第二章 学園編
第14話 入学
あれから月日は流れ、アドルフとルシアは十五歳になっていた。
アシュトン侯爵の砦での活動は、アドルフの生家である東の砦以外は、全て順調に結界石を作ることが出来、終焉を迎えていた。
アシュトン侯爵が西の砦を後にしてからというもの、アドルフは幾度となくルシアに会いに行き、親交を深めて来た。
お互いに気のおけない間柄になったものの、ルシアは未だその距離感に戸惑いを抱えていた。
「アシュトン孃、足元に気をつけて」
「……ありがとうございます……」
「緊張しているのか? 何だか元気がないな」
「……はい。少し緊張しています」
今現在、学園の入園式に向かっているのだが、何故かアドルフがルシアをエスコートするように、隣に陣取っていた。
自分の右腕にルシアの手を絡ませ、その手の上からアドルフが包み込むように手を乗せている。まるで逃さないと言うようなその行動に、ルシアは思わず溜息を吐きそうになってしまった。
アドルフと出会ってからというもの、ルシアはこの距離感に困惑しながらもずっと指摘をしてこなかった。そのことを今は酷く後悔していた。
その距離は、友人と呼ぶには余りにも近く、家族よりも近い。まるで恋人同士のように振る舞うアドルフに、ルシアの目は早々に死んでいた。
そんなルシアの心など知る由もなく、周囲の視線はとても冷たく、コソコソと陰口までもが耳に届く。上機嫌なアドルフはそのことには気がつかず、ルシアだけがこの異常な雰囲気の中、顔と身体を強張らせていた。
朝早く、アシュトン侯爵邸を訪れたアドルフに、侯爵邸の者たちが慌てふためいたのは言うまでもない。
ルシアの制服姿にいたく感動したアドルフは、気の済むまでルシアを観察、堪能し、大袈裟なまでの賛辞を口にした。
地味な髪色に、顔の作りもそこそこのルシアからしてみれば、アドルフの方が余程秀麗で、制服姿も様になっていると、非常に居た堪れない気持ちになってしまっていた。
「さあ、アシュトン孃。教室まで一緒に行こう」
学園の入口に張り出されたクラス分けの表を見ることなく、アドルフが園内へと足を進めることに、ルシアは不思議に思い、疑問を口にする。
「あの、アドルフ様。クラス分けを見なくても大丈夫なのですか?」
「ああ、問題ない。俺とアシュトン孃は同じクラスだ。それと、従兄弟のグレイもな」
「グレイ様もですか。それは賑やかになりそうですね」
グレイは北の砦を護る、ブラッドフォード家の嫡男だ。ルシアが北の砦の結界石を作る際に、アドルフが間に入り親交を深め、友人と呼べる間柄になった。
ブラッドフォード家特有の無表情ではあるが、好奇心旺盛で、結界石や魔道具にも興味を示したことに、ルシアは純粋にただ喜んでいた。
そのグレイも同じクラスだとなると、ルシアの中で沸き起こった疑念は益々強くなる。
「どうして同じクラスだとご存知なのですか?」
「学園にかけあった」
「……そう、ですか」
アドルフは笑顔でそう言うが、ルシアは『脅した』の間違いではないのかと、心の中で考えた。
「まあ折角通うのだから、楽しい方が良いしな」
「……そうですね」
確かにそうではあるが、とルシアは周りの声に耳をそば立てる。
「まあ、なんですの、アレ。まるで婚約者気取りではなくて?」
「本当に。アドルフ様が優しいからと言って、図に乗り過ぎだわ!」
「あの程度の容姿で、よくもまあ、アドルフ様の隣に立てるものね」
「ええ、あのような容姿であれば、普通は遠慮するものでしょうに。なんて図々しいのかしら」
聞こえてきた言葉の数々に、ルシアは思わず溜息を吐きそうになる。それをグッと堪えつつ、『私だって、遠慮したいわよ』と心の中で毒付いた。
「そうだ、アシュトン孃。これから毎日、朝と帰りは俺が送り迎えをするから、そのつもりでいてくれ」
アドルフの耳にも、陰口が聞こえていたのだろう。今朝アドルフが迎えに来た時に言われたことを、公衆の面前で大きな声で告げられて、ルシアはそんな気遣いはいらないと、頭を抱えたくなってしまう。
「……ありがとうございます」
ここで断れればどんなに良いかと思いながらも、ルシアはお礼の言葉を口にする。学園に通うことを知った日から五年間、ずっと言われ続けていたことだから、今更拒否も反論も出来なかった。
