きみがそこにいる

篠岡遼佳

きみがそこにいる



 窓から差し込もうとするのは朝日だ。

 私の感覚は、しかしその一瞬前に目覚める。


「……んぅ……」


 だが、ずいぶんと寝ぼけた声を出してしまった。

 ベッドからもそもそと這い出ると、少しだけ汗ばんでいることに気付く。

 陽の漏れるカーテンを細く開き、音のする窓を開けると、不意に静かな涼しさと、キンモクセイの香りが訪れた。


 季節は秋だ。今年は猛暑が長く続いたが、しばらく降った雨のあとは気温が低い。


 掛け布団を直し、私はキッチンへ向かう。

 この生活になってから、そろそろ5年経とうというところか。

 他人の紹介で始めた仕事だが、まだ生活できる範囲なのが奇跡的だな。

 そう思いながら、私は朝食の準備を始める。


 丸いティーポットにアッサムの茶葉を入れ、汲みたての水をヤカンに入れ、火にかける。

 しゅんしゅんとヤカンの口から蒸気があがるのを待ち、いいタイミングで火から下ろし、一気にティーポットに入れる。蓋をし、ティーコーゼをかぶせる。


 その間に、ティーカップに残り湯を入れ、暖める。

 本当はティーポットもやらなければいけないが、まあそこまでしなくても良かろう。飲む人物は限られているし。


 砂時計をひっくり返し、じっくり3分。

 さらにその間に卵とベーコンを焼き、パンも切って焼く。

 パンは魚用グリルで焼くので、要注意だ。うちにはトースターはない。新調してもいいのだが。


 そうこうしていると、声をかけられた。


「んもう~、そんな格好のままごはんの用意しちゃダメだってば~」


 眠そうにブルーの目をこすり、腰まである金髪をちょっと絡ませて、起きてきたのは、2年前からの同居人だ。

 相手はパジャマの上半分をだぶだぶと着ていて、私は下着姿のままだった。

 

「はい、エプロン、もってきた」

「すまないな、つい」

「ちょっとかがんで」

「うむ」


 エプロンの首の部分を掛けるため私はおとなしくかがむ。つい目も閉じる。

 すると、額にやわらかいものが触れた。エプロンが掛けられる。


「おはよ。今日もいい朝」

「……ああ、そうだな、いい朝だ」

「ちょっと焦げてきてる?」

「そうだった。紅茶も抽出時間が終わったろう。淹れてくれるか」

「はいな!」


 元気よく返事をして、彼女は私に微笑んだ。

 なんだかそれが眩しくて、私も確かに彼女に微笑み返した。




 私は、いわゆる少年兵であった。あの頃は、誰もが戦いに赴いていた。

 隣国との戦争は、長引き、疲弊し、その代わり物資はやってくるという、前線にいるものが擦り切れていくような戦いだった。


 私たち少年兵はその間の村々に住んでいたに過ぎない。

 戦わなければ何も守れなかった。

 最低限の自分の命も。


 そして、その戦争は二足歩行型の兵器が実戦投入された最初の戦争となった。

 二足歩行の彼らは、習うより慣れる方が早いものだったらしい。

 マニュアルなど、持ったことはない。

 それでも、やはり戦わなければならなかった。

 少年兵は彼らに乗った。大人の体ではなかったからだ。銃も打ったことがなかったからだ。

 誰かを殺した夜を覚えている。

 誰かが殺された真昼を覚えている。


 そして戦争は第三国達によって引き延ばされ、さらに別の国々によってなんとか終結をみた。


 それでも、終わりきったものはない。

 憎しみや恨みは尽きない。

 奪われたものは返ってこないし、奪った罪も許されるものではない。


 しかし時は流れ、私たちは平和に戻るしかない。

 父も母も、兄たちももういない、うなされる夜があっても。

 たった一人になった世界になにもなくても。





 くすぶり続けた火種は、ある日小規模なテロとなった。


 

 そのとき、助けたのが彼女だ。


 彼女は爆発物のすぐ側にいたのだろう。

 最初は多分死んでいると思った。

 しかし、生きていた。


 両目がある、両手もある。体は揃っていた。

 だが、彼女はすっかり、記憶を遠くへ飛ばしてしまったらしい。

 いわゆる自分史喪失というやつだ。



 ――そこで、役所から提案されたのが、私たちが共に暮らすことだった。

 何かの縁でしょう。

 メガネの所員はそう言って、かっちりと仕事をしつつ、しかし良い家を用意してくれた。


 ――主治医は、少し困ったようだった。

 私はどろどろの記憶をまだ忘れられそうになく、常に睡眠薬などに頼った生活をしている。

 ついでに彼女も見てやってくれ。そう私が言うと、

 

 いや、犬猫でもそれはなくないかな……?

 弱気な口調は主治医の癖である。

 若い主治医はよくよく考えた。腕を組み、次の患者の分まで時間を使っていた。 


 ――わかった、君たちを共に診るよ。こんなこと、しちゃいけないとは思うんだけどね。しかし、この世界は昔からずいぶん変わった。記憶もきっとなんとかなるさ。




「焦げてるねぇ」

「早急にトースターを買おう、リコちゃん」

「ちゃんづけ、ちゃんと続いててえらい」

「ジャムがついているぞ」

 彼女は甘党らしく、パンにはたっぷりとジャムを塗って食べる。

 私が指でこぼれた彼女の口端のジャムを拭い、そのまま私が食べると、

「わあ、わあわあ」

 彼女は焦って口を布巾で拭い、真っ赤になってうつむいた。

「どうした、リコちゃん」

「エアちゃんって、そういうことするからずるい……」

「ずるくはないと思うが……」

「もー、わかんない子だな。照れてるんだよ!」

「照れるのか? ジャムの一つで?」

「私は乙女なんだよ」

「乙女は髪をといてから食卓につきたまえよ」

「えっ、また絡まってるの!?」

「まずは朝食だ、あとでやってやる」

「やったあ!」


 彼女の笑顔は、なぜかいつもとても眩しい。

 守れるものなら、また守ろう。何度でも。

 そして、記憶が元に戻れば……。



 私の記憶も、欠けた部分がたくさんある。

 戦闘していたときなどは完全に乖離していたのだろう、と主治医は言っていた。

 


 生きていくための世界を守った私は、そうして、「本当の平和」を手に入れようと、いまも藻掻き続けている。

 彼女のためにも、生きようと、している。


 

 


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きみがそこにいる 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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