその非オタク達に「悪趣味だ」としばしば毛嫌いされた。
私にとって、絵は思想や嗜好の全てが詰まった自意識そのものである。自分の嗜好を貶されるのは、アイデンティティを否定されるような辛さがある。
そんなに私は否定されるような嗜好なのかと落ち込んだりもした。だが一方で、私の美意識は否定されるものではない、誰が見ても美しいと思える筋肉を描こう、という挑戦心に火がついた。
しかしよく見ると、筋肉質の体というのは、グロテスクでもあるのだ。
女性や子供の身体と比べると描き込む量が歴然。筋肉のパーツの境目、隆起、血管。無数にぼこぼこしていて、見ようによっては甲殻類じみてて確かにエグい。
人の視点や感性は三者三様である。例えば蝶々は羽根の美しい生き物だが、胴体部分が気持ち悪いから苦手だという人もいる。
筋肉を見て、美しいと感じ惹かれる人と、グロテスクな部分に拒否感を覚える人がいるのも当然だろう。雰囲気だって厳つく威圧感もあって、特にナイーブな少女たちには怖がられるかもしれない。
作者の主観、作者の好みだけを詰め込んだような作品はいわゆる「独りよがり」といわれる。
独りよがりを脱却するためには、描く対象と、他者の感覚の、綿密な分析と理解が必要になってくる。
続いて、自身の主観と他者の客観にどれほどの差異があるのか、更に緻密に解析する努力も要される。これらは一朝一夕では身にならないものだ。
その過程を丹念にこなして初めて、「誰が見ても美しい」理想の表現ができるようになる。
私の描く筋肉質の男性は、私の理想が詰まっている。力強さと美しさと清々しい色気を兼ね備えていて、高潔でストイックな精神を内包した——そんな男性が好きだし、描きだすのは何よりの楽しみだ。
自分の好きな男性を貶されるのは最も悲しいことだ。でも褒められるのは私自身が褒められることよりも嬉しい。だから、磨き上げる努力は惜しみたくないのだ。
- Śiva -
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