第15話 見せしめ
入園式は顔合わせ程度で終わり、ルシアはアドルフに侯爵邸へと馬車で送ってもらっていた。
「ではアシュトン嬢、また明日、迎えに来る」
「はい、送っていただき、ありがとうございました」
力なくそう返したルシアに、アドルフはにこやかに手を振ると、転移魔法で立ち去った。
その様子を玄関先で見ていたルシアの兄ダリルは、邸からゆっくりとした足取りで、ルシアへと歩み寄る。
「うちの馬車に同乗して、それで送り迎えって、どうなんだろうね?」
「お兄様……」
確かにそうだと、ルシアは苦笑する。
「まあ、転移魔法で行き来すると、一緒にいられる時間が少なくなるから、ということだろうけど」
「それこそ、どうなのでしょうか? 幼馴染というだけの関係性でありながら、送迎をするというのは、流石にちょっと……。今日の出来事は、お兄様の耳にも届きましたか?」
「そりゃあね。あれだけ大騒ぎになれば、上の学年にも聞こえてくるよ」
眉を下げて言うダリルに、ルシアは盛大な溜息を吐き出した。
「はあ……どうしたらいいのでしょうか……」
「どうしようもないよ。アドルフ様からしてみれば、お気に入りの玩具に手を出されたくないって思いが強いのだろうし」
自分の妹を玩具と言いながら苦い顔をする兄に、ルシアは心配をかけているのだろうなと申し訳ない気持ちが押し寄せた。だがそう思いながらも、玩具という立場から逃げられない事実に、ただただ項垂れる。
「やっぱりエリーヌをルシアにつけた方がいいのかな?」
「いえ、それは流石にエリーヌ様がかわいそうです」
砦から引き抜いたエリーヌは、今現在、ダリルと一緒に学園に通い勉学に励んでいる。せっかく知識が他の令嬢並みについてきたというのに、自分のせいで一つ下の学年に編入するのは流石に忍びないと、ルシアは固辞する。
それに二人はどう見ても両思いだ。
ダリルがルドルフの思いを語ったのと同じように、二人も一緒にいたいはずだと、ルシアは二人を気遣った。そこに玩具と恋人という大きな関係性の違いがあることには、目を瞑る。
「これから先が、本当に不安です」
「そうだね……。アドルフ様たちが脅してくれたようだけど、却って火に油を注ぐ結果になったかもしれないな」
「私もそう思います」
果たしてその予感は、見事に的中する。
翌日の、昼休みのことだった。
ほんの少し、アドルフたちから離れた隙を突かれ、花を摘みに廊下を歩いていたルシアは、ガシッと腕を捕まれ、二人の令嬢に有無を言わせず、引きずられてしまう。
気がつけばルシアは、校舎裏へと連れて行かれていた。そしてそこで、五人の令嬢たちに囲まれてしまう。
「どういうつもりですの! アドルフ様に付き纏い、挙げ句の果てに婚約者候補筆頭のアメリア様を排除するなんて!」
腕を組んで威圧的にそう詰め寄ったのは、伯爵家の令嬢だ。
そんな鬼の形相で捲し立てる令嬢に、ルシアは特に怯えるでもなく淡々と言葉を返す。
「排除など、そのようなつもりはありません」
「白々しい! 幼馴染だからといって、図に乗らないでちょうだい!」
これは何を言っても通じないと理解したルシアは、口を噤む。だがそれも気に入らないのか、他の令嬢たちが口々に罵倒した。
「あなたのような地味で冴えない女、幼馴染だからと、同情でお側にいさせてもらっているというのに、この恥知らず!」
「その程度の容姿で、アドルフ様に縋るなど、本当に厚顔無知ですわね!」
「顔も醜ければ、性格も醜いなんて、最低ですわ!」
貴女たちの今の顔の方が余程醜いですよと、ルシアは心の中でだけ呟く。
とりあえず、気の済むまで罵倒させて、さっさと開放してもらおうと、ルシアはだんまりを決め込んだ。
だがここで、か細いながらも、反論する声が上がる。
「あの……ご存知かもしれませんが、あの方自身は『血』の影響を受けておりませんが、生まれてくる子供は、必ず『血』を受け継ぎます。その時、彼女が作る結界石が必ず必要になりますよ。自分の子供に殺されない為にも、絶対に必要になるはずです。ですから、このようなことは……その……」
