第7話 犯人と新米魔術師

 どうして私は生きているのか。

 何故、あの時に死ねなかったのか。

 森の中で一人寂しくさびしく死ぬ筈が、予定が狂って今は一人淋しくさみしく病室の中で生きている。

 命を削り、魔力も使い果たして、残ったものも得た物も無い。

 しかも何より厄介な事に、今度は死ぬのも怖くなってしまった。

 その事実に耐えられなくて、けれど目をつぶるのも何となく怖くて。

 

 少女が見飽きた白い天井を見つめていた所、病室の扉が開く。

 入って来たのは長い髪の、制服を着た少年。

 名前こそ覚えていないけれど、それでも忘れる筈が無い。

 

 何せ、少女にとっては。

 命の恩人であり、自身の予定を狂わせた張本人でもあるのだから。


 * * *


 最低限の魔術の鍛錬を済ませ、祖母が寮まで送りつけてきた書類の山を捌き、空いた時間で学校説明の資料を読み込む。

 そんな一週間に渡る激務を終わらせ、入学式を明日に控えた霊白流月は今、病室の扉の前で立ち往生している。

 

 お見舞い––––を、名目とした”国際明蹟大学附属高校ゾンビの乱”を起こした犯人への聞き取り。

 それが、流月に課された仕事だった。

 この仕事の重要性は理解している。

 あの少女が根からの悪人で無い事も、少しの間共に過ごした流月は察している。

 それでも、未だ病室の扉を開ける決心が付かない理由はただ一つ。


 

 だって、どう考えても話が弾む訳が無い。

 その上、本人としては隠したいであろう事件の事も聞き出さないといけないのだ。

 そう、流月には。

 気まずさと後ろめたさに耐えられる自信が、まるで無かった。


 その後、数分かけて腹を括った流月は、病室の扉を開ける。

 中は質素な作りになっていた。

 置いてある家具は、椅子が二つに机が一つ。それと、棚の上に十数年ほど前の小さなモニター位のものだ。

 寮の部屋よりは充実しているな、などと現実逃避の為に考えながらも、ベットの上からこちらを見ているあの時の少女に言葉を掛ける。


「久しぶり……って言うには、それほど時間は経ってないな。ともあれ、体調はどうだ?……後は……ええと……差し入れでも持って来た方がよかったか……?」

「別に。そこら辺はどうでもいいさ」

「そうか……」


 病室に入ってから一分も経たずに、辛い沈黙が流れる。

 それから数分の間、雨音だけが病室に響く。

 流月は口を開く事も出来ないまま、その場で硬直する。

 その様子を、少女も動かずにただじっと見つめる。

 

 その黄色い瞳は、穏やかで。

 あの時みたいに狂気を感じる事もなく、死を前にした結果の達観もなく。

 その上で。

 透き通る様な美しさの中に隠された人らしい弱さに、果たして流月は気付いただろうか。


「……名前」


 窓に叩きつける雨粒の音にかき消されそうな程小さな声で、突如として少女は一単語だけ口に出した。

 まさか相手が先に沈黙を破ると思っていなかった流月は、慌てて聞き返す。

 今度こそ、もう少し話が続く様に祈りながら。


「今、なんて?」

「……だから、名前だよ。今更だが、大事だろ?」

「そうだな。俺は霊白流月。制服で分かるかもしれないが、国際明蹟大学附属高校の一年……に、明日にはなっている筈だ。ところで、良い高校名の略し方はないか?」

蹟高せきこう、辺りが妥当だろうな。で、自己紹介か。黒鷺殊張くろさぎしゅはり、件の蹟高の三年……に、なる筈だった。まあ、あんな事をしたのに退学だけで済んだなんて、正直言って不思議だよ」

「同じ高校だったのか。俺はてっきり、外部から来たテロリストの類だと」

「はあ?てか、そう思ってたなら尚更なんで助けたんだよ。馬鹿か、底抜けの善人か、それとも破滅願望でも持ってんのかよ」


 殊張からの問いかけに、流月は少しの間黙って考え、そして今日一番晴れやかな笑顔で答える。

 

「別に、そんな大層なものじゃないさ。俺はただ、どうせ死ぬなら面白そうな方に賭けたいだけだ。もっと面白そうな選択肢があったら、躊躇なくそっちを選んだだろうしな」

「……成る程、馬鹿じゃなくて人でなしだったか。人間、ぱっと見の印象だけでは分からないな」

「ああ、同感だ。でも、俺にだってちゃんと心はあるからな?君を騙す様な真似をして、情報を得るのに心が痛む程度には。……だから白状してしまうと、事件を起こした動機とか方法とか、あらかた聞いて来いって言われてるんだよ。……頼む、事件について、話してくれないか?」

「あー……そういや、お前になら話して良いとか言ったっけな……あの時はまだ意識も朦朧としてたもんな……いいさ、話せる限りの事は話す。ただし……条件がある。、と言った方がいいか?」


 ベットの上に座りながら、殊張は不敵な笑みを浮かべる。

 

 ––––因みに。黒鷺殊張がそうした表情をする時は、大抵が強がりだ。

 自身の焦りと不安をかき消す為に。

 弱みを、悟らせない様に。

 名家の生まれでありながら、魔術師としての才能も、人を統べるカリスマも後数歩足りなかった彼女は、自分と他人を偽る事で生きてきた。


「事件については全て話す。お前個人に対しての協力だって惜しまない。……魔術が使えなくなっても、知識と人脈は消えてないからな。だから……使。それが、取引の内容だ」

「……分かった。俺にどこまで出来るかは分からんが、善処はしよう。だが、何故そこまで魔術に固執するんだ?別に、なくても生きてはいけるだろ」


 流月にとってはただの質問、というよりも確認に近い。

 だが、それは。

 殊張にとって最も重要な問題で––––自身の答えによっては、今までの人生、その全てを否定する事になる。

 不意にそんな問いを突き付けられた所で、すぐに答えが出る訳もなく。

 今までで一番長い沈黙の末、殊張は静かに、そして正直な答えを出す。


「……分からない。魔術師である事で、初めて生きる意味が生まれる。そんな価値観で育てられてきたし、最近まで信じていたんだ。残念ながら、お前の期待に添える答えは持ち合わせていない」

