第4話 絵はアンテナ

 私の人生において、たくさんの役割を担ってきてくれた絵。絵は「他人の気持ちを理解する」という重要なツールでもあった。

 他人に絵を見せて反応を貰う。これを延々と積み重ねて今の自分が形成された。


 私の画道のはじまりは、実家にある古びた百科事典のラクガキから推察するに、おそらく1歳位からだろうか。学習百科事典『アカデミア』動植物の巻は、幼少期の私の絵のお手本だった。リアルに描かれた動植物に魅了され、綴じがボロボロになるほど延々と眺めたり模写したりしていた。ちなみにうちに絵本は無かった。

 そんな私は子供の頃からそこそこ上手な絵が描けた(と思う)ので、普通に描けば褒められた。「褒められるような絵を描けば褒められて当たり前だ」と思う。褒められるのは嬉しい一方で、自分が褒められたくて絵を描いた浅ましい人間にも思えてくる。なんとも気難しい小学生だった。 


 中学に上がったあたりから漫画の影響で筋肉質の男性が好きになってきた。これは見る人の反応が分かれる題材だった。同級生の女子から「気持ち悪い」と貶されて、内心傷つき悔しがった。しかし一方で、綺麗なものを描けば綺麗だと褒められ、えぐみのあるものを描けば気持ち悪いと貶される。そうだ、これが人間の当然の反応なのだと得心し、他人の気持ちというものに興味を持ったのだった。

 私は傷つくのも覚悟で絵を人に見せていった。綺麗なもの、滑稽なもの、グロテスクなもの、セクシーなもの。絵を見た人がどんな表情をするのか見守り、かけられる言葉の意味を吟味する。

 もともと私は他人の気持ちに疎かったから、こう描けば他人はこう反応する、という実地調査はとても良い学びになった。


 画力が上がっていくにつれて、見た人がどんな印象を抱くか、微細なニュアンスをコントロールできるようになっていった。同時に頂く反応の方も、より鋭敏に嗅ぎ分けられるようになっていった。まさに絵はアンテナだった。


 学生時代のゼミの同僚を思い出す。あの頃私は鬱病の悪化で学業が振るわず、優秀な彼女からは馬鹿にされていた。そんな彼女に私の絵を見せる機会があった。当然のように彼女は私の絵を舌鋒鋭く酷評した。しかし私は見逃さなかった、彼女が酷評する前にハッと息をのんだ瞬間を。きっと彼女は自身の咄嗟の反応自体、腹立たしかったに違いない。私はプライドの高い彼女の為に気が付かないふりをして、「あ~そうだね~」と反駁することなくぼんやり受け流した。


「Angela」(未完) (20歳の頃・コピー用紙に丸ペン)

http://agdes.net/gallery/angela.jpg

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