声を上げたのは、ルシアを強引にここへと連れてきた令嬢の一人だった。きっと下位貴族で、彼女たちに逆らえなかったのだろうとルシアは考えた。
それと同時に、何故アドルフと婚姻できる前提で話をするのか、それが不思議で仕方なかった。
下位貴族の彼女の言葉に、今まで吠えていた令嬢たちが悔しそうに口を閉じる。それでも、それを認めたくないのか、一人の令嬢が再び口を開いた。
「ふん、そんなの、陛下に王命を出して頂ければ済む話ですわ!」
勢い込んで言った令嬢に、賛同する者はいない。それは偏に、ブラッドフォード家が王族殺しで有名だからだ。
気に入らない王族を、容赦なく葬る。王族の中で、犠牲になるのが特に多いのが国王だった。
「……それは……流石に無理だと思います……」
下位貴族である令嬢が、絞り出すように言った。
上位貴族に言い返すのは、勇気のいることだ。それでもここで宥めなければ、火の粉が自分にも飛んでくると、必死になる。
言った本人にも自覚があるのか、悔しそうにギリリと奥歯を噛み締めた。気不味い雰囲気の中、ルシアは頃合いかと、声をかける。
「もうよろしいでしょうか? そろそろ教室へ戻りたいのですが」
なかなか戻って来ない自分を心配して、アドルフが探しに来てしまうかもしれない。大事にしたくはないルシアは、無表情でそう言った。
それが癇に障ったのか、先程食って掛かって来た令嬢が手を振り上げた。
何も言い返さず、いきなり暴力に訴えてきた令嬢に、ルシアは驚いた。
だが、その振り上げた腕が、ドサリと地に落ちる。
次いでドバっと鮮血が吹き出した。
余りのことに、その場にいた令嬢たちは、何が起こったのか、理解できずにいた。
ただ一人、ルシアだけは哀しそうに目を伏せる。
「アシュトン嬢。なかなか帰って来ないから心配したよ」
「申し訳ありません、アドルフ様」
いつの頃からか、アドルフも人を傷つけることに躊躇いがなくなっていたことに、ルシアは落胆していた。
人を殺めることまではしないが、腕や足を切り落とすことはままあった。
砦での殺伐としたやり取りの中で、アドルフも感化されてしまったのかもしれないと、ルシアは仄暗い思いでアドルフに目を向けた。
とそこで、腕を落とされた令嬢が絶叫した。
漸く事態を把握したのか、腕を押さえ、痛みのあまりに叫びを上げる。その声に弾かれたように、他の令嬢たちが、ガタガタと震え出した。
すぐに立っていられなくなり、座り込んでしまう。
令嬢たちは、涙を流し、ルシアに縋るような視線を向けた。それを面白くなさそうに一瞥したアドルフは、ルシアへと目を合わせる。
「まさか昨日の今日で、こんなことをする輩がいるとは思わなくてな。一人にしてしまってすまない」
「いえ、特に何をされた訳ではありませんから、大丈夫です」
自分がそう言ったところで、彼女たちを見逃すことはないのだろうと、ルシアは息を吐く。
それでも一縷の望みを込めて、ルシアは口を開いた。
「グレイ様にもご心配をおかけしてしまったでしょうね。アドルフ様、早く教室に戻りましょう」
そう言ってアドルフを促し、足早にここを立ち去ろうとしたルシアは、『ぎゃっ』という声と共に振り返った。
最初に目に飛び込んだのは、赤だった。
元は肌色だった其れ等は、その赤に染められ、元々の形が分からない。
ルシアが少し視線を上げれば、そこに立っていたグレイと目が合った。
「グレイ、後片付けが大変だから殺すなと言っただろう」
「これもこの学園でやってこいと、父上に言われている」
「そうなのか?」
「父上たちの時代は、かなり派手にやったらしくてな。卒業する頃には生徒の数が半分以下だったらしい」
「まあ、そうだろうな……」
肩を竦めたアドルフは、自分の世代ではこの一件だけで済むことを願った。それはすなわち、ルシアに絡む者がいなくなれば、このようなことも起こらないのだ。
だが愚かな令嬢たちは、度々ルシアにちょっかいを出し、グレイに排除されていく。
令嬢たちの学習能力の低さに、呆れ返るアドルフだった。
前世、妻だった君へ 空青藍青 @a_o_a_o_
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