第13話 またね
アシュトン侯爵の仕事は順調に進み、ルイスの管理する西の砦での作業はほぼ終了していた。
次の砦に向かうための準備に取り掛かる段階になり、アシュトン侯爵はルシアを連れて、ルイスの屋敷へと足を運んだ。
「お忙しいところ、お時間を作って頂き、ありがとうございます」
最初の頃こそ、毎日のように砦に赴き、アドルフに護衛をしてもらっていった二人だったが、この砦付近に現れる魔物の特性を把握してからは、すっかりと足が遠のいていた。
結界石を届けるのみの作業となり、大体は怪我をして前線に出られない兵が窓口となり、二人がルイスとアドルフに会うことはなく、今日に至る。
常にルシアに会いたがっていたアドルフだったが、ルイスの監視を怠るわけにもいかず、時間が取れないまま今日この日を迎えてしまった。だがアドルフは、そんな事情など知る由もなく、久しぶりに会えたルシアに上機嫌でルイスの隣で笑顔を見せている。
「いろいろとご協力頂き、本当に感謝いたします」
「いえいえ、こちらこそ。兵たちの死亡率が下がり、士気も上がって、こちらとしては良いこと尽くめですよ」
「恐縮です」
深々と頭を下げるアシュトン侯爵に、ルイスは満面の笑みを浮かべた。
「アドルフ、アシュトン嬢とは今日でお別れだ。何か言うことはないのかい?」
「は? お別れ?」
言われている意味が分からず、顔は笑んだまま、疑問の声を上げる。
出会ってからまだ半年程しか経っていないが、アドルフにとっては、実に充実した半年間だった。
いつでも会えるという安心感から、少しばかり会えない日が続いても我慢出来ていたのだが、『お別れ』と聞いて、アドルフは信じられない想いでアシュトン侯爵へと目を向けた。
「はい、我々は次の砦に向かいますので、もうこちらに伺うことはないかと思います」
「なっ!」
その視線に応えるようにアシュトン侯爵がそう言うと、アドルフが驚きの声を上げた。
「全ての砦を回って、結界石を作るのが目的なのですが、この分なら、割と早く達成できるかもしれません」
実際、一つ前の砦よりもこの西の砦での活動は短く、予定よりも随分と早く終えることができていた。
「待ってください。全ての砦ということは、東の砦も、ですか?」
自身の生家が管理する、東の砦も入っているのかとアドルフは聞かずにはいられなかった。
もし東の砦も入っていたならば、向こうへ応援に行くのも有りだと、打算的なことを考える。確か人員要請が来ていると、何度か聞いたことのあったアドルフは、次の砦が東の砦であればと、思わず前のめりになった。
「はい。ですが、一度断られています」
「え?」
前に断られているということは、もしかしたら、もっと早くにルシアに出遭えていたのかもしれないと、アドルフは目を瞠る。そして父親であるサイラスに、強い怒りを覚えた。
「今でも何度か、申し込みはしています。他の砦での実績もありますし、何より東の砦は人員不足と聞いていますから」
それでも断るのだろうなと、アシュトン侯爵とルシア、そしてルイスは思っていた。
だがアドルフだけは、いい返事をしてくれることを期待する。
そうすれば、またルシアと共に過ごす時間が得られると、切実に願うアドルフだった。
そんなアドルフのみえみえの表情に、ルイスは呆れながらも、明るい未来を提示した。
「まあ、十五歳になれば、学園に通うことになるから、そこでまたアシュトン嬢とは会えるのだし、そんなに悲観することもないだろう?」
「学園……ですか。はあ……五年後か……長いな」
精神年齢はとうに六十を超えているアドルフからしてみれば、学生生活を謳歌するのは苦痛以外の何物でもない。
それでも、そこにルシアがいるのならばと、思い直す。だが後五年もある。それまで全く会えないというのは、アドルフにとっては耐え難いものだった。
「そんなに待てません」
「だったら、会いに行けばいい」
「それは……」
ちらりとルシアへと目を向けたアドルフは、次いでアシュトン侯爵にも目を向ける。
その縋るような視線に、堪らずアシュトン侯爵は了承の意を口にした。
「お時間があるのであれば、いつでも遊びに来てください」
アシュトン侯爵の隣で、ルシアも笑みを浮かべて大きく頷いた。それを受け、アドルフはぱあっと表情を明るいものに変える。
