ヒーローの女性版がヒロイン、すごく面白い発想でした

 まず良い点から伝えていきます。
 一言紹介でも書いた通り、ヒーローものの反対、ヒロインものというのが面白い発想で引き込まれましたね。主人公の死亡設定とコミカルな話の進み方、序盤はテンポよく読み進ませていただきました。
 さて、これは公募作品であるということで、自分が作者であれば応援コメント以上に自分の作品のことを一生懸命考えてくれた末の親身なアドバイスや批評コメントは嬉しいものだと存じますので、あえて悪い点も挙げさせていただきます。
 主人公のご都合主義が目に余る。
 いえ、ご都合主義事態を否定しているわけではありません。巷で話題のなろうモノやライトノベルなんかは、よくこの言葉が散見されますが、そもそもこの言葉自体が、問題の要点を間違えて捉えられ、誤認した状態で受け取られることがほとんどなので、ここにその問題の確信を綴らせていただきます。
 主人公のご都合主義が目に余る、という感想は、ご都合主義をやめろ!というモノではありません。無論、そのように感じた読者はしばしばご都合主義アンチのような存在になってしまうのですが、果たして彼が面白いという作品に、ご都合主義が一切含まれない作品は存在するのでしょうか。
 フィクションというものの良さは、本来現実では起こり得ないとさえ言える超低確率の奇跡を、作品のキャラクターを通して追体験できることにあると思います。少なくとも、近年の小説作品はこのような良さを売りにしたファンタジーが多いです。重ねて申し上げると、ここでいうファンタジーとは恋愛などを含んだ「ターゲットとなる読者層が日常生活において体験していないこと」という極めて一般的な定義に基づいた用語です。悪しからず。
 さて、近年の小説では主人公には以下の役割が与えられることが多いです。もう少し話の脱線にお付き合いください。
 ①視点保持者②ストーリーキャリアー③感情移入先
 小説というものを研究している諸兄諸君にはつまらない話かもしれませんが、一応解説しておくと、物語というのは視点保持者となるキャラクターを通して語られ、ストーリーキャリアーとなるものを中心に回り、読者は感情移入先とされるキャラクターに感情移入します。深い作品というのは、③がいかに濃密であって、より深い感情移入がなせるかによります。
 では話を戻しましょう。結論から言います。ご都合主義が目に余るというのは、主人公が成功者になることで、作品において誰にも感情移入できなくなった状態、を指します。
 これは作品において致命的です。ストーリーキャリアーというのその存在の都合上、力ある存在でなくてはなりません。主人公がそれである場合、主人公には一定以上の強さが求められることになります。しかし、そのせいで主人公が幸福になりすぎた場合、主人公は成功者となるのです。
 ストーリーにおいて当然のプロセスを踏んで主人公が幸せになるのなら、まだ読者は許容できます。しかし、ある程度の運が介在しての幸福である場合、読者は感情移入ができません。人は、成功者より失敗者の方に感情移入するのですから。
 例えば、主人公の置かれている状況は、女子校に一人男子として送り込まれたという状況ですよね。ですが、ヒロインたちがデレすぎなんですよ。想像してください。自分が女子校に潜入できたとして、果たしてそんなふうにチヤホヤされるでしょうか。
 お嬢様学校であればチラチラ視線が送られ、興味を示されることはあるでしょう。しかし、必ずしも作中にあるようなベタ惚れ方はされません。あれって、ラブコメの起承をすっ飛ばした段階なんですよね。正直、ゲロキモです。
 別にいいんです。小説というのはゲロキモで。だって、作者が自らの欲望の捌け口にする場所ですから。大いに結構。しかし、周りの女の子は僕を見ただけで卒倒し、キャーキャー言われ、本人として気づいてしまうほどのアピールをされるような状況、しかも自分はそれにやれやれしている。想像できますか? 感情移入できますか? 私はできません。女子校だから、お嬢様学校だから、卒倒されるまではよしとしましょう。なぜならギャグだからです。ギャグなら基本なんでも許しましょう。
 でも、会ってまもない凛ちゃんが、いきなり主人公のためにみたいな愛の告白を観衆の目の前でするか? しない。いや、しない。というか個人的には主人公がヒロインたちの好意に気づいてるアピールが一番辛かった。共感性羞恥で感情移入できるものもできません。
 性欲がない? 分かる。異性に興味をなくす? 分かる。アビスになって色々変わってるのかもしれません。ですが、それと感情移入先として適しているかは別です。全く適した状況じゃありません。
 これはおそらく主人公に感情移入する無双ものですよね? それで主人公に感情移入できなきゃ、本末転倒なんですよ。
 ということで、もう少し主人公を苦しめることをお勧めします。これは持論ですが、主人公をあの手この手で苦しめるとガンガンストーリーもかけますし、話も面白くなりますよ。書いているうちに、ああ、どう面白く苦しめるかでストーリーの面白さは決まるんだろうな、と感じました。実体験です。
 さて、もう一つ。これは少々専門的なことになるのですが、舞台の内訳です。
 強襲科・魔法工作科・後方科(間違ってたら失敬)ですよね。これをみて、戦術論と戦略論を読了した私は非常に違和感を覚えます。
 まずヒロインたちは現在国土および人命の安全を守るための防衛戦争に従事していますよね。もしくは人類の存続、いずれにしても防衛戦争です。
 戦争における工作というのは工作活動を意味し、魔法工作科の業務は工作活動というより開発科のお仕事です。科というのは自衛隊や軍組織における分類を意識したものでしょうから、ここら辺は重要なのではないですか?