「……すまない、浅慮が過ぎた。何であれ、取引は受けさせて貰う。知識も人脈も、今の俺には足りないからな」

「……助かる。なら、私も言った事は守らないとな。何から聞きたい?」

「それなら……ちょっと待ってくれ。絶対に聞けって言われていたのがいくつかある」


 そう言いながら、流月はズボンのポケットから小さく折り畳まれたメモ用紙を取り出す。


「ええと……そう、魔力についてだ。あれだけの量のゾンビを召喚するのは、どんな裏技を使っても不可能に近い……って尚楼先輩が言ってたんだよ」

「……あいつが先輩呼びされてるのは違和感があるな。まあいい、魔力をどう工面したか、だろ?お前には言った気もするが……ドーピングだよ。霊薬を使った、魔術的な物だ」


 一度殊張は深呼吸を挟み、苦虫を噛み潰した様な顔で渋々と説明を始める。


「そもそも、霊薬と呼ばれる物が何なのかは知っているか?」

「寮で誰かが言っていた気もしたが、知らないな」

「なら、そこから説明しよう。霊薬と言うのは、魔力を増やす薬の総称だよ。ただまあ、神話などではの薬として語られる事が多いな。アムブロシアーや変若水おちみず、エリクサーなんかがその代表格だ。ここまではいいな?」

「ああ、了解した」


 取引という最大の難所を越えたからか、互いにもう緊張は解け、良くも悪くもリラックスした体勢で話していた。

 具体的には、流月は側にあった椅子に座って机に片肘をついており、殊張はベットに寝転がり目も閉じている。


「そんな霊薬だが、現代には存在しない。理由は幾つかあるが……一番はやはり、作りたがる奴が居ないからだ。考えてもみろ、一万円を使って百円を手に入れようとする馬鹿が何処にいる?慈善事業をするんでもなけりゃ、作る価値が無いんだよ」

「……で、そんな馬鹿がいるって言われて、まんまと騙されたのか」

「ああ、そうだ。今思えば、どう考えても詐欺だった。たまたま作る事が出来た霊薬を受け取ってくれ、なんて流石に怪しすぎる」

「……取引の件、一回考えさせてくれないか?その手口に引っ掛かる人間と一緒にいるのは不安が勝る」

「駄目だ。私には今頼れる人がいないんだ、お前が居ないと打つ手が無くなる」


 殊張から向けられた純粋な信頼に、流月の心は何故だか痛む。

 ––––と、同時に。人脈があると言う言葉を、流月は少しだけ怪しんだ。


「……霊薬は誰から貰ったんだ?それさえ分かれば少しは追える……かも知れない」

「残念ながら、仮面を付けていたから顔は分からなかった。学校の敷地内で渡されたから、この辺の施設の関係者だとは思うが……」

「今の所怪しい要素しか出ていないな。本当に、何で飲んだんだよ」

「それは……」


 殊張は数秒口ごもった後、やがて上体を起き上がらせて、流月の方を見ながら話し始める。

 とはいえ、視線は主に壁の染みへ向けられている。

 先刻とは打って変わって、殊張にだけ辛い時間。

 やがて腹を括ったのか、本日二度目の正直な答えを言い放つ。

 

「……

「はあ?いやいやいや、何かこう……もうちょっと……あるだろ!?」

「それが無いから困ってるんだよ!……そもそも、私には学校を襲撃する動機だってありはしないんだ。確かに不満もあったし、決して満足していたとも言えないが……だからと言って、滅ぼしたいと思った事もない」

「……つまり?」

「私の気が狂っていただけの可能性もあるが……魔術師にでも掛けられたと、私は踏んでいる。……これだと、苦し紛れの嘘に聞こえるな?それでも……信じてくれ」


 真っ直ぐな視線が、流月を捉える。


「……俺は、まだ魔術師としては見習いだ。暗示ってのもよく分からん。ただ……今回の件に真の黒幕ってのがいるんなら、取引のついでに探してみようじゃないか」

「いいのか?……いや、ってのが理由か」

「それもあるが……ちゃんと借りは返したい質なんだ。元を辿ればそいつのせいで死にかけたんだからな、一発殴るまで気が済まん」

「成る程。お前の事が少しは分かった気がするよ」

「当然、ちゃんと手伝って貰うからな?」

「ああ。……そうだ、連絡にはこの番号を使ってくれ」


 殊張はベットの横にある小さな棚の上で、そこに積んであった書類のうち一枚の裏にボールペンで電話番号を書き、流月に渡す。

 それを受け取った流月は小さく畳み、制服の内ポケットに仕舞う。


「それじゃあ、俺はもう行くよ。そうそう、あのナイフは預かってるから、退院したら連絡してくれ」

「……あれはお前が持っていてくれ、流月。元は登山用に買った物なんだが、ずっと使う事が無くてな、私では持て余す。……でも、銃刀法には気を付けろよ」

「だな。俺としても、次使うときは本来の用途であって欲しいよ」


 一礼し、気の抜けた笑顔を浮かべながら流月は病室を後にする。


 





 

 

 









 

 

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魔術が使えない筈の俺、何故か魔術学園に拉致られました 不明夜 @fumeiyo

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