だがそうなると、周りの反応も大きくなる。
「信じられませんわ! 普通あの場合は断るべきところでしょう!」
「そうよそうよ! 好意につけ込んで、本当に図々しい!」
そうは言うが、この国で国王よりも権力のあるブラッドフォード家の子息の好意を、無下にできるはずも無い。
それを分かっていながら陰口を叩く令嬢たちに、ルシアは堪らず恨みがましい目を向けた。そのルシアの視線を受け、令嬢たちが鼻白む。
負けじとルシアを睨む令嬢たちをすっかりと無視し、アドルフは早々に教室へと向かい、グレイと合流した。
「グレイ、早かったな」
「お前たちが遅いのだろう。大方アドルフがアシュトン嬢の制服姿にのぼせ上がっていたのだろうが、遅刻しなかっただけ褒めてやろう」
「グレイには全てお見通しか」
照れくさそうに笑ったアドルフに、教室内にいた女生徒が色めき立った。それをチラリと見遣ったルシアは、益々居た堪れなくなる。
だがそれよりも、今は挨拶が先だとグレイへと腰を折った。
「ご無沙汰しております、グレイ様」
「ああ、久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
「はい。グレイ様もお変わりないようでなによりでございます」
ルシアが殊更丁寧に対応をすると、グレイが不服そうに目を眇めた。
「アシュトン孃、随分と余所余所しいじゃないか。前みたいにもっと親しげに話してほしいのだが」
「……はい。善処します」
「まあそう言うな、グレイ。アシュトン嬢は緊張しているみたいだから、仕方がないだろう」
「ああそういえば、人見知りだったな」
「……はい」
グレイの言葉に反論したい気持ちもあったが、今はその時ではないとルシアは口を噤んだ。
実際人見知りだったのは数年前の話で、父に連れられて砦を回るうちに、人見知りは治っていた。だがなかなかそれを理解してくれないアドルフが、初対面の相手に必ずと言っていいほど、ルシアのことを『人見知り』だと説明していた。
「今日から三年間、よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
アドルフに続きルシアがグレイにそう言うと、一旦そこで落ち着く形となった。
アドルフがグレイの座っている隣の席に、持っていた荷物を置く。ちなみにこの荷物はルシアのものだ。そして荷物を置いた隣の席の椅子を引くと、ルシアに座るようにと促した。
一番うしろの真ん中に、横一列で座る形になり、ルシアはこの席に座って大丈夫なのかと辺りを伺った。
他の生徒たちは遠巻きに見ているだけで、近寄ってくる気配はない。それは偏にグレイのせいなのだが、当の本人は気にした様子はなく、むしろ邪魔者がいなくて清々しているようにも見えた。
ルシアはそんなグレイを見遣り、息を吐く。
グレイの見目は、アドルフと同様に灰色の髪に金の瞳で、見惚れるほどに秀麗だ。だがブラッドフォード家の血を強く引いているせいで、酷く恐れられていた。
砦での人員要請は国に直接行くことが多く『人間』が殺されればそれなりに情報は出回ってしまう。そしてそれは、ブラッドフォードの者によって殺されてしまったのだと、強く印象付けられた。
アシュトン侯爵の結界石のおかげで、殆どの兵士が魔物に殺されなくなった。
そのことにより、兵士が死ぬ大きな要因は、今や魔物ではなく、ブラッドフォードの者なのだと、ブラッドフォード家の『血』を際立たせる結果になってしまったことを、アシュトン侯爵もルシアも酷く後悔していた。
「まあ、本当に図々しい。アドルフ様の隣に座るだなんて!」
ここで一際大きな声が教室内に響いた。
声の主を見れば、ルシアと同じ侯爵家の令嬢が唇を戦慄かせ、睨んでいる。その様子にあからさまに嫌悪の表情を浮かべたアドルフとグレイが口を開く。
「アドルフ、あの女に名前を呼ばせる許可を出したのか?」
「そんなわけないだろう。俺を名前で呼んでいいのは家族とアシュトン嬢くらいだ」
「じゃあ、今のはあの女が勝手に呼んだということか」
「そうなるな」