「はい、是非、行かせてください!」
勢い込んでそう言うと、アドルフはアシュトン侯爵の今後の予定を事細かに聞いていく。
その様子をじっと見つめていたルイスは、アドルフの行く末を心配した。
ルイスとアドルフへ、再度挨拶をして屋敷から辞去しようとするアシュトン親子に、慌てて声を掛ける者があった。
「まあ、アシュトン様! お話は終わりましたの?」
屋敷の外で、馬車に乗り込もうとしたアシュトン侯爵に、明るく話しかけたのは、ルイスの妻であるダイアナだった。
「これは、ブラッドフォード夫人。ご無沙汰しております」
軽く腰を折り、にこやかに挨拶をするアシュトン侯爵と、綺麗な所作で頭を下げたルシアは、元気そうなダイアナの姿に笑みを深めた。
二人がここに来たばかりの時は、侍女に薬を盛られたせいで、まだ体調も悪く、寝台の上での挨拶となった。それを思い出し、アシュトン親子は見違えるように元気になったダイアナの姿に安堵する。
「ええ、本当に、ご無沙汰しております。砦の件では大変お世話になりました。私からもお礼を申し上げますわ」
「いえ、こちらこそ。多大に協力して頂き、感謝しております」
ダイアナとアシュトン侯爵が話し始め、これは長くなりそうだとあたりをつけたアドルフは、この期を逃すまいと、すかさずルシアへと話しかけた。
「アシュトン嬢、どうか身体には気を付けて、無理をせずに仕事をしてほしい」
すっと屈み、ルシアの耳元に顔を寄せながらアドルフが心配げに言葉をかける。
そのことに、思わず仰け反りそうになったルシアは、何とか堪えることに成功した。そして引き攣った笑顔で、返事をする。
「はい、ありがとうございます。アドルフ様も、お仕事は大変かと思いますが、どうぞお元気で」
アドルフへと顔を向ける体で、そっと距離を取ると、ぐいっとアドルフが身体を寄せてくる。
砦や工房でもそうだったなと思いながら、ルシアは久しぶりのこの距離感に、戸惑いつつも笑顔を維持した。
「でも本当に残念だよ。もっとたくさん話がしたかったのに、離ればなれになるなんて」
「いつでも遊びに来てください」
随分と大袈裟な言い方をするアドルフに、ルシアは首を傾げながらも、社交辞令を口にする。
それを真に受けたアドルフは、この後五年間、幾度となくルシアに会いに行き、『親友』の座を手に入れることを、ルシアはまだ知らない。
ダイアナとアシュトン侯爵の話も終わり、 今度こそ馬車へと乗り込んだ二人は、窓からブラッドフォード家の面々に会釈をした。
ゆっくりと走り出した馬車は、どんどんと小さくなる。その馬車が、見えなくなるまでじっと見つめていたアドルフに、ダイアナがニンマリと笑みを浮かべた。
「ねえ、ルイス様。アドルフちゃんはルシアちゃんにお熱なのかしら?」
「ん~、どうなんだろうね?」
なんとも言えない表情でルイスが躱すと、ダイアナは少しつまらなそうに口を尖らせた。
「でも、アドルフちゃんの態度を見る限り、何だかすごく気に入っているみたいだわ」
「まあね」
苦笑しながらの返事ではあったが、好感触を得られたダイアナは勢いこんで話し出す。
「だったら、アドルフちゃんの婚約者になってもらいましょうよ!」
手を合わせ、明るくそう言ったダイアナに、ルイスは益々苦笑する。
「あーそれは……。ダイアナも知っているだろう? アシュトン嬢は……」
「……ああ……。ええ、そうでしたわね。はあ……ものすごく残念ですわ。あの二人、お似合いですのに」
頬に手を添え、憂い顔でダイアナが言えば、ルイスも残念そうに頷いた。
血に翻弄されないアドルフであれば、望めば誰とでも婚姻を結べるだろうと思いつつも、ままならないことも多々あることに気付き、ルイスは肩を落とした。
願わくば、これから先、アドルフに幸多からんことをと心の中で呟いたルイスだった。
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お読み頂きまして、ありがとうございます。
第一章 出逢い編、完結です。
引き続き、第二章 学園編を投稿していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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