 まあ、ここらへんはいいでしょう。戦争論者としてはともかく、小説家としては粗末なことです。
 ですが、強襲科、これはひどく疑問に思います。何を疑問に思うかと言えば、そもそも強襲とは、損害を覚悟して敵に攻撃を仕掛ける行為を意味します。
 攻撃を仕掛けるにあたって損害を被るのなんて当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。
 その説明をするにあたって、強襲によって失うことになる戦力というものを事前に解説させていただきます。
 戦争における分類は三つ、目的・戦略・戦術に分けられます。戦術的勝利というのは目的達成を可能にした状態を意味し、戦略的勝利のために、多くの戦術的勝利が活用されます。
 戦争における戦力というのは、つまり作戦遂行能力を意味します。これを損耗するというのは、すなわち作戦遂行が難しくなっていくということ。部隊運用の上ではいかにこの損耗を抑えるかが重要になってきます。
 しかし、強襲というのはそれでもあえて、戦力の損耗を覚悟し敵に攻撃を仕掛けること。どういう状況で用いられるかと言えば、事実上退路が立たれている状況です。
 劣勢下において、事実上退路が立たれており、状況を逆転するための奇襲作戦を必ず成功させるために奇襲と併用して行われる強襲。つまり、奇襲としての強襲。
 作戦の最終盤において、必ず成功させなければならない攻撃の最中、もしくは一番槍において行われる強襲。
 特に、太平洋戦争において、発見された日本駆逐艦がすでに敵の重巡洋艦の射程内に入っており、敵影を捕捉した司令官がすぐさま命じた強襲が有名ですね。これが記録上最後のアメリカに対する戦果となりました。
 話がずれましたが、つまり、強襲というのは作戦においてここぞというときに用いられる背水の陣なわけです。もちろん教習を前提とした部隊は存在し、有名どころをあげれば日本軍の特攻部隊神風や、ソ連の正規兵などが有名ですが、日本軍の特攻部隊というのも全軍がそうだったわけではありませんし、ソ連は人的資源が豊富で、そもそも戦略構想からして違います。そもそも、あれらは第二次世界大戦時だから許された、いわば時代遅れの考えでした。今はいかに戦力を温存し、死命を分つ点でこれを結集し、一点集中でこれを放つか。防衛戦争ではよくこの戦術が用いられます。
 さて、これは防衛戦争なのであって、その遂行のために最後の最後まで戦力は温存し、耐え抜かなければならない持久戦。補給路も立たれていないのであれば生き急ぐこともないのですが、なのにも関わらず、前衛正規兵を全て強襲を前提として教育するというのははっきり言って前代未聞。何世紀前の戦略構想なのでしょうか。たとえ日本人口が1000万人に減っていたとしても、この程度かじりの戦術・戦争論者であれば誰でも知っています。それほどまでに当たり前のことなのです。特に、武器の製造会社に連絡するネットワークも生きているのであれば、国際的な戦術・戦略知識の共有や、敵生体に関する情報共有、そのた部隊運用の議論というのは人類存亡の危機に立たされれば国家間の垣根を超えて行われることは容易に想像できます。人類存続という目的の前では、いかなる国境も政治的対立も無意味なのですから。ファシズム政権が乱立し、世界が混沌の渦に見舞われているというのなら話は別ですが、それなら遠方にあるイギリスの武器製造会社とコンタクトをとって、外国から兵器輸入できるというのは意味不明です。
 部隊運用の上で、全ての前衛部隊を強襲を前提として訓練するというのは部隊意識の観点においてもあまりにも短期的な考え方であり、根気の求められる防衛戦争においては、もはや敗北を待つばかりのレジスタンスぐらいしかありえません。少なくとも、国家を代表する軍組織が、このような教育訓練を行うというのは自殺行為に等しいのです。すぐに戦力が尽きて戦線は崩壊するでしょう。人的資源の補給は難しいのです。
 他にも、戦争というのはさまざまな学科の兵によって構成されており、それぞれが分業制度に基づいて非常に鮮やかな職務遂行をしています。戦争というのは多様な人々の集団によって成り立ち、だからこそ複雑で面白いわけでありますから、今よりも多様な学科を取り入れるのも良いのでは? すでに応募してる時点でカクヨム上での変更は叶いませんが、後付けで出したり、採用された時に改めて付け加えるのはいいかもしれません。不躾ですが、さまざまな役割を持つ部隊が、各人各様戦場でさまざまな思いを巡らせながら同時並列展開されている様を描写するというのは、小説としてとても面白いものがあるんじゃないでしょうか。戦闘描写にも多様性を産んでくれますし、それだけで話の絶対的なボリュームは増えます。ですから、バトルモノとしては一度戦争と軍組織について参考にするのも良いのではないでしょうか。バトルの部分がとってつけた部分で、ラブコメがこの作品の全てだというのなら、そこら辺は作家性によるのでこれ以上の不粋は致しませんが。
 以上、お節介でした。