教室中に聞こえるように、わざと大きめの声で、グレイとアドルフが会話をする。その様子に、堪らず侯爵令嬢が顔を青くさせた。
「あの方はアドルフ様の婚約者候補の一人です。それにお二人ともブラッドフォード家の方ですから、名前でお呼びしないと、どちらか分からないと思いますから、仕方がないのでありませんか?」
重苦しい雰囲気を打開しようと、ルシアがすぐさま間に入った。その甲斐虚しく、益々悪い方向へと話が進んでしまう。
「そもそも俺たちのことを話題にすること自体、不敬だろう。殺されても文句は言えない立場だと、分かっていて言っているのならば、すぐに殺してやるがな」
グレイの言葉に、その場に緊張が走った。
だがルシアは、アドルフがグレイを止めてくれるだろうと、慌てずゆっくりとアドルフへと視線を向けた。そしてその表情を見て凍りつく。
ギッと侯爵令嬢を睨みつけるその表情は険しく、射殺してしまうのではと思うほどだった。
グレイを止めるどころか、アドルフの方が今にも手を上げそうだと、ギョッとする。
余り怒りの感情を見せたことのないアドルフが、こんな表情を見せるのは珍しいなと、ルシアは呑気にそんなことを考えた。
「……も、申し訳……ありません……」
消え入るような謝罪の言葉に、アドルフが苛立った様子で言葉を発した。
「どこの令嬢かは知らないが、入学早々に退学になるとは笑えるな。ついでだ、お前の家ごと潰してやろう。一族郎党、爵位返上の上、国外追放だ。お前たちが俺たちの庇護下でのうのうと暮らすなど、許されることではない」
思わず声を上げそうになったのは、侯爵令嬢だけではなかった。ルシアも余りのアドルフの言いように、反論をしかけて口を噤む。いくら親しいとはいえ、『ブラッドフォード家の意向』に逆らうことは憚られた。
「……ああ……う……う……」
膝から崩れ落ちた侯爵令嬢は、顔を覆って泣き始める。そして彼女の取り巻きたちが救いを求めるようにルシアを見やるが、そのことにもアドルフの怒りの矛先が向いた。
「散々陰口を叩いておいて、助けを求めるとはな。お前たちも同じように家ごと潰されたいのか?」
「ひっ……」
アドルフの殺気にも似た怒気に、令嬢たちが腰を抜かす。そしてアドルフが一人の男子生徒へと目を向けた。
そのアドルフの視線を追い、ルシアはその男子生徒が宰相の息子だったなと記憶を辿る。
名前は確かメイルだったか、そう朧気に思い出し、じっとその行動を見つめた。
「連れて行け」
「は、はい!」
弾かれたように男子生徒が行動を起こす。泣き崩れている侯爵令嬢の腕を無遠慮に掴み、立たせようとした。だが上手く立たせることが出来ず、四苦八苦しだす。
「随分と、非力だな。運び易いように身体をバラバラにしてやろうか?」
その言葉に、教室内にいた生徒たちはゾッとした。グレイの表情と言い方にはまるで邪気がなく、ただの親切心からそう言っているように見えたからだ。
「い、いえ。大丈夫です」
真っ青な顔で、他の男子生徒へと目を向け、助けを求める。すぐにそれに気づき、何人かで侯爵令嬢を廊下へと引きずって行った。
「良い見せしめになったな」
腕を組んでそう言ったのはグレイだった。
「ああ、これで少しは静かになるだろう」
見せしめの為に、一族郎党国外追放というのは、些かやりすぎのような気もする。ルシアとしては自分が原因でこうなってしまったことに、酷く戸惑っていた。
「アシュトン嬢。これは君には関係のないことだ。ブラッドフォード家の者の機嫌を損ねるとどうなるのか分からせて来いと、父からも言われている。これが俺たちが学園に通う理由だ」
グレイの言葉に嘘偽りはないのだろうと、ルシアは小さく頷いた。だがその表情は強張ったままだ。
そのルシアの表情に、気に病んでしまうのは仕方がないのだろうと、アドルフが気遣うように言葉をかけた。
「嫌な想いをさせてすまない」
「いえ、大丈夫です。お気遣いくださり、ありがとうございます」
座ったまま頭を下げるルシアを、アドルフは心配げに見遣った。
その気遣いを、もっと他にも向けてくれたらと、思わずにはいられないルシアだった。
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